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序章「魔人の在り方~運命の夜明け~」
序章 第十五話「傷を抉る刃」
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結界に守られたヌール伯邸前――エルキュールと対峙しているアマルティアの三人は、纏っていた白の装束を脱ぎ去り、ついにその本性を晒した。
三者三様の色ではあるが、その肌に刻まれている魔素質の痣も胸元に煌めくコアの光も、等しくエルキュールの心に突き刺さった。
「魔人……」
無意識のうちに声が零れる。アマルティアに魔人が属しているという噂は本当の事だったようだ。
そして、これを以てして今日だけで四体もの魔人と遭遇したことになる。その衝撃により、エルキュールは思わず地面に尻をついてしまう。
「何をそんなに驚いている? 言っただろう、貴様と同じだと。だからこそ貴様のことを念入りに調査し、迎えに来たというわけだ」
「迎え……? 何を言っている……!?」
エルキュールのことを調査していたから、その名前も知っていたということらしい。そのことに関しては辛うじて理解できたが、ザラームはまた訳の分からぬことを言い出した。
怒涛のように浴びせられる情報にエルキュールの思考は崩れ去り、鸚鵡返しに尋ねることしかできない。
「つ、つまり……貴方をアーウェたちの仲間に引き入れること……そ、それが今回の目的」
ザラームの代わりにたどたどしい口調で答えるアーウェ。その声は細く、視線はあちこちに飛んでいる。
明らかに彼女たちの方が有利であるにもかかわらず、エルキュールを前にして何故か少し怯えているようだった。
どこか頼り気ないアーウェの補足にザラームは鷹揚に頷く。
「――そういうことだ。遺跡ではあの赤髪の男が邪魔だったんでな、こうして改めて場を整えたというわけだ」
「仲間、だと……? 何を馬鹿なことを言っている、俺がお前たちに与するとでも思っているのか?」
アマルティアの連中の目的を聞いたエルキュールは心底困惑した。エルキュールに会いに来て勧誘する、ただそれだけのためにここまで来たというのか。
否、そんなはずはないと、エルキュールはザラームを睨みつける。
「冗談のつもりなのか? 第一、世界への反逆のためにこの街を襲ったと、お前が自分で言っていただろう!?」
エルキュールが思い出していたのは、あの魔動鏡での演説のことだ。あの時と今とでは、ザラームの発言の内容は異なっている。
「もちろん、それが最終的な目標であることに相違ない。ただ、それだけの大事を為すには相応の資源が必要になってくるだろう? 故に同士を増やすことが不可欠となる。魔獣を使ってこの街を襲わせたのも、そこの後ろの魔人を汚染したのも、こうして貴様と話し合いの場を設けているのも、全てその目的を果たすためだ」
余裕がないエルキュールとは対照的に、ザラームは至極落ち着いた態度で言葉を連ねる。
ザラームの口調はエルキュールを落ち着かせようとしているようにも聞こえ、その気遣いが却ってエルキュールの怒りを煽った。
「――貴様も分かっているはずだ。このヴェルトモンドではリーベこそが尊ばれるべき生命であり、イブリスである我々は生きることを許されない。それが何故だか分かるか?」
仮面越しに見下ろしてくる視線がエルキュールに答えを迫る。その力強さに押されまいと、毅然とした態度でエルキュールはザラームを睨む。
「それは……お前たちのようにリーベに仇なす存在がいるからだろう。魔獣を増やし、街を襲い、リーベを汚染する……だから排除される。分かりきったことのはずだ」
リーベの世界で生きることになって十年、エルキュールはそこで培った常識をザラームにぶつける。
しかし、当然だと言わんばかりのエルキュールのその答えを、ザラームらは鼻で笑った。
「それはリーベである人間たちが勝手に決めたことだよ。この世界を我が物顔で占領しちゃってさぁ……ホント、図々しいよねえ?」
ザラームの横に侍っていたフロンが薄く笑い、エルキュールに投げかけるように視線をよこす。
