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予期せぬ襲撃 2
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ケンイチとメグミは、まだ手を取り合っている。
「おまえは雪の中で気を失っていたんだ。目を覚まさないんじゃないかと心配したよ
「お兄ちゃん、私を捜しに来てくれたのね」
「春を探しに来て、偶然みつけたのさ」
「見つけたのは社長だよなあ」
田中が水をさす。
「なあ」
佐藤もうなずく。
メグミはきょろきょろと周りを見回した。
「社長さんはどちらに?」
「新進気鋭の青年実業家、田原坂です」
「さっきの、聞こえてたのか」
田中が小さく舌打ちする。
「松林メグミです。私たちを助けてくださったんですね。皆さんも、ありがとうございました」
メグミは深々とおじぎをした。
「田中君、鈴木君。電話は通じたのか?」
田中と鈴木はそろって首を横に振った。田原坂はため息をつき、木の下に腰を下ろした。
「それでは我々はこの地点に待機して、レスキュー隊に事情を説明しなければならんわけだ。メグミさん。後で送るから、もう少し待っていてもらいたい」
「誰か瀕死の重病人になりすませば、場がつくろいやすいんだけどな」
山田が提案すると、佐藤がすかさず。
「そうだ。高橋はたしか、卵アレルギーだったな」
「その品名を口にするな。思い出しただけでかゆくなってきた。かゆい、かゆい」
高橋が跳ねまわりながら激しく体を掻いた。山田が眉をひそめる。
「アレルギーで重篤な症状ならわかるが、かゆいだけで119番するか?普通」
「いや。だが、これを舞踏病の発作だと言えば納得してもらえないだろうか」
これを聞いた田原坂が憤然とした態度で言う。
「そういうその場しのぎを仕事でやってほしくないものだな」
佐藤は逃げるようにしてケンイチに近づいた。
「しかし、君にこんなきれいな妹さんがいたとは知らなかった」
「兄のほうと知り合ってまだ間もないからな」と高橋。
「紹介するよ。去年の暮れにこの山で遭難した妹のメグミだ。聞いたところによると、スタッフの制止を振り切って十年ぶりの記録的豪雪の直後に冬を探しにこの山に登り、雪崩の名所で…」
「ヤッホーってやったんだろ。そのポーズのまま雪の下で凍ってたよ」
「よく生きてたなあ。運んでる時うわごとで『もう春なの?』って言ってたけど、こんなきれいなお嬢さんがカエルみたいに冬眠してたわけか」
田中が言い終わるか終わらないうちに、ケンイチが憤然とした顔で彼の胸ぐらをつかんだ。
「失礼なことを言うな。彼女は父、清、B型、母、常子、AB型との間に生まれたA型RH+のれっきとした人間だ」
「要するに、土の中での冬眠を必要とする変温動物じゃないと言いたいわけか。いかに仕事が好きでも、怒りながら学習要素を盛りこんでくるなよ」
田中があきれる。
高橋がメグミに近づき、猫撫で声でささやく。
「僕、B型だけど、血液型は気にするタイプ?」
「ええ、まあ、輸血の時なんかは」
「奇遇だなあ。僕もなんだ」
肩を抱こうとする高橋の手をタッチの差ですりぬけて、メグミは田原坂に問いかけた。
「チャコとルンルンは?チャコとルンルンは無事だったんですか?」
「どっちがどっちかわからないが、あそこにいるあの二匹じゃないかね?」
あやつり人形たちを見つけると、メグミは歓喜にあふれる表情で近づいていった。あやつり人形たちも、スローモーションで立ち上がり、メグミに近づく。
「チャコ、会いたかった」
両手をさしのべるチャコ。メグミは大きな身振りでその手を取って交互に持ち上げ、首を左右に傾ける。ルンルンは後ろからメグミの肩に両手を置き、顔を覗きこむ。メグミは右手をルンルンの手に添えてふりかえる。
「ルンルンも、無事だったのね」
メグミの頬ずりに、ルンルンも頬ずりを返す。
「まるで、雪の中で打ち合わせでもしたみたいに、息がぴったりだな」
「冬眠期間のブランクがあったとはとても思えない」
橋と田中がしきりに感心している。
