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7.ケンタウルスペガサス
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〈なりそこない天使〉は怖さに目をぎゅっと閉じ、ロッキングポニーから振り落とされないよう、馬の頭の横のハンドルにしがみついていた。
〈なりそこない天使〉が再び目を開けた時、木製ロッキングポニーは消えていた。
〈なりそこない天使〉は滑空する木の馬ではなく、車輪のついた乗り物に乗せられてゴトゴトと道の上を運ばれていた。
後ろ向きに乗せられていたので体の向きを変え、自分が入っている三方を囲んだ箱のようなものの左右のふちから上に出ている丸い出っ張りに手をかけて立ち上がる。
木の馬の背だったものはいつの間にか、籐で編んだ車台の床に変わっていた。
車台の内側の壁に貼り紙がしてあった。
『ローマ戦車(チャリオット)の乗り方。立ち上がらない。翼をかたどった真鍮の飾りに手を触れない。真鍮の飾りを支えにして向きを変えるなどもってのほか』
と書かれていた。
それを見たとたん、ロッキングポニーに感じた懐かしさや、もう少しで思い出せそうだった事柄が、霧に隠れるようにして心の奥の方に消えてしまった。
道の周りは見渡すかぎり、果てしなく広がる真っ白な平原だった。
ところどころに貝殻の形が浮き出ている。
それは、長い時間をかけて貝殻の化石が積もってこの土地ができたことを意味していた。
ローマ戦車と馬を連結するホースシャフトは前を行く翼の生えた馬、つまりペガサスに着けられていた。
ただし、その首から上は人間の体で、だからその生き物は、翼の生えたケンタウルスと呼ぶこともできる。
「『滑降してくるもの』の正体は君だったのか」
めいっぱい強がった口調で言ってみたが、得体の知れない生き物への恐怖は声の震えに出てしまっていた。
「僕の正体なんて、見てのとおりさ」
「見てもわからないよ」
その生き物は実際、翼の生えたケンタウルスととれるし、人間の生えたペガサスと
見ることもできる。「見てのとおり」の範囲を超えていた。
「『君を助けに来た』と言えば、暴れたり、飛んで逃げたりしないでもらえるよね」
「白状するけど、もう飛べないんだ。翼の力を使い切ってしまった」
〈なりそこない天使〉は、言ってしまってから少し後悔した。
こんなことを言えば、相手の思うがままだ。
おとなしく言うとおりにさせたかったら、空高く飛び上がって「振り落とすぞ」と脅せばいい。
そう、わざわざ教えるようなものだ。
「そうか。それなら、ちょうどいい」
ケンタウルスのペガサスはふりかえって、意外なくらい柔らかい口調でそう言った。
その顔は青年だった。
絵で見たことのあるケンタウルスはごわごわとヒゲの生えたいかめしい顔の男だったので、なりそこない天使はほっとすると同時に拍子抜けしてしまった。
「僕の名はケンタウルスペガサス。そのまんまだろう」
「降ろしてくれ」
なりそこない天使は思い切って頼んでみた。
「心配は要らないよ。君はこれから、神子の待つ『月明かりのコロシアム』へ行くんだ」
「神子の待つ『月のしずくの塔』へ行く途中だったんだ。早く戻してくれ。イクテュースとコネホが心配してる」
「心配などしていないよ。また失敗したと、舌打ちくらいはしているかもしれないが」
突然、ケンタウルスペガサスとは違う声がした。
なりそこない天使はあたりを見回した。
「誰?」
声の主は意外なくらい近くにいた。なりそこない天使と同じ、ローマ戦車の車台の上だ。
足元に子供の膝の高さくらいの胸像のようなものがあり、かがんでよく見ると、どこかで見覚えがある。
コブラの飾りがてっぺんについた金とブルーの横ストライプのかぶりもの。切れ長を強調した目の周りのデザイン。
これはエジプトの王様のミイラが入っていたことで知られる人型棺の、黄金のマスクと呼ばれる胸から上の部分だ。
胸から下が車台の床の下にめりこんでいるのか、元々上しかないのか、それはわからなかった。
「危ないところだった。あの二人の正体は〈にせ送りべの〉の手下だ」
「コネホとイクテュースのこと?」