「……ア、アーウェたちにも、生きる自由がある……」
フロンに続き、アーウェの方からも言葉が発せられる。その眼は依然としてエルキュールの方を直視していないが、彼女の言葉にはそれまでと比べてどこか力強い感情が込められているように思えた。
「……人間が勝手に……生きる自由……」
二人の言葉にエルキュールは息を呑み反芻した。
それは彼が押し殺してきた思想で、目を背けてきた思想でもあった。そんなモノはリーベの社会で生きるには邪魔になるだけだからだ。
それを主張したところで、家族とは離れることになるだろうし、自身の命を無駄に散らすだけだ。
だから考えないようにしていたというのに。突然突きつけられた価値観にエルキュールは戸惑う。
「本来我々には、何にも縛られず生きる権利があるはずだ。かつてのヴェルトモンドに存在した生命である精霊は、現代のイブリスに非常に近しい存在だったという。即ち、我々もまた歴としたこの世界の一員なのだ」
滔滔と語るザラームを目にし、いつしかエルキュールは彼らに対する敵意を忘れ、その言葉に耳を傾けていた。
「だが、この世界は腐りきってしまった。愚かにも自らが万物の霊長であると勘違いした浅はかな衆愚によって。エルキュールよ、貴様の在り方はそれで正しいといえるのか? リーベに諂い自身を抑圧しながら生きる在り方が。――我々と共にこの世界を創り直す道にこそ、自由と幸福があるのではないか?」
「それは……」
ザラームの言い分は部分的には正しいと言える。
この先、家族と共にリーベの世界で生きようとしても、またあの八年前の事件のように住む土地を追われるのではないか。いつか家族に迷惑をかけ、不幸にさせてしまうのではないか。その危惧を抱きながら生きることは果たしていいことなのだろうか。
様々な逡巡がエルキュールの意識を染め上げる。しかし――
「……お前たちにそれを言われる謂れはない。どう言い繕おうがこの街を焼き、人間を汚染し、この世界に不和を起こした――そんな連中に加担するなんてごめんだ」
精いっぱいの反抗を示す。すっかり崩れ去った街並みが、後ろに控えている変わり果てた知人の姿が、エルキュールをそのように仕向けたのである。
「ふぅん……魔人のくせにあくまで人間の肩を持つんだ?」
「俺はお前たちのような悪意に染まった凶徒とは違う」
その視線を鋭いものに変えたフロンにエルキュールも応酬する。ザラームは同じだと称したが、こんな非道を行う者と同列に扱われることなど耐えられなかった。
もはやこれ以上話し合う余地もない。エルキュールは僅かながら回復した身体を確認し、臨戦態勢に入ろうとする。
「そう構えるな。ふっ――!」
エルキュールが行動に転じるより数段早く、ザラームは瞬時にエルキュールとの感覚を詰めた。そのままザラームは彼の頸部を鷲掴みにすると、乱暴に眼前に持ち上げた。
身体が宙に浮かされ、首元を強く締め付けられていることにより、エルキュールは完全に動きを封じられてしまった。
そうしてエルキュールを捕らえたザラームは、塞がっていない方の腕で彼の着ている服の胸元の部分を引きちぎった。
胸元に鎮座する忌まわしきコアが、八年の時を経て再び裸出した。
「――!」
首の締め付けによって声にならない叫びが、エルキュールの口から飛び出る。
「再度言っておく、貴様は我々と同じだと。どれだけ他人から隠そうとも、どれだけ自身を騙しても、貴様に備わるコアがその証明となる。――己を美化するのはやめたまえ」
一段と冷徹さが増した声でザラームが言い放つ。
だが、エルキュールの方は彼の言葉に反応する余裕など無いようで、ただただ自身の露出したコアを眺めるばかりだった。
「貴様は自分が無害な存在だと考えているのか知らないが、それは思い上がりに過ぎない。所詮は、貴様も魔人。いくら目立たぬように暮らしたとて、人間とは敵対する定めにあるのだ。……八年前のエスピリト霊国での件のようにな」
「っぐ……あぁ……!」
それはエルキュールが持つ原初の記憶。脳裏に蘇るのは、燃え上がる炎の熱、浴びせられた罵倒、傷つけられた痛み。
その全てが現状と重なって、恐ろしいほど高い解像度を伴った追憶がエルキュールの心を蹂躙した。
