カント・ドッグ・ハント

アシッドハウサーE

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3,6-ジオールジアセテートホリック

2 カルトオブパーソナリティ

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    そもそも、俺はこんなにも嫌なヤツではなかったし、もっと社交的な血筋同士のアウトブリードのはずだ。親父の富士元翔は、知っての通り市議会議員だし、母・富士元美咲も俺が17の時に病気で倒れるまでは、美容部員として働いていた。
 どちらも、相手のいるコミュニケーション能力を要する職業だ。
 ただ、よくよく考えて見ると、親父も母も表面上のコミュニケーション、小手先で人を転がすのが、上手なだけかもしれない。
 元来、人間とは自分だけが情報発信したい生物なのである。両親はそれを非常に心得ていたので、人と話すのが上手に見えた。
 彼らは自ら言葉を発しないし、人との深い付き合いは苦手だったのだと考察している。
 根拠に、母が入院して以来、うまくやっているとのことだった仕事仲間は一人としてお見舞いに現れなかった。親父に至っては、名持ちの爺さんばかり相手にして、旧来の友と呼べる人は1人もいなさそうだ。
 そんな両親に生まれた俺が、引きこもりとして映えある実績を上げるのは、必然的なものだったのかもしれない。ただ、引きこもりを引き起こすスイッチを押したのは、間違いなく親父だろう。
 市議会議員という自分の頭の高さと社会的地位を交換するだけの糞の肥溜めみたいな仕事の為に、俺の決して押してはならないスイッチを押した。
 その結果が、これである。しかし、俺はビクビクと身を震わせ、一番簡単な方法で抗ってしまった。
 18のケンタッキーに出荷される白色レグホンのような臆病風を吹かした俺を、有刺鉄線バットで殴ってやりたい。
 今から7年前、高校生だった俺は受験のため、学校と塾を往復していた。
 常に応援してくれるのは、母だった。親父の方はというと、自分の食い扶持の為に、俺に旧七帝大学へ合格させる圧力ばかりかけてきた。
 俺は、趣味の油絵が高じ藝大を希望したのだが、地元のしかも旧帝大の法学部しか許さないと、父親のエゴに押されて仕方なく要求を飲んだ。結果として、名古屋大学の法学部を受験することとなった。
 元々油絵だって、親父の印象の為に始めさせられたというのに随分と、我儘なものだ。
 それでも、従ったのは、親父の背中にリスペクトを持っていたからだ。今思うと、親父のことをイエスか、ブッダかとでも思っていたのかと思うほどである。
 よくよく考えれば、その辺の只の市議会議員がうるさく鳴いてるだけだとわかるのだが、当時は洗脳状態に近かったのでろう。
 手法はこうだ。従わなければ、理不尽でも怒りをぶつける。暴力だって、脅迫だってアリだ。但し、ある日なんでもないところでちょっとした優しさを見せる。うんと甘ったるい優しさであれば何でも良い。その優しさに本心などないのだ。それを数セット繰り返すと、従順な身内の出来上がりだ。
 もっと完結にしよう。要はドメスティック・バイオレンスの応用だ。
 そうして俺は、富士元翔太の息子の貢から市議会議員の従順な着せ替え人形ミツグへと成り果てた。
 敢えて、世俗的な言い方をするが。、あの時口でしろと言われれば口淫していたし手でしろと言われれば手淫しただろう。そのくらいまで、脳のプログラムを書き換えられていた。
 親父の行為は、母にも同じでこちらについては完全なDVだったのだと思う。どちらにせよ、俺と母の2人は、親父に家畜のように生かされることとなっていた。
 元々藝大の油絵選考目指していたのもあって、受験勉強は、苦悩と困難を極めることとなった。
 困難とは、勉強のバックボーンが皆無の俺が、一流大学を目指すに当たってぶち当たったものだ。勉強そのものが困難であった。
 対し苦悩は、俺のお粗末な受験勉強に対する親父の圧力のことだ。
