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なな

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第三十五章:湯殿に映る本当の私

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浴衣の帯を結びながら、陸は脱衣所の鏡の前でそっと息を吐いた。
長い睫毛の下、目元を見つめる。――ウィッグの前髪を整える手が、ほんのわずかに震えていた。

「男湯だよね、やっぱり……」

ぽつりと呟いた言葉は、鏡の中の“女性の姿をした青年”に、どこか浮いて聞こえた。
合宿の温泉施設は男女別で、もちろん、体は男である陸は男湯に入るのが自然だった。けれど、ここまで丁寧に女装し、ウィッグまで被っている今の自分にとって、それはやはり――どこか「逆に」裸にされるような気がしてならなかった。

部屋で沙織と市川に見送られ、浴場へ向かう途中、陸はそっとウィッグに手を添えた。
(……これを取ったら、“わたし”は消えちゃう気がする)

脱衣所でそっとウィッグを外し、ウィッグ専用の布ケースにしまう。ウィッグネットも取って、髪をピンで留めていた跡が指先に触れた。
見慣れた自分の地の髪が鏡に映ると、なんだか急に頼りない姿に見えて、陸は小さく唇を噛んだ。

浴室の湯気に包まれながら湯船へ向かうと、幸い、ほとんど人はいなかった。
三人ほどの中年の男性が遠くにいて、視線はこちらに向けられてはいなかったが、それでも陸の心は静かにざわついていた。

エステで整えた肌、丁寧に脱毛された手足、肩のライン。
自分では意識していなかったが、こうして何も隠せない状態になると、その“滑らかさ”や“違和感”が急に目立って感じられる。
目線は確かに向けられていない、けれど――見られているような気がして、心拍が早くなった。

(見られたって、思い込みだ……。でも……)

湯に肩まで沈めると、ひんやりとした夜風と湯の温かさが交差し、少しだけ意識が遠のく。
だが、身体の奥底では別の“高揚”がじんわりと湧き上がっていた。
これが恐怖か快感か、自分でもうまく判別できない。

ひとしきり温まったあと、脱衣所に戻り、バスタオルで髪を拭きながら、陸は再び鏡の前に座る。
ケースからウィッグを取り出し、ウィッグネットを装着し、地の髪を丁寧に押さえ込み、ゆっくりとウィッグをかぶる。
前髪を整え、横髪を耳にかけると――また、“わたし”が鏡に戻ってきた気がした。

「……やっぱり、こっちが落ち着く」

自分で呟いたその言葉に、胸の奥がふっと温かくなる。

部屋に戻ると、すでに優斗も浴衣姿で床に座っていた。
向かいには市川と沙織がいて、冷たい麦茶を手にして笑っている。

「おかえり、陸ちゃん。湯加減どうだった?」
「……気持ちよかった。でもちょっと緊張したかも」

そう答えると、市川が柔らかく笑った。
「うん、わかる。ウィッグないと、自分じゃないみたいになるよね」
「髪って不思議。それだけでスイッチが入ったり、切れたりする」
沙織が続けるように頷く。

陸は、鏡に映る自分をもう一度見つめた。
胸元に手を当てると、浴衣の薄布越しに、わずかにふくらみを演出する下着の膨らみが感じられた。

「ねえ、夜の部、あるらしいよ」
唐突に沙織が口を開いた。
「他部署のグループも来てて、ちょっとした飲み会っていうか、交流会?合コンっぽい感じの」
「えっ」
優斗が少し驚いたように顔を上げる。

「もちろん、自由参加だけどね。でも……私たちで参加したら、ちょっと華やかになるかも?」
「……あたしたち?」

市川が茶目っ気たっぷりに、陸と優斗を交互に見つめた。

「ねえ、行ってみる?新しい下着の話題もできるし。男性だってわかってて近づいてくる人もいれば、“女の子として”話したがる人もいるかもよ」
沙織の言葉に、優斗が少し頬を染めた。
陸もまた、視線を伏せながら、それでも心の奥で――

(“女の子として”見られる自分に、ちょっと期待してるのかも)

そう思ってしまった自分に、戸惑いながらも、逆らえなかった。
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