この度娘が結婚する事になりました。女手一つ、なんとか親としての務めを果たし終えたと思っていたら騎士上がりの年下侯爵様に見初められました。

毒島かすみ

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第三章 ギルバード侯爵家のメイド

甘い邂逅

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「――エミリアか?」

 唐突に掛けられた声に振り向くと、そこには銀髪の美青年が立っていた。

 ギルバード侯爵――私が住むここギルバード領の領主であり、私がメイドとして働く先の旦那様。
 そして、更に言うならば、かつて世界を脅かした『魔王』と称される最強にして最悪の黒竜を討伐した世界的英雄。

 誰もいない事をいい事に、まるで子供のように思いっきりはしゃいでいた今の私の姿は間違いなく、旦那様に見られていただろう。

 かぁーっと、一気に顔が熱くなる。

 いい年したおばさんが、何て恥ずかしい姿を見せてしまったのだろう……。
 穴があったら入りたい、とはまさにこの事だ。

「居るなら居ると言ってください!」

「あ、あぁ……すまない」

 思わず強い口調で言い放ち、真っ赤に染まった己の顔をすかさず両手で隠したところで、ようやく私はハッと我に返った。

 言い放った相手は貴族爵位の最高位にあたる『侯爵』を得た人であり、世界的英雄。文字通り雲の上の存在だ。そんな人へ対して反射的だったとはいえ失礼にあたる態度を取ってしまった事に、先程までの羞恥心はたちまち焦燥感へ変わっていった。
 
 手の隙間からチラリと視線だけで旦那様の顔を窺う。すると旦那様は困ったような表情でこめかみの辺りを人差し指でぽりぽりと掻いていた。
 その表情は初めて会った日から今日までの中で私にとって初めて見る表情であり、彼の意外な一面を垣間見た気がした。

 私は自分の手を顔から剥がして、すかさずメイドとして働く時みたいな正しい姿勢を取り、それから旦那様へ深々と頭を下げる。

「思わず、旦那様へ無礼な態度を取ってしまいました。誠に申し訳ございませんでした」

「いや、君の背後から忍び寄るように近づいた俺が悪い」

 そう言いながらさっきまでの困った表情は、これまた初めて見る真剣な表情へと変わっていき、それは冷たいとも、優しいとも取れず、ただただ実直に見つめられ、私は堪らず視線を逸らす。そして同時に頬に更なる熱を感じる。

 男にしておくにはもったいない程の美しい顔立ちに、思わず息を飲む程の深淵の輝きを放つエメラルドの瞳。細身でありながらも良質な筋肉を蓄えている事は服の上からでも窺える。
 胸の辺りは薄っすらと隆起し、細く、それでいてがっちりとした手脚は逞しさを感じさせる。ジャケットの袖口から覗かせる手の平は大きく、そして力強さを感じさせ、その手で剣を握り締めて振るう彼の騎士団長時代の姿が自然とイメージされる。

 そんな彼からの真剣な眼差しで……しかも年下の、それも住む世界の違う世界的英雄の彼に見つめられ、私の中の何かが、長く忘れかけていた何かが呼び覚まされるような、そんな感覚に思わず焦燥感を得る。

 依然、視線を逸らしたままの私は緊張した口調で彼へ問い掛ける。

「それより旦那様。何故こんな所へ……?」
 
 言葉を交わしながらも胸の奥は高鳴り、同時に自制心を働かせ、なんとかそれを抑え込もうとする。しかし、

「あぁ、少し思い悩む事があってな。気分転換にこの景色を眺めようとここまで歩いて来たところだ」

「そうでしたか……」

 胸に響くその鼓動は抑えるどころかどんどん大きくなっていき、私は未だ彼の顔に視線を向けられていない。

 もしも今、この胸の鼓動を抑えきれないまま彼の真っ直ぐな眼差しを受けてしまえば、私の全ては何かに奪われてしまいそうで、それが恐くて必死に抗うように、ただひたすらに視線を下へ逸らす。
 しかし、そんな私へ旦那様は、

「……少し、話さないか?」

「え?」

 たどだとしく気まずそうな声音で言った彼の言葉は意外過ぎるもので、私は思わず視線を上げてしまった。

 今の彼の表情には何故か緊張の色が窺えるも、真剣な眼差しは変わらず私へ送られていた。そして、彼は私の返事をじっと、ただひたすらに待っているようにも見えた。

「え、えぇ。わ、私でよければ……」

 彼のような偉大な人物が私みたいなど平民へ、対話を持ち掛ける事自体が違和感というか、何だかその相手が私なんかでは申し訳ない気がして、そんな思いからか変な返事を返してしまった。

