恋人契約~愛を知らないΩがαの愛に気づくまで~

Gemini

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第九十二話

「私もあなたのお父さんのことは深く聞けなかったの……。時間が必要だと思って経過観察になったのよ」

 施設には色んな事情を抱える人たちが逃げ込んでくる。そのケアをしながら、中には母親のように出産を控えた妊婦も居て、水野さん含めここで働いている人たちの苦労というものが、水野さんが俺に申し訳ない顔をする度にそれが見え隠れする。


「間もなくしてシェルターで出産してあなたが生まれたのだけど、三日目に体調を崩して大きな病院に搬送することになってしまったんです。お母さんの強い願いで赤ちゃんはこのままここで見てくれと言われて、初めは反対したんですが、どうしても見つかって欲しくないからと……。家の者が来ても絶対に子供を渡さないでほしいと。私が折れて責任を持って預かることになったんです」
「それでは母は……?」
「そのまま一週間後に……、亡くなったという知らせだけが病院から来ました。親族からも赤ちゃんの問い合わせもなく、きっとあなたのお母さんが守っているんだと私は思ったの」
「…………」
「私は母親の意思を優先したかった。彼女の願いをどうにか叶えたくて……、だからこのまま孤児としての手続きをしたんです……」

 水野さんの告白に俺は何も言えなかった。涙も出なくて、辛さも、悲しみも、何も沸いてこない。俺は事実だけを受け止め続けた。

 ただ、数カ月母親と接してその選択をした水野さんの想いのほうが俺の心に強く入ってくるのだった。


「……私は赤ちゃんに戸籍を与えなくてはなりません、事実上孤児になった子供に私たちは戸籍と名前を作るんです。あなたを抱きながら『ゆき、ゆき』と幸せそうに抱きしめる姿を思い出して、子供の名前の欄に雪と書いたの……新雪のように真っ白で美しい赤ちゃんだった……」

 涙を拭いながら水野さんはその日を思い出してか微笑んだ。

「そのハンカチは、あなたが里子に出されたあと個室の整理をしていた時に出てきたもので、そこで初めてその名前だったんではないかって、気がついたの。でももう変えようがなかった……」

 水野さんの悔やむ姿がやはり俺には辛い。

 他人の産んだ子供に戸籍を作り名前を与えて、そしてその分だけ水野さん自身に責任が降りかかる。きっと俺だけじゃない。今、中庭で遊んでいる子供たちもそうかもしれない。そうやって子供の人生に踏み込まなければならない仕事をしている。

 いつの間にか中庭を見つめていた俺は、自身の出自より目の前にいる水野さんや、中庭で遊んでる子供のことばかり考えていることに気がつく。

 自身のことが物語か何かみたいに他人事に聞こえてしまうからなのかもしれない。

 ただ、ここにいる事情を抱えた人たちが拠り所にし、母親も同様にここを頼り身を寄せた。そして精一杯のことをしてくれた。俺はもうそれで良かった。


「あなたが里親先で幸せにやっているのなら、出自のことは伏せていてもいいと思ったんです。でも……事件のことを聞いて、もしかして雪くんは幸せじゃなかったんだとしたら、母親の願いと子供の求める幸せは別……、本当のお母さんのこと知らせておきたくなったの。あなたも二十歳になるし、私が死ぬ前にちゃんと詫びる必要があると分かった。……本当にごめんなさい」

 水野さんは深く頭を下げた。


 
 いままでの雪という人間の人生。雪として戸籍が作られ動き出した俺の人生は決して幸せではなかった。大人に利用され、傷つけられるだけだった。

 じゃあ、有起哉としての俺は、どうだったのだろう。母親と過ごした三日間という時間は俺が有起哉でいられた時間だ。



「水野さんだけが、俺とその人とを繋ぐ生き証人なんですね」

 そう言えば水野さんは顔を上げて笑顔を見せてくれた。そんな水野さんに俺は感謝しかなかった。

「水野さん。今まで、辛い想いをさせてしまってすいませんでした、そしてありがとうございました」
「あなたが謝ることじゃないわ……!!」





 水野さんは一度面談室から出てすぐに戻ると古く色あせたファイルを出して、あるページを俺に見せてくれた。

「これがあなたのお母さんの調書。名前は、伏見閑香さん。……とっても素敵な方だった」

 ──ふし……み……。


 須賀を見ると須賀もその調書をじっと見つめていた。そして俺を見てふっと溜息をつく。なんとなく、予感していたことが輪郭を顕にしていく。

 やはり俺は伏見夫婦の亡くした娘の子……?

「元親さん……」

 須賀は優しく俺の肩を抱き寄せた。

 あの人たちの俺を愛おしそうな目で見るのは、俺の中にある面影を見ていたのか。ならば二人は気がついているのかもしれない。

「元親さん、伏見さんは俺のこと……」
「会長のことだ、全てを把握済みだと思う」
「そう、だよね」





 帰りの車で一言も話さない俺に、須賀はずっとそのままにしてくれていた。いつの間にか着いたのはいつか夜にケーキを食べた海の公園だ。あの日とは違ってまだ陽が高く、人も多く居る。

「雪、待っててくれ」と言って暫くして帰ってきた須賀の手にはコンビニのビニール袋を携えていた。
 恥ずかしそうにそれを渡されると、中はコンビニスイーツがたくさん入っていた。

「高級店じゃないやつ、がいいんだろう?」
「うん、えへへ」

 須賀が先に芝生にあぐらをかいた。俺は嬉しくなってその隣に座り、シュークリームを取り出して大きな口で頬張る。眉を下げて呆れたような様子で俺を見ながら須賀はブラックコーヒーを飲んだ。

「元親さん、俺、……」
「有起哉」
「え?」
「すごいカッコイイ名前だな、羨ましい」
「羨ましいの?」

 須賀は俺の顔を見てくすりと笑って、俺の唇を親指でなぞった。その指先にはクリームが付いていた。

「元親なんて……、先祖代々名前を継がせるなど今時古臭い。第一、戦国武将みたいだろ」
「四国を正定した戦国武将みたいでカッコイイのに」
「雪は歴史もいけるのか……」
「授業でやったくらいには」
「ふぅん」
「……どうしたの?」
「雪の知らないところ、まだあるなぁと、ね」
「ねぇ、元親さん、もっかい呼んでみて」
「有起哉、……?」

 ──やっぱり……。俺、元親さんに有起哉と呼ばれてもドキッとしないんだ。

 やっぱり俺は雪なんだ、どうあの親を否定してもそれまで生きてきた俺の時間までは否定したくないって思った。

 須賀と出会って何度も呼んでくれたこの名前。

 救い出してくれたときに叫んでくれた。

 愛していると囁いてくれた。



「俺、雪としてあなたの隣に居たい」

 須賀はただまっすぐに俺を見つめる。

「前に言ったろ、君が誰だろうと、私は君を愛してると」
「……うん」

 首の後ろを大きな手が覆ってぐいっと引き寄せられる。そしてそのまま唇が重なった。



「ねぇ、元親さん。あのハンカチ、持ってるの俺じゃないほうがいいよね」
「雪、無理することはない、ゆっくり考えろ」
「雪としての俺を認めてくれたのは元親さんだよ、大丈夫」
「雪……」
「あのハンカチを二人に渡したい」
「……分かった」

 須賀はぎゅっと強く抱きしめた。

「そばに私がいることを絶対に忘れるな、いいな」
「忘れたりしないよ、愛してる」
「…………!」





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