黒き魔人のサルバシオン

鈴谷凌

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序章「魔人の在り方~運命の夜明け~」

序章 最終話「黎明」

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「――ったく、やっぱ何か隠していたみてえだな」

 天を見上げながらグレンは恨めしげに呟く。横を見れば、眠りにつく前までそこにいたはずのエルキュールの姿がなかった。
 もちろん通常なら大したことではない。用を足しにいったか、眠れないから外の空気を吸いにいったか、今この場にいない理由は幾つか考えられる。
 しかし、エルキュールが出ていった理由はそんな気軽なものではないとグレンは半ば確信していた。
 彼の目、彼の声、彼の態度は、あの時ヌール広場で別れたときとは明らかに異なっていた。その表情は失意や悔恨で塗れていた。明らかに異常な状態であったのだ。あのような人間が正常に行動できるとは到底思えない、得てして過ちを犯すものだ。
 だからこそ、彼の行動には注意を払っていたつもりだったのだが、流石に疲れが溜まっていたようだ。

 己の不覚に舌打ちしながらゆっくりと身体を起こし、エルキュールに掛けられたであろう毛布を脱ぎ去る。
 彼はグレンが眠りにつくのを待っていたようだが、これに関しては甘いと言わざるを得ない。結果的にグレンを起こしてしまったのだから。

 だが今はその甘さに感謝する必要があるだろう。おかげで、エルキュールの状態が想像よりも遥かに悪かったことに改めて気づくことができた。

 寝ている人々を起こさないように静かに立ち上がる。

 何も言わずに出ていったということは、きっとエルキュールはグレンが追ってくることなど望んでいない。加えて、彼と出会って僅か数時間にして立ち入っていいものかという逡巡もある。本当はこれ以上関わるのは間違っているのかもしれない。

 頭では分かっている。ならば何故グレンは今立ち上がったのか。過去に捨て去った博愛の信条でも思い出したのだろうか。いかなるものが相手であっても、嘆きに喘ぐ人を見捨てることを認めない。甘く、愚かで、馬鹿げたかつての信条を。
 その博愛が必ずしも世のため人のためになるとは限らない。それどころか、他者からの裏切りという形で自身に牙を向くことすらあることを、グレンは嫌というほど知っていた。

 それでも、今回に限ってはこの行いをやめるつもりはなかった。街をただ守りたいから魔獣と戦うと言った彼の純粋な言葉を、家族について語っていた時のぎこちない微笑みを思うと、この現状は何とも悲しく、救いがないように感じられた。それだけであの優しくも哀れな男にお節介を焼くには十分すぎるといえるだろう。

「――うだうだ考えても仕方ねえな」

 エルキュールがどこへ行ったのか、何を為そうとしているのか、会って何を言うべきなのか。考えられることはまだまだあるが、これ以上ここで足踏みをしていてはその思考の意味も露と消えてしまう。
 今は足を動かすことが先決だ。そう決断し、グレンは天幕を後にした。



◇◆◇



 ヌールとアルトニーの間に広がる平原。その一角にはひっそりと生い茂る雑木林があるのだが、一刻前まで何の変哲もなかったその地に、膨大な量の黒き魔素が螺旋状に流動していた。魔法の放出の前兆でも、ましてや自然現象の類でもない。ただ大量の魔素が結合し、莫大な闇の魔力を帯びた一塊となっていたのだ。
 もはやそれ以外の視覚情報など無いに等しい。黒光は他のすべての光を吸収し、存在を掻き消してしまっていた。

「ウォォォ……っ、ふう……ここまで、か」

 全てが闇に溶けたその中心で、徐に声が発せられた。瞬間、一帯に溢れていた魔素と暗黒の光が霧散する。
 本来の姿を取り戻した林の中、自身の力を確かめるが如くエルキュールは胸にあるコアに手を押し当てる。己の中に闇の魔素が巡っているのを感じた。

 本来イブリスはこうして魔素を吸収しなければならない生き物だが、エルキュールはその活動を意識的に封じ込めていた。無論、人間社会で生きるうえで当然の措置であるが、それ故エルキュールの体内は慢性的な魔素の欠乏に陥っていた。
 もちろんその状態で全力が出せるはずもない。これからの戦いにおいて、力を出し惜しみすることは許されないのだ。忌み嫌っていた魔人としての力をも使わなければならないだろう。来るべき時に向けて、魔素を補充しておくことは不可欠だった。

「本当はもう少し吸いたかったが、仕方ないな」

 まだエルキュールの容量には余裕が残されていたが、それ以上の吸収は避けたほうが良いだろう。夜明けが近づいていることで、外界の闇の魔素は既に活性を失ってしまった。それとは別に、朝になればあの避難所の人々も移動を開始するだろう。受け入れ先の都合もあるだろうが、あそこにいつまでも留まる道理もない。進んで危険を犯すよりは、ここで中断したほうが賢明だ。

