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井戸の中
第14話 セラ=メイネス
しおりを挟む夢を見た。
決して沈むことのない『置き去りの月』を背にして逃げる夢。僕は深い森の中を全力で駆け抜ける。何かに躓いて転ぶ。起き上がろうとするけれど、僕の両足は血に染まっていて、身も心も絶望に支配される夢。
「……リリアナ」
目尻を涙が伝う。僕は服の袖で涙を拭い、ベッドから起き上がる。
300年前の世界から、300年後の世界にやってきてから約半年。まだあの時の夢を見る。
300年も経てば世界は変わる。こちらの世界には僕の知っている国はひとつも無く、知っている地名もなく、あらゆることが様変わりしていた。唯一変わらないのは、アルキアという大陸名くらいだ。
この時代には『置き去りの月』がない。満月のまま沈まない月。僕のいた世界には、月が二つあったけれど、こちらには沈む月しかなかった。
本当に僕は300年の時を経た場所に立っているのか、本当にここは僕がいた世界から続いてきた未来なのか、不安に思うことがある。
リリアナが言葉を使えなくなる前に、もっと質問をしておけばよかった。答えてくれたかは分からないけれど。
「……ひとりは、寂しいな」
ベッドの傍の小さなテーブルの上には、リリアナが書き残した『行ってくる』というメモが置いてある。
彼女はいつ帰ってくるのだろうか。
心細い気持ちに囚われながらも、僕はそれをなんとか振り切って一歩踏み出す。階段を下り、工房の窓を開ける。屈伸運動をして、背筋を伸ばす。
窓から差し込む光が、床を照らし、その反射光が傷だらけのゴーレムを輝かせる。
「昨日はよく頑張ったね。しっかり直してあげるから」
これまで僕のゴーレムは修復できないくらいに破壊されるか無傷だったので、本格的な修復は初めてだ。でもやり方はリリアナから教わっている。
作り置きの粘土は全部使ってしまったから、ちょうどいい量の新しい粘土を用意する。魔力をよく練り込んで、一度大きな球体にする。
僕はゴーレムの破損した左手首に球体をくっつけて、右手を参考にしながら左手を成形していく。続いて余った粘土をアメジスト・ツインパイソンとの戦いで傷やヒビが入った箇所に塗り込んでいく。手の届かない場所は、踏み台を使って作業する。
「こんなものかなー」
修繕した部分は硬化していないので色が違う。僕は術石を1つ持ってきて、ゴーレムの左手の甲に埋め、
「大地を司る神々の隷属《れいぞく》よ 我が魔力を纏《まと》いし土塊《つちくれ》を贄《にえ》とし 再び其《そ》の御力《みちから》を与え賜《たま》え」
粘土の硬化が始まり、蒸発するように水分が失われ、色も変化していく。間もなく僕のゴーレムは、造った直後とほぼ同じ姿を取り戻していた。
「ゴーレムに体術や剣術を学ばせることはできないのかな……」
僕は二階にあがり、リリアナや魔法士ギルドの研修で教わったことをまとめたノートを読み返す。
「ん?」
術石について説明を受けた日のページに、1枚の紙が挟まっていた。紙には小さな文字がぎっしりと書かれている。でもそれらの文字は僕には読めなかった。見たことがない、知らない文字。
「こんなのもらったっけ?」
ノートの日付を見ると、まだ半年も経っていない。前後のページをぱらぱらとめくり、なんとか記憶を手繰り寄せてみる。
「そうだっ! ソースコード!」
思い出した。リリアナはこの紙をそう呼んでいた。
術石に触れて『我に従え』と唱えるだけでゴーレム化が始まるのも、1行だけ命令コードを付け足すことができるのも、僕の命令だけに反応して動くのも、修復時の呪文も、全部ここに書かれている文字の羅列でやっている――そう教わった。
方法は知らないけれど、この内容をリリアナが術石に組み込み、僕が簡単にゴーレムを造れるようにしてくれていたんだ。確か。
「でも、リリアナがいたとしても喋れないし……魔法士ギルドなら詳しく教えてくれるかな」
僕はソースコードの紙を持ち、魔法士ギルドに向かった。
◇ ◆ ◇
町の魔法士ギルドは、僕の家から歩いて20分ほどの場所にある。高い塀で囲まれた4階建ての建物は、王都の魔法士ギルドに次いでこの国で2番目に大きい。
「お待ちしていました、シュルト=ローレンツ様」
解放された門をくぐり広い中庭を抜けてギルドの建物に入ると、メイド服を着た赤い髪の女の子に声をかけられた。
「え? どうして僕が来ることを知っているんですか?」
「セラ=メイネス様から事前に伝達がございました。さあこちらに。ちなみに私の名前はキセラです。キセラ=クレシダ。気軽にキセラと呼んでください。セラ様と若干名前が被ってますけど、それは偶然です」