ミラ、クル、チャコ、ルンルンが手をつないでメグミの周りを回り始めた。その輪の中に、いつの間にかケンイチも混じっている。
「ともかく、よかった。つもる話もあるだろうから我々は少し離れて、あの人たちをそっとしておいてあげよう」
田原坂の一言で社員たちは林の奥の川べりまでぞろぞろと移動し、教育番組関係者二人と四体は木の下に車座に座った。
「一辺の長さが9cmのシェルビンスキー・カーペットの密度を考えてみましょう」
メグミが一人ひとりの顔を覗きこみながら話し始めると、人形たちは居住まいを正した。
「重さが1gの正方形が64個組まれているから、重さは64g。面積は9x9で、81平方センチメートル。密度は64÷81で、0・79g毎平方センチメートルと、一辺の長さが3cmの時より小さくなってしまうのよ」
メグミの口調が段々、自動応答のガイダンスのようになってきた。
ケンイチが立ち上がり震えながら後ずさりを始めたことに、彼らのうち誰も気づいていないようだった。
「変わった…つもる話だな」
山田がぽつりとつぶやく。
「あのチャンネルじゃ、人形と一緒になってあんな難しいこと教えるのか」
呆然としたまま後ろ歩きで社員たちの輪の中に入ってきたケンイチが、田中のこの問いに答える。
「いや。あんなことやってなかったぞ。いつも、胸当てにアップリケのついた太もも丸出しの赤いミニオール着て、『教室のみんなぁ、元気―っ?』」
ここでケンイチは両手を顔の横でぱっと開いた。
「…ってカメラに向って突進してた。一度なんか、ブレーキが利かなくてもろにぶつかって転んで、カメラのコードが体に巻きついて、はずそうと近づいたカメアシまで巻きこんでスタジオ中を転げまわったんだ。まるで、ヒトデのレフェリーを巻きこんだタコとイカのクリンチみたいだったなあ、うん」
「しみじみ描写するなよ。不気味な兄だな」
「なるほど、豪雪直後の山に登って雪崩の名所でヤッホーやるだけのことはある」
「それにしては色々難しいこと知ってるわね
「あっ。もしかしたら」
「何だよ、山田」
「『馬鹿は死ななきゃ治らない』って言うだろ」
それを聞いたケンイチが激昂する。
「馬鹿って誰のことだ」
「君の妹に決まってるだろうが。メグミさんはあれだけ長い間雪に埋もれていたんだ。まるっきり平気なはずがない。僕が思うに、多分雪の中で脳が壊死を起こしていたんだよ。一度死んだ脳細胞が蘇生し、それによって馬鹿が治って利口になったんだ」
「そりゃすごい」
高橋が始めた拍手につられ、全員が笑顔で拍手をする。ケンイチが再び、山田の襟首をつかむ。
「人の妹を化け物みたいに言うな」
「まあまあ」
田原坂が二人を引き離す。
「けど、変人兄弟であることだけはたしかね。山に冬を探しに来て、雪崩に埋まる妹。山火事に遭って人形の有毒ガスに倒れる兄」
「僕のことはいくら悪く言ってもかまわない。でも、妹の悪口は言うな」
「もう言う必要もないと思うよ。妹さんだけはまともになったみたいだから」
「まとも以上だね」
「かえって変よ、あれじゃ」
当のメグミは外野をいっさい気にせず、地面を指さして講義の続きをやっている。
「メグお姉さんが今地面に描いている図を見れば、中性子は陽子とある物質から生じた『束縛状態』にあるってことがわかるはずよ。さて、なーんだ?」
「しかし、信じられない。五年前まで、電卓で計算しても二度同じ答えを出せなかったメグが…」
ケンイチが目を丸くし、田中が首をかしげる。
「いくら馬鹿が治ったからといって、頭に入ってもいない知識が引き出せるものだろうか」
「あのチャンネルには高校生や大学生向けの番組とかもあるわけだろう。何かの折に耳に入ってた内容が、その時は理解できないにしろ脳味噌のどこかに紛れこんでいたのかもしれないよ」
これが山田の意見である。
「こういうのも柔軟な頭って言うのかしら」
「柔軟ねえ。彼女の場合、豆腐の角にぶつけたら直角にへこむタイプの柔軟さかもしれん」
「なんだと」
「そうなったらなったで、棚の代わりにものが載せられたりして便利じゃないか」
「もう許せん」
高橋に向ってケンイチが振り上げた手が空中で止まった。
