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第一章
第38話 ゴルドの決意と対照的な夜
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「松明に火を灯し、ランプに魔石を装填せよ。これより我々は闇夜を駆け抜け、貴族街のベルトン子爵邸へ向かう。この行道にラクスジットの命運がかかっておる。各自の奮起を期待する」
ゴルド・フィン・ベルトンは、覚悟を帯びた声で自らの護衛団に指示を出す。
背後には、夜の帳に包まれた女神教の廃聖堂がひっそりと建つ――先程まで『イカイ・サクタロー』を名乗る異邦人に、ビールとカレーライスなる美食を振る舞われていた場所だ。
さらに驚くべきことに、地下には神の抜け道が存在し、遥か遠い異郷の館へと繋がっていた。
そして招かれたその場所は、人の世ならざる技術で作られたような品々で満ち溢れていた。
ラクスジットでも、魔石を燃料とするランプや携帯式のカマドなど、便利で革新的な魔法具が流通している。だが、サクタローの屋敷で目にした諸物は、知識人たる自負を持つゴルドの目をもってしても凡そ理解の及ばぬ境地にあった。
なんてことない小物ひとつとっても、信じがたいほどの整合性を誇っていた。どれもこれもが、未知なる機序によって成立していたのだ。
迷宮を擁するラクスジット、ひいては属するカルデリア王国は、同大陸でも先進的な技術を備えた強国として名高い。それでも、サクタローの祖国と比較すれば……進んでいるなど、もはや虚勢にすら聞こえない。
「ゴルド殿、そう難しく考える必要はあるまい。サクタロー殿は、あのままの大らかな御仁だ。私もついている。多少の問題であれば気にもとめないだろう」
張り詰めた表情で、次々と灯る松明を目で追うゴルド。そこへ、背後からサリアが声をかけてきた。サクタローに頼まれ、廃聖堂の外まで見送りに来たのだ。
「……無論、承知しておる。だが、あの屋敷に足を踏み入れた貴女ならば理解しているであろう。万に一つの事態もあってはならぬ」
振り返れば、灰色の奇妙な衣服を身にまとうサリアがそばに佇んでいた。
やはり見慣れぬな……と、真っ先に全身へ視線を走らせてしまう。しかし彼は、すぐに気を取り直して胸に宿る決意を口にした。
サクタロー殿は遥か遠き異国の王族、それも極めて高度な技術力を有した大国の――今宵の邂逅を経て、ゴルドと腹心の部下のケネトが得た共通の見解だ。
神の抜け道を通じて招かれたあの屋敷を目にすれば、誰であろうと同じ結論に至る。あれほどの奇品や珍品がところ狭しと並ぶ空間に住まう者が、只者であるはずもない。
何よりの証が、遠く離れた光景を自在に映すという『てれび』なる道具。サクタローは、それを直接手も触れず操ってみせた。
あの神の目のごとき薄い板は、国を統べる王族の権威を示すに十分だ。ただ、本人のおっとりとした性質を鑑みるに……おそらく、責任をさほど伴わない気楽な立場なのだろう。王位継承権を持たないか、あるいは傍系の一族か。
加えて、よほど大切に育てられたらしい。警戒心に乏しく、偶然出会った孤児の童女たちの面倒を見るほど慈愛に満ちている。
本人は最後まで否定していたが、それはお忍びで視察をするようなものに相違ない。ゴルド自身も貴族家の出身だからこそ、実例を多く知っていた。
館の内部が手狭だった点だけは矛盾するが、私室の一部だと思えば辻褄も合う。
なんにせよ、尊い身分であることに疑いの余地はない。では仮に、そのような人物をラクスジットの者が害したとなれば……間違いなく、国を巻き込む争いの火種になる。
極端な回避策としては、『神の抜け道がある地下通路を埋め立てる』などの手段もなくはないが……流石に気は進まない。
