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第三章 ギルバード侯爵家のメイド

訪れた侯爵様

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 ウルフグッド伯爵令嬢ミーア様と旦那様との顔合わせが終わり、私は使用人宿舎へと戻って来た。

 ミーア様との一件、初日からの厄介事に巻き込まれた私の心労を思っての事か、次に忙しくなる時間帯の夕食時まで自分の部屋で休むようにクライン様より言われた。
 仕事をしてお金を稼ぐ、これまでの私の経験上あり得ない事だ。
 初日だからなのか、貴族家の使用人とはそもそもこういうものなのかは分からないが、大分甘い職場環境に驚く。

 だけれど、初日からああいった面倒な事に巻き込まれて精神的に疲弊したのは確か。ここはお言葉に甘えておこう。

 私はおもむろにベッドの端に腰掛けた。

「……すごい、ふかふか」

 私史上初めての感触に感動。毎日このベッドで寝られるなんて夢みたい。
 こんな所に住めてお金も稼げて、まさに一石二鳥だ。今までの生活が如何に劣悪な環境だったかを改めて思い知らされる。

「アリアに感謝しなきゃね」

 そう笑みを零し、一人呟く。

 ――コンコン

「はい」

 扉を叩く音が聞こえ、私はすぐに返事をした。

 おそらくミリ様が仕事の再開を促しにやって来たのだろう。
 いくらなんでも夕方まで休んでていいなんて、そんな甘いわけがないのだ。
 私は「よし」と気を引き締めると立ち上がり、扉を開けた。

「――!?」

 そこには意外な人物が立っていて、私は思わず目を見開いた。

 銀髪の整った顔つきに切長の目――この屋敷の主、ギルバード侯爵様だ。

「休んでいたところ、いきなり訪れたりしてすまない」

「いえ。とんでもございません。それより、わざわざこんな所まで旦那様から足を運んで頂かなくとも、用件とあらばこちらからお伺いします故、次回より近くのメイドにお申し付け下さいませ」

 普通、主からメイドへ用件があったとしてもわざわざ足を運ぶ事なんか無いはずだ。一体何事なのだろうか。

「いや、こちらから出向いたのは先程の事が気になってな……」

「先程の事、でございますか?」

 何の事だかさっぱりわからない私は首を傾げて聞き返した。

「あぁ。ミーア嬢から凄まれていただろう?働き始めて初日だというのにいきなりあのような場面に出くわして気に病んではいないだろうかと心配になってな」

 なんと、私の精神状態を気遣っての事だったらしい。そして、優しい表情。最初に旦那様を視界に入れた時のあの恐ろしい目が嘘のようだ。あんな目で睨まれた日にはそれこそ精神を病んでしまいそうだ。
 それにしても、そんな目で睨まれたミーア様、さぞ恐しかった事だろう。

「ありがとうございます、旦那様。しかしながら、あの一件は注意が足りなかった私が悪かったのです。今後はより一層気を引き締めて働かせて頂きます」

 旦那様は私の言葉に頷き、優しく微笑んだ。

「いや、そんなに気にする必要はない。君が新しいメイドとして働くことになったからといって、無理に気を遣わなくてもいい。何かあれば遠慮なく言ってくれ」

「はい。ありがとうございます。ですが、私はこの通りピンピンしていますし、あの程度でへこたれるような私ではありません」

 そう言って私はにっこりと笑みを作る。すると旦那様も、ふっと、笑みを零し、

「君は強い女性のようだな。ならば安心だ。頑張ってくれ」

 そう言って旦那様は屋敷へと戻って行った。私は一礼して扉を閉じようとした、その時――

 閉じようとした扉が外側から逆に引っ張られ、開く。そこにはミリ様の姿が。

「――エミリアさん!!」

 ……か、顔が近い。

「……は、はい?」

「今、旦那様と何話してたの!?」

「え?」

 聞けば、旦那様が使用人宿舎へ来るのは滅多に無い事らしい。ただでさえ無い事なのに、それもたったひとりのメイドの為の用事となれば、それは周囲の関心が集まってしまうのは当然の事だろう。

「旦那様がこっちへ来るなんて何事!?」
「誰かに用事!?」
「うそ!?今日からの新人メイドひとりの為にわざわざ来たっていうの?」
「え?どうしたの?何、何?」

 この出来事は瞬く間に人伝えで広まり、遂には旦那様は新人メイド――つまりは私の事を気に入ったのではないかとの憶測まで出る始末。

 ……バツイチ子持ち、34歳のこの私を?

