フルムーン・オクロック

瑠俱院 阿修羅

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1.最後の海

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月の砂漠をはるばると
旅のらくだがゆきました
 
阿幌(アポロ)と天美寿(テミス)が堤防の下の砂浜の、まるで打ち捨てられたように逆さに置かれた手こぎボートに腰かけて、歌を歌っている。
「ママが子供の頃にはもうあったのよ」と言って歌って聴かせてもらった時から、二人とも大好きになった歌だ。
水平線からくり出される波が、たぷ…たぷ…と波打ちぎわでずっと同じ音をたてている。
二人は歌いながら、まぶしさに閉じそうになる目を見開いて、太陽の細かいかけらが降りそそぐようにきらきらしている沖のあたりを見つめている。まるで、その向こうにあるものを見きわめようとするように。
水平線と呼ばれるものはとても不思議だ。
空と海を分ける一本のまっすぐな線の向こうに、阿幌と天美寿の知らない世界がどこまでも広がっている。その線の上を今、一隻のタンカーが横切っていく。
よく晴れた日で、雲は高い空をゆっくりと通り過ぎようとしていた。
 
金と銀との鞍おいて
二つならんでゆきました
 
ふと歌をやめて、天美寿が阿幌に聞いた。
「ねえ、阿幌。月にも砂漠があるの?」
阿幌はあいかわらず目を細めて水平線を見つめながら答えた。
「あるかもしれないね。でも、この歌に出てくる砂漠は、月の出ている砂漠という意味だよ」
阿幌はいつも、こういう言い方をする。
つまり、相手がカン違いをしているとわかっても、はじめから「違うよ」と言いはしない。
浜辺の岩が波に洗われて、つやつやと光っている。
「海に入りたいな」
天美寿は膝をかかえるように前かがみになって横を向いた。聞いてもらえないとわかっている頼みごとをするときの癖だ。
「だめだよ」
やっぱり。天美寿はため息をついた。
「どうして?海水浴の時はいいのに」
「見るだけの海と入ることができる海があるんだよ。こっちの海は見るだけの海なんだ。それに今は海に入るのにはまだ早い季節だからね」
阿幌はそう言って、西の方を向いた。堤防の湾曲した線の向こうに松林が見える。
夏になると2軒の出店が建ち、松の枝から枝にわたしたロープに浮き輪が鈴なりになる。
2、3メートルおきに点々と生えている松の根方には海水浴客たちの色とりどりの敷物が所せましと敷きつめられる。
天美寿も阿幌と同じ方向を向いた。
「阿幌。あっちは入れる海だよね」
「そうだよ。去年の夏に泳いだね」
阿幌と天美寿は夏が終わってから一度行ってみたことがある。緑色の針のような松葉と茶色の松ぼっくりが落ちているだけの殺風景な場所になっていて、松の根元の草を揺らして風が吹き抜けていた。あまりにも寂しくて静かなので怖くなって、その時は二人ともすぐに帰ってきた。
「じゃ、こっちの海は?」
天美寿はそう言って顔を東に向ける。
東側に河口をはさんで隣町の港があり、その向こうに黒や灰色の家々の屋根や白っぽい色をした四角いビル群や高圧電線の鉄塔が、晴れた午前中の大気の中に白っぽく浮かび上がって見える。
「堤防をあっちへずっと行くと、何があるの?」
「しばらく川をさかのぼって、列車の走る鉄橋の手前で堤防は終わってるよ」
堤防をずっと歩いていくと、砂浜がどこかで砂漠に変わっているのかもしれない。
それが月の上にある砂漠につながっていて、ラクダに乗ってずっと行くと夜空に地球が見える。
天美寿はいつも、そんなふうに空想して楽しんでいた。
天美寿は、聞かなければよかったと後悔した。
「本当に堤防が途中でちょん切れてるの?阿幌は見たことがあるの?」