「そう。あの連中は君を恐ろしいところへ送り込もうとしていたのだ」
「まさか」
「あんな『太陰石』なんて罠を仕掛けてせっかく空を飛べる者を引きずり落とすなんて、乱暴だとは思わなかったかね?」
エジプトの王の黄金マスクがたたみかけるように言う。
「そういえば」
「水の神子のイシュアクアは、天海王の傀儡(かいらい)だ」
「カイライって、何?イクテュースは水の神子のことを救い主と呼んでいたけど。じゃあ、カイライって、救い主のこと?」
「とんでもない。思い通りに操られている人形という意味だ。塔の堀はきっと、彫刻の岩山に囲まれた天海王の根城と底の方でつながっておるのだ。海底トンネルがあるに違いない」
「『天海王の宮殿』のことはコネホたちも言ってた。怖い場所だけど、その人の飼っている鳥はこの島からは子供をさらっていかないから、心配しなくていいって」
「よくもまあ、ぬけぬけと。ケンタウルスペガサスによると、時々、水の神子は『月のしずくの塔』から残忍な天海王に歌を捧げているそうではないか。ゾッとする。あいつらはグルだ。イシュアクアとイクテュースの二人はこの世界に来た[旅立つ子供]たちを、『約束の天体』へ送るとか出たらめを言って塔へ連れて行く。目的はただ一つ。彼らの魂を天海王の怒りを鎮めるためのいけにえにすることだ。わざわざ〈旅立つ子供〉の元々の体まで逃げ水に封じてこめて運ぶのは、鳥や虫の姿を借りた子供の魂だけでは飼っている化け物鳥まで手なずけられないからだ」
黄金のマスクが一気にこれだけしゃべって黙ると、あたりは急に恐ろしいほど静かになった。
〈なりそこない天使〉はおずおずと聞いた。
「じゃあ、イクテュースたちと行っていたら〈なりそこない天使〉も…」
「そういうこと」
その先を言わずにすむように気を使って、ケンタウルスペガサスが気を使って早めに返事する。
「哀れな子供たち。私はさらわれてきた子供たちや『約束の天体』へ行きそびれた〈旅立つ子供〉たちへ哀悼の意を示すために、こうやって胸の前で手をクロスさせているのだよ」
黄金のマスクが何気なさそうに言い足す。なりそこない天使は、どっ、どっと早鐘のように鳴りだした心臓を上から片手で押さえ、もう片手で車台のふちをぎゅっと握りしめた。
「かなりショックを受けておるようだな。大丈夫。地の神子コアトリクエが君を『約束の天体』へ導いてくれる」
黄金のマスクが自信たっぷりに言った。しかし…。
イクテュースと悪の手先のイメージが結びつかない。
それに、口は悪いがコネホも、なりそこない天使のことを心配してくれた。
あの言葉や態度がウソだとは思えない。
水の神子の次は地の神子。
あっちがニセモノでこっちが本物と言われても、すぐに「はい、そうですか」と受け入れるにはどちらの情報も不足している。
ほとんど無いも同然だ。なりそこない天使の心の中で、イクテュースたちの方を信じたいという気持ちが高まっていた。
荒れ野原のあっちにぽつり、こっちにぽつり、住居らしい建物が建っている。上空から見た建物に違いない。
その光景はこのような荒野に、いかにも不似合に思えた。
ケンタウルスペガサスが、びっくりするくらい晴れ晴れとした声で言った。
「君が来たおかげで、やっと儀式を行うことができる。子供の数が儀式場の木馬の数と同じになるまで〈旅立つ子供〉たちは待たなければならないんだ。この貝殻化石の平原でね。ここいらに建っている家はみんな、子供たちが元いた世界にあった懐かしい家だ。イクテュースたちに言わせれば確かにそれはまやかしかもしれないけど、彼らがそこで感じる幸せは決してニセモノじゃない。待ちぼうけをくわされるんだから、それなりの報いがなければね」
建物はピカピカした屋根の四角いこぎれいな家やコンクリートの集合住宅、木造でかやぶきの家、ログハウスなど様々だった。
材料も日干しレンガ、土壁、石壁、氷まで。
規模も小屋から豪邸までさまざまだ。
パオ、ゲルと呼ばれる遊牧民族の移動式のテントもあった。
ケンタウルスペガサスは最初に、木でできた大きな瓦屋根の家に近づいた。開いた障子の隙間からなりそこない天使が中をのぞくと、はんてんを来た子供が、肩車される格好で宙に浮いて出てきた。
