Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第1章

024

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 エイレンの後を追って入った廃病院の内装は、クロノの予想を全く裏切らないものだった。
 長らく放置されていたのだろう、傷んだと言うよりも朽ちたと表現した方がしっくりくるような状況。一体、何年以上放置されていたのだろうか。幸い、人の気配はなかった。

 ズンズンと進むエイレンは、真っ直ぐ奥の廊下へと向かう。クロノを気遣っているのだろうか、心なしかその速度は遅い。
 その赤髪に続いたクロノが足元の木屑を踏み潰した時だった。


「はっくしょん、っくしゅ!」


 廃病院に響く二人分の足音を掻き消すかのように、クロノは盛大なくしゃみをした。しかも二回も。そのせいで折れた骨が痛んだのは内緒だ。


「風邪でも引いたのか?」


 心配そうなエイレンの瞳が振り返った。
 むしろ、砂漠にいたのだから風邪よりも熱なんじゃないか、とクロノは内心答える。彼は、返答する気力すら湧かなかった。
 返事のしないクロノに向けて、エイレンは二カッと笑う。


「案外、キュートな乙女がお前の噂でもしてるのかもな!」


 もはやクロノは、エイレンの話など聞いてはいなかった。

 帰ったらまずシャワーを浴びたいと、砂が残る髪や服に触りながら思う。
 まさか生きている間に、砂の中に埋まる機会があるなんて想像もしていなかった。そのせいで折れた骨のことは考えないようにして、ジャケットの砂を叩いていた彼の手が、ガサリと服の上から何かに触れる。

 先程渡された手紙だ。
 あの時会ったのはあの女性だが、渡すよう言ったのは幼馴染みだろう。何を思って寄越してきたのか知らないが、それなりのことが書いてあると期待しても良いのだろうか。買い物メモだったらどうすれば良いんだろ、と内心冗談を零す。さすがにそれはないと思いたい。

 真っ直ぐ伸びた廊下には均等に扉が並んでおり、どうやらここは病室のようだ。
 締め切られたドアの向こうから人が飛び出してこない保証はない。

 若干の警戒心を抱きながらクロノは改めて、意気揚々と彼女百人計画を語っている青年に視線を向ける。
 あの時、もしエイレンやナツメが来てくれなかったらどうなっていたことか。
 その点では、口には出さないが感謝はしていた。だがそれでも、疑問は浮かぶ。
 エンレンがあの町にいた理由がわからないのだ。

 ナツメは大体の想像がつく。
 本人は散歩だと言っていたが、グラールの方で極秘かつ重要な仕事を受けたのだろう。彼女は極秘の仕事を受けるといつも散歩や買い物だとはぐらかしている。もしかしたら、〝音の紋章術師〟と関係があるのかもしれない。あの路地で金髪の女性と会った事実がある以上、その信憑性は高いと予想される。

 だが、エンレンは推測すら出来ないのだ。
 彼から連絡が来てから合流するまでの時間を考えると、もしかしたらあの街にいたのかもしれない。電話越しに人魚姫と言っていたが、一体何をしていたのだろうか。さっきも考えた気がするけれど。

 不意に、エイレンの歩みが止まった。
 廊下の突き当たりに差しかかったようだ。青年はおもむろに、右側奥から二番目の部屋のドアノブに手を伸ばす。


「開けてくれ」


 静かな院内にエイレンの声が響いたかと思えば、開けてくれと言った本人が豪快にドアノブを回した。
 何がしたいんだろうと、クロノは白い目を向ける。
 だが、開かれたドアの先に広がるのは、ベッドとサイドテーブルがあるだけの狭い病室ではなく、厳粛な趣のある木製の扉だった。


 ――そういうことか。


 こんな心霊スポットの一画である場所に結社への道があるなんて、すぐに他人に気付かれるのではないかと、不審に思っていたクロノだったが。何てことはない。要するに結社の人間しか本部へ行けない仕組みになっているのだ。洋館内でクロノが見た、ビビアンでも開錠出来る不可思議な紋章術と同じような原理らしい。

 二人はドアをくぐり、その先の空間へと進む。
 後ろでドアの閉まる音がして振り返ると、裏口のような質素な木製ドアがいくつか並んでいるのが目に飛び込んできた。それぞれ、ドアプレートが下がっており、どこに繋がっているか書いてある。そんなに広くも狭くもない空間。この部屋と裏口ドアが、カリバーンがどこへでもパッと行ける仕組みのようだ。これも、自宅警備員の紋章術なのだろうか。
 どこまでもサスペンスフルな気分を味わえる結社だ。

 と、エイレンがさわやかな笑みを浮かべて振り返った。


「着いたぞ、クロノ!」


 その笑顔を見たクロノは、自然と表情を引き攣らせていた。
 もちろん、エイレンがそれを気にしなかったのだが。


「それじゃあオレは赤頭巾を医務室に運ぶから、お前は彼女を頼む」

 ――この人、俺も怪我人だってこと忘れてないか。


 エイレンが押し付けるように渡してくるミントを背負いながら、クロノは思う。未だに意識を失っているので人間一人分の重さがフルでのしかかる。
 そろそろ麻痺していた感覚が戻ってきたおかげで、体中があまりの痛みに尋常じゃない悲鳴を上げていた。やっぱり応急処置だけでもしておけばよかったと後悔しながら、体が上げる悲鳴を無視し続ける。とは言え、そろそろ無視するのも限界に近いのだけど。


