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先輩
第八話
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どうやら文哉はうまくいってるらしい。あれから悩み相談はないし、いつになく幸せそうだ。
文哉が幸せならそれでいいのにな。苦しいな……。もうあいつが腹を空かせてないか、雨に濡れてないか、忘れ物がないか、怪我してないか、イジメられてないか、そんなのを気にしてあげられない。これからはあいつの恋人の役目だ。
でもいつでも頼ってほしい、文哉を心配していいのは恋人だけじゃないはずだから。
「先輩! おはようございます!」
井上が太陽のような笑顔で出勤してくる。三年目になるがあいつが暗い顔をして出勤するのを僕は見たことがない。
「おはよ」
「先輩元気ないっすね……」
「元気、元気」
「もしかして朝メシまだですか?」
そう聞かれて食べていないことに気が付く。それくらい、僕は上の空だったわけだ。
「あぁ……、食べ損ねた」
「じゃあ、コンビニ行ってきます、梅おにぎりで良いですね?」
「あっ、いいよ」という前に井上はあっという間に消えてしまった。
梅おにぎり、なんで知ってんだ。いや、覚えててくれてるんだろう。井上といるとそんなことをよく思う。あいつの物覚えの良さは尊敬に値する。
「井上、コンビニ行ったの?」
営業の吉野だ。今日もパリッとしたスーツを着こなしている。
「コーヒー頼みたかったのになぁ」
「パシリにするな」
「買いに行かせたのは誰よ」
「ちが──」
違うと言いかけて止めた。そうだ、頼んでもいないのに、井上はいつも走ってる。黙った僕を何か言いたげに吉野が見ていた。
「……なに」
「いや。井上はやりたくてやってんだから他人が口を挟む問題じゃないか」
「なんだよ、気になる言い方するなよ」
「じゃあ、私の好きなコーヒー知ってる?」
「は? なにを急に。……井上なら知ってんじゃないのか?」
「そうかな」
井上がダッシュで帰ってきた。額に汗がを浮かべている。
「ねぇ、井上。私の好きなコーヒー知ってる?」
「知りませんよ、ブラックっすか? ってか買いに行きませんからね」
「カフェラテだってば! ミルク入ってないとダメなの」
「へー」
「なんだその棒読みは」
「だってどうせ、もう外回りっすよね」
「減らず口だねぇ、井上」
「先輩と二人の時間を邪魔しないで貰えますか」
「むかつくわぁ……。んじゃあ行ってきまーす。あ。昨日の仕様書の変更、よろしくね」
「分かってます」
「じゃ!」
吉野は最後に井上の髪をグシャグシャにしてちょっかいを出してから事務所を出ていった。
「あーもう! 先輩、オレの髪やばいですか?」
「うん。ライオンみたい」
「マジっすか、トイレ行ってきます。先輩はメシ食ってくださいね」
最悪だよと愚痴る井上の背が角を曲がるまで見届けて、誰もいない打合せ室に入った。受け取ったコンビニのビニール袋を覗くと梅おにぎりと、小さいボトルのお茶。そして野菜ジュースが入っていた。井上の細かい気遣いが、じわっと胸に滲みる。
井上は吉野の好みを把握していなかった。それをわざと確かめようとした吉野。なにか、引っかかった。
今朝のお礼にとランチにしては高くて滅多に行かないとんかつ屋に井上を誘った。頑張っている一級建築士試験まで一ヶ月を切り、最後の追い込みのために僕は井上に提案を持ちかけるためだ。学科に合格した後は、次の設計製図の実技試験を受けることになっている。
「製図のアドバイスやろうか?」
「え?」
井上が驚いて昼飯のロースカツをポロッと零した。
「マジですか?」
「本当だよ、いいからメシ食え」
慌ててロースカツと白いごはんを詰め込む。
「挑戦一回目で一級受かったらすごいよな。僕だって三回落ちてんだからさ」
一級建築士は一回目で受かることはまずない。合格率は二十パーセントに満たないほどの狭き門だ。それを学校にも通わないでひとりでやってるなんて、井上はすごい努力家だ。
「試験まで一ヶ月切ってる。よし、休みに僕の家に来なよ。試験まで毎週やってもあと……四日しかないのかぁ、まぁ、できるだけやろう」
「先輩、休みって」
