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第二章
第二十五話 働いてみないか
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「お待たせしました」
玲がテーブルの方へ振り向くと大きなティーポットとティーカップが二脚、静かに置かれた。
「さぁ、アキラこちらへ」
「あっ、はい」
玲はいそいそと席へ戻った。
「ありがとうございます。わぁ! かわいらしいティーポット!」
ワイルドベリーが描かれたティーポットに、玲が思わず声を上げるとジョージは微笑み女性店員を見た。
「だ、そうだよ」
「ありがとうございます」
女性店員は緊張ぎみに玲に向かってお礼を言った。
「この店で使う器は彼女が全て選んでいるんだ」
「英国の器はどれも素敵で見るたび欲しくなってしまいます。わたし自身食器、特にティーカップをすぐに買ってしまう癖があり、それは家の者に怒られてしまうほどで。本当にこれかわいらしい!」
「ここにもコレクターがいたな」
「ここには、とは?」
ジョージと女性店員が微笑みあっている。玲は首を傾げた。
「彼女も食器が好きでね、大学を卒業したら自身で雑貨屋を開きたいのだそうだ」
「そうですか……素敵な夢ですね。成功を祈ります」
「ありがとうございます」
女性店員は少し戸惑いを見せながらも玲に礼をして戻っていった。ジョージはゆっくりと玲のティーカップに紅茶を注ぐと、湯気とともに薫り高いアッサムの香りが立ち昇った。
「自分のお店を持つだなんて、素敵な夢ですね」
「そういう若者には周りの後押しというものが必要なときがある」
「その役目をなさっているのですね!」
「微力ながらね」
「わたしも応援だけしかできないけれど、叶うことを願っています」
「君だって夢や何か目的を持って留学してきたのだろう?」
「夢……」
「たしか経済学部だったね」
「留学を決めたときには、あったと思います。目的が」
玲はそう呟く。玲は数正との結婚のため経済学を学ぶと決めた。数正の役に立ちたい。大きな会社を継ぐ数正を支えたい。何も取り柄のない玲の出来うることは、なにもないのだから。
「今は、見失ってしまった?」
「……かもしれません」
「スコットランドへ来てからそう、考えるようになった?」
「いえ。出発の少し前に……すみません、このような話をして」
「いや、重要なことだ、私も君の通う大学で少なからず学生に教えているからね」
ジョージは小さく溜息を漏らした。しかし玲はジョージに申し訳無い気持ちになっていった。婚約破棄を言い渡して、でも親にそれを伝えることもできない中途半端な自分の身の上話など、聞かせるにはあまりに幼稚な物語だ。
「アキラはスコットランドへ来てどのくらい経つ?」
「二ヶ月です」
「来たばかりじゃないか!」
「えぇ……」
「生活には慣れた?」
「えぇ……まぁ……」
「ひとり暮らしを?」
「はい」
「ちゃんと専用のアパートメントにしたかい?」
「それは、はい。大丈夫です」
専用とは、アルファの人間が賃貸契約が出来ないオメガ専用物件のことで、スコットランドでは住み分けがされているようだ。大学にも寮はあるがオメガは入ることができない。おそらくジョージはそれを知っている。それに玲がオメガであることも。
「君のような子が留学をするなんて、すごい勇気だ」
「そうですか、うん……そうですよねやはり」
オメガで、アジア人で、先の大戦が終わってからまだ数年しか経っていない。英国から見たら日本を快く思っていないことは明白で、身の危険も考慮すべき時期ではあった。
「海外へ渡航するにも苦労がいるだろう、君の国は」
そういえばと、玲は気がついた。名前は聞かれても母国を聞いてこないことに。なのに、なんだか日本から来たと分かっているかのような言い方だった。
「そうですね、自由な渡航は許されませんから……」
「なるほどね、そうか」
そう言うとジョージはティーカップに口をつけ、しばらく静かになった。
玲は再びジョージの写真を見つめた。ジョージはカメラマンだと言っていた。玲の知るカメラマンとは、写真館で撮影をする技師を想像するが、ジョージは世界を周っているということは、写真を売って収入を得ているんだろうか。
そのような自由な芸術的な職業があるのだと、玲は身震いするほどだった。
「ねぇ、アキラ。これは提案なんだが」
「提案? なんでしょう」
神妙な面持ちでジョージは話し始めた。
「ここで働いてみないか」
「働く?」
「どうだろうか」
「わたしがですか?」
余りに想像だにしない提案に、玲は目を丸くする。
「君ならきっとうまくいくと思うんだ」
「先程の方のように、その紅茶を淹れたり……?」
「実はここの二階は絵画教室なんだ」
ジョージが天井を指差した。
「私の補佐を頼みたい。店の雑務もしてもらうかもしれないが、その代わり好きなだけ絵を描いていい」
「絵を……」