林の奥から複数の足音と話し声が聞こえてきた。
「いち、に、いち、に」
「おまえは雪の中で気を失っていたんだ。目を覚まさないんじゃないかと心配したよ
「お兄ちゃん、私を捜しに来てくれたのね」
「春を探しに来て、偶然みつけたのさ」
「見つけたのは社長だよなあ」
田中が水をさす。
「なあ」
佐藤もうなずく。
メグミはきょろきょろと周りを見回した。
「社長さんはどちらに?」
「新進気鋭の青年実業家、田原坂です」
「さっきの、聞こえてたのか」
田中が小さく舌打ちする。
「松林メグミです。私たちを助けてくださったんですね。皆さんも、ありがとうございました」
メグミは深々とおじぎをした。
「田中君、鈴木君。電話は通じたのか?」
田中と鈴木はそろって首を横に振った。田原坂はため息をつき、木の下に腰を下ろした。
「それでは我々はこの地点に待機して、レスキュー隊に事情を説明しなければならんわけだ。メグミさん。後で送るから、もう少し待っていてもらいたい」
「誰か瀕死の重病人になりすませば、場がつくろいやすいんだけどな」
山田が提案すると、佐藤がすかさず。
「そうだ。高橋はたしか、卵アレルギーだったな」
「その品名を口にするな。思い出しただけでかゆくなってきた。かゆい、かゆい」
高橋が跳ねまわりながら激しく体を掻いた。山田が眉をひそめる。
「アレルギーで重篤な症状ならわかるが、かゆいだけで119番するか?普通」
「いや。だが、これを舞踏病の発作だと言えば納得してもらえないだろうか」
これを聞いた田原坂が憤然とした態度で言う。
「そういうその場しのぎを仕事でやってほしくないものだな」
佐藤は逃げるようにしてケンイチに近づいた。
「しかし、君にこんなきれいな妹さんがいたとは知らなかった」
「兄のほうと知り合ってまだ間もないからな」と高橋。
「紹介するよ。去年の暮れにこの山で遭難した妹のメグミだ。聞いたところによると、スタッフの制止を振り切って十年ぶりの記録的豪雪の直後に冬を探しにこの山に登り、雪崩の名所で…」
「ヤッホーってやったんだろ。そのポーズのまま雪の下で凍ってたよ」
「よく生きてたなあ。運んでる時うわごとで『もう春なの?』って言ってたけど、こんなきれいなお嬢さんがカエルみたいに冬眠してたわけか」
田中が言い終わるか終わらないうちに、ケンイチが憤然とした顔で彼の胸ぐらをつかんだ。
「失礼なことを言うな。彼女は父、清、B型、母、常子、AB型との間に生まれたA型RH+のれっきとした人間だ」
「要するに、土の中での冬眠を必要とする変温動物じゃないと言いたいわけか。いかに仕事が好きでも、怒りながら学習要素を盛りこんでくるなよ」
田中があきれる。
高橋がメグミに近づき、猫撫で声でささやく。
「僕、B型だけど、血液型は気にするタイプ?」
「ええ、まあ、輸血の時なんかは」
「奇遇だなあ。僕もなんだ」
肩を抱こうとする高橋の手をタッチの差ですりぬけて、メグミは田原坂に問いかけた。
「チャコとルンルンは?チャコとルンルンは無事だったんですか?」
「どっちがどっちかわからないが、あそこにいるあの二匹じゃないかね?」
あやつり人形たちを見つけると、メグミは歓喜にあふれる表情で近づいていった。あやつり人形たちも、スローモーションで立ち上がり、メグミに近づく。
「チャコ、会いたかった」
両手をさしのべるチャコ。メグミは大きな身振りでその手を取って交互に持ち上げ、首を左右に傾ける。ルンルンは後ろからメグミの肩に両手を置き、顔を覗きこむ。メグミは右手をルンルンの手に添えてふりかえる。
「ルンルンも、無事だったのね」
メグミの頬ずりに、ルンルンも頬ずりを返す。
「まるで、雪の中で打ち合わせでもしたみたいに、息がぴったりだな」
「冬眠期間のブランクがあったとはとても思えない」
橋と田中がしきりに感心している。
ミラ、クル、チャコ、ルンルンが手をつないでメグミの周りを回り始めた。その輪の中に、いつの間にかケンイチも混じっている。
「ともかく、よかった。つもる話もあるだろうから我々は少し離れて、あの人たちをそっとしておいてあげよう」