「儀式が始まるよ」
ケンタウルスペガサスが言うと子供はふわっと地面に降りて、見えない相手にバイバイと言いながら家から出てきた。
家は、一瞬で跡形もなく消えてしまった。
次のレンガの家には垣根があって、青々としたマサキの木が植えられていた。セーターに半ズボンの子供が庭で遊んでいた。
ボールを投げると空中で止まって投げ返される。
「みんな、すぐそばにパパやママがいる、僕たちには見えないけどね」
パパ、ママ。この言葉には何か、胸につんとくるものがある。
「儀式が始まるよ」
それを聞いた子供は、投げ返されたボールをほったらかして門を出てきた。すると、ボールも家も庭も消えてしまった。
「[旅立つ子供]はここで元々の姿を思い出す。そして、取り戻す。あの子たちもここに来た当時は鳥やちょうちょになっていたんだ」
元々の自分。それを知りたいと思っていたのだ。
何か思い出せそうで思い出せない時ほど落ち着かないものはない。
パパ、ママ。どういう人たちだったろう。
さっきは思い出しかけていたのに。
あの家。あの家さえあれば思い出せる。
でも、なりそこない天使がここで待つ必要がない以上、あの家がここに現れることはないのだ。
さらに何軒かの家を回り、子供たちを呼び出した。
毛皮の帽子をかぶってふかふかのコートを着た子、体にきれいな布を巻きつけターバンを巻いた子、人形のようなふんわりしたドレスを着た子、学校の制服らしいボンボン付きの帽子にセーラー服の子、白い帽子につま先まである白い服の子、貝殻や動物の牙のネックレスをして腰布を巻いただけの子と、実にさまざまだった。
彼らを後ろにしたがえて、なりそこない天使を乗せたローマ戦車はなおも進んだ。
あの子たちと同じように降りて歩かなくていいのだろうか。
そう思ったが、子供たちが「天使だ」「天使だ」と目をきらきらさせて周りを取り囲んで進むので、自分はおみこしのように乗り物に乗っていた方がいいのかもしれないと思い直した。
四本の本物の木の柱の上にあるシュロぶきの家の前に来た。
本当なら熱帯雨林のジャングルにでもありそうな家だ。
「降りておいで。儀式の時間だよ」
だが、家の中からは何の返事もない。
ケンタウルスペガサスは、焦りを隠せないようすで子供たちを見回した。
「誰か登って行って、連れてきてくれないか」
「〈なりそこない天使〉が行く」
〈なりそこない天使〉は、中がどうなっているか知りたくてたまらなかったので、「翼があるくせに」と子供たちが笑うのもかまわず、手と足を使ってハシゴを登って行った。
家の壁は植物の葉と茎でできていて、真ん中にいろりのようなものがあった。その近くで、色の黒い痩せた子供がバナナの葉に包んだ料理を食べながら、時々誰もいない両隣を見てしゃべったり笑ったりしていた。
〈なりそこない天使〉は、子供に向かって言った。
「食事中ごめんね。でも、儀式の時間なんだって」
子供はそれを聞くと、バナナの葉の包みをほっぽり出してなりそこない天使より先に家から出て行った。
子供がハシゴの最後の段を降りたとたんに家だけでなくハシゴもなくなったので、なりそこない天使は自分の背丈くらいの高さから飛び降りる羽目になり、しりもちをついた。
子供たちはまた、「天使のくせに」とはやしたてた。
真っ白な平原のただ中に、煉瓦でできた集合住宅や石造の家、鉄筋コンクリートの家が建ち並ぶ大通りが忽然と現れた。
街の様子はまるで、砂漠の真ん中に取り残された時代も場所もごちゃまぜの街だった。
大通りから細い路地に入るとそこにも様々な家の連なりが見えた。
その奥に、豪華ではないがひときわ大きな平屋建ての一軒の家があった。
壁は明るいクリーム色で、猫やウサギなどの動物の絵が描かれていた。
並んだ大きな窓はどれも星の形をしている。
家の壁は、上から見ると円形をしていることがわかる曲線を描いていた。
「ここにある全部の家を一軒ずつ回るの?」
「いいや。ここは所せましと家が建ち並んでいる場所なのに自分の家がなくて、道の上や下水道の中に住んでいた子供たちのための場所で、僕たちは『まやかしの街』と呼んでる。これだけの家があっても、誰かの懐かしい家は一つもないんだよ。だから、僕たちでアイディアを持ち寄って、一番素敵だと思うひときわ大きな家を造った。たくさんの子供が一緒に過ごせる家。みんなで楽しく遊びながら待っていられる」
