信長とようかん

hitode

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使命

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 「誰と言われても記憶がないんです」

 僕はそう答えるしかなかった。

 本当の事を真面目に答えたら田中オヤジに『頭がおかしい娘だ』と思われて逃げられるだろう。

 田中オヤジの言う事が本当なら堺で魚問屋を経営してる小金持ちのはずだ。

 田中オヤジの腰巾着をすれば、取り敢えず飢える事はないだろう。

 「"記憶がない"と言うのは"道端で倒れた"以前の記憶がないのか?」と田中オヤジ

 「その通りでございます」

 僕は真面目な顔をしながら嘘をついた。



 この時僕は田中オヤジが千利休だと言う事に気づいていない。

 そもそも利休というのは「禁中茶会に町人は参加出来ないから」と言う断り文句を本気にした天皇から天正十三年に送られた『居士号』であって、信長は天正十年に『本能寺の変』で死んでいるから『千利休』という名を知らないし、千利休が秀吉に切腹を言い渡されたのが天正十九年なので六年しか名乗っていない。

 天皇から利休という居士号をもらった後も田中オヤジは『千宗易』と名乗っていたので『千利休』という名は本人の死後広まった名前なのだ。



 田中オヤジが冷たい男で「あっそ、じゃあね!」と言われたらそれまでだ。

 「これからどうして良いやら・・・。

 行くあてもなく、知り合いもおらず、記憶もありません」

 僕はわざとらしく同情を買おうと深いため息をついた。

 本音は『御託は良いから、とにかく僕を保護しろ!』だ。

 「取り敢えず儂が経営している魚問屋がすぐそこにある。

 そこで詳しいこれからの話をしよう」

 僕は内心でガッツポーズをした。

 よし、田中オヤジの店に居座ってやろう。

 魚問屋に行くまで田中オヤジが僕に話す。

 「お主は男に対して『女である事』の主張が一切無かった。

 お主が女である事を利用して少しでも迫ったら、儂は容赦なくお主をここに置いて行くつもりだった。

 お主ほどの器量の良さがあれば男を利用しようとするのが当たり前だろうにそれが一切ない。

 何かを隠しているようだがそれは仕方ない。

 人は誰しも『何か』を隠しているモノだ。

 逆に儂は全てを話す者を信用しない。

 そういった者は儂との間で出来た秘密を他者に対して何の躊躇いもなく話す」

 田中オヤジ、中々の洞察力だ。

 だけど一つ思い違いをしている。

 僕は"女である事を利用しない"んじゃない。

 "女である事を利用出来ない"んだ。

 だって僕は今まで男だったし、この時代の女の仕草なんて知らないし見たことだってないのだ。

 『そして"自分が器量良し"だ』なんて今知った。

 この姿になって鏡なんて見たことないもん。

 この時代に鏡があるかなんて知らないけど。



 魚問屋にたどり着くと番頭さんのような男が田中オヤジに向かって「お帰りなさい、宗易様」と言う。

 ソウエキ?

 田中オヤジの名前は与四郎よしろうじゃないの?

 さては名前を間違えたな?

 「まぁ、誰しも間違いはあるよね。

 笑って許してあげる事も金持ちの器だよ」と僕は田中オヤジに言う。

 田中オヤジは「?」という顔をしている。



 番頭さんは僕をだだっ広い部屋に案内する。

 キョロキョロする僕に田中オヤジは「どうかしたのか?」と聞く。

 「どうもこうも部屋が広くて落ち着かない」と僕。

 しょうがないじゃん。

 ウサギ小屋みたいな団地に一家三人で住んでたんだよ。

 田中オヤジは驚いた。

 『この娘は村田珠光ししょうと同じ事を言う』と。

 かつて田中オヤジの師匠は「茶室は狭い方が良い。広い空間よりも人は狭い空間で落ち着きを得る」と言った。

 この時に田中オヤジは自分が作る茶室が頭に思い描けた、と言う。

 「お主は村田珠光を知っているのか?」と田中オヤジ

 「村田・・・誰?」

 「知っておるのだろう?

 一休宗純の弟子の村田珠光だ」

 「『一休』ってあの『一休さん』か!

 知ってる、知ってる!

 『このはし渡るべからず』のとんちの話とか、虎を屏風から追い出す話とか!」僕は興奮気味に言う。

 この時代に来てようやく知ってる名前が出た。

 という事は田中オヤジは一休さんの弟子の弟子という事か。

 一休さんには足利義満が出てくるよな?

 義満って確か室町幕府の三代目の征夷大将軍だ。

 つまり今は1400年代中盤~後半から50~60年後、今は間違いなく1500年代だ!

 ある意味、男に生まれなくて良かったぜ。

 1500年代と言えば『戦国時代』だよな?

 僕が戦場に出たら一瞬で殺されてたよ。



 顔色がコロコロと変わる僕を見ながら田中オヤジが心配しながら声をかけてくる。

 「まだどこか具合が悪いのか?

 それとも儂が入れた茶が不味かったのか?」

 いや、具合はすこぶる良い。

 身体のちょっと調子が悪かった部分がオーバーホールされたみたいだ。

 「いや、お茶は美味しいです。

 ただお茶菓子が甘くないと言うか、何と言うか・・・」

 お茶菓子の代わりに出されたのは焼き餅だった。

 「『茶菓子』?

 『茶の肴さかな』の事か?

 それより菓子が甘くない?

 焼き芋か焼き栗が良かったのか?

 しかしあれらは秋でないと。

 それとも最近南蛮より伝えられた『金平糖』か?

 アレは高価で中々手に入らん」と田中オヤジ

 南蛮貿易が始まっている、という事は1543年以降だ。

 『一騎討ちは以後よさん(1543年、鉄砲伝来・南蛮貿易開始)』って言うのと『イクイクベルサイユ(1919年ベルサイユ条約締結)』ってのだけは歴史は苦手だけど、何か頭に焼き付いてる。

 南蛮貿易が町人にも伝わっている、と考えると多少のタイムラグを考慮しても1550~1560年ぐらいだろうか?



 "菓子は甘い物"という認識だった。

 どうやら南蛮貿易は始まった今でも砂糖は殆ど流通していないようだ。

 甘党の僕にとっては大ピンチだ。

 和菓子というのはそんなに歴史の古い物ではないらしい。

 「お茶請けといえば『羊羹』じゃないですか?」

 「『羊羹』は甘い物ではないだろう?

 宋の国から伝わった『羊の汁物』を生臭を嫌う僧達が小豆などで代用した物だろう?」

 どうやらこの時代の羊羹は甘い物ではないらしい。

 僕はこの時、使命に目覚めた。

 『この時代に甘い羊羹を伝えよう』と。
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