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柔らかな日々
第五十二話
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目が飛び出るほどの賃料に須賀の屋敷の近くは断念したものの、なるべく須賀の屋敷からのアクセスがよいところ、大学への通いやすさで、以前のように古くはないほどほどでオートロックのあるアパートを契約することができた。
家賃は以前より上がってしまうが、なるべく須賀の心配の少ないボロくないアパートに引っ越すことで、須賀はようやく受け入れてくれた。
家賃のためにも俺はまたアルバイトをする。でも今までとは違ってヘアメイクの波野さんのお手伝いだ。
波野さんは実は凄いヘアメイクアーティストだった。女性誌で特集が組まれるほど有名な人でコスメブランドも持っていると夏子さんが教えてくれた。
そして、来年メンズコスメを発売するにあたりそのモデルをしてほしいとのことだった。須賀を通しての仕事の依頼だったし須賀の後押しもあり俺はそれをやると決めた。
「雪くん!!」
「あっ、夏子さん」
進級し、俺は二年生になった。五限が終わり夏子さんがいる研究室を覗くと俺と目があった夏子さんがにこっと笑った。抜け出してきた白衣姿の夏子さんはやはり美しく輝いていた。
「色々ご迷惑おかけしました」
「もう、……大丈夫?」
「はい、お陰さまで」
夏子さんは大学での俺の噂の火消しに尽力してくれていた。俺は色んな人に守られて生きているんだって、変な言い方だけれど、ひとりじゃなかったって思わされた。
「もうアルバイト始まるの?」
「あともう少しで」
「忙しくなっちゃうね、その前にごはんでも行けたらいいけど」
「はい、また誘ってください」
夏子さんがうんと頷くと何かに気がつく。
「あら、独り占めできる時間はあっという間」
「え?」
「ほら」
夏子さんが口を尖らせ不満げにある方向を指差す。そちらを向くと須賀がこちらに歩いてきていた。ポケットに手を入れて堂々と歩く姿は雄々しい。
「須賀さん!」
そう呼ぶと須賀は手を軽く上げる。
「あら、雪くん、まだ須賀さんて呼んでるの?」
「え?」
「かわいそうに、きっと名前で呼んでほしいわよ」
「え、なんで?」
「なんでって、……はぁ」
「須賀さん、早かったですね」
「あぁ、切りがよかったんでね」
「須賀さん、こんにちは」
「夏子さん、どうも」
「じゃぁ私、研究室に戻るね」
「がんばって!」
夏子さんを見送る俺の肩が急に軽くなる。須賀が俺のトートバッグを持とうとしてくれていたのだ。
「あ、ありがとうございます」
須賀は笑みだけ返して空いている方の腕を俺の腰に手を回した。
「ちょっ、須賀さ──……」
「αがいる」
小さく耳元で自分だけに聞こえる声で言われてぞくりとした。そしてまた胃がシクシクと痛んだ。
「いる……? え?」
見上げると須賀は周りを見渡してある方向で視線が止まる。
「……居た」
「え? どこに」
須賀の視線を追いかけようとすると、それを遮るように俺の視線の中に入ってきた。
「雪は見なくていい」
「えっ、ぁ……」
須賀の顔が近づいて俺の鼻先に同じく鼻先がツンと触れた。
「マーキングが足りないな」
「……なんの、ことを……」
「雪」
「はい」
「夕食、食べて帰るか」
「はいっ! 今夜はなにを?」
「どこでも。ケーキはなしだぞ」
「それは食事ではありませんよ! もう」
ふっと笑ってくれて、俺の腰から手がするりと抜けた。
助手席からの景色は違和感でいっぱいで勝手に俺の心をドキドキさせた。佐伯さんの運転だと、佐伯さんの斜め後ろ対角線上に座っている須賀。それで俺は佐伯さんの後ろ。
だから助手席は新鮮なんだ。ハンドルを握る須賀の手や横顔をチラチラと盗み見ては誤魔化すようにたまに外を見たり。後部座席から見る車窓とは違って、目に飛び込んでくる景色が新鮮で、それはそれでワクワクした気持ちで流れる景色をつい楽しんでしまう。
「気が変わった」
「え?」
急に須賀が発した。
「食材を買いにいこう」
「食材? もしかして須賀さんが料理を?」
「気分転換にすることがあるくらいだが、下手くそではないぞ」
「うわぁ……うれしい!」
須賀さんが料理……、どんな料理を作ってくれるんだろうか。
「雪の部屋に行っていいか?」
「もちろん! えっと俺がいつも行くスーパーでいいんですか? それとも須賀さんの行ってる……」
自分で言ってて須賀の行きつけのスーパーなんてあるのだろうかと、尻つぼみしていく。きっとないだろうって内心ツッコんだ。
「雪の行くスーパーでいいよ、近くなったら教えて」
「わかりました」
「先に風呂に入っておいで、私は支度をするから」
「はい、分かりました」
少し広いワンルームの部屋。ミニキッチンにいる大きな背中を横目に俺はクローゼットから服を取り出した。まだこれから食事だからパジャマというわけにはいかないな……と、須賀から以前買ってもらったレモン色の春物のニットを持って風呂場へ向かった。
膝を抱えて浴槽に浸かると、さっき須賀と買い物したことを思い出して、ふっと笑ってしまった。
俺が調味料コーナーから須賀のいるところへ戻ろうとしたとき、須賀が赤いスーパーの買い物カゴを持って品定めしていたんだ。