何故そのことをザラームが知っているのか、問いただすことは叶わない。彼の握力が力を増したことで、苦しみに喘ぐほかなかった。
その琥珀色の瞳には暗い絶望の影が広がっている。
「酔狂なことではあるが、貴様が本当に人間のことを案じていたとしても、その在り方は誤っていると言わざるを得ない。貴様の存在は人間のためにはならないからだ。我々の存在を抜きにしても、貴様の周りでは此度の件のような災難が降りかかることだろう」
――いよいよ限界だった。エルキュールはもはやザラームの方を直視できずに目を逸らした。
「さあ、もう十分だろう。今一度答えを――」
エルキュールの心が折れたのを確信したザラームは、エルキュールを手中に収めるべく言葉を掛けようとした。
しかし、思わぬところからそれは中断させられる。
「……あ、あの……ザラーム様。す、少しよろしいですか……?」
ザラームから数歩後ろに離れたところで待機していたダークグリーンの少女――アーウェだ。
「――どうした?」
彼女の切羽詰まった表情に、ザラームはエルキュールの拘束を解放し振り返る。
運よくザラームの手から逃れたエルキュールだったが、彼と争う気力はとうに砕け散ったようで、傷だらけの地面を虚ろに眺めていた。
その一方、ザラームの下に歩み寄ったアーウェは彼に耳打ちをした。その手には小型の鏡のようなものが握られており、彼女はそれを示しながらザラームに何かを説明している。
「――なるほど、王都の件か。ああ、分かった。……フロン」
やがてザラームは頷き、さらに奥の方に待機していたフロンを呼びつける。
それまで蚊帳の外にされていたことで不満げな表情で髪をいじっていたフロンは、主の呼びかけに表情を綻ばせ、主の下に駆けつけた。
「どうしたのザラーム様?」
「詳しくは後で話す。急いで撤収する」
「えぇー……こんな中途半端なとこでやめちゃうんですかぁ?」
意外なザラームの言葉に、フロンは目を丸くする。
「まだまだ人間は残ってるんだよー……? それにそこの魔人さんのことだって……」
「焦る必要はない、いずれ目的は達せられる。さあ――転移の準備を」
「……はーい。ほら、アーウェちゃん、やるよ」
「う、うん、分かった……!」
不承不承納得したフロンは、アーウェの方へ寄りその手を握る。それからお互い目を閉じ意識を集中させた。
瞬間、闇の魔素が周囲に満ち溢れる。それは二人を中心に徐々に広がり、やがてザラームとエルキュールの後ろにいたアランの周囲を覆った。
この魔素の流れは闇魔法ゲートのものだろう。何故かは知らないが、先の会話を考えるとここから脱出するつもりのようだ。
そこまで分かっていたエルキュールだったが、アマルティアの三人が、魔人と化したアランが消えていくのを悲痛な面持ちで眺めることしかできなかった。
肉体的にも、そして何より精神が疲弊しきっていた。
「今回はここまでにしよう、エルキュール。だが覚えておくがいい。魔人としての至福は、我々と共に歩むことでのみ得られるものだと。――では、また会おう」
ザラームの言葉が終わるころには、ゲートによって彼らの姿は跡形もなく消えてしまった。
地に伏したエルキュールと悲惨な街並みだけが惨めに取り残された。
◇◆◇
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。
力なくエルキュールは立ち上がり、周囲の状況を把握しようとする。
この一帯を覆っていたザラームの結界は、彼の退却に伴って消滅したようだった。以前まではあった魔獣の咆哮や家屋を焼く遠火も、今となっては少し収まりつつある。
次いで、エルキュールは自身の身体を確認する。
外套の表面は、煤や土埃に塗れてすっかり汚れてしまっていたが大したことではない。
問題は、その内に纏っていた黒衣だ。胸元の部分が破れ、コアが露出してしまっている。
鈍った頭では考えがまとまらないが、ひとまずこれをどうにかしなくてはと、本能的にエルキュールは悟った。
「おーい、術が解けたみたいだぞー!」
遠くの方で発せられた声に、エルキュールはぎょっとした。恐らくこの未曽有の危機に奔走していた騎士の声だろう。その声に続くように足跡も聞こえてきた。