「とりあえずは王都に行くのが目的だな……奴らの目的を考えればいつかは首都に迫ってくるはずだろう」

 王都への道のりは長い。まずは隣町のアルトニーに向かう必要がある。自身のコアと魔素質の活動を抑えたのを確認し、エルキュールは鬱蒼とした雑木林から抜け出した。



 アルトニーへと続く本道へと戻り、順調に道のりを歩んでいたエルキュール。徒歩でなくともゲートを使う方法もあったが、魔素の使用量に対し一度に移動できる距離が短いのがゲートの難点である。小さな物体ならまだしも、人のように大きな質量を持ったものを転移させるのは本来適していないため、緊急時以外は使わないのが望ましい。

 実際に、もう既に丁度中間地点まで進んだほどであり、やはりこのままで問題ないとエルキュールは歩調を速めた。このままいけば朝には到着できるだろう。

 だが――

「……?」

 それまで快調に歩みを進めていたエルキュールの足がふと止まった。前方には何もない。特に身体に違和感が生じたわけでもない。念のため研ぎ澄ませていた魔素感覚を通じ、周囲の魔素に少し揺らぎがあるのを感じたからだ。
 原因は不明だが、エルキュールの後方で火の魔素が急に活性化し始めた。魔獣である可能性も十分に考えられる。エルキュールは注意深く振り返った。

 幸いにして魔獣の姿は確認できなかったが、ある意味そちらの方がエルキュールにとっては都合がよかったのかもしれない。
 人影がこちらの方に走ってきている。赤い髪を靡かせる長身の男。その事実を認識し、エルキュールは自身の判断を呪った。

「ふう、やっぱこっちにいやがったか……!」

 先ほど別れたはずの魔法士・グレンが、エルキュールの前に止まり肩で息をする。なるほど彼が持つ力に火の魔素が反応したのだと考えれば筋は通るが、そもそも彼がここにいること自体おかしな事である。エルキュールは疑念と煩わしさが籠った目でグレンを見下ろす。

「残念だったな、お前の思い通りにいかなくて。けどな、今のお前をこのまま一人で行かせるわけには行かねえんだよ」

「――何を言っているのか分からないな。俺はただ、この先のアルトニーに早く行きたかっただけだ。あそこの設備は大したものだが、どうしても快適さに欠けている」

「そんで街に着いてゆっくり休もうって? 冗談きついぜ、こんな時間に一人で行っちまうなんてどう考えても不自然だろうが」

 エルキュールの方便を鼻で笑うグレン。どうやら思っていた以上に疑念を抱かせてしまっていたようだ。

「……お前が為そうとしていること。何となくだが、オレには分かる。お前の目に溢れている失意、後悔、そして殺気。全てを捨てて闘争に身を窶すことに決めた、そんな風に思える」

「――だったらどうしたというんだ? 君に俺を止める資格なんてない。関係のないことだ」

「お前が勝手にいなくなったら心配する人がいるだろ……! 街の奴らとか、お前の家族とか! 今お前がしているのは――」

「間違っている、もしくはその人たちを悲しませるからやめろ、か? いい加減にしてくれ。だとしても、俺は戻るべきじゃない。人と共に在っていい存在ではないんだ!」

 口をついて出た言葉にはっとする。感情的になりすぎて余計なことまで口走ってしまった。
 そんなエルキュールの言葉に、グレンは当然困惑の表情を浮かべる。

「……あの時別れてから、一体何があった? 隠さずに本当のことを教えてくれ。何がお前をそうさせた?」

「…………話したら、もう俺を説得することを諦めると約束できるのなら構わない」

「ああ、約束する」

 ここを収めるにはもう選択肢はなかった。もちろん、自身が魔人であるということは伏せるが、グレンを納得させるためにはある程度深いところまで話す必要があるだろう。

「信じられないかもしれないが、アマルティアの今回の目的は街を襲うことというよりも、俺に会うことが主だったようなんだ」

「はあっ、お前に!? どういうことだよ、それは」

「理由は……分からない。ただ、奴らはこれから世界と戦う上で俺を求めているみたいだ。今回は運よく免れたが、このままではまた同じことの繰り返しになる。実際、奴も去り際にそのようなことを言っていたからな」

 アマルティアは目的を遂行する上で周りの人間のことなど気にもかけない。奴らにとって人間は汚染の対象でしかないからだ。エルキュールという目的のついでに、アマルティアは罪もない人間に容赦なく牙を向くだろう。
 どのようにしてエルキュールの存在に辿り着いたかは不明だが、そのまま普段通りに生活するだなんてことはできるはずもない。
 エルキュールから語られた事実に流石に驚きを隠せない様子のグレンだったが、すぐにその言葉からエルキュールの真意に気づいたようだった。

「――つまり、お前はこれ以上誰にも迷惑をかけないために、そして自分を狙うアマルティアと戦うために、一人で旅立とうとしていたのか?」

「ああ、その通りだ」

 全てではないが、極力譲歩はした。これ以上語ることは何もないと言わんばかりに、エルキュールは静かにグレンを見つめる。
 グレンの方は、エルキュールの事情を理解はした素振りは見せるものの、未だ考えが纏まらないのか、無造作な髪を勢いよく掻き毟った。