「加えて生徒たちにも教えてくれると良いな。もちろん賃金は支払うよ」
「そのようなお話し──」
「駄目かな」
玲がテーブルの方へ振り向くと大きなティーポットとティーカップが二脚、静かに置かれた。
「さぁ、アキラこちらへ」
「あっ、はい」
玲はいそいそと席へ戻った。
「ありがとうございます。わぁ! かわいらしいティーポット!」
ワイルドベリーが描かれたティーポットに、玲が思わず声を上げるとジョージは微笑み女性店員を見た。
「だ、そうだよ」
「ありがとうございます」
女性店員は緊張ぎみに玲に向かってお礼を言った。
「この店で使う器は彼女が全て選んでいるんだ」
「英国の器はどれも素敵で見るたび欲しくなってしまいます。わたし自身食器、特にティーカップをすぐに買ってしまう癖があり、それは家の者に怒られてしまうほどで。本当にこれかわいらしい!」
「ここにもコレクターがいたな」
「ここには、とは?」
ジョージと女性店員が微笑みあっている。玲は首を傾げた。
「彼女も食器が好きでね、大学を卒業したら自身で雑貨屋を開きたいのだそうだ」
「そうですか……素敵な夢ですね。成功を祈ります」
「ありがとうございます」
女性店員は少し戸惑いを見せながらも玲に礼をして戻っていった。ジョージはゆっくりと玲のティーカップに紅茶を注ぐと、湯気とともに薫り高いアッサムの香りが立ち昇った。
「自分のお店を持つだなんて、素敵な夢ですね」
「そういう若者には周りの後押しというものが必要なときがある」
「その役目をなさっているのですね!」
「微力ながらね」
「わたしも応援だけしかできないけれど、叶うことを願っています」
「君だって夢や何か目的を持って留学してきたのだろう?」
「夢……」
「たしか経済学部だったね」
「留学を決めたときには、あったと思います。目的が」
玲はそう呟く。玲は数正との結婚のため経済学を学ぶと決めた。数正の役に立ちたい。大きな会社を継ぐ数正を支えたい。何も取り柄のない玲の出来うることは、なにもないのだから。
「今は、見失ってしまった?」
「……かもしれません」
「スコットランドへ来てからそう、考えるようになった?」
「いえ。出発の少し前に……すみません、このような話をして」
「いや、重要なことだ、私も君の通う大学で少なからず学生に教えているからね」
ジョージは小さく溜息を漏らした。しかし玲はジョージに申し訳無い気持ちになっていった。婚約破棄を言い渡して、でも親にそれを伝えることもできない中途半端な自分の身の上話など、聞かせるにはあまりに幼稚な物語だ。
「アキラはスコットランドへ来てどのくらい経つ?」
「二ヶ月です」
「来たばかりじゃないか!」
「えぇ……」
「生活には慣れた?」
「えぇ……まぁ……」
「ひとり暮らしを?」
「はい」
「ちゃんと専用のアパートメントにしたかい?」
「それは、はい。大丈夫です」
専用とは、アルファの人間が賃貸契約が出来ないオメガ専用物件のことで、スコットランドでは住み分けがされているようだ。大学にも寮はあるがオメガは入ることができない。おそらくジョージはそれを知っている。それに玲がオメガであることも。
「君のような子が留学をするなんて、すごい勇気だ」
「そうですか、うん……そうですよねやはり」
オメガで、アジア人で、先の大戦が終わってからまだ数年しか経っていない。英国から見たら日本を快く思っていないことは明白で、身の危険も考慮すべき時期ではあった。
「海外へ渡航するにも苦労がいるだろう、君の国は」
そういえばと、玲は気がついた。名前は聞かれても母国を聞いてこないことに。なのに、なんだか日本から来たと分かっているかのような言い方だった。
「そうですね、自由な渡航は許されませんから……」
「なるほどね、そうか」
そう言うとジョージはティーカップに口をつけ、しばらく静かになった。
玲は再びジョージの写真を見つめた。ジョージはカメラマンだと言っていた。玲の知るカメラマンとは、写真館で撮影をする技師を想像するが、ジョージは世界を周っているということは、写真を売って収入を得ているんだろうか。
そのような自由な芸術的な職業があるのだと、玲は身震いするほどだった。
「ねぇ、アキラ。これは提案なんだが」
「提案? なんでしょう」
神妙な面持ちでジョージは話し始めた。
「ここで働いてみないか」
「働く?」
「どうだろうか」
「わたしがですか?」
余りに想像だにしない提案に、玲は目を丸くする。
「君ならきっとうまくいくと思うんだ」
「先程の方のように、その紅茶を淹れたり……?」
「実はここの二階は絵画教室なんだ」
ジョージが天井を指差した。
「私の補佐を頼みたい。店の雑務もしてもらうかもしれないが、その代わり好きなだけ絵を描いていい」
「絵を……」
「加えて生徒たちにも教えてくれると良いな。もちろん賃金は支払うよ」
「そのようなお話し──」
「駄目かな」
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