そこまで普通の声で言うと、路地の奥の一番大きな家に向かってケンタウルスペガサスは大声で呼びかけた。
「みんな、出ておいで。儀式が始まるよ」
大きな家から子供たちがぞろぞろと出てきた。全部の子供が出てきても、大きな家も『まやかしの街』もなくならなかった。路上や地下で暮らしていた子供が来た時に、次の儀式までの時間をそこで過ごすのだろう。
一行は『まやかしの街』を後にした。
そこから先にはもう建物はなく、どこまで行っても木しか生えていなかった。
動くものひとつない広大な平野に生えている木は、大きく枝を広げ数えきれないほどの葉を風にひるがえらせながら光とのたわむれを楽しんでいる。
まぶしい地面にそこだけ、涼しげな影が落ちている。
白い荒野に木もまばらになった頃、地面に長々と寝そべったような建造物が見えてきた。
「あれが『月明かりのコロシアム』。神聖な儀式場だ」
なりそこない天使が上から見たことを話した時にイクテュースが「やつらのアジト」と呼んだ場所だ。
〈なりそこない天使〉が再び目を開けた時、木製ロッキングポニーは消えていた。
〈なりそこない天使〉は滑空する木の馬ではなく、車輪のついた乗り物に乗せられてゴトゴトと道の上を運ばれていた。
後ろ向きに乗せられていたので体の向きを変え、自分が入っている三方を囲んだ箱のようなものの左右のふちから上に出ている丸い出っ張りに手をかけて立ち上がる。
木の馬の背だったものはいつの間にか、籐で編んだ車台の床に変わっていた。
車台の内側の壁に貼り紙がしてあった。
『ローマ戦車(チャリオット)の乗り方。立ち上がらない。翼をかたどった真鍮の飾りに手を触れない。真鍮の飾りを支えにして向きを変えるなどもってのほか』
と書かれていた。
それを見たとたん、ロッキングポニーに感じた懐かしさや、もう少しで思い出せそうだった事柄が、霧に隠れるようにして心の奥の方に消えてしまった。
道の周りは見渡すかぎり、果てしなく広がる真っ白な平原だった。
ところどころに貝殻の形が浮き出ている。
それは、長い時間をかけて貝殻の化石が積もってこの土地ができたことを意味していた。
ローマ戦車と馬を連結するホースシャフトは前を行く翼の生えた馬、つまりペガサスに着けられていた。
ただし、その首から上は人間の体で、だからその生き物は、翼の生えたケンタウルスと呼ぶこともできる。
「『滑降してくるもの』の正体は君だったのか」
めいっぱい強がった口調で言ってみたが、得体の知れない生き物への恐怖は声の震えに出てしまっていた。
「僕の正体なんて、見てのとおりさ」
「見てもわからないよ」
その生き物は実際、翼の生えたケンタウルスととれるし、人間の生えたペガサスと
見ることもできる。「見てのとおり」の範囲を超えていた。
「『君を助けに来た』と言えば、暴れたり、飛んで逃げたりしないでもらえるよね」
「白状するけど、もう飛べないんだ。翼の力を使い切ってしまった」
〈なりそこない天使〉は、言ってしまってから少し後悔した。
こんなことを言えば、相手の思うがままだ。
おとなしく言うとおりにさせたかったら、空高く飛び上がって「振り落とすぞ」と脅せばいい。
そう、わざわざ教えるようなものだ。
「そうか。それなら、ちょうどいい」
ケンタウルスのペガサスはふりかえって、意外なくらい柔らかい口調でそう言った。
その顔は青年だった。
絵で見たことのあるケンタウルスはごわごわとヒゲの生えたいかめしい顔の男だったので、なりそこない天使はほっとすると同時に拍子抜けしてしまった。
「僕の名はケンタウルスペガサス。そのまんまだろう」
「降ろしてくれ」
なりそこない天使は思い切って頼んでみた。
「心配は要らないよ。君はこれから、神子の待つ『月明かりのコロシアム』へ行くんだ」
「神子の待つ『月のしずくの塔』へ行く途中だったんだ。早く戻してくれ。イクテュースとコネホが心配してる」
「心配などしていないよ。また失敗したと、舌打ちくらいはしているかもしれないが」
