アーザンハウス.バンド

稲葉真乎人

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《Freddie》での初演

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アーザンハウス.カルテットは、Freddieのステージに向けて、平日の夜も練習を重ねていた。
Freddieでの初ステージを控えた数日前、それぞれの仕事を終えて土蔵に集まったメンバーは、演目曲を集中して練習していた。
バンドのリーダー役は陽一が務めているが、音楽的なリーダーはドラムの雄作である。
雄作の父親は、芸大の母校の大学音楽教師で、現在は社会福祉士をしている雄作も、一時は音楽の道を考えたこともあった。
母親が大病を患ったとき、保険適用外治療の高額医療費が必要となった。その時の、病院の社会福祉士のひとの、親身な態度に感銘を受けた。雄作は父親の期待に沿わず、今の道に進んだ。その頃から、幼いころから習っていたピアノとバイオリンを止めた。
社会福祉士を目指した頃、ブラスバンド部の仲間と、檀野楽器店に行ったとは、試しに叩かせて貰ったドラムに嵌った。
今は、社会福祉士の仕事で溜まった、ストレスの解消にも役立っていると言っている。

ドラムを叩いていた雄作が演奏を止める。
「竹ちゃん、カウントの頭、ちょっとずつ、外れてへんか?」
隆司も続けて言う。
「アルコも何か、おかしいで?。慣れてない云うのとは違うなあ……。気ぃが乗ってへんのやないか?。そんなんやったら、弓、やらん方がええんと違うか?、三万円の弓も泣いてるで……」
登は無言で、ふたりの忠告を聴いている。
陽一が言った。
「竹ちゃん、何か考え事してるやろ?。それはあかんで。演奏してるときは集中せなあかんよ。竹ちゃんのベースは売りなんやから……」
「そうか……。やっぱり、みんなにはバレバレやなあ……」
隆司が訊く。
「退職のこと、何か揉めてんのか?」
「いや、そんなんやない……けど。ちょっと、分からんようになって来たんや……」
隆司がギターをスタンドに立てかけて、お茶の入ったポットの処へ移動する。
「ちょっと、休憩せえへんか?」
陽一もピアノから離れながら雄作に声をかける。
「そうやな、雄ちゃんも、こっちへ来いよ。竹ちゃんも……」
隆司が、みんなの湯飲み茶わんに番茶を注ぐ。
陽一が雄作に目で合図をしながら言った。
「話してやれよ?。僕も長野さんから聞いた……」
雄作が頷く。
「そうやな……。竹ちゃん、芽衣さんのことやろ?。隠さんでええよ。僕も陽ちゃんも、聞いて知ってるから。相談に乗れるんやったら乗るし、話してみたらどうや?」
「おい、何があったんや?。僕は聞いてないで……」
「隆ちゃん、僕らも細かいことは知らんのや。けど、明菜さんに聞いたのでは、竹ちゃんと芽衣さんが上手く行ってないみたいなんや……」
「そういうことか……。明菜さんは、どう言うてんの?」
「うん、芽衣さんとは幼友達やろ……。会って話していて、分ったらしい。彼女のお母さんが竹屋に嫁ぐことを危惧してはんね。そうやろ?」
登が答える前に、隆司が言う。
「お母さんの反対?……。何が理由か知らんけど、本人の気持が問題やろ?」
雄作が答える。
「本人も、お母さんに言われて、気が重くなってるらしい。明菜さんは、そう言うてた。
竹ちゃん、この処、芽衣さんと会うてないんやろ?」
黙って肯く登に陽一が訊く。
「なあ、竹ちゃんは、どう考えてんの?」
「だいたい決心は付いてる。最初、テンション上がってたやろ……。今の情況は、親父と美那子に、恰好が付かへんだけやねん」
「芽衣さんには、自分の気持を伝えたんか?」
「伝える前に、向こうに訊いたんや。そうしたら簡単や、ごめん、そけだけやった」
隆司が元気づいたように言う。
「そんなら、次を探したらええやん?。ごっつ深入りしてた訳やないんやし。何で考え込むんや?」
「みんなには言うわ。僕が会社を辞めるやろ。実はな、それを聞いて、告白してくれたひとが居るんや……」
雄作が驚いて、お茶を吐き出し掛けたのを我慢した。
「待てよ、ほんなら問題はないやん。竹ちゃん、持ててるやないか?」
「そら、僕も嬉しかったよ。でもな、どう説明して親父に言う?。昨日まで芽衣さんで、今度は違うひと、そんなん簡単に言えるか?」
雄作が問い詰める。
「竹ちゃん、もう、そのひとでいいのか?。変わり身早いなあ……。何処のひと?」
「会社の後輩や……。みんなも知ってるよ……」
陽一も驚いた表情で訊く。
「もしかして……、安本さんか?」
雄作が陽一を見て言った。
「陽ちゃん、安本さんは、瀬川さんと付き合うんじゃないのか?。あの日、一緒に帰ったやろ?」
「あれは、家が同じ茨木市だから、一緒に帰っただけだよ」
「そうか、てっきりカップル成立かと思ってた……。へえ、それで竹ちゃんは、安本さんに何て答えたん?」
「ああ……。彼女のお母さんの郷は、中京区の古い染工屋さんで、今は廃業しはったらしいけど……。彼女が入社した頃。お母さんに、京都の反物竹屋の息子が会社に居るって、話したらしい。さうしたら反物業界のことを知ってはって。腐っても老舗、みたいな感じで好感を持ってくれはったらしい。彼女は入社したときから、僕のことを意識していたって……。そんなんやから、断わる理由は無いやろ……」
雄作が怒ったように言う。
「そらそうやけど……。竹ちゃん、そんな気持はあかんで。芽衣さんをきっぱり切ったんやったら、竹ちゃんの方から自分の気持として、はっきり告白せな?」
「分かってるよ。親父と美那子の方を納得させんと、後々、彼女に責任が持てへんやろ…」
陽一が言う。
「竹ちゃん、ちゃんと説明したら、小父さんは納得しはるよ。京都の老舗には、それなりの垣根があるのは確かや。一般の勤め人の家では、付き合いきれへんもんがある。僕は竹ちゃんや隆ちゃんと、高校時代から付き合ってるけど。僕かて、そう思うから……」
隆司が言う。
「そうやな……、お母さんの郷が中京の染工屋さんなら、その辺は心得てはるから、返ってええんと違うか?」
「隆ちゃんは、そう思うか?」
「ああ。問題は芽衣さんとの破局を、小父さんと美那子ちゃんに、どう伝えるかやな……」
雄作が言う。
「竹ちゃん、ドロドロになって終わるんとは違うんや。しかも、ちゃんと、次が居るんやから、良かった思わなあかん……。なんやったら、僕と陽ちゃんが話しに行ったろか?」
「そうやなあ……、その手もあるなあ。親父は陽ちゃんのこと、気に入って信用してるからな」
「おい、僕は駄目なんか?」
「そんなことないよ、雄ちゃん処のお父さんは大学教授や。一目も二目も置いてるよ」
「よし、ほんなら陽ちゃん、明日にでも行ってやるか?」
「そうやな、竹ちゃんが良ければな……」
「頼めるか?」
陽一と雄作が同時に「任せとけよ」と答える。
隆司がホッとしたような顔で立ち上がる。
「よーし、本番は間近や。竹ちゃん、ふたりのテクでリードしてやろうぜ……。九時半や、あと三曲やって終わろうか……。
竹ちゃん、最後にソロを取ったら好きなようにやってみろよ……。僕もテクを駆使して飛ばすからな……」
登以外のメンバーは、登の問題は山を越えたと感じながら、楽器の前に移って行った。