庶民感覚のスーパーに、最上級の布地で仕立てたスーツを着たイケメン。この組み合わせがどれだけ違和感か。
そして、可愛いって思ってしまった。
家賃は以前より上がってしまうが、なるべく須賀の心配の少ないボロくないアパートに引っ越すことで、須賀はようやく受け入れてくれた。
家賃のためにも俺はまたアルバイトをする。でも今までとは違ってヘアメイクの波野さんのお手伝いだ。
波野さんは実は凄いヘアメイクアーティストだった。女性誌で特集が組まれるほど有名な人でコスメブランドも持っていると夏子さんが教えてくれた。
そして、来年メンズコスメを発売するにあたりそのモデルをしてほしいとのことだった。須賀を通しての仕事の依頼だったし須賀の後押しもあり俺はそれをやると決めた。
「雪くん!!」
「あっ、夏子さん」
進級し、俺は二年生になった。五限が終わり夏子さんがいる研究室を覗くと俺と目があった夏子さんがにこっと笑った。抜け出してきた白衣姿の夏子さんはやはり美しく輝いていた。
「色々ご迷惑おかけしました」
「もう、……大丈夫?」
「はい、お陰さまで」
夏子さんは大学での俺の噂の火消しに尽力してくれていた。俺は色んな人に守られて生きているんだって、変な言い方だけれど、ひとりじゃなかったって思わされた。
「もうアルバイト始まるの?」
「あともう少しで」
「忙しくなっちゃうね、その前にごはんでも行けたらいいけど」
「はい、また誘ってください」
夏子さんがうんと頷くと何かに気がつく。
「あら、独り占めできる時間はあっという間」
「え?」
「ほら」
夏子さんが口を尖らせ不満げにある方向を指差す。そちらを向くと須賀がこちらに歩いてきていた。ポケットに手を入れて堂々と歩く姿は雄々しい。
「須賀さん!」
そう呼ぶと須賀は手を軽く上げる。
「あら、雪くん、まだ須賀さんて呼んでるの?」
「え?」
「かわいそうに、きっと名前で呼んでほしいわよ」
「え、なんで?」
「なんでって、……はぁ」
「須賀さん、早かったですね」
「あぁ、切りがよかったんでね」
「須賀さん、こんにちは」
「夏子さん、どうも」
「じゃぁ私、研究室に戻るね」
「がんばって!」
夏子さんを見送る俺の肩が急に軽くなる。須賀が俺のトートバッグを持とうとしてくれていたのだ。
「あ、ありがとうございます」
須賀は笑みだけ返して空いている方の腕を俺の腰に手を回した。
「ちょっ、須賀さ──……」
「αがいる」
小さく耳元で自分だけに聞こえる声で言われてぞくりとした。そしてまた胃がシクシクと痛んだ。
「いる……? え?」
見上げると須賀は周りを見渡してある方向で視線が止まる。
「……居た」
「え? どこに」
須賀の視線を追いかけようとすると、それを遮るように俺の視線の中に入ってきた。
「雪は見なくていい」
「えっ、ぁ……」
須賀の顔が近づいて俺の鼻先に同じく鼻先がツンと触れた。
「マーキングが足りないな」
「……なんの、ことを……」
「雪」
「はい」
「夕食、食べて帰るか」
「はいっ! 今夜はなにを?」
「どこでも。ケーキはなしだぞ」
「それは食事ではありませんよ! もう」
ふっと笑ってくれて、俺の腰から手がするりと抜けた。
助手席からの景色は違和感でいっぱいで勝手に俺の心をドキドキさせた。佐伯さんの運転だと、佐伯さんの斜め後ろ対角線上に座っている須賀。それで俺は佐伯さんの後ろ。
だから助手席は新鮮なんだ。ハンドルを握る須賀の手や横顔をチラチラと盗み見ては誤魔化すようにたまに外を見たり。後部座席から見る車窓とは違って、目に飛び込んでくる景色が新鮮で、それはそれでワクワクした気持ちで流れる景色をつい楽しんでしまう。
「気が変わった」
「え?」
急に須賀が発した。
「食材を買いにいこう」
「食材? もしかして須賀さんが料理を?」
「気分転換にすることがあるくらいだが、下手くそではないぞ」
「うわぁ……うれしい!」
須賀さんが料理……、どんな料理を作ってくれるんだろうか。
「雪の部屋に行っていいか?」
「もちろん! えっと俺がいつも行くスーパーでいいんですか? それとも須賀さんの行ってる……」
自分で言ってて須賀の行きつけのスーパーなんてあるのだろうかと、尻つぼみしていく。きっとないだろうって内心ツッコんだ。
「雪の行くスーパーでいいよ、近くなったら教えて」
「わかりました」
「先に風呂に入っておいで、私は支度をするから」
「はい、分かりました」
少し広いワンルームの部屋。ミニキッチンにいる大きな背中を横目に俺はクローゼットから服を取り出した。まだこれから食事だからパジャマというわけにはいかないな……と、須賀から以前買ってもらったレモン色の春物のニットを持って風呂場へ向かった。
膝を抱えて浴槽に浸かると、さっき須賀と買い物したことを思い出して、ふっと笑ってしまった。
俺が調味料コーナーから須賀のいるところへ戻ろうとしたとき、須賀が赤いスーパーの買い物カゴを持って品定めしていたんだ。
庶民感覚のスーパーに、最上級の布地で仕立てたスーツを着たイケメン。この組み合わせがどれだけ違和感か。
そして、可愛いって思ってしまった。
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