 すると彼は小さく頷き、辺りを軽く見渡してから、

「あそこでいいか?」

 彼が指差す方、丘へ向かって緩やかに傾斜が始まる所、砂浜の上に丁度ふたり分、腰掛けられる程度の白い長椅子がポツンと置かれていた。

「……はい」

 コクリと頷き、震える声で返事をする。彼もまた小さく頷くと椅子の方へと歩き出した。私もその後について行く。

 先に彼がひとり分スペースを空けて腰掛けるが、私はどうにもその隣りに腰掛ける勇気が持てず、そのまま立ち尽くしていると、

「どうした?座らないのか?」


「……はい。では、失礼致します」

 不自然に思った彼にそう促され、私はまるで決心するかのような心境で、ようやくそこへ腰を落とした。

 ふたり座るには思ったよりギリギリの大きさだったらしい長椅子。

 彼との距離はかなり近く、彼の肩に私の肩が当たっている感触にどぎまぎする。

 そして、隣りから甘い香りがふわりと私の鼻腔を擽り、それでまた私の鼓動は大きく跳ねる。

「俺はどうやら領主としての才能が無いらしい」

「え?」

 唐突に彼の口から出た弱音とも取れる発言に驚き、咄嗟に彼の横顔を見る。

「君も知っていると思うが、このギルバード領の貧富の格差は凄まじくてな。君達のような豊かな環境で育った者には想像出来ないような、凄惨な生活を強いられている者達がこのギルバードには沢山いるんだ」

 目を細めて海の遠くを見つめる彼の表情から、さっき言っていた悩みが領地経営についての事だと私は悟った。
 しかし、彼はひとつ私の事を誤解しているようだ。

「あの、旦那様。 私は決して富裕層などではありませんよ?豊かな暮らしとは無縁の、むしろ貧困に苦しみながら生きてきました」

 驚いたように目を見開き、こちらを向く旦那様。貴族家に仕える使用人は圧倒的に富裕層の出身の者が多い事から私の事もその中のひとりだと思ったのだろう。

「そうだったのか……。だとしたら、俺は君に謝らなければならないな……。いや、君だけではない。貧しい暮らしを強いてしまっている領民全員に俺は謝罪しなくてならない」
 
 どうやら彼はギルバード領が長年抱えている貧富格差という問題を、未だ解消出来ていない事に相当な責任を感じているようだ。

 確かに、私やアリアはそのせいでかなりの苦労を強いられてきた事は事実である。
 しかし、だからと言って、当時の私やアリアが領主様の事を恨んだりなどした事はない。それは私達親子だけの事ではなく、他の大勢の貧困層の者達からも領主様を恨むような声は聞いた事が無い。 

 それどころか――

「旦那様、そんなにご自分を責めないでください。知っていますか?貧困に苦しむ者達が領主様へどんな思いを持っているのかを」

 私の問い掛けに彼は眉を顰め、そして再び海の方を向いて口を開く。

「……そんなの、決まっているではないか。何年も結果を出せていない愚か者と、そう言われているのだろう? 当然だ。俺の力不足のせいで貧しい生活の末に命を落とす者だっているのだ。そんな俺に自分を責めるなと、そんな気休めは要らない」

「――ギルバード領の領主様は善政を敷いている」

「――!?」

 私の一言に旦那様は驚いた表情でこちらを向く。

「私の知る限り、所謂『貧困層』と呼ばれる領民達の共通認識です。もちろん私や、私の娘もその中のひとりです」

「娘……?」

 『私の娘』ってところで一瞬彼は目を見開き何とも言えない表情で小さく呟いたような気がするが、今はそんな事よりも彼に本当の事を知って欲しい。
 その一心で私は続ける。

「領主様の思いは皆分かっているんです。『全部の領民達に豊かで幸せな暮らしをして欲しい』と。そう思っておられるのですよね?」

「……そうだ。領主たるもの、領民の幸せを第一に考えるのは当然の事だ。だが、俺のそんな考えは領民達からすればどうでも良い事。そもそも、俺がそんな考えを持っている事を何故領民達が知り得る?」

「次々に打ち出される政策を見れば一目瞭然です。それに、年に3回くらいの頻度で給付される貧困世帯を対象にした生活援助金。これの財源ってギルバード侯爵家の私財ですよね?これも皆知っている事です。私だって、この援助金にはどれだけ助けられた事か……。そんな身銭を切ってまで領民を思いやる領主様を恨むなんて人は誰も居ませんよ?結果を出す事だけが全てではないのです。領民の事を第一に考えてくれている領主様の気持ちが皆嬉しいのです」

 終始驚きの表情を浮かべていた彼だが、私がここまで言い終えると下を向き、薄っすらと嬉しそうな笑みを零しているようだった。
 そのままの下を向いた状態で彼は口を開いた。