セラ=メイネス様は魔法士ギルドのギルドマスターだ。同時にこの町の領主でもある。リリアナと一緒に何度か会ったことがあるけれど、僕たちがこの町にやってきたのを好ましく思っていないようだった。少し苦手な人だ。
「あの、僕はゴーレムに詳しい人に会いたくて、」
「さあこちらに。セラ様がお待ちです。ちなみに私は猫が好きです」
服の袖を掴んでくるキセラ。その指を見ると、人差し指と親指にへクスリングを嵌めている。キセラは魔法士……それなら。
「キセラ、これが何かわかりますか? 僕はこの内容が知りたいんです」
持ってきた意味不明の文字が書かれている紙を見せると、すぐさまキセラに奪われる。
「ほうほう。ソースコードですね。ちなみに私はトマトが好きです」
毎回語尾にキセラの個人情報を放り込んでくるけど、何なのだろうか。猫とトマトが好き……覚えてしまった。
「ふむふむ。ちなみに読むのは得意なので、あと5秒で読み終わります」
「読めるの?」
「終わりました。感想です。これほど雑で醜いソースコードを見たのは生まれて初めてです。全身がゾワゾワしました。ちなみに私は今、これを破り捨てたい衝動に駆られています」
僕はキセラから紙を取り返す。これはリリアナの術石の中身を紐解くために必要なものだ。
「破らせてください。ちなみに結構本気で言ってます」
「ダメです。これは大切なものなんです。ちなみに僕も本気ですから」
「……そうですか。残念。ちなみに私は今夜、そのコードを思い出して眠れないと思います。それくらい、とてもかなり非常におぞましい代物です」
「いったい何がそんなに酷いんですか?」
そこまで言われる理由がわからない。
「現代魔法の理《ことわり》をことごとく無視しているからです。そのソースコードは3つの禁忌を犯しています。マイナーな古代言語の使用、コメントの欠如、悪ふざけが過ぎる記述」
「悪ふざけ?」
「そうです。このソースコードを組み込まれたゴーレムは、敵の攻撃を受けた時に256分の1の確率で膝蹴りで反撃します。ちなみに攻撃が当たった時には65536分の1の確率でゴーレムの全身が無意味に光ります」
それでアメジスト・ツインパイソンとのバトルの時、よくわからないタイミングで膝蹴りをしていたのか。
「キセラ、客人はまだかな? 待ちくたびれてしまったよ」
「申し訳ございません、セラ様。シュルト様がいらっしゃいました」
深々と頭を下げるキセラ。
セラ=メイネス様は、目にかかっていた長い前髪を指先で左右にかき分け、僕のことを見つめている。黄金色の長い髪と曲線的で美しい顔立ちは、絵画に描かれた女神のように見る者を魅了する。しかし前にリリアナが教えてくれた。セラ様は男だと。
「知ってるよ。だから君に頼んだんだ。ようこそ、シュルト君。一人でここに来るのは初めてかな?」
ひとの上に立つ人間には相応の雰囲気があるけれど、セラ様はその中でも異質だ。唐突に胸倉を掴まれる感覚。別に何かを咎められている訳じゃないのに、口の中が乾き、息苦しくなり、緊張してくる。
以前リリアナがそうしていたように、僕は床に片膝をつく。
「はい、初めてのことでございます。セラ=メイネス様」
「キミに話があるんだ。時間、あるよね?」
「はい」
気が進まないけれど、断る口実が思いつかないので観念する。
「私はね、ずっとキミと二人きりで話がしたかったんだ。それを、いつもいつもあの女が……」
「……リリアナのことでしょうか」
「これは失敬、キミにとっては命の恩人だったね。リリアナ=ソレルは」
やっぱり僕はこの人が苦手だ。
「さあ行こうか。キセラ、私の部屋に紅茶を用意してくれ」
僕は歩き出したセラ様の後についていく。お互いに無言で4階まで上る。窓から外を見ると、ロドスタニアの町を一望できた。
「いい景色だろう。人々の精神と懐の豊かさが町の空気を浄化し、その空気は沈澱することなく絶え間なく循環している。優れた統治とは、隙のない金策――いかにして町に金と物を呼び込むのかを考え、実行させることに他ならない。だがその前提として、絶対にやらなければいけないことがある。わかるかい?」
「人々を飢えさせないこと、でしょうか」
かつて父から教わった言葉だ。
「いいね。父上の教えかな。キミには気品と教養がある。でもね、キミには不足しているものがある。たとえば、自我と気概と関心……この続きは部屋の中で話そう。入りたまえ」
促されて部屋に入ると、
「なんでここに!?」
そこには、工房に置いてきたはずの僕のゴーレムが立っていた。
【彼女の魔法完成まであと328日】
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