「友達と一緒に自転車で行って確かめた」
「いいなあ。天美寿も行きたい」
「天美寿が自転車に乗れるようになったらね」
天美寿は答える代わりに下を向いた。
同じ日に生まれた双子なのに、阿幌のほうがしっかりしていると言われる。勉強もできる。阿幌だけが自転車に乗れる。
天美寿は、不公平だと思った。
だが、泳ぎだけは天美寿のほうがうまいし、かけっこも長距離なら速い。阿幌はひとより脈が速く、なぜだか、とても疲れやすいのだ。
パパは、阿幌のことは好奇心が旺盛で研究熱心だとほめ、天美寿のことは絵がうまいとほめる。
荒い息と鎖の音が聞こえて、二人は同時にそちらを見た。犬を連れた高校生くらいの少年が、堤防の階段を降りてきた。
波の打ち寄せるたぷ…たぷ、という音が、少年の掛け声と犬のぜいぜいいう声にかき消される。
阿幌が片脚をかかえるようにして膝にあごをのせ、ふいにこんなことを言い出した。
「天美寿は知ってる?生き物はみんな、海から生まれたって」
「知ってる。本で読んだ。生き物全部のご先祖様は、海の中に住んでいた目に見えないくらい小さな生き物だって」
「じゃ、これは知ってる?昔からするとずいぶん海岸線が上がってて、このままいくとみんな海に沈んでしまうかもしれないっていう話」
天美寿は驚きのあまり、大きな目をもっと見開いて阿幌を見た。
「みんな沈んでしまうの?本当に?」
「ごめん。怖がらせてしまったね。大丈夫。そんなことにはならないよ。神様が、もうそんなことはしないと言って、その約束の証に虹を作ったんだから。それに、大人の人たちが、これじゃいけない、って気づいていろんなことを変え始めているからね」
阿幌がそう言って笑顔を見せたので、天美寿も元気を取り戻した。そして、純粋な興味からいろいろと想像して、こう言った。
「もし、みんな海に沈んじゃったら、生き残れるのは初めから海に住んでる生き物たちと、あとは空を飛ぶ生き物だけだね。トンボとか、チョウチョとか、鳥とか」
「沈まないってば」
阿幌が笑う。
「僕はアポロだから、そうなったらアポロ神みたいに日輪車に乗って空へ飛びあがるよ」
「えっ?ずるい。天美寿は?」
「天美寿も空の上へ行けるよ。もともとの名前はアルテミスなんだから」
「双子の神様なんだよね。でも、アルテミスは何に乗って空を飛ぶの?」
「ごめん。あまりよく知らないんだ。うちに帰ればギリシャ神話の本があるから、調べておくよ」
「あっ、そうだ。あと、天使も生き残れるね。天使も海から生まれたのかな」
「沈まないって言ってるだろ」
阿幌が白い歯を見せて笑う。
天美寿は砂浜が少し濃い色に変わる手前の、海藻や流れてきた細い枯れ枝や軽石などで自然にできたラインを見わたした。
ふと目をあげると隣町の港のあたりが、見たこともない様子に変わっている。黒や灰色の家々の屋根や四角いビル群や高圧電線の鉄塔は消えてなくなり、代わりに風見鶏のある赤茶色の屋根や青いタイルを貼ったドーム型の屋根の建物などが見える。緑色の木々に囲まれて、十字架を戴いた教会の尖塔がひときわ高くそびえている。
「阿幌。あれ」
天美寿が指差す方向を阿幌が見る。そこにはさっきと全く同じ、隣町の風景があった。
「隣の町がどうしたの?」
驚きで目を丸くしていた天美寿の顔の表情が、いきなり恐怖でひきつった。
「阿幌。大変だよ。あの町、燃えてるよ。火事だよ」
「太陽の光でゆらゆらして見えるだけだよ。火事なんかじゃないよ」
阿幌はどこを見ているのだろう、と天美寿は思った。あんな真っ赤な火が街を覆い、あちこちで黒い煙があがっているというのに。
「どうしよう。あんな大火事だから、もう消防署には誰か知らせてるよね」
阿幌はパパとママがいつも言っていることを思い出した。
