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第三章 ギルバード侯爵家のメイド
失恋(前半ウイリアム視点)
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――『私の娘も……』
朝日を感じ瞼を開けると、俺は上半身だけを起こして溜息を一つ吐いた。その、溜息の理由は聞かないで欲しい。
『私の娘』……『私の娘』……。
――コンコン。
扉を叩く音が響き、俺は「入れ」と、そう声で促す。
「失礼致します」
やって来たのはクライン。彼は執事らしく颯爽とした足取りで寝台の上で上半身だけ起こす俺のもとへと歩み寄る。
「おはよう御座います。旦那様」
「あぁ、おはよう」
寝台から降り、着替えに取り掛かる。すると更にメイドがもうひとり部屋へやって来た。
「おはよう御座います旦那様。朝食は如何なされますか?」
「ん、頼む」
『私の娘』……『私の娘』……『私の娘』……
「かしこまりました。お待ち致しますので、少々お待ちくださいませ」
そう言い残しメイドが退室していくと、次にクラインが口を開く。
「では、旦那様。本日のスケジュールをお伝え致します」
「あぁ、頼む」
着替える俺の後ろからクラインがその内容を口にする。が、しかし、
「――……――……――……――」
『私の娘私の娘私の娘私の娘……』
頭の中を流れるノイズに掻き消され、クラインの言うその内容が入って来ない。
「――旦那様?」
クラインの怪訝な表情がこちらを向く。
「ん?何だ?」
「今、聞いてましたか?」
「……もちろんだ」
「まるで魂が抜けたかのような表情に、着替える手も止まっていましたが?」
「……気のせいだ」
クラインはその怪訝な表情を一瞬更に深めたように見えたが、
「そうですか……。では、本日は以上のスケジュールでよろしくお願い致します」
すぐにその怪訝な表情を引っ込め、気を取り直していつものように丁寧且つ、エレガントなお辞儀をしてみせた。
「あぁ、分かった」
分かったと言いつつ、本当は全く分かっていない。だが、分かったフリは一応、しておこうと思う。
「では、私はこれで失礼致します」
クラインは再び一礼すると退室して行った。そして、部屋には俺ひとりとなる。
「――はぁ」
瞬間、深い溜息を吐くと同時に、どうしようもない脱力感が俺を襲う。
『私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘………』
――あぁ。俺の頭を駆け巡っているコレか?
何、大した事では無い。ついこの間来たばかりの新人メイドが既婚者だった。ただそれだけの事。俺には全く関係ない。興味、関心も一切無い!
『私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘……』
ん?大丈夫かって?……何が?
――昨日の事?いや、知らないな。
何も無かった。
うん。そんな……人妻を抱き締めたりだとか、そんな事は一切無かった。
――え?
じゃあ、この脳裏に焼き付いて離れない、『愛しい人が胸の中で納まる感覚』はどう説明するかって?
さぁな。夢でも見ていたんじゃないか。俺は。
◎
時は少し遡り――
旦那様との海でのやり取りを経て、ギルバード侯爵邸までの帰り道、私は旦那様の少し後ろを歩いている。
美しいオレンジ色だった街の景観はいつの間にか夜闇に包まれ、喧騒も消え、夜特有の静寂が漂っていた。
遠目に屋敷がぼんやりと見え始めた頃、突然旦那様は立ち止まり、「変な誤解をされては困るからな」と、先に私から屋敷の門を潜るように言ってきた。
門の側には常に警備兵が居る。警備兵もギルバード侯爵家の『使用人』という括りだ。
もしも、旦那様と私が一緒にそこを通過すれば、それを目撃した警備兵から他の使用人へその事が伝わる事は必至だろう。