「くっ……」
今の状態で人に見られるわけにはいかない。未だ痛む身体を庇いながら、エルキュールは声のした方向と反対の方向へと逃げ出した。
三者三様の色ではあるが、その肌に刻まれている魔素質の痣も胸元に煌めくコアの光も、等しくエルキュールの心に突き刺さった。
「魔人……」
無意識のうちに声が零れる。アマルティアに魔人が属しているという噂は本当の事だったようだ。
そして、これを以てして今日だけで四体もの魔人と遭遇したことになる。その衝撃により、エルキュールは思わず地面に尻をついてしまう。
「何をそんなに驚いている? 言っただろう、貴様と同じだと。だからこそ貴様のことを念入りに調査し、迎えに来たというわけだ」
「迎え……? 何を言っている……!?」
エルキュールのことを調査していたから、その名前も知っていたということらしい。そのことに関しては辛うじて理解できたが、ザラームはまた訳の分からぬことを言い出した。
怒涛のように浴びせられる情報にエルキュールの思考は崩れ去り、鸚鵡返しに尋ねることしかできない。
「つ、つまり……貴方をアーウェたちの仲間に引き入れること……そ、それが今回の目的」
ザラームの代わりにたどたどしい口調で答えるアーウェ。その声は細く、視線はあちこちに飛んでいる。
明らかに彼女たちの方が有利であるにもかかわらず、エルキュールを前にして何故か少し怯えているようだった。
どこか頼り気ないアーウェの補足にザラームは鷹揚に頷く。
「――そういうことだ。遺跡ではあの赤髪の男が邪魔だったんでな、こうして改めて場を整えたというわけだ」
「仲間、だと……? 何を馬鹿なことを言っている、俺がお前たちに与するとでも思っているのか?」
アマルティアの連中の目的を聞いたエルキュールは心底困惑した。エルキュールに会いに来て勧誘する、ただそれだけのためにここまで来たというのか。
否、そんなはずはないと、エルキュールはザラームを睨みつける。
「冗談のつもりなのか? 第一、世界への反逆のためにこの街を襲ったと、お前が自分で言っていただろう!?」
エルキュールが思い出していたのは、あの魔動鏡での演説のことだ。あの時と今とでは、ザラームの発言の内容は異なっている。
「もちろん、それが最終的な目標であることに相違ない。ただ、それだけの大事を為すには相応の資源が必要になってくるだろう? 故に同士を増やすことが不可欠となる。魔獣を使ってこの街を襲わせたのも、そこの後ろの魔人を汚染したのも、こうして貴様と話し合いの場を設けているのも、全てその目的を果たすためだ」
余裕がないエルキュールとは対照的に、ザラームは至極落ち着いた態度で言葉を連ねる。
ザラームの口調はエルキュールを落ち着かせようとしているようにも聞こえ、その気遣いが却ってエルキュールの怒りを煽った。
「――貴様も分かっているはずだ。このヴェルトモンドではリーベこそが尊ばれるべき生命であり、イブリスである我々は生きることを許されない。それが何故だか分かるか?」
仮面越しに見下ろしてくる視線がエルキュールに答えを迫る。その力強さに押されまいと、毅然とした態度でエルキュールはザラームを睨む。
「それは……お前たちのようにリーベに仇なす存在がいるからだろう。魔獣を増やし、街を襲い、リーベを汚染する……だから排除される。分かりきったことのはずだ」
リーベの世界で生きることになって十年、エルキュールはそこで培った常識をザラームにぶつける。
しかし、当然だと言わんばかりのエルキュールのその答えを、ザラームらは鼻で笑った。
「それはリーベである人間たちが勝手に決めたことだよ。この世界を我が物顔で占領しちゃってさぁ……ホント、図々しいよねえ?」
ザラームの横に侍っていたフロンが薄く笑い、エルキュールに投げかけるように視線をよこす。
「……ア、アーウェたちにも、生きる自由がある……」
フロンに続き、アーウェの方からも言葉が発せられる。その眼は依然としてエルキュールの方を直視していないが、彼女の言葉にはそれまでと比べてどこか力強い感情が込められているように思えた。
「……人間が勝手に……生きる自由……」
