アーザンハウス.バンド

稲葉真乎人

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エピローグ

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タクシーの中で、陽一は暫く目を閉じていた。
優華とのわだかまりが解けた歓喜に、気持の高揚は抑えられずにいたが、次第に冷静さを取り戻すと、ふと気付いたことがあった。
クリスマスパーティーなのに、何故、メインディッシュが代わり映えのしないハンバーグだったのか……。あのシャンパンは……。
クラシック畑の宏之が《I DON`T NEED ANYTHING TITH CHRISTMAS 》を、どうしてジャズ.テイストで弾いたのか……。
宏之には婚約中の恋人が居ると聞いた。なのに、どうしてクリスマスイブを独りで実家に戻って過ごしていたのか……。
何故、以前は二つの椅子を並べて連弾をしていたのに、新品の連弾用のピアノ椅子に変わっていたのか……。
優華がエルガーの《愛の挨拶》を演奏途中に、宏之に勧められて優華の傍に行ったのに、何故、最初からスラブ舞曲の譜面を準備していたのか……。
石野繁樹は沼沢を通して、ピアノプレーヤーとしてパーティーに招待してくれた筈だった。
当然、パーティーには、多くの客が集まるものと思っていた。

陽一は、優華や父親の繁樹に対するわだかまりを胸に納めて、パーティーへ行くことを決めた。ひとりのピアノプレーヤーとして演奏に徹すればいい、そう思っていた……。
閉じていた目を開けると、タクシーは烏丸通から右折して、家の在る通りに入っていた。

タクシーを下りて、家の玄関前に着いたのは十時少し前だった。
鍵は自分で開けたが、戸を開けると、廊下に母の悠子が立って待ってくれていた。
「おかえり。あまり飲んでへんのやね……。町は賑やかやった?」
「いや、この頃はイブを家で過ごす人が多いらしいから、そんなに賑やかではなかった」
「ご飯は、ええの?」
「いいよ、食べて来たから」
「ケーキ、食べる?」
「こんな時間に?」
「お母さん、ひとりで食べようか思てたんや……。あんたは居てへんし、晩ごはんは適当に済ませたさかい……」
「お父さんは?」
「会議や言うてはったけど、遅いねえ……」
「景気が悪いから大変なんやな……。じゃあ付き合うよ。小さいのでいいよ」
陽一は二階には行かず、コートを椅子に掛けると、ダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。
「お祖母ちゃんは、ケーキ食べたの?」
「たくさん食べはったえ。甘いもん好きやから……。お茶?、紅茶?」
「牛乳がいいな……。冷たいままでいいよ」
「そうやね。お母さんも牛乳にするわ」
「お母さん、この前、壇野さんから聞いたけど、僕の結婚相手は僕が決めれば、それで賛成してくれるの?」
「そら、そうなるんと違うの……?。三十七にもなった息子に、親がいちいち口を出されへんでしょ……。お父さんも、そう言うてはったえ」
「ああ、じゃあ、いいよ」
「そんな話しがあるの?」
「うーん、もう少し待ってくれるかな……」
「もう、ずっと待たせてもろうてます……。待ちくたびれてますえ……」
「そんなに言わんでもええと思うけど……」
「そうやな……。あんなことがあったんやから、仕方無いかもしれへんな……。そやけど、もう随分前のことやと思うけど……」
「まあね…。済んだことや……。気分はちょっと害されたけど、もの凄い実害があった云う訳やないしね」
「あんたがそう思ってるんやったら、お父さんもお母さんも、それでええと思うてるえ……」

陽一は風呂を済ませて、エアコンで部屋を温めると、CDラックから一枚を取り出してデッキに入れる。
オムニバスCDの《AND SO THIS IS CHRISTMAS》の中から、ショーン.コルヴインの曲をREPEATで選択する。
椅子に座り、歌詞カードを開く。
《I DON`T NEED ANYTHING THIS CHRISTMAS 》の訳詩を見ながら歌に耳を傾ける。
訳詩の邦題は『あなたがいれば』となっている。
訳詩の行のフレーズに目を留める。
(略)~今年のクリスマスには何も要らない~。
(略)~今年のクリスマスには貴方がいるんだから~(略)。
更に。
(略)~わたしが願い望んだこと、全てが現実になった。わたしには貴方がいる~(略)。
宏之は、この詩の内容を知った上で、あえて原曲のソフトロック調ではなく、メッセージとして、陽一に馴染みのあるジャズで弾いたのだ。
ハンバーグは、以前、神戸牛を使った手作りハンバーグを昼食に出されたとき、陽一が凄く美味しいと喜び、その感想を梨江子に伝えたのと同じものだった。
石野家には、出されたシャンパンより、もっと高価なシャンパンが揃っているのを知っている。
全てが特別のようでありながら、さり気なく運ばれていた。
何よりも、石野繁樹本人が自分のプライドを捨て、愛すべき娘の優華と好感を持っていた陽一の為に綿密に計画を立てた、家族だけのパーティーだったのだ。
全ては、ふたりの為に……。
家族が心を砕いて準備をし、設定したパーティーは目論見通りの結果を得たことになる。
小波正子は、陽一次第だと言ったが、結局、陽一には何も出来なかったことになる。
そう……。妹の美奈の言った通り、何も出来なかったのだ。
そう思うと、自分には決断力も行動力も、情熱さえも持ち合わせていなかった……。
そんな風に思えて仕方がない……。陽一は自嘲するしかなかった……。
ショーン・コルヴィンが繰り返して歌う。
I don` want anything Christmas 
I don`t need anything at all
I didn`t want Christmas tree 
Or bows or fancy things
I got all I want so far 
Christmas time is here and here you are