突然、ケンタウルスペガサスとは違う声がした。
なりそこない天使はあたりを見回した。
「誰?」
声の主は意外なくらい近くにいた。なりそこない天使と同じ、ローマ戦車の車台の上だ。
足元に子供の膝の高さくらいの胸像のようなものがあり、かがんでよく見ると、どこかで見覚えがある。
コブラの飾りがてっぺんについた金とブルーの横ストライプのかぶりもの。切れ長を強調した目の周りのデザイン。
これはエジプトの王様のミイラが入っていたことで知られる人型棺の、黄金のマスクと呼ばれる胸から上の部分だ。
胸から下が車台の床の下にめりこんでいるのか、元々上しかないのか、それはわからなかった。
「危ないところだった。あの二人の正体は〈にせ送りべの〉の手下だ」
「コネホとイクテュースのこと?」
「そう。あの連中は君を恐ろしいところへ送り込もうとしていたのだ」
「まさか」
「あんな『太陰石』なんて罠を仕掛けてせっかく空を飛べる者を引きずり落とすなんて、乱暴だとは思わなかったかね?」
エジプトの王の黄金マスクがたたみかけるように言う。
「そういえば」
「水の神子のイシュアクアは、天海王の傀儡(かいらい)だ」
「カイライって、何?イクテュースは水の神子のことを救い主と呼んでいたけど。じゃあ、カイライって、救い主のこと?」
「とんでもない。思い通りに操られている人形という意味だ。塔の堀はきっと、彫刻の岩山に囲まれた天海王の根城と底の方でつながっておるのだ。海底トンネルがあるに違いない」
「『天海王の宮殿』のことはコネホたちも言ってた。怖い場所だけど、その人の飼っている鳥はこの島からは子供をさらっていかないから、心配しなくていいって」
「よくもまあ、ぬけぬけと。ケンタウルスペガサスによると、時々、水の神子は『月のしずくの塔』から残忍な天海王に歌を捧げているそうではないか。ゾッとする。あいつらはグルだ。イシュアクアとイクテュースの二人はこの世界に来た[旅立つ子供]たちを、『約束の天体』へ送るとか出たらめを言って塔へ連れて行く。目的はただ一つ。彼らの魂を天海王の怒りを鎮めるためのいけにえにすることだ。わざわざ〈旅立つ子供〉の元々の体まで逃げ水に封じてこめて運ぶのは、鳥や虫の姿を借りた子供の魂だけでは飼っている化け物鳥まで手なずけられないからだ」
黄金のマスクが一気にこれだけしゃべって黙ると、あたりは急に恐ろしいほど静かになった。
〈なりそこない天使〉はおずおずと聞いた。
「じゃあ、イクテュースたちと行っていたら〈なりそこない天使〉も…」
「そういうこと」
その先を言わずにすむように気を使って、ケンタウルスペガサスが気を使って早めに返事する。
「哀れな子供たち。私はさらわれてきた子供たちや『約束の天体』へ行きそびれた〈旅立つ子供〉たちへ哀悼の意を示すために、こうやって胸の前で手をクロスさせているのだよ」
黄金のマスクが何気なさそうに言い足す。なりそこない天使は、どっ、どっと早鐘のように鳴りだした心臓を上から片手で押さえ、もう片手で車台のふちをぎゅっと握りしめた。
「かなりショックを受けておるようだな。大丈夫。地の神子コアトリクエが君を『約束の天体』へ導いてくれる」
黄金のマスクが自信たっぷりに言った。しかし…。
イクテュースと悪の手先のイメージが結びつかない。
それに、口は悪いがコネホも、なりそこない天使のことを心配してくれた。
あの言葉や態度がウソだとは思えない。
水の神子の次は地の神子。
あっちがニセモノでこっちが本物と言われても、すぐに「はい、そうですか」と受け入れるにはどちらの情報も不足している。
ほとんど無いも同然だ。なりそこない天使の心の中で、イクテュースたちの方を信じたいという気持ちが高まっていた。
荒れ野原のあっちにぽつり、こっちにぽつり、住居らしい建物が建っている。上空から見た建物に違いない。
その光景はこのような荒野に、いかにも不似合に思えた。
ケンタウルスペガサスが、びっくりするくらい晴れ晴れとした声で言った。
