オメガ

白河マナ

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第9章 慟哭

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 シオンは『再生』の魔法でライズの腕を繋ごうとしたが、その左腕からは生命力が完全に失われていた。腕の結合を諦め、胸の傷を塞ぐ。
 この魔法は人間が本来持っている治癒力を劇的に引き上げるというものだ。時間が経って死んでしまった腕は繋がらない。
 ライズの胸と背中の傷を塞いでから、続いて全身を癒した。しかしライズは目覚めなかった。

 遠くでジードがバズと会話を交わしている。
 ひとりの小さな女の子が、黄金の光に包まれていた。光の中で、少女は泣いていた。シオンは冷静に状況を見極めようとした。

 光の正体はソークだった。
 魔法を使うためのエネルギー。あらゆる生命の源。不可視であるはずのそれが、光の粒子として目に見えている。

 魔法士は、器に溜めたソークを引き換えに魔法を体内に収める。しかし、リットは体外にソークを留めていた。
 もし、そんなことができるのなら。
 ランクなど、意味を持たない。体内の器が小さくても、自分のランクを超える魔法を呼び出すことができるからだ。

 シオンは考え、まずはバズを倒してからだという結論を導き出す。だが、戦いはジードの勝利で終わっていた。
 バズは倒れ、ジードはリットの方に歩いていく。

「それに近づいちゃいけません!」

 シオンは叫んだが、ジードは近づくのをやめなかった。リットのいるエネルギーの中心に向かって進む。
 嫌な予感がした。



──これを持っていきなさい



 ライザに手渡されたガラスで出来た三角形の石のことを思い出す。手にとってみたが、どう使えばいいのかシオンにはわからなかった。

 少女の前に到達したジードが、その体を抱きしめる。
 刹那、ジードの両肩口から大量の血が吹き出した。
 シオンの側にジードの片腕が落下し――手にはモジュレータが握られていたが、落下の衝撃で離れて遠くに転がっていく。

 リットを囲む光の量が増し、空を光の柱が突き抜ける。リットはジードの背中に重なるようにして倒れた。空に真っ直ぐに光の線が引かれ、天が二分された。シオンたちのいる一帯は巨大な影に満たされた。

 光の扉が開き、<それ>は現れた。

 <それ>は直径が三キロメートルにも達しようかという闇色の球体だった。球体は、村に、森に、湖に影を落とした。
 巨大な球体は少しずつ地上に向かって落ちてきていた。

 どうしていいかわからず、シオンはライザにもらった石を地面に投げつけた。石は呆気なく粉々に砕けた。
 ライズを抱え、リットとジードのところに走る。二人とも気を失っていた。ジードは両腕を失い瀕死の状態だった。
 ジードの千切れた二本の腕を集め『再生』の魔法を使う。腕がもがれてから間もないので、どうにか元に戻せそうだった。

 三人を抱えて逃げることは不可能に近い。
 上空の球体がこのまま地上に落ちたのなら、どれほどの被害が周辺地域に及ぶのか想像もできなかった。
 シオンたちに降り注ぐ闇が濃くなっていく。腕を繋いだジードが目を覚ませば、逃げることができるかもしれない。シオンは魔法を唱えつづけた。