~今年のクリスマスには貴方がいるんだから~。
本当は優華が言いたかったことなのだろう……。
婚約をしている宏之が、愛する妹の不憫を思い、ジャズ演奏と言う形で、陽一にメンセージを送ったのだ。
陽一は心から優華の家族に感謝せずにはいられなかった。

年が明けた頃だった。
頻繁に石野家に出入りするようになった陽一は、訪れると必ず一、二時間は飽きることなく、ベーゼンドルファーを弾いていた。

或る日、宏之は陽一に、真面目な表情で話した。
結婚したら、この家から出て、東山に借りたマンションで新婚生活に入るから、時々来て、両親の相手をして欲しいし、優華と仲良くして欲しい。あのピアノも陽一くんが好きみたいだ。そう言って陽一の肩を叩いてくれた。
陽一がベーゼンドルファーを弾いていると、繁樹がやって来てソファーにゆったりと腰掛けてコーヒーを飲む。
陽一は宏之に言われた通り、たまには演奏を止めて、石野と話す時間を作った。
「陽一くん、きみのピアノを聴くと、わたしは三年損をしたみたいだよ。君のピアノは気に入っているんだ……」
「ありがとうございます」
「沼沢くんの処が落ち着いたら、そろそろLavaにも出てくれないか?。うちの店には以前のアーザンハウスファンが多いからね……。Freddieに出ていると聞いたら、呼んでくれと矢の催促や……。Freddieに行って、聴いたらええやないかと言うと、向こうは若いひとが多くて、ゆっくり聴く雰囲気やないそうや。そう言われたらなあ……」
「沼沢さんからも、お互いに、お世話になったLavaやから出て上げてくれと言われてます。メンバーは毎週集まって練習してますけど、竹間くんと田神くんが仕事で忙しいので、落ち着いたら、ハウスでライブをやりたいと言ってますから、その時が来れば、また……」
「そう言えば、息子の新しい商売が軌道に乗りそうだと、田神くんも言うてたなぁ……。そうか、まあ、きみ等はプロやないから、無理は言えないけどな……」
「ぼく等も楽しいですから、出られるように都合をつけます……」
「実はね、店の客のことだけと違うんだよ。アマチュアのアーザンハウス.カルテットのステージとテクニックを見れば、プロ志望の若いブレーヤーの刺激にもなるからね……」
「若いプレーヤーが少ないんですか?」
「まあ、色々だね。それと、若いジャズファンが、ライブハウスでゆっくりジャズを味わうことが出来ないらしいんだ。わたしの知っているハウスも、年輩者ばかりでね。沼沢くんは頑張っている方かな……」
そんな会話は、優華か梨江子が部屋に入って来るまで続くようになっていた。

アーザンハウス.カルテットは、新しいレパートリーに取り組み、メンバーが生まれた頃のジャズに挑戦しようとしていた。
そんな折、アーザンハウス.カルテットと同じ、ピアノトリオにギターを加えたCDを雄作が持ち込んだ。これをやろうと、雄作がメンバーを説得したのが、デューク.エリントンのCD《DUKE`S BIG4》だった。
ピアノはデュー.エリントン。ギターがジョー.パス。ベースがレイ.ブラウン。ドラムがルイス.ベルソン。バンドの構成は確かに同じだった。
ダンノ楽器に頼んで譜面を集めて貰い、練習を始めたが、最初の《COTTONTAIL》を後回しにすることにした。
4分12秒の演奏が5分近くかかり、とてもスピードが付いて行けなかったからだ。
同じスピードでも、3曲目の《THE HAWK TALKS》は何とか行けた。
5曲目の《LOVE YOU MADLY》は、スローテンポの曲だが、隆司がジョー.パスに近い音出しをする。 
6曲目の《JUST SQUEEZE ME》は、登が調子よくベースで引っ張り、陽一も軽快にピアノを弾く。隆司は、どんどん調子に乗ってギターを鳴らす。
最後の《EVERYTHING BUT YOU》は、陽一が、意識してエリントンを真似る余裕があった。
《COTTONTAIL》を、なんとか人前で演奏できるようになったのは、ゴールデンウィークが明けた頃だった。
その頃までには、バンドメンバーにも陽一の友人達にも変化があった。
翌年の高校の春休み。
石野宏之は、大学時代の二年後輩の、女子大で音楽を教えている女性と結婚式を挙げた。
陽一と優華のふたりは、まだ婚約はしていなかったが、陽一は優華の婚約者として、その式に列席した。
竹間登は安本香織と婚約をした。
坂崎美津子は雑誌記者を辞めて、田神隆司の仕事を、コンピューターを導入して手伝うようになり、秋には結婚式を挙げる予定だ。
長野明菜は、ときどき土蔵に現れ、雄作の勧めで、アーザンハウス.カルテットのバックでジャズを歌い始めた。
流石にコーラス部の経験者で、英文科卒は発音も発声も、アマチュアにしては一枚上の感じだった。雄作との仲は順調だ。
栂崎加奈は、杉坂デンタルクリニック.ビルの上階に在る、杉坂元晴の自宅で同棲を始め、其処から通勤をしている。結婚の時期は、杉坂のタイミングを見てと話している。
小波正子は瀬川靖男と付き合い始めてから、優華にも陽一にも連絡をして来ていない。
明菜の情報だと、ふたりの仲は順調らしい。
磯谷鞠子は、この年の春先にも、麻野家の沈丁花が咲くと、澄枝から切り取ってもらって勤務先の診療室に飾った。
アーザンハウス.カルテットの、遅ればせの婚活食事会は功を奏した。
メンバーが土蔵に集まって練習を重ね、ライブハウスで演奏する機会は増えるのか、減って行くのか……?。
FreddieとLavaのオーナーだけが気に掛けている。 ―(了)―
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