 俺が無理矢理入れさせられた塾では、一ヶ月に一回センター模試があった。藝大を狙い、勉強机ではなくキャンバスの前ばかりに座っていた為、最初のうちはE判定を叩き出した。
 初めから、A判定を取得するなど、童貞がいきなりコールガールを娶るより無理なことだった。
 そんなこと、親父だって分かってるはずだった。多分俺のことを、汎用性の高いサヴァン症候群とでも思っていたのだろう。
 模試の点数が低いのは、努力不足で片付け、溢れ出す憎悪とほんの少しの偽りの愛情を拳に乗せて振り下ろした。何度も。
 一度鈍い衝撃を加えられた後は、直ぐ亀の体制をとる。いわゆる頭を抱えて体を丸める降伏のポーズだ。それでも、暴力の嵐は止まらない。
 俺への暴力が止まるのは、いがつも決まって数秒後のことである。親父の拳の矛先は、至らない息子から、従順な母へと向かっていた。母への暴力がいつ終わりを告げているのかは俺も知らない。
 そんなやりとりを繰り返すたび、俺は母を殴る父親に這いずり、しがみつこうと何度も考えた。しかし、親父がこちらを見る目が、銃口を口の中に突っ込まれた圧力で俺の本能に呼びかけた。
 人は銃口を突きつけられると豹変するらしい。どんな傾奇者でも頭のメモリが不足し、動作が停止するものだ。目の前の瞬間的に莫大な情報には太刀打ちできない。
 俺も、例にならって動けないみたいだ。しかも、親父の視線と銃口をイコールで結びつける始末である。
 何よりも、母親の体に傷が増えるのを見るのが苦痛だった。そのため、勉強にしがみついた。初めEから動かなかった、名大の判定は、3ヶ月ほどから徐々にその評価を挙げた。
 親父からの暴力は、模試の結果が良くなるにつれて次第に縮小した。そして、模試を受け続けて7ヶ月目、ついにA判定を叩き出し、親父からの制裁は影を潜めた。母の体に刻まれた傷も段々と減っていき、そして消えた。
 前向きなエネルギーよりも後退的なエネルギーの方が、活発さを増す触媒になり得ると体感した。
 ある日、母が倒れた。俺の成績が良くなってからのことだ。今までの徒労と、親父の暴力がなくなったことによる安心が混じり合ってのことだろうと思っていた。
 俺は、急いで病院へ向かうと移籍したサッカープレイヤー並みの精密検査を終えところだった。
 病床の母は、俺に微笑んで、大丈夫よと優しく語りかける。
 母の様子を見ていると、そのうち医者が来た。医者の脇に挟まる分厚いファイルが俺を多少の不安を抱かせた。それでも、穏やかな母の顔を見ると、その不安を無邪気に投げ捨てた。 医者は俺に向かって、お父さんはいつ来るのかと聞いた。
「わからないけど、向かっていると思います。」
 俺が返事をすると、医者は、難しい顔をして一言言い残しその場を離れた。
「お父さんが来たら近くの看護師に伝えてください。」
 その後は、待ちに待ちを重ねた。途中までは、母と談笑していたが、母は疲れた様子で眠りについた。
 母のベット越しに窓を見ると病院に来た時に一番高い位置にいた太陽は、沈んでいた。代わりに月が天へとかけあがろうとしていた。その日は満月だった。
 しびれを切らした医者が、病室を覗きに来る。あまりにも、看護師から連絡がないから、様子を見に来たらしい。
「富士元さんお父さんは来られましたか。」
 親父が来ていないのは明らかなのに、白々しく聞いてきた。
「まだきてません。」
「そうですか、ではちょっとついてきてもらってもいいですか。」
 医者はこの言葉が言いたいがために、親父の所在を聞いてきたのであろう。
 医者に親族が呼ばれていい言葉が聞けることなどない。
 病室を出ると俺は、さっきまでの母の穏やかな顔を思い浮かべることができなくなった。代わりに医者の脇に抱えられた不自然に暑いファイルが脳裏に鮮明に映し出された。
 満月は徐々に天へと上り詰め、窓から差し込む光は、不気味に母の病室を照らした。
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