二人の言葉にエルキュールは息を呑み反芻した。
それは彼が押し殺してきた思想で、目を背けてきた思想でもあった。そんなモノはリーベの社会で生きるには邪魔になるだけだからだ。
それを主張したところで、家族とは離れることになるだろうし、自身の命を無駄に散らすだけだ。
だから考えないようにしていたというのに。突然突きつけられた価値観にエルキュールは戸惑う。
「本来我々には、何にも縛られず生きる権利があるはずだ。かつてのヴェルトモンドに存在した生命である精霊は、現代のイブリスに非常に近しい存在だったという。即ち、我々もまた歴としたこの世界の一員なのだ」
滔滔と語るザラームを目にし、いつしかエルキュールは彼らに対する敵意を忘れ、その言葉に耳を傾けていた。
「だが、この世界は腐りきってしまった。愚かにも自らが万物の霊長であると勘違いした浅はかな衆愚によって。エルキュールよ、貴様の在り方はそれで正しいといえるのか? リーベに諂い自身を抑圧しながら生きる在り方が。――我々と共にこの世界を創り直す道にこそ、自由と幸福があるのではないか?」
「それは……」
ザラームの言い分は部分的には正しいと言える。
この先、家族と共にリーベの世界で生きようとしても、またあの八年前の事件のように住む土地を追われるのではないか。いつか家族に迷惑をかけ、不幸にさせてしまうのではないか。その危惧を抱きながら生きることは果たしていいことなのだろうか。
様々な逡巡がエルキュールの意識を染め上げる。しかし――
「……お前たちにそれを言われる謂れはない。どう言い繕おうがこの街を焼き、人間を汚染し、この世界に不和を起こした――そんな連中に加担するなんてごめんだ」
精いっぱいの反抗を示す。すっかり崩れ去った街並みが、後ろに控えている変わり果てた知人の姿が、エルキュールをそのように仕向けたのである。
「ふぅん……魔人のくせにあくまで人間の肩を持つんだ?」
「俺はお前たちのような悪意に染まった凶徒とは違う」
その視線を鋭いものに変えたフロンにエルキュールも応酬する。ザラームは同じだと称したが、こんな非道を行う者と同列に扱われることなど耐えられなかった。
もはやこれ以上話し合う余地もない。エルキュールは僅かながら回復した身体を確認し、臨戦態勢に入ろうとする。
「そう構えるな。ふっ――!」
エルキュールが行動に転じるより数段早く、ザラームは瞬時にエルキュールとの感覚を詰めた。そのままザラームは彼の頸部を鷲掴みにすると、乱暴に眼前に持ち上げた。
身体が宙に浮かされ、首元を強く締め付けられていることにより、エルキュールは完全に動きを封じられてしまった。
そうしてエルキュールを捕らえたザラームは、塞がっていない方の腕で彼の着ている服の胸元の部分を引きちぎった。
胸元に鎮座する忌まわしきコアが、八年の時を経て再び裸出した。
「――!」
首の締め付けによって声にならない叫びが、エルキュールの口から飛び出る。
「再度言っておく、貴様は我々と同じだと。どれだけ他人から隠そうとも、どれだけ自身を騙しても、貴様に備わるコアがその証明となる。――己を美化するのはやめたまえ」
一段と冷徹さが増した声でザラームが言い放つ。
だが、エルキュールの方は彼の言葉に反応する余裕など無いようで、ただただ自身の露出したコアを眺めるばかりだった。
「貴様は自分が無害な存在だと考えているのか知らないが、それは思い上がりに過ぎない。所詮は、貴様も魔人。いくら目立たぬように暮らしたとて、人間とは敵対する定めにあるのだ。……八年前のエスピリト霊国での件のようにな」
「っぐ……あぁ……!」
それはエルキュールが持つ原初の記憶。脳裏に蘇るのは、燃え上がる炎の熱、浴びせられた罵倒、傷つけられた痛み。
その全てが現状と重なって、恐ろしいほど高い解像度を伴った追憶がエルキュールの心を蹂躙した。
何故そのことをザラームが知っているのか、問いただすことは叶わない。彼の握力が力を増したことで、苦しみに喘ぐほかなかった。
その琥珀色の瞳には暗い絶望の影が広がっている。