「あぁ、どうせ暇でサブスクの映画見てるだけの休みだから。僕が役に立つならそのほうがいい」
「先輩、本気にしていいんですか?」
「あはは、いいよ?」
文哉が幸せならそれでいいのにな。苦しいな……。もうあいつが腹を空かせてないか、雨に濡れてないか、忘れ物がないか、怪我してないか、イジメられてないか、そんなのを気にしてあげられない。これからはあいつの恋人の役目だ。
でもいつでも頼ってほしい、文哉を心配していいのは恋人だけじゃないはずだから。
「先輩! おはようございます!」
井上が太陽のような笑顔で出勤してくる。三年目になるがあいつが暗い顔をして出勤するのを僕は見たことがない。
「おはよ」
「先輩元気ないっすね……」
「元気、元気」
「もしかして朝メシまだですか?」
そう聞かれて食べていないことに気が付く。それくらい、僕は上の空だったわけだ。
「あぁ……、食べ損ねた」
「じゃあ、コンビニ行ってきます、梅おにぎりで良いですね?」
「あっ、いいよ」という前に井上はあっという間に消えてしまった。
梅おにぎり、なんで知ってんだ。いや、覚えててくれてるんだろう。井上といるとそんなことをよく思う。あいつの物覚えの良さは尊敬に値する。
「井上、コンビニ行ったの?」
営業の吉野だ。今日もパリッとしたスーツを着こなしている。
「コーヒー頼みたかったのになぁ」
「パシリにするな」
「買いに行かせたのは誰よ」
「ちが──」
違うと言いかけて止めた。そうだ、頼んでもいないのに、井上はいつも走ってる。黙った僕を何か言いたげに吉野が見ていた。
「……なに」
「いや。井上はやりたくてやってんだから他人が口を挟む問題じゃないか」
「なんだよ、気になる言い方するなよ」
「じゃあ、私の好きなコーヒー知ってる?」
「は? なにを急に。……井上なら知ってんじゃないのか?」
「そうかな」
井上がダッシュで帰ってきた。額に汗がを浮かべている。
「ねぇ、井上。私の好きなコーヒー知ってる?」
「知りませんよ、ブラックっすか? ってか買いに行きませんからね」
「カフェラテだってば! ミルク入ってないとダメなの」
「へー」
「なんだその棒読みは」
「だってどうせ、もう外回りっすよね」
「減らず口だねぇ、井上」
「先輩と二人の時間を邪魔しないで貰えますか」
「むかつくわぁ……。んじゃあ行ってきまーす。あ。昨日の仕様書の変更、よろしくね」
「分かってます」
「じゃ!」
吉野は最後に井上の髪をグシャグシャにしてちょっかいを出してから事務所を出ていった。
「あーもう! 先輩、オレの髪やばいですか?」
「うん。ライオンみたい」
「マジっすか、トイレ行ってきます。先輩はメシ食ってくださいね」
最悪だよと愚痴る井上の背が角を曲がるまで見届けて、誰もいない打合せ室に入った。受け取ったコンビニのビニール袋を覗くと梅おにぎりと、小さいボトルのお茶。そして野菜ジュースが入っていた。井上の細かい気遣いが、じわっと胸に滲みる。
井上は吉野の好みを把握していなかった。それをわざと確かめようとした吉野。なにか、引っかかった。
今朝のお礼にとランチにしては高くて滅多に行かないとんかつ屋に井上を誘った。頑張っている一級建築士試験まで一ヶ月を切り、最後の追い込みのために僕は井上に提案を持ちかけるためだ。学科に合格した後は、次の設計製図の実技試験を受けることになっている。
「製図のアドバイスやろうか?」
「え?」
井上が驚いて昼飯のロースカツをポロッと零した。
「マジですか?」
「本当だよ、いいからメシ食え」
慌ててロースカツと白いごはんを詰め込む。
「挑戦一回目で一級受かったらすごいよな。僕だって三回落ちてんだからさ」
一級建築士は一回目で受かることはまずない。合格率は二十パーセントに満たないほどの狭き門だ。それを学校にも通わないでひとりでやってるなんて、井上はすごい努力家だ。
「試験まで一ヶ月切ってる。よし、休みに僕の家に来なよ。試験まで毎週やってもあと……四日しかないのかぁ、まぁ、できるだけやろう」
「先輩、休みって」
「あぁ、どうせ暇でサブスクの映画見てるだけの休みだから。僕が役に立つならそのほうがいい」
「先輩、本気にしていいんですか?」
「あはは、いいよ?」
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