ピアニストは恋を奏でる

沖弉 えぬ

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4話ー④

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 一月七日。麗は先日アメリカに向けて発った。今頃はホームステイ先で時差ボケに参っている頃かも知れない。
麗と出会ってから生活の全てがルーティンのようだった夜空は大きく変わった。でも、規則正しい生活は続けている。
 変わったところ、変わらないところ。自分の中を見つめて、二十六年間気付けなかった小舟夜空を毎日少しずつ探していく。
 午後十時過ぎ。麗と連絡を取りやすくするために午前中に契約してきたスマホを三脚にセットし、グランドピアノの横に置く。
 麗のくれた贈り物を自宅のピアノの譜面台に載せ椅子に座る。今日はペダルを使わない。前回は右手で弾いたので今日は左手で弾いてみる。
 弾き終えると動画を見返して麗が撮ってくれたものと聴き比べてみた。撮影機材が違うのでその分の差はあるが、それを抜きしても明らかに音色が変わっていた。前回よりもカラッとしていて分かりやすく明るい音楽になっている。
 夜空の好みはやっぱり麗の前で弾いた時の音だ。頭から爪先まで麗の存在を意識しながら奏でたそれは恋の音楽だった。両想いである事をまだ知らない、独りよがりな切ない恋の独奏。動画で聴き直すと好意が溢れ過ぎていて随分聴き苦しかったが、夜空の心を演奏に込めたのが初めてだったので仕方がない。でもその拙さこそ心そのものだとも思うのだ。
 ポンッ、とスマホから音が鳴るといそいそとスマホに手を伸ばす。メッセージかと思いきやビデオ通話だ。
『ハーイ夜空! ねぇ見て! あ、見える?』
「自由の女神像か?」
『そう! ねぇそっちは何時? あ、っていうかさっき送ってくれた動画見たよ! 前と全然違う曲みたいだった』
「お前にもそう聴こえたか?」
『うんうん。あの時は夜空、俺の事セフレだと思ってたんだもんなぁ』
「それについてはお互いの確認不足で決着したと思ったが?」
『じゃなくてさ。あの時は片思いの曲だったんだなって思って』
 夜空が笑うと麗が自由の女神像の前で首を傾げた。
「ちょうど似たような事を考えていたんだ。今日の動画との違いはまさにそこだ」
『そーお。じゃあ今日弾いたのは、俺と両想いの大惚気ピアノソロ?』
「今回はあんまり麗の事は考えなかったな」
『えー? 嘘、俺寂しいよ夜空ぁ』
 画面の向こうで麗が泣き真似をする。日頃から麗はよく喋るが今日の彼は数段テンションが高い。多少無理してギアを入れているのが分かって、夜空は苦笑した。
「僕も寂しい」
 素直な言葉が出ていた。麗が今度こそしんみりした顔になっていく。
『俺もう一つさ、夜空に黙ってた事あるんだ』
「そうなのか?」
『うん。俺って実は結構見栄っ張りなの。自分のいっちばん情けないところは親にだって見せらんないくらいでさ。でも夜空には話しておきたいって、今思った』
「聞くよ」
 麗は深く深呼吸をした。
『俺、夜空と出会うまで曲が書けなくなってた。大スランプ。作曲用のソフトを開いても何も頭に浮かんでこないのがちょうど一年くらい続いてた。そんな時に出会ったのが夜空だったんだよね。最初は単に好みな顔ってだけで気に入ってたんだけど』
 それは確かに初めて聞く話だ。しかし思い当たる節もある。出会った頃、やたらと夜空の目を見てきた麗は誘いを掛けていたのだ。
 皮肉っぽく眉を上げると、麗は肩を竦めた。
『ピアノが弾けなくなって一年って知って、運命だって思った。夜空がまたピアノを弾けるようになったら、俺も曲が書けるんじゃないかってさ』
 そして実際その通りになったのだから、麗が運命だと言いたくなる気持ちも理解出来る。
『だから夜空。ありがとう』
「ああ……俺も、麗に感謝している」
『うん』
 自然と会話が途切れて、電話の向こうから聞こえる雑踏だけが沈黙を埋めていた。
『あーやっぱり無理! 寂しすぎる! 夜空もアメリカに遊びにおいでよ! しばらく暮らしてた事あるからあっちこっち連れてったげるよ!』
「ああ、そうだな」
 閉じた鍵盤蓋に肘を乗せ、頬杖を突く。ほんの数日会わなかっただけなのに、もう会える事を想像して胸が踊った。
『そうだよね、そう簡単に……え、本当に言ってる?』
「お前に嘘はつかない。尤も今すぐには無理だけどな」
 コンクールは専らアジアで開催されるものにしか参加してこなかった。ヨーロッパでは一回だけ。アメリカやカナダでもいくつかめぼしいピアノコンクールが開催されているので、機会があれば一度くらいは観客として聴きに行きたいと思っていたところだった。だから別に麗に会いたいだけではない、と誰にともなく言い訳をする。
『それで? いつ来る?』
「春の終わりくらいに」
『結構先だなぁ。じゃあそれまでに俺はまた夜空に贈るための愛のピアノソロでも作曲しようかな。あ、俺の作った曲でコンクール出るってのはどう?』
 コンクール、と頭の中でオウム返しに呟いた。
「麗が巨匠と呼ばれる作曲家たちと並べるだけの実力がつけば、コンクールの課題曲に選ばれる日もあるかも知れない」
『そうなの? じゃあなっちゃおっかなぁ、巨匠』
 麗なら本当にやってのけてしまうかも知れないと思わせるバイタリティを持っているから安易に馬鹿には出来ない。麗が作った昔の曲をいくつか聴いてみたが、彼の音楽性は案外クラシックに向いているという気もしていた。深くて暖かくて自由な、聴き終わった時に麗らかな気持ちにさせてくれる麗の曲。
「だったら僕は、お前が僕に向けてくれた愛で鍵盤を鳴らそう」
 世界中の人に花川麗の書いた曲を奏でる小舟夜空を見てもらおう。
『いいね、うん。いいな』
「ああ」
 再び鍵盤蓋を開ける。少しだけ軽くなった蓋の下から白と黒の規則性のある鍵盤が現れる。
 ポーンと白鍵を鳴らした、黒鍵も鳴らす。
 麗が目を閉じて耳を澄ませた。
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