「ひとつ聞いて良いか?」


 それは問いかけと言うよりも詰問に近いだろう。
 悠長に無駄話を聞いていられる程の余裕が、今のクロノにはなかった。だから、エイレンが何か言うよりも先に言葉を切り出す。


「お前、何であそこにいたんだ?」


 ぱちくりとまばたきをするエイレン。
 ややあって、彼は普段通りの豪快な笑みで答える。


「クロノ、おまえ、オレの話をちゃんと聞いてなかったな」
「は?」
「合流地点とオレの仕事を確認してみろ」


 まさかの、考えもしなかった答えだ。
 クロノはミントを落とさないようにしながらケータイを取り出す。
 配布されたケータイには、誰が今何をしているのか、また仕事に必要な地点の情報などがリアルタイムでわかるような機能があると、簡単な説明を聞いていた。

 クロノが確認したのは自分たちのターゲットのいる場所だけ。合流地点は全部終わってからで良いと判断したのだが、それが裏目に出たようだった。
 示された合流地点は、赤頭巾の居場所と一致していた。

 そして次に確認するのはエイレンの仕事。
 エンレンに与えられた仕事は『灰被姫』の保護。
 恐らく彼女も勧誘候補なのだろうか。可哀想な少女が王子様と結婚する玉の輿サクセスストーリーの主人公が、まさか残党になるなんて考えもしなかっただろう。

 ついでに、人魚姫の居場所も調べる。
 今は行方不明と出ているが最後に確認された居場所は、赤頭巾と一致している。つまり、あの街に赤頭巾や音の紋章術師たちだけではなく、人魚姫もいたと言うことになる。


「オレがガラスの靴がぴったり合う灰被姫を探していたら底意地の悪い王妃に、脱げたってことはぴったり合ったらダメなんじゃないかと言われたんだ。そしたら、魔女に声と引き換えに人間になるための薬をもらっていた人魚姫に会い、彼女を追いかけていたらここに辿り着いたってわけだ」


 意味不明なんだけど、と言いかけた言葉を飲み込む。クロノとしては、これ以上無駄な問答をするつもりはなかった。実際問題、するだけの体力がないのだけれど。
 要するに「灰被姫を探していたら邪魔者に会い、その後人魚姫と遭遇し、追っていたら合流地点にいた」のだろう。主観による噛み砕き解釈だが、それ以外の考えは浮かばない。

 クロノはケータイをポケットにしまう。
 話はこれで終わりだろうと、彼は少女を背負ったままエイレンの横をすぎると、木製のドアへ片手を伸ばす。
 開けようと、ドアノブを掴んだ時だった。


「これはまだ誰にも言ってないんだが、お前には一応、先に伝えておく」


 エイレンの一言に少年の手が止まる。
 振り返った彼は、有り得ないものを見るような目をしていた。ダークレッドの瞳が、燃えるような赤毛へと向けられる。一体、何を考えているのか。ミントと言いエイレンと言い、どうして何の疑いも根拠もなくクロノを信じられるのか、当の本人が理解出来なかった。


「人魚姫に魔法の薬を与えた魔女は、人魚姫の姉……いや、どちらかと言えば、二人はヘンゼルとグレーテル、と言った方が正しいのかもしれんぞ」


 つまり「人魚姫には連れがいて引き込むには二人と戦わなければいけない」と言うことなのだろうか。クロノとミントの二人だけで複数の使い手を相手にするのは、さすがに荷が重いのではないかと本気で思う。状況が特殊だったとは言え赤頭巾一人でもこの状態なのだ。


 ――考えても仕方ない、か。


 机上の空論は、どこまで行っても想像の域を出ない。
 本格的に朦朧としてきた頭では大した想像も出来ないだろうと、クロノは早々に考えるのを止めた。どう足掻いたって戦う時は戦わなくてはいけないのだ。今考えて悩みの種を増やすこともないだろう。

 クロノはふいとエイレンから視線を外すと、ドアノブを回す。
 ゆっくりと開かれたドアの向こうに広がるのは見慣れた廊下。


「じゃあ、部屋に戻るから」
「おう! 彼女のこと、頼むぞ」


 もはや、エイレンの声など聞いていない。
 クロノは割り当てられたばっかりの部屋へと向かう。
 無理矢理頼んでビビアンから本部の見取り図を受け取っていたおかげで、道に迷うことはない。唯一、ミントの部屋が自分の部屋の隣だと言うことだけが救いだった。

 戦闘訓練させてみようかな。などと本人が聞いたら青ざめて倒れてそうなことをぼんやりと考えているうちにミントの部屋の前に到着した。
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