Freddieのステージはアーザンハウス.カルテットの演奏の前に、市内の製薬メーカーのピアノ.トリオにアルト.サックスをフィーチャーしたカルテットが演奏をした。
この日は、プロの出演は予定されてなかった。
アルトサックスのカルテットが五曲。陽一達が六曲を演奏してライブが終わる。
客の中には、Lavaで顔見知りの男女もちらほらと姿を見せ、演奏が終わると近寄ってきて、再活動の喜びを伝えて帰る客も多かった。
ステージを下りて事務所に戻ると、沼沢が拍手をしながらメンバーを迎え。ひとりひとりに握手をして礼を言う。
メンバーは勧められて応接椅子に腰かける。
テーブルには飲み物の瓶とサンドイッチ、揚げ物の大皿が準備されていた。
暫く歓談をするが、酒は控える。
興奮気味のメンバーは、陽一が代表して、今夜はこれで帰りたいと、沼沢に伝える。
会場に来ていた明菜は、雄作と一緒に食事に行くと言い。隆司は坂崎美津子が自家用車で迎えに来るからと言って部屋を出て行く。
登は新しいウッドベースしてから、初めての移動で、心配だからとワゴン車で来ていた。
ウッドベースを積み込むと、お先にと言って運転席に滑り込む。
見送る陽一に向かって、登が照れくさそうに言った。
「この前は、ありがとうな。今度、彼女を、家に連れてくることになったから……」
「そうか、芽衣さんは連れて来て無かったんだろ?」
「ああ。美那子に、馬鹿じゃないって、言われて終わりだ。ありがとう」
「うん、今日の演奏、良かったよ。流石だな……。いい音が出てたぞ……」
「陽ちゃんも、やっぱり大きなピアノの方が断然いい。オスカー.ピーターソンなみのスピードで弾いてたな……。うちのバンド、行けてるよ。じゃあ、お疲れさん」
「運転、気を付けて帰れよ……」
「ああ、もうひとりの恋人やからな、優しく運んで帰る……」
「おお、グラマーなヤツだな……。その意気だ。じゃあな…」
陽一は、ワゴンを見送って、歩き出そうとしていた。
「おい、麻野くん……」
「はい。あー、沼沢さん。今日は、ありがとうございました」
「それは、さっき聞いたよ。ちょっと、いいか?。寒いな、入ってくれ……」
ドアの内に入ると、立ち止まって話し始める。
「会ったかい?」
「誰にですか?」
「石野さんだよ、お嬢さんと一緒に……」
「えっ!、来ておられたんですか?」
「そうか、今夜は珍しく満員だったからな……。うん、後ろの方に立っておられたけど、全曲は聴かずに帰られたみたいだ」
「そうですか。気が付きませんでした」
「ちょっと、立ち話をしたんだけど……。又、連絡をするからって言っておられた。勿論、きみ等のバンドのことなんだ」
「どう言うことですか?」
「そりぁ、Lavaに出て欲しいと云うことじゃないかな……。前も話したように、うちに拘る事はないから、きみ等が判断したらいいんだよ……。そう云うことだから、又、僕から電話するから……」
「そうですか、ありがとうございます」
「それから、良い演奏やったと言っておられた。石野さんに認められれば、京都では折り紙が付いたと言うことだな。きみ達らしくやったらいいんじゃないか?……」
「はい……」
陽一は、通にでると、自分独りで居るような錯覚を覚えながら、冷える夜道を気持よく歩いて帰った。
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