旦那様の言う通り、ここはそれぞれタイミングをずらして門を潜るのが得策だろう。そして、空ける時間は最低でも10分は欲しいところ。
しかしその退屈な時間を、この暗がりの道のど真ん中で過ごすのが旦那様であってはならない。
「いえ、私がここに残りますので、旦那様から先に行かれてください」
しかし旦那様は私のその提案を即座に却下する。
「馬鹿か、君は!こんな夜道のど真ん中に女ひとり、君を残して行けるか!」
こうして「君から行け」「いえ、旦那様から先に――」と、押し問答を繰り返した末に、その折衷案として警備兵の隙を突き、気付かれないように一緒に門を潜る、という事になった。
「こっちだ」
建物の影から建物の影へ、素早い身のこなしで移動する旦那様と、その後を必死に追う私。
順調に屋敷へと接近していく中、次第に旦那様と私との距離が離れていく。そして、遂に――
「はぁ、はぁ、はぁ……」
立ち止まり、手を膝につき荒い息を繰り返す私の耳に、旦那様の申し訳無さそうな声が聞こえた。
「……すまない。俺の配慮が足りなかったようだ」
旦那様は背中を私に差し出すようにしゃがみ込むと、
「……乗れ」
その背中に乗るように促してきた。
「でも……」
遠慮がちに躊躇するも、再び押し問答を再燃させるのも如何なものかと、私はその心遣いに素直に甘える事にした。
大人になってから男性におぶられるなんて事は当然初めて事である。
恐る恐る彼の肩に手を置き、背中を跨ぐようにして体重を彼の体に預けていく。
「お、重く、無いですか?」
「いや、全く問題ない」
彼はそう言って軽々しく立ち上がると、先程と変わらない速度で駆け出した。
がっちりとした大きな背中にしがみつき、その逞しさに思わずうっとりする。
そして当然のように鼓動もまた大きく鳴り響いている。
そして旦那様におぶられてからというもの、あっという間に門のすぐ側までやって来た。
今、身を潜めているのは建物の影では無く、門をすぐ側から見据える事のできる、それなりの太さのある木の影だ。そこから旦那様は顔だけ出して門を睨む。
依然、旦那様の背中におぶられたままの私。
それにしても熱い。
頬に熱を感じてしょうがない。きっと今の私の顔は真っ赤に染まっている事だろう。
警備兵は門の両側に1人ずつ立ち、それぞれ眼光鋭く辺りを見回しているようだ。
「――森の精霊達よ、光るその身で森を照らせ」
旦那様が小さく呪文を唱えると、警備兵から見て右手側に広がる森の奥から柔らかな光が発生した。
「――何だあれは!?」
「――魔獣か!?」
警備兵2人は光る森の方へと走って行く。それに伴ってガラ空きになった門。
「――よし、今だ!!」
旦那様は木の影から飛び出し、そのまま門目掛けて駆け出した。
そして無人となった門をすかさず潜り抜けると、誰の目に留まる事無く、無事に屋敷へ辿り着く事が出来たようだ。
旦那様は無言のまま腰をゆっくりと下ろし、その行為をもって私に降りるよう促す。
名残惜しさのようなものを感じつつ、旦那様の背中を降りた私は、
「ご迷惑をお掛けしてしまって大変申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げ、謝罪した。
「何を言っている。君が気にすることはない。また明日からよろしく頼む」
「はい。旦那様。それでは、おやすみなさいませ」
「あぁ」
別れ際、旦那様はそそくさと屋敷の中へと行ってしまった。
思えば、帰路に着いたあたりから急に素っ気ない態度を取るようになった旦那様。
私は屋敷の中へ入って行く旦那様の背中を見送った後、ひとり首を傾げたのだった。
「ただいま戻りました」
私が使用人宿舎へ足を踏み入れた瞬間――
「「「「――エミリアさん!!」」」」
「――――っ!?」
まるで私の帰りを待ち構えていたかのように大勢の同僚達にもの凄い勢いで囲まれる。
――え? 何? 急にどうしたの?
