ハンガク!

化野 雫

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第十四話

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 常に沈着冷静で『平成の諸葛孔明』と言われている(自称)の僕でも、さすがにこの言葉には狼狽し、そう叫んでいた。しかし、僕の言葉はここでは『鬼畜野郎の良い訳』としてむなしく響いただけだった。僕は板額のこの言葉で、周りの目が一変した事を感じた。それは文字通り僕を刺し殺さんばかりの敵意と蔑みに満ちた鋭い視線だった。

『この男の本性は鬼畜野郎で、この可愛らしい転校生は、
 この鬼畜男に他人に言えないような恥ずかしい事を無理やりされ、
 それをネタに脅されてもうこの男から逃げられない様にされている』

 彼らはほぼ間違いなく板額のこの言葉をこの様に理解している。僕は彼らの視線から即座にこう判断した。

「与一……あなた、最低な男ね……」

 実際、隣に座っていた緑川はまるで生ごみを見る様な眼で僕を見ながら、抑揚のない低く小さな声でぼそりとそう呟いた。

 ああっ、緑川みたいなクールビューティーにこんな目でこう言われるとなんか股間がぞくぞくしてくるぞ。

 その時は僕は、少しだけ、そうほんの少しだけそう思ってしまった。僕はそう言う特殊な性癖はない。うん、たぶん、ない……と思う。そう思いながら僕は、板額にもこんな風に言われたら、なんて想像してしまった事は絶対に板額には内緒だ。 


 そして、僕はこの場でどんな言い訳をしようとも、これはもはや火にガソリンぶちまける様な物だと悟った。

 こういう時は……『三十六計逃げるに如かず』だ。

 僕は何故か目の前に居た板額の手を取ると駆け出していた。そして一目散にその特別教室を後にした。

 後で考えれば逃げるなら一人で逃げた方が良かった気がする。板額が残れば、一番の当事者である板額が緑川たちの誤解を解いてくれていた可能性だって高いかったのだ。でも、僕は板額をこの場から一緒に連れ出して逃げる事を選んだのだ。

 この事は、緑川たちの誤解を解くには少し時間が掛る事になったが、板額にはそれがすごく嬉しかった様だ。僕と板額の距離はこの時から一気に縮まった。僕と板額は離れるに離れられない共犯関係みたいになってしまったのだ。まあ、公衆の面前でキスしたんだから距離が縮まるのは当然と言えば当然なんだが。


 教室まで僕と板額が戻って来ると、そこにはすでに告白会場から戻って来た生徒が少なからず居た。手と手を繋いで駆け込んで来たのが今まさに渦中の人である僕と板額である事に気がついて彼らは一斉に僕らに注目した。そして、僕らに駆け寄って来た。

「おいおい、今話題のお二人さんがいきなりお熱い事で」

「ねぇ、ねぇ、烏丸さん、あれ本気なの?」

「望月先輩をふってこんなボッチの平泉選ぶなんて、
 いったいこいつのどこが良いの?」

 幸い、ここ居る連中は、まだあの特別教室で起こった一連の事件を知らない。特別教室に居た連中がここに合流したら、収拾が付かなくなるのは火を見るより明らかだった。

「急げ、板額! この場は一旦逃げるぞ!」

 僕はまだ手を繋いだままだった板額を振り返りそう叫んだ。そして一度、板額の手を離し、自分の席に走り込むと帰り支度を済ませて机の上に置いてあった鞄を手に取る再び走り出した。ちらりと板額の方を見ると同じ様に板額もすでに帰り支度は済ませてあった様で同じ様に鞄を手に取り僕の後を追って来ていた。その板額は僕より落ち着いていて、しかも何だか嬉しそうな顔をしていた様な気がした。ただ、その時はその場から逃げるに夢中ではっきり板額の表情を確認する事など僕には出来なかった。

 この時、僕は板額が何故か当然、僕についてくると疑っていなかった。しかし、思い返せば、板額が僕について来る保証など何もなかったのだ。あの板額なら、ここに残って冷静に事態の収拾を計ろうとする可能性だって高かったのだ。

 教室を出る前に追いついた板額の手を再び僕は握った。そして、周りにわらわらと集まって来るクラスメイト達をかき分ける様に僕らは教室を出た。その時、廊下をこちらに向かって帰って来る緑川たちの一団がちらりと見えた。間一髪、最悪のケースは免れた様だ。
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