 だが。
 人の気配を感じ、シオンの手が止まる。

「よく分かったわね、切札の使い方。タイミングは最悪だったけど。あの子に……帰ったら謝らないと」

「ライザ様……」

 シオンは縋るような顔つきで、名を呼ぶ。

「バズは死んでるし、かなり酷い状況みたいだけど、戦いは終わってるみたいね。そこの三人は生きてるのかしら」

「なんとか」

 ライザは周囲を見渡す。
 無数の死体、倒壊した家々、えぐれた地面、そうったものを一通り眺めた。

「情けない顔してるわね、シオン」

「あれを見たら情けない顔にもなります」

 そう言って、人差し指を空に向ける。ライザは空を見た。黒塗りの丸い物体がまっすぐに地上目掛けて落下してきている。

「帰っていいかしら」

「絶対にダメです」

「……言ってみただけよ」

「目が本気でしたよ」

「誰が呼び出したの、あんなもの」

「ライズ様の娘さんです」

 倒れている金髪の少女とライズの顔を交互に見る。

「なるほど」

 ライザはライズの腕を拾い、『ルイン』を取り外した。それを自分の左腕にはめる。ライズの頬を優しく撫で、微笑む。

「頑張ったわね」

「ライザ様、今はそんなことしてる場合じゃ、」

 暗闇が間近まで迫っている。

「この子、昔は、怖がりで泣き虫だったのよ。でも、記憶を失って力を手に入れてから、少しずつ変わっていった」

 『ルイン』が回転音を鳴らしはじめ、徐々に大きくなってくる。同時に『ルイン』の表面から発する淡い光が五人を照らした。

「でもね、本当はそうじゃなかったの」

 ライザは指を動かし印を結ぶ。

「お爺様が亡くなって、十二歳で首領になった私の負担を軽くしようと必死だったのよ、この子」

 闇の塊が大気を、大地を震わせる。

「変わっていったのは私。この子は、昔のまま」

 目を細め、シオンたちに向かって魔法を使う。
 四人の体が微かに白い光を帯びる。

「ライザ様っ!」

「借りは返さないとね。あなたたちは、先にクライトに帰ってなさい。三人の手当てを頼んだわよ、シオン」

「どうして!? ライザ様も一緒に!!」

「あれをこのままにしたら、街が三つくらい壊滅してしまうわ。これは、バズを黙って行かせた私の責任でもあるから」

 シオンから反論の声はなかった。
 四人の姿は無かった。すでにライザの魔法によって、遥か遠いクライトに転送されていた。

「さて、と。これを使うのは、生涯二度目ね」

 『ルイン』を操作しながら、詠唱をはじめる。
 紡がれた言葉は旋律となり、ライズの頭上の空間を歪めた。球体が迫りくる。近づくにつれ、その表面に様々な種類の闇が渦巻いているのが見て取れた。

 長い魔法の詠唱が続いた。これでも印を結ぶよりはかなり早い。
 球体は圧倒的な質量で大地を飲み込もうとしていた。
 ライザの詠唱が終わりを告げたとき、

「只今戻りました、ライザ様」

 その声にライザは振り返った。シオンが立っていた。ライザが文句を言う前に、

「三人のことはラーチェさんに頼みました。あちらは大丈夫です」

「あなた、何しに来たの?」

「いや、こっちのほうが楽しそうだったので」

 白い歯を覗かせ、子どもっぽく微笑む。

「殴ってもいいかしら」

「構いませんよ。でも、シリウスに帰ってからにしてください」

 ライザは呆れ顔でため息を吐く。

「ほんと、わからない男ね。こんな年増の女と心中しに戻ってくるなんて」

「ライザ様がいなくなったら、多くの人が悲しみますから。特に僕が」

「はいはい」

 さらっと受け流す。

「うう……酷いです。一生懸命考えた決め台詞だったのに」

「どうせラーチェにでも聞いたのでしょう。私がライブラリの001945番を解禁したこと」

「はい」

「……帰ったら絶対に一発殴るわ」

「はい。まずは、生きて帰りましょう」

 シオンは眼鏡を投げ捨てる。

 モジュレータを操作し、目では追えないほどのスピードで印を結び、連続でライブラリの001945番=『宏遠こうえん餌袋えぶくろ』の魔法を使い続ける。この魔法は燃料庫へのソークの補充だ。魔法の発動者は、こちらに蓄積させたソークを使い、集団魔法を使うことができる。

「少しだけ希望が見えてきたわ。ありがとう、シオン」

 感謝の言葉と額に汗を滲ませたシオンの笑みとともに、ライザたち二人は闇に飲み込まれた。

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