この突然の状況に挙動不審に視線を揺らし、狼狽える。そんな私の事など知ったことかと言わんばかりに彼女達からの怒涛の尋問が開始される。
「旦那様とはいつからそんな関係だったの!?メイドとして働く前から!? そうよね!?絶対そうよね!? そうじゃなきゃ、たった一週間やそこらであの旦那様を落とした事になるわよね?――ない!!絶対にないっ!!あり得ない!!同じ女として、身分も同じ平民としてもそんな事は決してあり得ない!!ね?そうでしょ?!エミリアさん!」
「キぃーーっ!!悔しい!羨ましい!嫉ましい! こんな醜い嫉妬心に駆られた私を、エミリアさんのその御心で浄化してー!!」
「普段は私達メイドの事なんか全くの無関心で、ぶっきらぼうで無愛想で全く可愛げのない、それでいて超イケメンで世界的英雄で、名だたる貴族令嬢達がいくら言い寄ろうが、いくら口説こうが、全く揺れない、落ちない、撃ち抜けない鉄のハートを持つあの旦那様の御心を射止めたエミリアさんの殺し文句って一体どんなだったの!? 同じ女としてすごーく興味あるの!! ね?私にもソレ、教えて!教えて!」
「まさかあの旦那様があんな熱烈な事を恥ずかし気もなく大声で叫ぶなんてね。『エミリアは俺の女だ!!』って、アツアツ過ぎますよ!エミリアさん!!」
次から次へと、飛んでくる尋問。
そして皆が皆興奮冷め止まないといった様子で、故にその一つ一つの質問が長くて重くて、それでいて早口で……とにかく私は彼女達の圧に押され、あわわと、慌てる事しか出来ない。
とりあえず彼女達の言葉から掻い摘んでいくに、どうやら私は旦那様に言い寄り、そしてその心を射止めた事になっているらしい。
何故そうなったかまでは理解が及ばないが、私は彼女達の言うそれを全て否定する形の、旦那様が言った言葉を思い出す。
『その噂は全くのデタラメで、嘘だ。何かの間違いだ――』
……なるほどね。旦那様が言っていた『とある噂』ってコレの事か……。
「あぁ。それね……」
目を伏せ、低い声音でそう呟いた今の私の様子を見た同僚達は何かを察したのか、ざわつき始める。
「え?もしかしてもう別れた、とか?」
「え?どっちから別れを切り出したの?」
「バカ!聞かないの!そんなの決まってるじゃない……ねぇ?」
「いや、分からないわよ。『エミリアは俺の女だ!!』って、あの時の旦那様の顔!見たでしょ?」
「――えっ?うそ!? まさかエミリアさんから別れ話を!?」
「えー!?もったいない!!相手はあの世界的英雄よ!?」
今度は私と旦那様の破局説が飛び交う。しかしそれでも私へ羨望の眼差しを向ける者、或いは同僚同士で考察を重ねる者、中には嫉妬を目に宿す者も少なからずいるようだった。
私はそんな彼女達へ真実を伝えるべく口を開いた。
「それ、そもそも違うんだって。何かの間違い、なんだって」
「「「「――は?」」」」
一斉にこちらを向く彼女達は同じ様な顔をしていて、まるで私の言っている事の真意が全く伝わっていないといった様子。そんな彼女達へ私は続ける。
「そもそも、こんなおばさん相手に旦那様のような御方が想いを寄せるなんて――そんな事があるわけないじゃない……」
言いながら私の声は段々と小さくになっていた。
いつの間にか私の中の最奥に存在している自分でもよく分からない感情。
それが悲鳴を上げ、私の胸を強く締め付けたからだ。苦しい……
彼女達の中のひとり、ミリが口を開いた。
「エミリアさん。それ、誰から聞いたの?」
『それ』とは最初の方に私が彼女達へ言い放った、私と旦那様との恋仲説のそもそもを否定した事だろうと思う。その事を理解しつつ、私は答える。
「――それはもちろん、本人からよ」
「……それ、いつの話?」
「……え……?」
みんなからの怪訝な視線が一斉に私へ集まる。
――しまった。やってしまった……。
彼女達からの尋問の中で私が知り得た事に今回の噂の元となった出来事が、
確か、エミリアは俺の女だー!!、って叫んだってやつ?……自分で言ってて恥ずかしいけど。
その出来事があったというのがついさっき、夕刻時との事らしい。