田原坂の一言で社員たちは林の奥の川べりまでぞろぞろと移動し、教育番組関係者二人と四体は木の下に車座に座った。
「一辺の長さが9cmのシェルビンスキー・カーペットの密度を考えてみましょう」
メグミが一人ひとりの顔を覗きこみながら話し始めると、人形たちは居住まいを正した。
「重さが1gの正方形が64個組まれているから、重さは64g。面積は9x9で、81平方センチメートル。密度は64÷81で、0・79g毎平方センチメートルと、一辺の長さが3cmの時より小さくなってしまうのよ」
メグミの口調が段々、自動応答のガイダンスのようになってきた。
ケンイチが立ち上がり震えながら後ずさりを始めたことに、彼らのうち誰も気づいていないようだった。
「変わった…つもる話だな」
山田がぽつりとつぶやく。
「あのチャンネルじゃ、人形と一緒になってあんな難しいこと教えるのか」
呆然としたまま後ろ歩きで社員たちの輪の中に入ってきたケンイチが、田中のこの問いに答える。
「いや。あんなことやってなかったぞ。いつも、胸当てにアップリケのついた太もも丸出しの赤いミニオール着て、『教室のみんなぁ、元気―っ?』」
ここでケンイチは両手を顔の横でぱっと開いた。
「…ってカメラに向って突進してた。一度なんか、ブレーキが利かなくてもろにぶつかって転んで、カメラのコードが体に巻きついて、はずそうと近づいたカメアシまで巻きこんでスタジオ中を転げまわったんだ。まるで、ヒトデのレフェリーを巻きこんだタコとイカのクリンチみたいだったなあ、うん」
「しみじみ描写するなよ。不気味な兄だな」
「なるほど、豪雪直後の山に登って雪崩の名所でヤッホーやるだけのことはある」
「それにしては色々難しいこと知ってるわね
「あっ。もしかしたら」
「何だよ、山田」
「『馬鹿は死ななきゃ治らない』って言うだろ」
それを聞いたケンイチが激昂する。
「馬鹿って誰のことだ」
「君の妹に決まってるだろうが。メグミさんはあれだけ長い間雪に埋もれていたんだ。まるっきり平気なはずがない。僕が思うに、多分雪の中で脳が壊死を起こしていたんだよ。一度死んだ脳細胞が蘇生し、それによって馬鹿が治って利口になったんだ」
「そりゃすごい」
高橋が始めた拍手につられ、全員が笑顔で拍手をする。ケンイチが再び、山田の襟首をつかむ。
「人の妹を化け物みたいに言うな」
「まあまあ」
田原坂が二人を引き離す。
「けど、変人兄弟であることだけはたしかね。山に冬を探しに来て、雪崩に埋まる妹。山火事に遭って人形の有毒ガスに倒れる兄」
「僕のことはいくら悪く言ってもかまわない。でも、妹の悪口は言うな」
「もう言う必要もないと思うよ。妹さんだけはまともになったみたいだから」
「まとも以上だね」
「かえって変よ、あれじゃ」
当のメグミは外野をいっさい気にせず、地面を指さして講義の続きをやっている。
「メグお姉さんが今地面に描いている図を見れば、中性子は陽子とある物質から生じた『束縛状態』にあるってことがわかるはずよ。さて、なーんだ?」
「しかし、信じられない。五年前まで、電卓で計算しても二度同じ答えを出せなかったメグが…」
ケンイチが目を丸くし、田中が首をかしげる。
「いくら馬鹿が治ったからといって、頭に入ってもいない知識が引き出せるものだろうか」
「あのチャンネルには高校生や大学生向けの番組とかもあるわけだろう。何かの折に耳に入ってた内容が、その時は理解できないにしろ脳味噌のどこかに紛れこんでいたのかもしれないよ」
これが山田の意見である。
「こういうのも柔軟な頭って言うのかしら」
「柔軟ねえ。彼女の場合、豆腐の角にぶつけたら直角にへこむタイプの柔軟さかもしれん」
「なんだと」
「そうなったらなったで、棚の代わりにものが載せられたりして便利じゃないか」
「もう許せん」
高橋に向ってケンイチが振り上げた手が空中で止まった。
林の奥から複数の足音と話し声が聞こえてきた。
「いち、に、いち、に」
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