だから、ゴルドは腹を括った――ラクスジットに来るな、などとは口が裂けても言いたくない。ましてあの人の良さそうな御仁を放ってはおけない。であれば、自らが世話役を引き受け、身を挺してでも騒動を未然に防ぐのみ。
要するに、お忍びで来訪した異国の重鎮をもてなすような心構えで臨めばいい。
もっとも、本人が善良なのでさほど苦労することもないだろう。
何より、あちらの国の品々が放つ並外れた魅力には抗いがたい。つい先ほど堪能した、ビールの喉越しやカレーライスの刺激的な味わいは忘れがたく、思い返すだけで喉が鳴るほどだ。
それゆえゴルドは、夜分にもかかわらず貴族街のベルトン子爵邸へ向かう決断を下した。
何はさておき、廃聖堂の所有権を確保することが最重要である。そのために子爵である兄を動かし、一向に手続きを進めぬ怠慢な役人の尻を引っ叩くつもりなのだ。
以後は、護衛を増やすよう積極的に提案する。もちろんサクタローの『平穏な生活を望む』という意向を優先し、神の抜け道や王族などの情報は秘匿する。いずれ明かすとしても、時と人を慎重に選ばなければ。
ともあれ、引き続き交流を深めて信頼関係を築きたい。可能であれば、末永い付き合いを期待したいものだ――最後の松明が灯るのを見つめながら、ゴルドは理想的な未来を心に描いた。
すると、ちょうどそのとき。
腹心の部下のケネトが歩み寄ってきて、出立の準備が整ったことを告げる。
「では、参ろう。サリアよ、サクタロー殿をしかと守り抜くのだぞ。それと、出歩く際は必ずこちらに報せを入れてからにせよ。ジグナール魔法具工房の代行の件もある。近日中に私が自ら再訪するゆえ、対応を頼む」
そう言い残し、ゴルドは颯爽と馬車に乗り込む。
かくてお人好しの商人一行は、闇夜のラクスジットをひた走る――ただの勘違いから昇華した、揺るぎない使命感を胸に抱きながら。
一方、その頃。
渦中のサクタローはといえば、獣耳幼女たちにせがまれて一緒に塗り絵を楽しんでいた。
緊迫した時を過ごす者もいれば、のほほんと過ごす者もいる。それぞれの夜は、実に対照的に更けていく。
ゴルド・フィン・ベルトンは、覚悟を帯びた声で自らの護衛団に指示を出す。
背後には、夜の帳に包まれた女神教の廃聖堂がひっそりと建つ――先程まで『イカイ・サクタロー』を名乗る異邦人に、ビールとカレーライスなる美食を振る舞われていた場所だ。
さらに驚くべきことに、地下には神の抜け道が存在し、遥か遠い異郷の館へと繋がっていた。
そして招かれたその場所は、人の世ならざる技術で作られたような品々で満ち溢れていた。
ラクスジットでも、魔石を燃料とするランプや携帯式のカマドなど、便利で革新的な魔法具が流通している。だが、サクタローの屋敷で目にした諸物は、知識人たる自負を持つゴルドの目をもってしても凡そ理解の及ばぬ境地にあった。
なんてことない小物ひとつとっても、信じがたいほどの整合性を誇っていた。どれもこれもが、未知なる機序によって成立していたのだ。
迷宮を擁するラクスジット、ひいては属するカルデリア王国は、同大陸でも先進的な技術を備えた強国として名高い。それでも、サクタローの祖国と比較すれば……進んでいるなど、もはや虚勢にすら聞こえない。
「ゴルド殿、そう難しく考える必要はあるまい。サクタロー殿は、あのままの大らかな御仁だ。私もついている。多少の問題であれば気にもとめないだろう」
張り詰めた表情で、次々と灯る松明を目で追うゴルド。そこへ、背後からサリアが声をかけてきた。サクタローに頼まれ、廃聖堂の外まで見送りに来たのだ。
「……無論、承知しておる。だが、あの屋敷に足を踏み入れた貴女ならば理解しているであろう。万に一つの事態もあってはならぬ」
