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帰郷
第一話
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「智は大学の教授だったか?」
「研究員とか言ってたな」
「おんなじようなものじゃないか、本当に出世したなぁ」
「大先生だよな! ガハハハ!」
六月。梅雨特有のジメジメとした空気と、朝から止まないシトシト雨。
僕は今、公民館の座敷で懐かしい顔ぶれに囲まれている。高校の間の三年間だがお世話になった剣友会の恩師が亡くなったと聞いて、慌てて葬儀の会場となっている公民館にやってきたのは一時間ほど前。
八年ぶりの僕の帰郷に昔馴染みのおじさんたちが集まりだして、今の仕事のことなどあれこれ聞かれている。
酔っ払ったおじさんたちにビールを飲まされ、久しぶりのアルコールが胃に沁みる。大学で働くようになりこういう席で慌てることはなくなった。周りに合わせて、でも飲みすぎないように。こんなことで自分が社会人として意外にも馴染んだことを自覚した。テーブルには寿司やオードブルが並んでいて、弔問客がぞろぞろとこちらに流れては空いている席に座る。
「ねぇ、おじさんたち落ち着いてよ。ただの研究員だって。准教授にもなれていないんだから」
そう説明するもおじさんたちは、何故か「まぁまぁ」と言って僕の肩をポンポンと叩いて黙らせる。
「大学で先生をしてるんだ、わしらにとったら同じことだ」
「ところでお前さんは、いくつになったんだ?」
「二十六ですよ」
「智のばあさんが天国で喜んでんだろうよ」
「そうだと、良いんですが」
「決まってら、天国でもお前さんの心配してるよ」
ばあさんとは僕の祖母のことだ。両親の居ない僕の親代わりでもある。この地で五十年くらい定食屋をやっていた。目の前にいるおじさんたちは常連で、彼らにとっても『おふくろ』のようだったようだ。ばあちゃんは僕が高校三年生の時に亡くなっている、脳卒中だった。
「あらあら、あんまり飲ませんじゃないよ? 年寄りと違って若い人は明日も早くから仕事なんだからね?」
見兼ねたおばちゃんがお茶を淹れてくれて、それを僕の前に置いた。そうして僕の肩をぽんと叩いた。おばちゃんは、ばあちゃんの定食屋で長くパートをしていた人で、僕をよく知っている。八年ぶりに会うおばちゃんは、体が一段と丸みを増していて、髪は白髪が増えていた。
お茶のお礼を言おうとおばちゃんを見上げると、僕の斜め後ろ辺りを見上げて驚いた顔をしていた。そして「あら、あの子も来たんだね。若いのに律儀だ」と眉を下げて穏やかにそう呟いた。
一体誰のことを言っているのか。おばちゃんは開け放たれている入り口を見つめていて、なんとなく僕も後ろを振り返った。
入り口に設置された受付で周りの群衆より頭ひとつ分飛び出ている男が目に入る。その男は自分の番になると受付に丁寧に頭を下げてから大きな背中を丸めて記帳を始めた。とても大柄で肩も胸も厚い。あれは僕より背が高いだろう。大学生くらいだろうか。短く刈り上げたいかにも剣士でありそうな爽やかな髪型に、シャープな横顔は真面目さを伺わせる。
「智君もだけど、先生に習った子供はみんな良い子に育ったんだねぇ……」
おばちゃんの声に振り返ると、おばちゃんは祭壇を見つめていて、その声は少しだけ震えているように思えた。恩師とはこの地域で五十年ほど剣道を教えていた剣士で、地元の名士だ。僕は高校一年でこの地域に引っ越してきたのだが、高校卒業までの三年の間世話になった。
小さな公民館の外まで出来た弔問の列はずっと絶えない。受付を済ませた男は、今度は焼香の列の一番後ろに付いた。
「ご苦労さまだったね」
入り口までおばちゃんが迎えに行くと、男は丁寧に頭を下げる。そうして肩に付いた雨粒を手で払うと中に入ってきた。
「ここにどうぞ、ほら、若い人同士。ね、智君」
「えぇ、どうぞ」
おばちゃんに促されて若い男が近づいてくる。天井の蛍光灯の明かりがその男の体で一瞬遮られ暗くなる。ふと見上げるが逆光で男の顔はよく見えない。顔をしかめ一旦諦めておばちゃんが淹れてくれたお茶を啜ると、男はすっと隣に座った。そのあまりの体幹の良さからか、武道をしている人間の所作に懐かしさを覚える。そして、見つめられていると分かる刺さるような視線の強さを、左側に感じた。
「ウーロン茶がいいかい? ビールもあるけど」
おばちゃんが空のコップを持ってやってきた。僕から視線を逸らしてテーブルの真ん中に置かれている瓶たちを眺めてから「ありがとうございます。じゃあビールをいただきます」とコップを受け取った。
低く丁寧な話し方と、とても懐かしいような雰囲気に、どうしても顔が見たくなって男の方をちらりと見た。コップを受け取る腕の筋肉が盛り上がった。半袖から見える椀橈骨筋が異常に発達している。剣士特有の腕だ。現役の剣士ということか。思わず僕は自分の腕を握り、すっかり細くなってしまったことに自嘲した。
「あ、手酌は駄目だよ」
「すいません、ありがとうございます」
僕は男からビール瓶を取り上げると、コップにビールを注いでやった。そして自分の飲みかけのコップに注ぎ足すと、それを持って男のコップに軽く当てた。
「献杯」
「献杯」
男はその一杯をぐいっと飲み干した。
どこかで会っているはずなんだ。先生のお通夜に来るということは剣友会仲間であるはずだし、年も近い。となると同時期に道場に居た可能性は高い。
