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最終章 それぞれの想い
幸せな日々、迫る期限
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残り3週間、2週間……1週間と、ギルバード邸で過ごせる時間は着実に減ってゆく。
「エミリア。そろそろ皆に伝えても良い頃合いではありませんか?」
クライン様の言う通りだ。許された時間は既に5日を切っている。
ここで暮らし始めて約半年。たった半年ではあったが、とても濃い半年だった。
いつか私が一生を終える時、その時に流れる走馬灯の中で一際色鮮やかに流れるのはきっと、このギルバード邸での半年間の思い出だろうと思う。
それほどに私はこの場所が好きで、ここを離れたくない。だからこそ、『変わらない日常』として最後の最後までここでの暮らしを味わっていたいと思っている。
でも、それは許されない事であって、やってはいけない事。
この半年間、私は他のメイド仲間達と仲良くなれたと、少なくとも私はそう思っている。そして、きっと、絆もそこにあると。
言うまでもなく、そんな彼女達に対して最後の最後まで、私の身の上を伏せておく事はあり得ない事だ。
新参者の私を優しく迎えてくれた彼女達へ失礼にあたる事は決してしてはならない。
「……そうですね。 私もそろそろ話さないと、とは思っていたんです。でも、みんなの顔を見るとどうしても言い出せなくて……」
「そうでしたか……」
クライン様はふと、一瞬だけ思案気に視線を上へ向けると、すぐにまた戻し、真剣な眼差しで私を見つめ、さらに口を開く。
「時にエミリア――」
「――は、はい!?」
そのクライン様のただならぬ雰囲気に気圧された私は思わず変な声で応え、
「貴女はリデイン子爵卿の事をどう思っているのですか?」
「――――」
そして、次に出てきたクライン様のその言葉にどう返しそうかと頭を悩ませ、俯き、自然と無言の反応を私は示していた。
「――では、旦那様の事は?」
「――!?」
俯く私に掛けられた次なる問い掛け。思い掛けず、唐突な追加質問に私は咄嗟に顔を上げて、そしてクライン様と視線が合った。
すると、私の顔を見るなり頬を緩めたクライン様は何かを悟ったかのように、こう零した。
「……なるほど。やはり、貴女もそうでしたか……」
「?」
しかしその意図はまったく読めず、私は疑問符を浮かべたまま、クライン様を見つめるも、
「しかし、困ったものです。と、言うより、神は本当に意地悪です」
「あの、クライン様、一体何を言って――」
それでもやっぱりその意図は掴めない。私の問い掛けもやはり無視。
「この世で唯一、すれ違う双方の本心を知り得たにも関わらず、私は立場上、御二方の心の邂逅を望む事は出来ない。しかしながら心情としては応援しとうございますし、何より貴女をリデイン家へ差し出したくない」
「???」
私の頭は疑問符だらけ。とにかくクライン様の次なる言葉を待つ。
クライン様は思案気に目を逸らし、黙考を経て再び視線を私へ合わせた。
「――ひとつ、貴女にヒントを差し上げましょう」
「ヒント??」
「はい。貴女のここを離れたくないという気持ちを旦那様にぶつけてみて下さい。そうすれば旦那様が助けてくださるやもしれません」
私は今、ティーセットを手に執務室へと向かっている。
本来、退職を希望する際の手続きとして、その意向を伝えなければならないのはクライン様まで。
故に、旦那様はいちいち使用人の入れ替わりを把握する事は無い。
だが今回、クライン様は私へ退職の意向を旦那様まで伝えるように促した。その意図がどういったものなのか私には分からない。 ただ、クライン様が言った、
『旦那様が助けてくれるやもしれません』
ここにクライン様の意図が隠されていると思う。そして、この言葉から察するにおそらくクライン様は、私の本音が分かっている。
私の本音――私がこの結婚に消極的である事を。
何故ならば、私はこの仕事が好きだから。ここでの暮らしが好きだから。仲間達との和気あいあいとした何気ないやり取りが好きだから。――そして、旦那様の事も……。
ようやく、「私は今幸せ」だと、そう心から思えるようになったのに、それをたった半年で手放したくない。
それと、もうひとつ。
確かに、子爵様の事は私も好きだ。
でも、その『好き』は子爵様が私に求める『好き』とは違う。
ただただ子爵様の事を夫として、『男』として見る事が想像できないのだ。そう、――どうしても、だ。
――何故だろう? ジョンとの結婚で得たストレスが私の脳裏にトラウマとして刻まれているから?