「君が来たおかげで、やっと儀式を行うことができる。子供の数が儀式場の木馬の数と同じになるまで〈旅立つ子供〉たちは待たなければならないんだ。この貝殻化石の平原でね。ここいらに建っている家はみんな、子供たちが元いた世界にあった懐かしい家だ。イクテュースたちに言わせれば確かにそれはまやかしかもしれないけど、彼らがそこで感じる幸せは決してニセモノじゃない。待ちぼうけをくわされるんだから、それなりの報いがなければね」
建物はピカピカした屋根の四角いこぎれいな家やコンクリートの集合住宅、木造でかやぶきの家、ログハウスなど様々だった。
材料も日干しレンガ、土壁、石壁、氷まで。
規模も小屋から豪邸までさまざまだ。
パオ、ゲルと呼ばれる遊牧民族の移動式のテントもあった。
ケンタウルスペガサスは最初に、木でできた大きな瓦屋根の家に近づいた。開いた障子の隙間からなりそこない天使が中をのぞくと、はんてんを来た子供が、肩車される格好で宙に浮いて出てきた。
「儀式が始まるよ」
ケンタウルスペガサスが言うと子供はふわっと地面に降りて、見えない相手にバイバイと言いながら家から出てきた。
家は、一瞬で跡形もなく消えてしまった。
次のレンガの家には垣根があって、青々としたマサキの木が植えられていた。セーターに半ズボンの子供が庭で遊んでいた。
ボールを投げると空中で止まって投げ返される。
「みんな、すぐそばにパパやママがいる、僕たちには見えないけどね」
パパ、ママ。この言葉には何か、胸につんとくるものがある。
「儀式が始まるよ」
それを聞いた子供は、投げ返されたボールをほったらかして門を出てきた。すると、ボールも家も庭も消えてしまった。
「[旅立つ子供]はここで元々の姿を思い出す。そして、取り戻す。あの子たちもここに来た当時は鳥やちょうちょになっていたんだ」
元々の自分。それを知りたいと思っていたのだ。
何か思い出せそうで思い出せない時ほど落ち着かないものはない。
パパ、ママ。どういう人たちだったろう。
さっきは思い出しかけていたのに。
あの家。あの家さえあれば思い出せる。
でも、なりそこない天使がここで待つ必要がない以上、あの家がここに現れることはないのだ。
さらに何軒かの家を回り、子供たちを呼び出した。
毛皮の帽子をかぶってふかふかのコートを着た子、体にきれいな布を巻きつけターバンを巻いた子、人形のようなふんわりしたドレスを着た子、学校の制服らしいボンボン付きの帽子にセーラー服の子、白い帽子につま先まである白い服の子、貝殻や動物の牙のネックレスをして腰布を巻いただけの子と、実にさまざまだった。
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あの子たちと同じように降りて歩かなくていいのだろうか。
そう思ったが、子供たちが「天使だ」「天使だ」と目をきらきらさせて周りを取り囲んで進むので、自分はおみこしのように乗り物に乗っていた方がいいのかもしれないと思い直した。
四本の本物の木の柱の上にあるシュロぶきの家の前に来た。
本当なら熱帯雨林のジャングルにでもありそうな家だ。
「降りておいで。儀式の時間だよ」
だが、家の中からは何の返事もない。
ケンタウルスペガサスは、焦りを隠せないようすで子供たちを見回した。
「誰か登って行って、連れてきてくれないか」
「〈なりそこない天使〉が行く」
〈なりそこない天使〉は、中がどうなっているか知りたくてたまらなかったので、「翼があるくせに」と子供たちが笑うのもかまわず、手と足を使ってハシゴを登って行った。
家の壁は植物の葉と茎でできていて、真ん中にいろりのようなものがあった。その近くで、色の黒い痩せた子供がバナナの葉に包んだ料理を食べながら、時々誰もいない両隣を見てしゃべったり笑ったりしていた。
〈なりそこない天使〉は、子供に向かって言った。
「食事中ごめんね。でも、儀式の時間なんだって」
子供はそれを聞くと、バナナの葉の包みをほっぽり出してなりそこない天使より先に家から出て行った。
子供がハシゴの最後の段を降りたとたんに家だけでなくハシゴもなくなったので、なりそこない天使は自分の背丈くらいの高さから飛び降りる羽目になり、しりもちをついた。
子供たちはまた、「天使のくせに」とはやしたてた。
真っ白な平原のただ中に、煉瓦でできた集合住宅や石造の家、鉄筋コンクリートの家が建ち並ぶ大通りが忽然と現れた。