そう。 仮に彼女達の言うその出来事が本当にあったとして、その時に私はこの屋敷には居ない。
そして、その出来事の直後に旦那様はおひとりで外出したとの事。――その時の行き先が、おそらくあの海だったのだろうと思う。
彼女達から見て、私が知り得ない『噂の是非』を私の口から『旦那様から聞いた』と発言した事は、つまり――
さっきまで外で旦那様と一緒に居たという事に他ならない。私は自らその事を明かしてしまったという事だ。
その事を理解した私は「あ……」と、口を半開きのまま硬直。額に冷や汗が滲んでいるのが感触的に分かった。
あんなに苦労して、旦那様におんぶまでさせて、門番の目を掻い潜ったというのに、その苦労を全て無駄にしてしまった。
どうしよう……旦那様に怒られそう……。
朝日を感じ瞼を開けると、俺は上半身だけを起こして溜息を一つ吐いた。その、溜息の理由は聞かないで欲しい。
『私の娘』……『私の娘』……。
――コンコン。
扉を叩く音が響き、俺は「入れ」と、そう声で促す。
「失礼致します」
やって来たのはクライン。彼は執事らしく颯爽とした足取りで寝台の上で上半身だけ起こす俺のもとへと歩み寄る。
「おはよう御座います。旦那様」
「あぁ、おはよう」
寝台から降り、着替えに取り掛かる。すると更にメイドがもうひとり部屋へやって来た。
「おはよう御座います旦那様。朝食は如何なされますか?」
「ん、頼む」
『私の娘』……『私の娘』……『私の娘』……
「かしこまりました。お待ち致しますので、少々お待ちくださいませ」
そう言い残しメイドが退室していくと、次にクラインが口を開く。
「では、旦那様。本日のスケジュールをお伝え致します」
「あぁ、頼む」
着替える俺の後ろからクラインがその内容を口にする。が、しかし、
「――……――……――……――」
『私の娘私の娘私の娘私の娘……』
頭の中を流れるノイズに掻き消され、クラインの言うその内容が入って来ない。
「――旦那様?」
クラインの怪訝な表情がこちらを向く。
「ん?何だ?」
「今、聞いてましたか?」
「……もちろんだ」
「まるで魂が抜けたかのような表情に、着替える手も止まっていましたが?」
「……気のせいだ」
クラインはその怪訝な表情を一瞬更に深めたように見えたが、
「そうですか……。では、本日は以上のスケジュールでよろしくお願い致します」
すぐにその怪訝な表情を引っ込め、気を取り直していつものように丁寧且つ、エレガントなお辞儀をしてみせた。
「あぁ、分かった」
分かったと言いつつ、本当は全く分かっていない。だが、分かったフリは一応、しておこうと思う。
「では、私はこれで失礼致します」
クラインは再び一礼すると退室して行った。そして、部屋には俺ひとりとなる。
「――はぁ」
瞬間、深い溜息を吐くと同時に、どうしようもない脱力感が俺を襲う。
『私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘………』
――あぁ。俺の頭を駆け巡っているコレか?
何、大した事では無い。ついこの間来たばかりの新人メイドが既婚者だった。ただそれだけの事。俺には全く関係ない。興味、関心も一切無い!
『私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘私の娘……』
ん?大丈夫かって?……何が?
――昨日の事?いや、知らないな。
何も無かった。
うん。そんな……人妻を抱き締めたりだとか、そんな事は一切無かった。
――え?
じゃあ、この脳裏に焼き付いて離れない、『愛しい人が胸の中で納まる感覚』はどう説明するかって?
さぁな。夢でも見ていたんじゃないか。俺は。
◎
時は少し遡り――
旦那様との海でのやり取りを経て、ギルバード侯爵邸までの帰り道、私は旦那様の少し後ろを歩いている。
美しいオレンジ色だった街の景観はいつの間にか夜闇に包まれ、喧騒も消え、夜特有の静寂が漂っていた。
遠目に屋敷がぼんやりと見え始めた頃、突然旦那様は立ち止まり、「変な誤解をされては困るからな」と、先に私から屋敷の門を潜るように言ってきた。