「酔狂なことではあるが、貴様が本当に人間のことを案じていたとしても、その在り方は誤っていると言わざるを得ない。貴様の存在は人間のためにはならないからだ。我々の存在を抜きにしても、貴様の周りでは此度の件のような災難が降りかかることだろう」
――いよいよ限界だった。エルキュールはもはやザラームの方を直視できずに目を逸らした。
「さあ、もう十分だろう。今一度答えを――」
エルキュールの心が折れたのを確信したザラームは、エルキュールを手中に収めるべく言葉を掛けようとした。
しかし、思わぬところからそれは中断させられる。
「……あ、あの……ザラーム様。す、少しよろしいですか……?」
ザラームから数歩後ろに離れたところで待機していたダークグリーンの少女――アーウェだ。
「――どうした?」
彼女の切羽詰まった表情に、ザラームはエルキュールの拘束を解放し振り返る。
運よくザラームの手から逃れたエルキュールだったが、彼と争う気力はとうに砕け散ったようで、傷だらけの地面を虚ろに眺めていた。
その一方、ザラームの下に歩み寄ったアーウェは彼に耳打ちをした。その手には小型の鏡のようなものが握られており、彼女はそれを示しながらザラームに何かを説明している。
「――なるほど、王都の件か。ああ、分かった。……フロン」
やがてザラームは頷き、さらに奥の方に待機していたフロンを呼びつける。
それまで蚊帳の外にされていたことで不満げな表情で髪をいじっていたフロンは、主の呼びかけに表情を綻ばせ、主の下に駆けつけた。
「どうしたのザラーム様?」
「詳しくは後で話す。急いで撤収する」
「えぇー……こんな中途半端なとこでやめちゃうんですかぁ?」
意外なザラームの言葉に、フロンは目を丸くする。
「まだまだ人間は残ってるんだよー……? それにそこの魔人さんのことだって……」
「焦る必要はない、いずれ目的は達せられる。さあ――転移の準備を」
「……はーい。ほら、アーウェちゃん、やるよ」
「う、うん、分かった……!」
不承不承納得したフロンは、アーウェの方へ寄りその手を握る。それからお互い目を閉じ意識を集中させた。
瞬間、闇の魔素が周囲に満ち溢れる。それは二人を中心に徐々に広がり、やがてザラームとエルキュールの後ろにいたアランの周囲を覆った。
この魔素の流れは闇魔法ゲートのものだろう。何故かは知らないが、先の会話を考えるとここから脱出するつもりのようだ。
そこまで分かっていたエルキュールだったが、アマルティアの三人が、魔人と化したアランが消えていくのを悲痛な面持ちで眺めることしかできなかった。
肉体的にも、そして何より精神が疲弊しきっていた。
「今回はここまでにしよう、エルキュール。だが覚えておくがいい。魔人としての至福は、我々と共に歩むことでのみ得られるものだと。――では、また会おう」
ザラームの言葉が終わるころには、ゲートによって彼らの姿は跡形もなく消えてしまった。
地に伏したエルキュールと悲惨な街並みだけが惨めに取り残された。
◇◆◇
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。
力なくエルキュールは立ち上がり、周囲の状況を把握しようとする。
この一帯を覆っていたザラームの結界は、彼の退却に伴って消滅したようだった。以前まではあった魔獣の咆哮や家屋を焼く遠火も、今となっては少し収まりつつある。
次いで、エルキュールは自身の身体を確認する。
外套の表面は、煤や土埃に塗れてすっかり汚れてしまっていたが大したことではない。
問題は、その内に纏っていた黒衣だ。胸元の部分が破れ、コアが露出してしまっている。
鈍った頭では考えがまとまらないが、ひとまずこれをどうにかしなくてはと、本能的にエルキュールは悟った。
「おーい、術が解けたみたいだぞー!」
遠くの方で発せられた声に、エルキュールはぎょっとした。恐らくこの未曽有の危機に奔走していた騎士の声だろう。その声に続くように足跡も聞こえてきた。
「くっ……」
今の状態で人に見られるわけにはいかない。未だ痛む身体を庇いながら、エルキュールは声のした方向と反対の方向へと逃げ出した。
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