「あ、あの」
「ん?」
「俺を覚えていませんか」
「研究員とか言ってたな」
「おんなじようなものじゃないか、本当に出世したなぁ」
「大先生だよな! ガハハハ!」
六月。梅雨特有のジメジメとした空気と、朝から止まないシトシト雨。
僕は今、公民館の座敷で懐かしい顔ぶれに囲まれている。高校の間の三年間だがお世話になった剣友会の恩師が亡くなったと聞いて、慌てて葬儀の会場となっている公民館にやってきたのは一時間ほど前。
八年ぶりの僕の帰郷に昔馴染みのおじさんたちが集まりだして、今の仕事のことなどあれこれ聞かれている。
酔っ払ったおじさんたちにビールを飲まされ、久しぶりのアルコールが胃に沁みる。大学で働くようになりこういう席で慌てることはなくなった。周りに合わせて、でも飲みすぎないように。こんなことで自分が社会人として意外にも馴染んだことを自覚した。テーブルには寿司やオードブルが並んでいて、弔問客がぞろぞろとこちらに流れては空いている席に座る。
「ねぇ、おじさんたち落ち着いてよ。ただの研究員だって。准教授にもなれていないんだから」
そう説明するもおじさんたちは、何故か「まぁまぁ」と言って僕の肩をポンポンと叩いて黙らせる。
「大学で先生をしてるんだ、わしらにとったら同じことだ」
「ところでお前さんは、いくつになったんだ?」
「二十六ですよ」
「智のばあさんが天国で喜んでんだろうよ」
「そうだと、良いんですが」
「決まってら、天国でもお前さんの心配してるよ」
ばあさんとは僕の祖母のことだ。両親の居ない僕の親代わりでもある。この地で五十年くらい定食屋をやっていた。目の前にいるおじさんたちは常連で、彼らにとっても『おふくろ』のようだったようだ。ばあちゃんは僕が高校三年生の時に亡くなっている、脳卒中だった。
「あらあら、あんまり飲ませんじゃないよ? 年寄りと違って若い人は明日も早くから仕事なんだからね?」
見兼ねたおばちゃんがお茶を淹れてくれて、それを僕の前に置いた。そうして僕の肩をぽんと叩いた。おばちゃんは、ばあちゃんの定食屋で長くパートをしていた人で、僕をよく知っている。八年ぶりに会うおばちゃんは、体が一段と丸みを増していて、髪は白髪が増えていた。
お茶のお礼を言おうとおばちゃんを見上げると、僕の斜め後ろ辺りを見上げて驚いた顔をしていた。そして「あら、あの子も来たんだね。若いのに律儀だ」と眉を下げて穏やかにそう呟いた。
一体誰のことを言っているのか。おばちゃんは開け放たれている入り口を見つめていて、なんとなく僕も後ろを振り返った。
入り口に設置された受付で周りの群衆より頭ひとつ分飛び出ている男が目に入る。その男は自分の番になると受付に丁寧に頭を下げてから大きな背中を丸めて記帳を始めた。とても大柄で肩も胸も厚い。あれは僕より背が高いだろう。大学生くらいだろうか。短く刈り上げたいかにも剣士でありそうな爽やかな髪型に、シャープな横顔は真面目さを伺わせる。
「智君もだけど、先生に習った子供はみんな良い子に育ったんだねぇ……」
おばちゃんの声に振り返ると、おばちゃんは祭壇を見つめていて、その声は少しだけ震えているように思えた。恩師とはこの地域で五十年ほど剣道を教えていた剣士で、地元の名士だ。僕は高校一年でこの地域に引っ越してきたのだが、高校卒業までの三年の間世話になった。
小さな公民館の外まで出来た弔問の列はずっと絶えない。受付を済ませた男は、今度は焼香の列の一番後ろに付いた。
「ご苦労さまだったね」
入り口までおばちゃんが迎えに行くと、男は丁寧に頭を下げる。そうして肩に付いた雨粒を手で払うと中に入ってきた。
「ここにどうぞ、ほら、若い人同士。ね、智君」
「えぇ、どうぞ」
おばちゃんに促されて若い男が近づいてくる。天井の蛍光灯の明かりがその男の体で一瞬遮られ暗くなる。ふと見上げるが逆光で男の顔はよく見えない。顔をしかめ一旦諦めておばちゃんが淹れてくれたお茶を啜ると、男はすっと隣に座った。そのあまりの体幹の良さからか、武道をしている人間の所作に懐かしさを覚える。そして、見つめられていると分かる刺さるような視線の強さを、左側に感じた。
「ウーロン茶がいいかい? ビールもあるけど」
おばちゃんが空のコップを持ってやってきた。僕から視線を逸らしてテーブルの真ん中に置かれている瓶たちを眺めてから「ありがとうございます。じゃあビールをいただきます」とコップを受け取った。
低く丁寧な話し方と、とても懐かしいような雰囲気に、どうしても顔が見たくなって男の方をちらりと見た。コップを受け取る腕の筋肉が盛り上がった。半袖から見える椀橈骨筋が異常に発達している。剣士特有の腕だ。現役の剣士ということか。思わず僕は自分の腕を握り、すっかり細くなってしまったことに自嘲した。
「あ、手酌は駄目だよ」
「すいません、ありがとうございます」
僕は男からビール瓶を取り上げると、コップにビールを注いでやった。そして自分の飲みかけのコップに注ぎ足すと、それを持って男のコップに軽く当てた。
「献杯」
「献杯」
男はその一杯をぐいっと飲み干した。
どこかで会っているはずなんだ。先生のお通夜に来るということは剣友会仲間であるはずだし、年も近い。となると同時期に道場に居た可能性は高い。
「あ、あの」
「ん?」
「俺を覚えていませんか」
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