門の側には常に警備兵が居る。警備兵もギルバード侯爵家の『使用人』という括りだ。
もしも、旦那様と私が一緒にそこを通過すれば、それを目撃した警備兵から他の使用人へその事が伝わる事は必至だろう。
旦那様の言う通り、ここはそれぞれタイミングをずらして門を潜るのが得策だろう。そして、空ける時間は最低でも10分は欲しいところ。
しかしその退屈な時間を、この暗がりの道のど真ん中で過ごすのが旦那様であってはならない。
「いえ、私がここに残りますので、旦那様から先に行かれてください」
しかし旦那様は私のその提案を即座に却下する。
「馬鹿か、君は!こんな夜道のど真ん中に女ひとり、君を残して行けるか!」
こうして「君から行け」「いえ、旦那様から先に――」と、押し問答を繰り返した末に、その折衷案として警備兵の隙を突き、気付かれないように一緒に門を潜る、という事になった。
「こっちだ」
建物の影から建物の影へ、素早い身のこなしで移動する旦那様と、その後を必死に追う私。
順調に屋敷へと接近していく中、次第に旦那様と私との距離が離れていく。そして、遂に――
「はぁ、はぁ、はぁ……」
立ち止まり、手を膝につき荒い息を繰り返す私の耳に、旦那様の申し訳無さそうな声が聞こえた。
「……すまない。俺の配慮が足りなかったようだ」
旦那様は背中を私に差し出すようにしゃがみ込むと、
「……乗れ」
その背中に乗るように促してきた。
「でも……」
遠慮がちに躊躇するも、再び押し問答を再燃させるのも如何なものかと、私はその心遣いに素直に甘える事にした。
大人になってから男性におぶられるなんて事は当然初めて事である。
恐る恐る彼の肩に手を置き、背中を跨ぐようにして体重を彼の体に預けていく。
「お、重く、無いですか?」
「いや、全く問題ない」
彼はそう言って軽々しく立ち上がると、先程と変わらない速度で駆け出した。
がっちりとした大きな背中にしがみつき、その逞しさに思わずうっとりする。
そして当然のように鼓動もまた大きく鳴り響いている。
そして旦那様におぶられてからというもの、あっという間に門のすぐ側までやって来た。
今、身を潜めているのは建物の影では無く、門をすぐ側から見据える事のできる、それなりの太さのある木の影だ。そこから旦那様は顔だけ出して門を睨む。
依然、旦那様の背中におぶられたままの私。
それにしても熱い。
頬に熱を感じてしょうがない。きっと今の私の顔は真っ赤に染まっている事だろう。
警備兵は門の両側に1人ずつ立ち、それぞれ眼光鋭く辺りを見回しているようだ。
「――森の精霊達よ、光るその身で森を照らせ」
旦那様が小さく呪文を唱えると、警備兵から見て右手側に広がる森の奥から柔らかな光が発生した。
「――何だあれは!?」
「――魔獣か!?」
警備兵2人は光る森の方へと走って行く。それに伴ってガラ空きになった門。
「――よし、今だ!!」
旦那様は木の影から飛び出し、そのまま門目掛けて駆け出した。
そして無人となった門をすかさず潜り抜けると、誰の目に留まる事無く、無事に屋敷へ辿り着く事が出来たようだ。
旦那様は無言のまま腰をゆっくりと下ろし、その行為をもって私に降りるよう促す。
名残惜しさのようなものを感じつつ、旦那様の背中を降りた私は、
「ご迷惑をお掛けしてしまって大変申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げ、謝罪した。
「何を言っている。君が気にすることはない。また明日からよろしく頼む」
「はい。旦那様。それでは、おやすみなさいませ」
「あぁ」
別れ際、旦那様はそそくさと屋敷の中へと行ってしまった。
思えば、帰路に着いたあたりから急に素っ気ない態度を取るようになった旦那様。
私は屋敷の中へ入って行く旦那様の背中を見送った後、ひとり首を傾げたのだった。
「ただいま戻りました」
私が使用人宿舎へ足を踏み入れた瞬間――
「「「「――エミリアさん!!」」」」
「――――っ!?」
まるで私の帰りを待ち構えていたかのように大勢の同僚達にもの凄い勢いで囲まれる。
――え? 何? 急にどうしたの?