うん。確かにそれもあるだろう。でも、だからと言って『結婚』への憧れは失われていない。
そうだ。私は結婚したいんだ。本当は。
今や私は、自分の本当の気持ちに気付いている。そして、それこそが子爵様との結婚を前向きに捉えられない一番の理由……。
「失礼致します。紅茶をお待ちしました」
執務室へ入ると、いつものように部屋の最奥で麗しい銀髪が机に向かっていた。
「――あぁ、ありがとう。そこへ置いててくれ」
旦那様は筆を走らせながら視線もそのままに声だけで返事をした。
「かしこまりました」
執務机の前に配置されたソファとテーブル。そこにティーセットを置くと紅茶をカップに注ぎながら思い見る。
――クライン様が言った『ヒント』。それを実行に移すか、否か――
そもそも疑問なのだ。
私がここへ留まりたい旨を旦那様へ吐き出したとして、それを阻む為の働きを、領地経営最優先の旦那様がしてくれるのだろうか、と。
リデイン領はギルバード領の隣。いくら格下の相手とはいえ不興を買うような真似はしないはずだ。
そして何より、リデイン家はアリアの嫁ぎ先だ。私の身の振り方次第ではアリアの立場が無くなる危険性も孕んでいる。
リデイン家に限ってそんな事は無いと思うのだが、やはり、娘の事が第一に心配だ。それを考えると自分の願いなど、ニの次三の次だ。
やはり、子爵様と結婚する他無い。
子爵様自身に対しても、リデイン家に対しても不満があるわけじゃない。アリアの事を大事に思ってくれるむしろ良家だ。
そんな所へ嫁ぐ事ができるのに、私の一存で、私のわがままで、周りに迷惑を掛けるわけにはいかない。
旦那様は執務室から滅多に出て来ない。
故に、もしかすると旦那様とはこれっきりかもしれない。そう思うと目頭が熱くなる。
紅茶をカップへ注ぎ終えた私は旦那様へ向き直り、口を開いた。
「旦那様……。わたくし、エミリアは近日中に退職する事となりました。短い間でしたがお世話になりました。それでは失礼致します。」
そう告げた私は深くお辞儀をする。泣きそうになった顔を隠すように。
必死に涙を堪えるが無情にもポタポタと涙は床へ落ちてゆく。
もはや完全な泣き顔となってしまったそれを彼に見られないようにと、私は素早く頭を上げて踵を返し、扉へと歩き出した。
この時に彼の姿は視界に入れていない。どうせ、彼とて私へ視線を向けてはいなかっただろう。
だから、止めどなく流れ出るこの涙を隠す必要性もないのだけれど。
とにかく、今この場にいるのが辛い。
私は逃げるように足早に扉へと近き、そしてドアノブに手を掛け――
「――行くな」
「――?」
ふと背後から、あの時感じた匂いと感触がふわりと私の体を包み込んだ。
「エミリア。そろそろ皆に伝えても良い頃合いではありませんか?」
クライン様の言う通りだ。許された時間は既に5日を切っている。
ここで暮らし始めて約半年。たった半年ではあったが、とても濃い半年だった。
いつか私が一生を終える時、その時に流れる走馬灯の中で一際色鮮やかに流れるのはきっと、このギルバード邸での半年間の思い出だろうと思う。
それほどに私はこの場所が好きで、ここを離れたくない。だからこそ、『変わらない日常』として最後の最後までここでの暮らしを味わっていたいと思っている。
でも、それは許されない事であって、やってはいけない事。
この半年間、私は他のメイド仲間達と仲良くなれたと、少なくとも私はそう思っている。そして、きっと、絆もそこにあると。
言うまでもなく、そんな彼女達に対して最後の最後まで、私の身の上を伏せておく事はあり得ない事だ。
新参者の私を優しく迎えてくれた彼女達へ失礼にあたる事は決してしてはならない。
「……そうですね。 私もそろそろ話さないと、とは思っていたんです。でも、みんなの顔を見るとどうしても言い出せなくて……」
「そうでしたか……」
クライン様はふと、一瞬だけ思案気に視線を上へ向けると、すぐにまた戻し、真剣な眼差しで私を見つめ、さらに口を開く。
「時にエミリア――」
「――は、はい!?」
そのクライン様のただならぬ雰囲気に気圧された私は思わず変な声で応え、
「貴女はリデイン子爵卿の事をどう思っているのですか?」
「――――」
そして、次に出てきたクライン様のその言葉にどう返しそうかと頭を悩ませ、俯き、自然と無言の反応を私は示していた。
「――では、旦那様の事は?」
「――!?」
俯く私に掛けられた次なる問い掛け。思い掛けず、唐突な追加質問に私は咄嗟に顔を上げて、そしてクライン様と視線が合った。
すると、私の顔を見るなり頬を緩めたクライン様は何かを悟ったかのように、こう零した。
「……なるほど。やはり、貴女もそうでしたか……」
「?」
しかしその意図はまったく読めず、私は疑問符を浮かべたまま、クライン様を見つめるも、