「まさか、そんな風に思われているなど思いもしなかった……」

 彼は「しかし――」と言葉を継ぐと再び顔を上げ、私を見据えた。

「生活援助金の財源が当家の私財から成っているなど公表した覚えなど無いのだがな……」

「そういった情報はどこからともなく漏れ出して、人伝えにそれが大きく広がり、いずれ皆に周知されていくものなのですよ」

「だが、俺は領民達のそういった思いというのは全く知らなかったがな」

「それは、まだまだ旦那様が領民達の心を分かり得ていないという事ですね」

 ここで私がニコっと彼に笑みを送ると、彼の顔は瞬く間に赤く染まっていき、それを慌てて隠すように顔を私から背けた。

「ひ、日も落ちてきた。 そ、そろそろ……帰るか」

 急に辿々しい口調になった彼はそう言うと立ち上がり、椅子の背後から急に始まる砂の斜面をスタスタと登って行く。

「そうですね」

 私もそれに続こうと慌てて靴を履いて立ち上がり、同じくその斜面を登って行く。

 そこまで急斜面では無いものの、歩を進める度に乾いた砂が下へ滑り落ち、同時に足も沈んで行く。
 思ったより歩きにくいなと、そう思った時だった。

「――?」

 スッと視界に手が差し伸べれ、上を向くとそこには視線だけ私から逸らし、まるで照れくさそうな旦那様の顔がそこにあった。

「あ、ありがとうございます……」

 ドキドキしながらその手を取ると、その大きな手でぎゅっと握り返され、

「――きゃ!!」

 そのまま勢いよく私の体は一気に頂上まで引き上げられる。そして、その勢い余って、

「――っと……」

「――!!」

 気付くと私は旦那様の胸の中にいて、そして彼の両腕に包み込まれていた。

 彼の体を肌で感じ、見た目よりも大きく逞しい胸だと驚いた。そして鼻腔を擽る甘く良い匂いと彼から感じる体温。

 今日一番の高鳴りが、バクンッと大きな音を立てた。

「――すまない!!」

 私から先に離れたのは彼だった。
 何やら必死に頭を下げて私に対して謝っているようだが、その言葉は私の耳に入って来ない。

 主が自分へ頭を下げているこの事態。メイドとして、本当ならば慌ててその行為をやめさせなければならい。
 しかし、ぼーっと、その場に立ち尽くしたまま、おそらく今の私は魂が抜けたような顔をしているのだろう。

 思考が止まり、瞬きすらするのを忘れ、もしかしたら息も止まっているかもしれない。
 それほどに今の私は硬直していた。

「――エミリア」

「――っはい!!」

 名前を呼ばれてようやく我に返り、咄嗟にうわずった声を上げてしまった。

「大丈夫か!? 本当にすまなかった……いきなり抱き締めたりして……」

「……いえ。大丈夫です。少し驚いただけです」

 本当に大丈夫なのだろうか……私の心は……

「そうか。では、帰るか」

「……はい」



 帰り道、旦那様はどこか胡散臭ささを感じさせる真面目な顔つきで何やら意味不明な事を淡々とした口調で話し始めた。

「君はこの後、帰ったらすぐに、とある噂を同僚達から聞かされるだろう」

「――え?」

「しかし君はその事については全く気にしなくていい」

 私は疑問の表情を浮かべるも、旦那様はそれを完全無視。全く取り合う気など無いといった様子だ。
 そして、旦那様の意味不明な言葉は更に続く様子で……。

「その噂は全くのデタラメで、嘘だ。何かの間違いだ。だから君は何も気にしないで、今後も当家の使用人としての職務を頑張ってくれたまえ」

 急によそよそしくなった旦那様。それに、一体何の事を言っているのだろうか。さっぱり分からない。ただただ疑問符だけが頭の中を席巻する。

 ――『とある噂』って何?

 そして引っ掛かるのは、妙に胡散臭さを感じさせる旦那様のその態度。

 まるで、旦那様自身が嘘を吐いているような……そんな気すらする。

 もしもそうだとしたら相当嘘が下手くそだという事になるけど……。

 まさか、こんなにも嘘がつけない人が逆にいるだろうか? いや、いないだろう。そう結論付ける私は旦那様が『嘘を吐いている』という線を排除する。
 
 とはいえ、この神がかったような胡散臭さは一体何なのか。その意味そのものについては未だ理解不能のままだ。

 まったく、コレのせいで、さっきまでの胸の高鳴りは何処へやら。私の頭の中は結局疑問符だらけのまま、ギルバード邸へと辿り着いたのだった。



 使用人宿舎へ足を踏み入れた瞬間、待ってました、と言わんばかりの勢いで、どっと集まってくる同僚達。
 
 その直後――『とある噂』のその詳細を私は同僚達から聞かされる事となる。
 そう。旦那様言った通り、確かに帰ったすぐの私の耳にソレは入ったのだった。
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