この突然の状況に挙動不審に視線を揺らし、狼狽える。そんな私の事など知ったことかと言わんばかりに彼女達からの怒涛の尋問が開始される。
「旦那様とはいつからそんな関係だったの!?メイドとして働く前から!? そうよね!?絶対そうよね!? そうじゃなきゃ、たった一週間やそこらであの旦那様を落とした事になるわよね?――ない!!絶対にないっ!!あり得ない!!同じ女として、身分も同じ平民としてもそんな事は決してあり得ない!!ね?そうでしょ?!エミリアさん!」
「キぃーーっ!!悔しい!羨ましい!嫉ましい! こんな醜い嫉妬心に駆られた私を、エミリアさんのその御心で浄化してー!!」
「普段は私達メイドの事なんか全くの無関心で、ぶっきらぼうで無愛想で全く可愛げのない、それでいて超イケメンで世界的英雄で、名だたる貴族令嬢達がいくら言い寄ろうが、いくら口説こうが、全く揺れない、落ちない、撃ち抜けない鉄のハートを持つあの旦那様の御心を射止めたエミリアさんの殺し文句って一体どんなだったの!? 同じ女としてすごーく興味あるの!! ね?私にもソレ、教えて!教えて!」
「まさかあの旦那様があんな熱烈な事を恥ずかし気もなく大声で叫ぶなんてね。『エミリアは俺の女だ!!』って、アツアツ過ぎますよ!エミリアさん!!」
次から次へと、飛んでくる尋問。
そして皆が皆興奮冷め止まないといった様子で、故にその一つ一つの質問が長くて重くて、それでいて早口で……とにかく私は彼女達の圧に押され、あわわと、慌てる事しか出来ない。
とりあえず彼女達の言葉から掻い摘んでいくに、どうやら私は旦那様に言い寄り、そしてその心を射止めた事になっているらしい。
何故そうなったかまでは理解が及ばないが、私は彼女達の言うそれを全て否定する形の、旦那様が言った言葉を思い出す。
『その噂は全くのデタラメで、嘘だ。何かの間違いだ――』
……なるほどね。旦那様が言っていた『とある噂』ってコレの事か……。
「あぁ。それね……」
目を伏せ、低い声音でそう呟いた今の私の様子を見た同僚達は何かを察したのか、ざわつき始める。
「え?もしかしてもう別れた、とか?」
「え?どっちから別れを切り出したの?」
「バカ!聞かないの!そんなの決まってるじゃない……ねぇ?」
「いや、分からないわよ。『エミリアは俺の女だ!!』って、あの時の旦那様の顔!見たでしょ?」
「――えっ?うそ!? まさかエミリアさんから別れ話を!?」
「えー!?もったいない!!相手はあの世界的英雄よ!?」
今度は私と旦那様の破局説が飛び交う。しかしそれでも私へ羨望の眼差しを向ける者、或いは同僚同士で考察を重ねる者、中には嫉妬を目に宿す者も少なからずいるようだった。
私はそんな彼女達へ真実を伝えるべく口を開いた。
「それ、そもそも違うんだって。何かの間違い、なんだって」
「「「「――は?」」」」
一斉にこちらを向く彼女達は同じ様な顔をしていて、まるで私の言っている事の真意が全く伝わっていないといった様子。そんな彼女達へ私は続ける。
「そもそも、こんなおばさん相手に旦那様のような御方が想いを寄せるなんて――そんな事があるわけないじゃない……」
言いながら私の声は段々と小さくになっていた。
いつの間にか私の中の最奥に存在している自分でもよく分からない感情。
それが悲鳴を上げ、私の胸を強く締め付けたからだ。苦しい……
彼女達の中のひとり、ミリが口を開いた。
「エミリアさん。それ、誰から聞いたの?」
『それ』とは最初の方に私が彼女達へ言い放った、私と旦那様との恋仲説のそもそもを否定した事だろうと思う。その事を理解しつつ、私は答える。
「――それはもちろん、本人からよ」
「……それ、いつの話?」
「……え……?」
みんなからの怪訝な視線が一斉に私へ集まる。
――しまった。やってしまった……。
彼女達からの尋問の中で私が知り得た事に今回の噂の元となった出来事が、
確か、エミリアは俺の女だー!!、って叫んだってやつ?……自分で言ってて恥ずかしいけど。
その出来事があったというのがついさっき、夕刻時との事らしい。
そう。 仮に彼女達の言うその出来事が本当にあったとして、その時に私はこの屋敷には居ない。
そして、その出来事の直後に旦那様はおひとりで外出したとの事。――その時の行き先が、おそらくあの海だったのだろうと思う。
彼女達から見て、私が知り得ない『噂の是非』を私の口から『旦那様から聞いた』と発言した事は、つまり――
さっきまで外で旦那様と一緒に居たという事に他ならない。私は自らその事を明かしてしまったという事だ。
その事を理解した私は「あ……」と、口を半開きのまま硬直。額に冷や汗が滲んでいるのが感触的に分かった。
あんなに苦労して、旦那様におんぶまでさせて、門番の目を掻い潜ったというのに、その苦労を全て無駄にしてしまった。
どうしよう……旦那様に怒られそう……。
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シャーロットは愛妾とプリシラに対する復讐を実行に移す―
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