「しかし、困ったものです。と、言うより、神は本当に意地悪です」
「あの、クライン様、一体何を言って――」
それでもやっぱりその意図は掴めない。私の問い掛けもやはり無視。
「この世で唯一、すれ違う双方の本心を知り得たにも関わらず、私は立場上、御二方の心の邂逅を望む事は出来ない。しかしながら心情としては応援しとうございますし、何より貴女をリデイン家へ差し出したくない」
「???」
私の頭は疑問符だらけ。とにかくクライン様の次なる言葉を待つ。
クライン様は思案気に目を逸らし、黙考を経て再び視線を私へ合わせた。
「――ひとつ、貴女にヒントを差し上げましょう」
「ヒント??」
「はい。貴女のここを離れたくないという気持ちを旦那様にぶつけてみて下さい。そうすれば旦那様が助けてくださるやもしれません」
私は今、ティーセットを手に執務室へと向かっている。
本来、退職を希望する際の手続きとして、その意向を伝えなければならないのはクライン様まで。
故に、旦那様はいちいち使用人の入れ替わりを把握する事は無い。
だが今回、クライン様は私へ退職の意向を旦那様まで伝えるように促した。その意図がどういったものなのか私には分からない。 ただ、クライン様が言った、
『旦那様が助けてくれるやもしれません』
ここにクライン様の意図が隠されていると思う。そして、この言葉から察するにおそらくクライン様は、私の本音が分かっている。
私の本音――私がこの結婚に消極的である事を。
何故ならば、私はこの仕事が好きだから。ここでの暮らしが好きだから。仲間達との和気あいあいとした何気ないやり取りが好きだから。――そして、旦那様の事も……。
ようやく、「私は今幸せ」だと、そう心から思えるようになったのに、それをたった半年で手放したくない。
それと、もうひとつ。
確かに、子爵様の事は私も好きだ。
でも、その『好き』は子爵様が私に求める『好き』とは違う。
ただただ子爵様の事を夫として、『男』として見る事が想像できないのだ。そう、――どうしても、だ。
――何故だろう? ジョンとの結婚で得たストレスが私の脳裏にトラウマとして刻まれているから?
うん。確かにそれもあるだろう。でも、だからと言って『結婚』への憧れは失われていない。
そうだ。私は結婚したいんだ。本当は。
今や私は、自分の本当の気持ちに気付いている。そして、それこそが子爵様との結婚を前向きに捉えられない一番の理由……。
「失礼致します。紅茶をお待ちしました」
執務室へ入ると、いつものように部屋の最奥で麗しい銀髪が机に向かっていた。
「――あぁ、ありがとう。そこへ置いててくれ」
旦那様は筆を走らせながら視線もそのままに声だけで返事をした。
「かしこまりました」
執務机の前に配置されたソファとテーブル。そこにティーセットを置くと紅茶をカップに注ぎながら思い見る。
――クライン様が言った『ヒント』。それを実行に移すか、否か――
そもそも疑問なのだ。
私がここへ留まりたい旨を旦那様へ吐き出したとして、それを阻む為の働きを、領地経営最優先の旦那様がしてくれるのだろうか、と。
リデイン領はギルバード領の隣。いくら格下の相手とはいえ不興を買うような真似はしないはずだ。
そして何より、リデイン家はアリアの嫁ぎ先だ。私の身の振り方次第ではアリアの立場が無くなる危険性も孕んでいる。
リデイン家に限ってそんな事は無いと思うのだが、やはり、娘の事が第一に心配だ。それを考えると自分の願いなど、ニの次三の次だ。
やはり、子爵様と結婚する他無い。
子爵様自身に対しても、リデイン家に対しても不満があるわけじゃない。アリアの事を大事に思ってくれるむしろ良家だ。
そんな所へ嫁ぐ事ができるのに、私の一存で、私のわがままで、周りに迷惑を掛けるわけにはいかない。
旦那様は執務室から滅多に出て来ない。
故に、もしかすると旦那様とはこれっきりかもしれない。そう思うと目頭が熱くなる。
紅茶をカップへ注ぎ終えた私は旦那様へ向き直り、口を開いた。
「旦那様……。わたくし、エミリアは近日中に退職する事となりました。短い間でしたがお世話になりました。それでは失礼致します。」
そう告げた私は深くお辞儀をする。泣きそうになった顔を隠すように。
必死に涙を堪えるが無情にもポタポタと涙は床へ落ちてゆく。
もはや完全な泣き顔となってしまったそれを彼に見られないようにと、私は素早く頭を上げて踵を返し、扉へと歩き出した。
この時に彼の姿は視界に入れていない。どうせ、彼とて私へ視線を向けてはいなかっただろう。
だから、止めどなく流れ出るこの涙を隠す必要性もないのだけれど。
とにかく、今この場にいるのが辛い。
私は逃げるように足早に扉へと近き、そしてドアノブに手を掛け――
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