 一体どうすればそういった考えに行き着くのか。まったく、正気の沙汰とは思えない。



 一週間が過ぎた。
 ギルバード侯爵家のメイドとしての仕事も順調に覚え、同僚メイド達との関係性も良い感じに構築出来て、私はとても充実した毎日を送っていた。

 美味しい賄い食に、綺麗な部屋、ふかふかベッドに毎晩眠れる幸せ。そして何より、同僚メイド達とのたわいの無い会話は私の心を明るくする大きな要因となっている。

「ねぇ、エミリアさんって何歳なの?」

 ミリと共に客室のベッドメイキングをしている最中に飛んで来た疑問。そう言えば、自らの歳を告げた事が無かった事に今更ながら気付く。
 私は手を動かしながら、さらっと返す。

「34よ」

 ここでは先輩後輩と言った慣習はあまり無いらしく、皆分け隔て無く、仲良く、楽しく、対等の関係性で働く事がこの職場の特色となっているようだ。

 皆が皆対等――とても良い慣習だと、感心する。メイド同士のいがみ合いなどは一切ない。まさに理想を絵に描いたような職場。
 お陰で仕事を苦しいと感じず、むしろ楽しいとさえ思えている。

 最初こそ、ミリの事を『様』付けして敬語だったものの、「ミリでいいわ。それに敬語も要らない。でも、年上には敬称で呼ぶのがここでの慣わしだから私は『エミリアさん』って呼ぶね」と言われ、今の様に気兼ねなく会話出来るようになった。

 ――って、アレ? どうしたの?

 私自身の年齢を告げた直後、ミリは作業の手を止めて私の顔を目を丸くしながら見つめていた。

「……嘘、ですよね?」

「何が?」

「34歳って……」

「そんな嘘をついてどうするの?」

 信じられないと言った様子のミリ。まぁ、確かに私は実年齢より若く見られがちだ。
 私はクスリと笑みを作ってから続けた。

「じゃあ、一体何歳だと思ってたの?」

「私より2歳か3歳くらい年上かなぁ?……くらいにしか」

 ミリは20歳。という事は22歳か23歳くらいに見られていた事になる。

「……さすがにそれは大袈裟ね」

 ミリは私を見つめたまま、のそのそと近づいて来るなり至近距離で私の顔をあらゆる角度から隈なく見始めた。

「――いや、嘘よ!いくら見てもそんな歳には見えない!」

 どう返していいか困った私は、苦笑を浮かべてプシラ流の持論展開する。

「たぶん、今のこの環境が私を若返らせているのかもしれないわ。結婚してた頃は家事育児に追われて心身共に疲れていたし、離婚後も貧困に苦しみながら仕事を幾つも掛け持ちして苦しかったし。でも、娘が結婚してからは肩の荷が降りたっていうか、自分の為に時間を使えるようになった。自分のやりたい事に挑戦して、こうして今のこの仕事に就けたこの環境が私に活力を与えて若返らせてくれてるのかもね」

 多分、本当にそうなのだろうと思う。ジョンに離婚を突き付けられた時の私は確かに女としての魅力を欠いていたと思う。それだけ余裕の無い生活を強いられていた。
 確実に以前よりも私の見目について良く言われる事が増えたし、実際にその自覚もある。
 この歳になって、若かりし頃のかつての自信を取り戻せたような、そんな気すら感じている。

「ミリ。女は内面よ。活力に溢れた美しい心であり続ける事が若さを保つ秘訣よ」

 片目を瞑り、にっこり笑顔でプシラ流の考えをあたかも私流のように偉そうに言ってみる。

「エミリア様。どうか、その手解きをこのわたくしめに」

 ミリは教えを請うように私に深々と頭を下げて言う。わざとらしく『様』付けで。
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