「だぁーー!! ……よし、お前の事情はよーーく分かった!」

「そうか、それはよかった。じゃあ、俺はこれで――」

「だが、それでもお前のしていることは正しいとは思えねえがな」

 納得を引き出せたようだし、これで会話を打ち切ろうとしたエルキュールだったが、まさかのグレンの言葉に目を丸くする。

「……どういうつもりだ? 言ったはずだ、俺を説得することを諦めてもらうと」

「まあ、落ち着いて最後まで聞け」

 抗議の声を上げるエルキュールを片手で制し、グレンは続ける。

「確かに正しくないとは言った。もっと他にやりようがあるかもしれねえ。でもな、間違っていると否定することもオレにはできねえ。なんて言うか、こうでもしなきゃお前は苦しくてこれ以上生きていけねえ、って思っちまったんだろ」

 エルキュールの心理を的確についたような言葉に、思わず自身の口から声が漏れるのを彼は自覚した。

「お前は薄々勘付いていると思うが、オレにも思わず目を背けたり、逃げ出してしまいたいことがある。犯した過ちによって罪悪感に押し潰されそうになる。……まあ、お前は曲がりなりにも向き合おうとしているから、逃げているだけのオレとは違うが」

 何かを隠しているとは確信していたが、そこまで切迫したものを抱えているとは思いもしなかった。快活なグレンには似つかない消極的な言葉が、エルキュールを少し驚かせた。

「それと、お前と話して同時にこんな風にも思った。人間一人では、いつか愚に陥って進むべき道を間違えちまう。重圧に挫けて為すべきことから逃げ出しちまう。どんなに強い覚悟を持っていてもだ。いつか自身の判断に迷いを覚える、楽な方に流れる、言い訳を取り繕って自分を守ることに固執するもんだ。孤独だと、それが全て許される」

 いつしかグレンの言葉を真に受けていた。それくらい彼の言葉には重みがあった。まるで自身がそれを経験してきたかのような、その言葉の圧力にエルキュールは暫し呆然とする。
 このままアマルティアと戦った先に待ち受ける未来を、エルキュールは想像しないでもなかった。だがこうして人から指摘されると、その深刻さに改めて気づかされる。

「――結局、君は何が言いたい? 俺に戦うことをやめてほしいのか?」

「違えよ、お前みてえな馬鹿にそんなこと言っても聞きゃしないだろ。……オレにもお前の行く道に同行させてほしい、そういうことだ」

 まさかの申し出にエルキュールは頭を抱えた。どうしてついてくるのかも不明であるし、そもそもエルキュールは出来ればもう誰とも関わりたくなどなかった。そのことに理解を示してくれたはずのグレンのはずだが、当の本人は忘れてしまったのだろうか。

「馬鹿は君の方だろう。ここまで来てそんな真似、できるわけがない。どうしてそこまで俺に関わるんだ」

「さあな、自分でもよく分からねえ。ただお前の中にオレと近いものを感じたのは確かだ。それに、お前は少し勘違いしているぜ」

「勘違い……?」

「ああ。お前は誰にも迷惑をかけたくねえみてえだが、恐らくアマルティアの連中はお前を追うのと同時に、今回みたいに街を襲い、人を汚染する。だったら、奴らを確実に倒すためには相応の戦力が必要だ、違うか?」

 それに関してはグレンの言う通りかもしれない。今回はザラームらだけがヌールに来たようだが、他にもアマルティアの幹部がいるのはほぼほぼ間違いない。そうなるとどう足掻いてもエルキュールだけでは手が足りないだろう。

「だから、オレに頼れ。それで足りなきゃ、そうだな……王都の騎士団本部の奴らとか。お前が周りを不幸にしたくないのは分かる。だがそれとは関係なしに、この世界の危機に立ち向かうだけの力を持った奴らには頼るべきだ」

 グレンの深紅の瞳が、かつてないほどの熱を帯びているように見える。正直、そううまく切り替えることはできそうもない。ここまで勝手に一人で来ておいて、いざとなった時には都合よく人に頼ることは矛盾しているように思える。

 それでも――

「――分かったよ、グレン。協力してくれないか、アマルティアを止めるために」

 襲撃後初めて見せたエルキュールの微笑に、グレンも白い歯を見せて笑う。

「……! ああ、こっちこそ頼むぜ、エルキュール」

 この判断が正しいか、はたまた間違いか、エルキュールには判断は付かない。中途半端な自分に対する嫌悪感もなお健在だ。何一つ状況は改善されているようには思えないはずだが、何故だかエルキュールを蝕んでいたはずの絶望は幾らか和らいでいた。


 来るべき世界の危機に結束した青年二人は、道の続きを歩み始める。夜明け前が一番暗い、彼らの旅路もそうであることを祈ろう。
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