天美寿にはほかの人に見えないものが見える。のんびりしているように見えるけど、感受性が豊かで、カンのいい子だ。
阿幌は天美寿が怖がらなくてすむようにという気持ちに、天美寿に見えるものが自分に見えない恥ずかしさかも手伝って、演技をすることにした。
「本当だ。燃えている。でも、隣町は大きな町だから、消防車もたくさんいるよ、大丈夫だよ」
天美寿は、阿幌にもやっとあの異常な光景が見えたのだと思って、ひとまず安心した。
その時、頭の上を黒い大きなシルエットが通り過ぎていった。見たこともない巨大な鳥が、隣町めざして飛んでいく。
天美寿があっけにとられて目で追っていると、鳥の姿はみるみる小さくなり、隣町の火事の黒い煙の中に降下していった。
「阿幌。あれ、何?」
天美寿は視線をそらさず、阿幌の腕をぎゅっとつかんで聞いた。
「何、って、火事じゃないの?今度は何?」
阿幌はだんだんいらいらしてきた。
そして、天美寿が自分をかつごうとしてわざと変なことを言っているのではないかと思い始めた。
でも、恐怖に見開いた目とせっぱつまった口調から、それが嘘や冗談でないことがわかる。
阿幌は何度も天美寿の視線をたどっては首をかしげた。
なぜだろう、いつもと同じ隣町があるだけなのに。
いっぽう天美寿は、言うべき言葉を失ってただただ震えていた。
あんな大きな鳥は今まで一度も見たことがない。
上空を通る時ちらっと見た感じでは、動物園で見たコンドルの何十倍もある。
大きさだけで言えば、飛行機か、図鑑で見た翼のある恐竜に近い。
でも、それはやはり鳥の形をしていた。
いきなり川向こうに出現した町では、猛烈な勢いで火の手があがって、緑色の木々がものすごい速さで火の色に塗りかえられていく。
狂った怪物のような火柱が高く上がり、建物は次々にくずれ、教会の尖塔の十字架も折れて、炎の海の中に落ちた。
ふいに、大火事の町からさっきの鳥が再び飛び立った。そのくちばしからは、気球を逆さにしたような大きな荷物がつり提げられていた。
巨大な鳥はこちらに向かって飛んできた。
天美寿はとっさに目を閉じて、両手で頭をかばった。
襲いかかってくる。
だが、何も起こらなかった。天美寿はこわごわ目を開けた。
鳥の姿を捜して顔をあげてみると、巨大な鳥は今しも、上空を通り過ぎていくところだった。
阿幌にはもちろん、鳥の姿は見えていない。
阿幌は天美寿に呼びかけようとして、やめた。
その顔が恐怖に凍りついていたので、阿幌の姿が見えているのかどうかも不安だったのだ。
「阿幌、怖いよ」
天美寿がそう言って、顔を覆って泣き出した。
阿幌は天美寿の肩をゆすぶった。
「大丈夫だよ。阿幌がいるよ。周りを見てごらん。怖いものは何もないよ」
天美寿は顔をあげた。隣町の港はこれまでどおり。四角いビル群も家々の屋根もさっきと変わらず、そこにあった。
遠く鈍い音をたてて、飛行機が空を横切る。水平線はあい変らず、たぷ…たぷと音を立てる波を際限なく沖からくり出してくる。
「天美寿。もう帰ろう。帰って、おやつを食べよう」
阿幌に言われ、天美寿はこっくりとうなずいた。
阿幌は、きっと、何もかも海に沈むなんて怖い話をしたから、天美寿が変な幻を見たのだと思った。
二人は砂浜から堤防に戻る急な階段を、錆びた鉄の手すりにつかまりながら慎重に登って行った。
堤防の転落防止柵の上に立って向こう側の通路に降りる時、二人はそれぞれ一度ずつふりかえった。
ふざけっこをしている犬と少年が遠くに小さく見える、沖合いのタンカーが、さっきと少しだけ違うところに浮かんでいた。
阿幌と天美寿が最後に二人で海に行った、風が心地よくてよく晴れた日曜日の出来事だった。
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