振り返れば、灰色の奇妙な衣服を身にまとうサリアがそばに佇んでいた。
やはり見慣れぬな……と、真っ先に全身へ視線を走らせてしまう。しかし彼は、すぐに気を取り直して胸に宿る決意を口にした。
サクタロー殿は遥か遠き異国の王族、それも極めて高度な技術力を有した大国の――今宵の邂逅を経て、ゴルドと腹心の部下のケネトが得た共通の見解だ。
神の抜け道を通じて招かれたあの屋敷を目にすれば、誰であろうと同じ結論に至る。あれほどの奇品や珍品がところ狭しと並ぶ空間に住まう者が、只者であるはずもない。
何よりの証が、遠く離れた光景を自在に映すという『てれび』なる道具。サクタローは、それを直接手も触れず操ってみせた。
あの神の目のごとき薄い板は、国を統べる王族の権威を示すに十分だ。ただ、本人のおっとりとした性質を鑑みるに……おそらく、責任をさほど伴わない気楽な立場なのだろう。王位継承権を持たないか、あるいは傍系の一族か。
加えて、よほど大切に育てられたらしい。警戒心に乏しく、偶然出会った孤児の童女たちの面倒を見るほど慈愛に満ちている。
本人は最後まで否定していたが、それはお忍びで視察をするようなものに相違ない。ゴルド自身も貴族家の出身だからこそ、実例を多く知っていた。
館の内部が手狭だった点だけは矛盾するが、私室の一部だと思えば辻褄も合う。
なんにせよ、尊い身分であることに疑いの余地はない。では仮に、そのような人物をラクスジットの者が害したとなれば……間違いなく、国を巻き込む争いの火種になる。
極端な回避策としては、『神の抜け道がある地下通路を埋め立てる』などの手段もなくはないが……流石に気は進まない。
だから、ゴルドは腹を括った――ラクスジットに来るな、などとは口が裂けても言いたくない。ましてあの人の良さそうな御仁を放ってはおけない。であれば、自らが世話役を引き受け、身を挺してでも騒動を未然に防ぐのみ。
要するに、お忍びで来訪した異国の重鎮をもてなすような心構えで臨めばいい。
もっとも、本人が善良なのでさほど苦労することもないだろう。
何より、あちらの国の品々が放つ並外れた魅力には抗いがたい。つい先ほど堪能した、ビールの喉越しやカレーライスの刺激的な味わいは忘れがたく、思い返すだけで喉が鳴るほどだ。
それゆえゴルドは、夜分にもかかわらず貴族街のベルトン子爵邸へ向かう決断を下した。
何はさておき、廃聖堂の所有権を確保することが最重要である。そのために子爵である兄を動かし、一向に手続きを進めぬ怠慢な役人の尻を引っ叩くつもりなのだ。
以後は、護衛を増やすよう積極的に提案する。もちろんサクタローの『平穏な生活を望む』という意向を優先し、神の抜け道や王族などの情報は秘匿する。いずれ明かすとしても、時と人を慎重に選ばなければ。
ともあれ、引き続き交流を深めて信頼関係を築きたい。可能であれば、末永い付き合いを期待したいものだ――最後の松明が灯るのを見つめながら、ゴルドは理想的な未来を心に描いた。
すると、ちょうどそのとき。
腹心の部下のケネトが歩み寄ってきて、出立の準備が整ったことを告げる。
「では、参ろう。サリアよ、サクタロー殿をしかと守り抜くのだぞ。それと、出歩く際は必ずこちらに報せを入れてからにせよ。ジグナール魔法具工房の代行の件もある。近日中に私が自ら再訪するゆえ、対応を頼む」
そう言い残し、ゴルドは颯爽と馬車に乗り込む。
かくてお人好しの商人一行は、闇夜のラクスジットをひた走る――ただの勘違いから昇華した、揺るぎない使命感を胸に抱きながら。
一方、その頃。
渦中のサクタローはといえば、獣耳幼女たちにせがまれて一緒に塗り絵を楽しんでいた。
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