俺だけのひだまり飯~転職先は、ワケあり魔物たちのまかない処でした~

みぃた

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第五話 無口なリザードマンと川魚の塩焼き

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『陽だまり亭』の朝は早い。湊は太陽が森の稜線を照らし始める頃に目を覚まし、厨房に立つのが日課となっていた。かまどに火を入れ、昨日汲んできた湧き水でパン生地をこねる。この世界の小麦は風味が強く、噛むほどに味わいが広がる。湊はすっかりこの手作りパンの虜になっていた。

パンを焼く香ばしい匂いが店内に満ちる頃、常連たちが一人、また一人とやってくる。先日現れたスライムはカウンターの隅がお気に入りの場所になったようだ。湊が厨房で動くたび、ぷるぷると体を揺らして見つめている。あの傷だらけだったゴブリンもすっかり元気になり、今では毎日のように顔を見せた。彼は店の掃除を手伝ってくれるようになり、言葉は通じずとも湊の小さな相棒となっていた。ゴブリンは、湊の作る素朴な野菜スープが何よりのお気に入りだった。

その日、湊は食材の調達のために食堂近くの川に来ていた。森の恵みも豊かだが、魚も重要なタンパク源だ。ハナさん曰く、この川には油の乗った美味しい魚がいるらしい。手製の釣竿を川に垂らし、のんびりと魚がかかるのを待つ。川のせせらぎと鳥の声だけが聞こえる穏やかな時間。日本で営業車を走らせていた頃には考えられなかった、贅沢なひとときだった。

しばらくすると、竿がぐぐっと大きくしなった。
「来た!」
慌ててリールを巻くと、水面を割って銀色に輝く立派な魚が現れた。体長は三十センチほどあり、ずっしりとした重みが腕に伝わる。暴れる魚をなんとか岸に引き上げ、針を外した。これなら立派な一品になりそうだ。

満足して店に戻ろうとした、その時だった。川岸の岩陰から、するり、と一つの影が現れる。湊は思わず息をのんだ。直立したトカゲのような姿をした魔物。全身を硬質な緑色の鱗が覆い、鋭い爪と長い尻尾を持つ。リザードマンだ。その琥珀色の瞳は感情が読めず、ただじっと湊と、湊が釣り上げた魚を見つめている。

ゴブリンやスライムとは違う。リザードマンからは明らかに強者の気配がした。下手に動けば襲われるかもしれない。湊の額にじわりと冷や汗が浮かぶ。両者の間に、緊張した空気が流れた。

しかし、リザードマンは動こうとしない。ただ、その視線は魚に釘付けになっている。もしかして、この魚が欲しいのだろうか。横取りするつもりなら、とっくに襲いかかってきているはずだ。だが彼はそうしない。ただ静かにそこに佇んでいる。その姿に、湊はなぜか飢えよりも深い孤独の色を感じ取った。

湊は意を決して、リザードマンに向かってゆっくりと話しかけた。
「……この魚、食べるかい?」
もちろん返事はない。リザードマンは微動だにしない。だが、湊には彼の瞳の奥がほんの少し揺らいだように見えた。

湊は釣り上げた魚を手に店へと戻ることにした。リザードマンは一定の距離を保ちながら、黙って湊の後をついてくる。店に着くとハナさんはリザードマンの姿を見ても、やはり驚かなかった。
「おや、珍しいお客さんだね。あの子らは滅多に姿を見せないんだが」

湊は早速、厨房で魚の調理に取り掛かった。新鮮な魚は余計な手を加えず、素材の味を活かすのが一番だ。湊はシンプルに塩焼きにすることにした。まずは魚の鱗を丁寧に取り、腹わたを出す。冷たい水で血合いを綺麗に洗い流し、水気を拭き取った。次に魚の両面に飾り包丁を入れ、火が通りやすいようにする。そして少し高い位置からパラパラと岩塩を振りかけた。このひと手間で塩が均一に行き渡り、焼き上がりが格段に美味しくなるのだ。

串を打ち、かまどの熾火でじっくりと焼いていく。ぱちぱちと魚の脂が火に落ちて弾ける音がした。香ばしい匂いが立ち上り、店内に広がる。皮はパリッと、身はふっくらと。最高の焼き加減を見極め、魚を串から外して皿に乗せる。付け合わせには森で採れた酸味のある赤い果実を添えた。これが醤油のないこの世界での、大根おろしの代わりだ。

カウンター席の端にリザードマンは静かに座っていた。その前に、焼きたての魚を置く。湯気の向こうで、リザードマンの琥珀色の瞳が皿の上の魚を捉えた。彼はしばらくの間ただじっと魚を見つめていたが、やがてその鋭い爪のついた手で、ゆっくりと魚の身をほぐし始めた。そして、ほぐした身を一口、口へと運ぶ。

もぐ、もぐ。
リザードマンは何も言わない。表情も変わらない。ただ黙々と魚を食べ進めていく。しかしその食べる姿はとても丁寧で、どこか神聖な儀式のようにも見えた。皮も骨も頭も、何一つ残さず綺麗に食べ終えると、彼はふっと息をついた。

そして静かに立ち上がると、カウンターの上にキラリと光るものを一つ置いた。それは彼自身のものだろうか。抜け落ちた美しい緑色の鱗だった。それが彼なりの食事代であり、感謝の印であることは湊にもすぐに分かった。リザードマンは湊に一瞥をくれると、また音もなく店から去っていった。

嵐のような静けさだった。けれどカウンターに残された一枚の鱗は、確かに彼がここにいた証。湊はその美しい鱗をそっと拾い上げた。また一人、言葉のいらない客が『陽だまり亭』の味を覚えてくれた。その事実が、湊の心を温かく満たしていくのだった。
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