街の様子はまるで、砂漠の真ん中に取り残された時代も場所もごちゃまぜの街だった。
大通りから細い路地に入るとそこにも様々な家の連なりが見えた。
その奥に、豪華ではないがひときわ大きな平屋建ての一軒の家があった。
壁は明るいクリーム色で、猫やウサギなどの動物の絵が描かれていた。
並んだ大きな窓はどれも星の形をしている。
家の壁は、上から見ると円形をしていることがわかる曲線を描いていた。
「ここにある全部の家を一軒ずつ回るの?」
「いいや。ここは所せましと家が建ち並んでいる場所なのに自分の家がなくて、道の上や下水道の中に住んでいた子供たちのための場所で、僕たちは『まやかしの街』と呼んでる。これだけの家があっても、誰かの懐かしい家は一つもないんだよ。だから、僕たちでアイディアを持ち寄って、一番素敵だと思うひときわ大きな家を造った。たくさんの子供が一緒に過ごせる家。みんなで楽しく遊びながら待っていられる」
そこまで普通の声で言うと、路地の奥の一番大きな家に向かってケンタウルスペガサスは大声で呼びかけた。
「みんな、出ておいで。儀式が始まるよ」
大きな家から子供たちがぞろぞろと出てきた。全部の子供が出てきても、大きな家も『まやかしの街』もなくならなかった。路上や地下で暮らしていた子供が来た時に、次の儀式までの時間をそこで過ごすのだろう。
一行は『まやかしの街』を後にした。
そこから先にはもう建物はなく、どこまで行っても木しか生えていなかった。
動くものひとつない広大な平野に生えている木は、大きく枝を広げ数えきれないほどの葉を風にひるがえらせながら光とのたわむれを楽しんでいる。
まぶしい地面にそこだけ、涼しげな影が落ちている。
白い荒野に木もまばらになった頃、地面に長々と寝そべったような建造物が見えてきた。
「あれが『月明かりのコロシアム』。神聖な儀式場だ」
なりそこない天使が上から見たことを話した時にイクテュースが「やつらのアジト」と呼んだ場所だ。
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(also @ なろう)
大人で子供な師匠のことを、つい甘やかす僕がいる。
takemot
児童書・童話
薬草を採りに入った森で、魔獣に襲われた僕。そんな僕を助けてくれたのは、一人の女性。胸のあたりまである長い白銀色の髪。ルビーのように綺麗な赤い瞳。身にまとうのは、真っ黒なローブ。彼女は、僕にいきなりこう尋ねました。
「シチュー作れる?」
…………へ?
彼女の正体は、『森の魔女』。
誰もが崇拝したくなるような魔女。とんでもない力を持っている魔女。魔獣がわんさか生息する森を牛耳っている魔女。
そんな噂を聞いて、目を輝かせていた時代が僕にもありました。
どういうわけか、僕は彼女の弟子になったのですが……。
「うう。早くして。お腹がすいて死にそうなんだよ」
「あ、さっきよりミルク多めで!」
「今日はダラダラするって決めてたから!」
はあ……。師匠、もっとしっかりしてくださいよ。
子供っぽい師匠。そんな師匠に、今日も僕は振り回されっぱなし。
でも時折、大人っぽい師匠がそこにいて……。
師匠と弟子がおりなす不思議な物語。師匠が子供っぽい理由とは。そして、大人っぽい師匠の壮絶な過去とは。
表紙のイラストは大崎あむさん(https://twitter.com/oosakiamu)からいただきました。
宇宙人は恋をする!
山碕田鶴
児童書・童話
【第2回きずな児童書大賞/奨励賞を受賞しました。ありがとうございました。】
私が呼んでいると勘違いして現れて、部屋でアイスを食べている宇宙人・銀太郎(仮名)。
全身銀色でツルツルなのがキモチワルイ。どうせなら、大大大好きなアイドルの滝川蓮君そっくりだったら良かったのに。……え? 変身できるの?
中学一年生・川上葵とナゾの宇宙人との、家族ぐるみのおつきあい。これは、国家機密です⁉
(表紙絵:山碕田鶴/人物色塗りして下さった「ごんざぶろ」様に感謝)
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