黒き魔人のサルバシオン

鈴谷凌

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一章「王都動乱~紅蓮の正義~」

一章 第二十八話「不滅の剣 前編」

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「た、助けてぇー!!」

 エルキュールが南東区の通りへと出た途端、そんな声がどこからともなく聞こえてくる。
 助けを乞うその声に堪えようとしても、王都民の狂乱と犬型魔獣たちの咆哮ですぐに掻き消えてしまう。
 その姿を探そうとしても、逃げまどう人と、それを駆り立てる魔獣の動きに視界を奪われ、視認することができないでいた。

「くっ――」

 その上、その声は特定の一人によって上げられたものではないかもしれないし、そもそもこの一瞬の間ですら彼らが無事にやり過ごせているかも分からない。

 恐怖で彩られたミクシリアは、あらゆる点で混沌としていた。

「……っ! とりあえず、早く屋内へ避難を! 外にいるものから奴らは攻撃してくる!」

 濁流のような人の流れに逆らい、エルキュールはかつてないほどに大きく叫んだ。
 一度ではなく、何度も。少しでも多くの人が冷静な判断を行えるように。

 声を張り上げると同時に、エルキュールは街の外を目指した。
 ここ一帯は平民の住居やマーケットが数多く存在している。要は逃げるのに向いている構造で、身を潜む場所も豊富にあるということ。
 魔獣の出どころさえ潰してしまえば、被害を最小限に留めることができるかもしれないと踏んでいた。

 その間、人間を襲い建物を破壊せんとする魔獣どもを、エルキュールは一切の容赦なく屠った。

 近場のものはコアを直接叩き潰し、遠くを駆けるものは魔法で足止めをしてから隙を見て狩った。

 その颯爽な攻撃はしばしば王都民からの感謝の対象となったが、エルキュールは彼らに逃亡することだけを言い残して、とにかく先を急いだ。

 そうして荒れた道路を駆け、やがて門が見えるほどまで来たところで、エルキュールはふとその足を止めた。

 止めた、というより止まったと形容するべき動きだろうか。
 まるで動力が突然切れたかのように、突然勢いが失われる。

「……犬型だけじゃないのか……狼、魔人までも……。それに――」

 目前に広がる、異種の魔物が次々に人間の住処を犯していく光景は、この事件がアマルティアによって引き起こされたものだということを暗に示していた。

 もちろんその異様な光景もエルキュールの心を締め付けたが、十分予想の範囲内だった。
 しかし何より問題なのは、行進する彼奴らの傍らに横たわる王都民の屍の山――あるいは汚染されて黒ずんだ人間紛いのモノ。

 手の施しようのない惨状こそが、彼の威勢を蝕んだのだ。

「……道理で叫び声が止んだわけだ」

 耳を震わす住民たちの慟哭、それは災厄の象徴でもあって、エルキュールに罪の意識を植え付ける呪詛のようなものだった。

 またしても周りを危険に曝してしまったと、またしても一歩足りなかったと。
 絶叫が響く度にそんな後悔が身を燃やしたが、同時にその悲痛な叫びはエルキュールに覚悟を全うする力を与えるものでもあった。

 まだ、救える命がある。まだ、願う者がいる。
 だから戦わなければならない。

 けれど、その声すら聞こえないうちに、そこに込められた生きたいという願いを掬えぬうちに、取り返しがつかなくなった彼らの姿は、そんなエルキュールの奮起を嘲笑うかのように映った。

 今更立ち上がっても意味がないと。もはやアマルティアの策を見抜けなかった愚かさを恨むしかないと。

 そんな悔恨と絶望が襲ってきたのだ。

「……っ、違う……! 諦めている場合じゃない……!」

 だが、さりとてエルキュールの嘆きは一瞬だった。
 すぐに思いなおして、殲滅の意思をその身に宿すが――。

「オ、オオ……!」
「アアアァァッ!」

 対するエルキュールの存在に気付いた魔物どもが、既に彼の目前にまで接近していた。

「ちっ……!」

 先手を取られたのは非常にまずい。このまま囲まれるのも、この先に魔獣を送ってしまうのも、どちらも避けたいことだ。

「――フリューノア!」

 エルキュールは咄嗟に、闇魔法を後方の道路上に展開した。

 初級魔法、フリューノア。闇の魔素で形成された霧を展開し、相手の活力を奪う魔法だ。生物が触れれば倦怠感を引き起こし、魔法を封じることさえ出来る。

「グウゥゥ……」

 それが己にとって不利な性質を含むと本能的に察知したのか、魔物どもの動きが中断される。

 これで魔獣を見逃す心配はなくなったといえるが、代わりにエルキュールは完全に魔獣に包囲されてしまった。

「それに、ここを封鎖しても……迂回路などいくらでもあるだろう」

 唸る狼魔獣に注意を割きつつ、エルキュールは悔しさを滲ませる。一瞬でも悔恨を覚え、判断が遅れた自分を恥じる。

 案の定、後続の狼型や魔人は前方の横にある道を目指し始めていた。

 時間も、手も足りない。

 これではある程度の妥協は避けられまいと、エルキュールが無念の表情を浮かべたその瞬間だった。

「――伍の型、偃月えんげつ

 その件の脇道の奥から低く品のある声が発せられ、そこに集っていた魔物どもが一斉に切り伏せられた。

「なんだ……?」

 切り伏せられた、といっても刃は見えなかった。

 ならばどうやって、エルキュールは一瞬呆けたが、すぐに先刻目の当たりにしたものを思い出す。
 死角から放たれた青白い半円状の衝撃波。それがものの見事にコアごと魔物の身体を両断したのだ。

 周りの魔物も、エルキュールも、彼を囲む狼型も、皆一様に怯んでその場から動けない。

 時間が止まったような緊張の中、こつ、こつ、と音だけが響く。

 次いで脇道の奥から現れた。この場を一瞬にして支配した立役者の姿が。

「あ――」

 短く切り揃えられた黒髪。白を基調とした角ばった印象の厚手の装い。流麗に歩くその男の横顔は泰然としており、刃物のような鋭さすらも感じるほどの闘気を纏っている。

 その右手には青白い光を纏った細長い剣が握られており、その圧倒的な存在感は誰が見ても、それこそが先の攻撃を放った得物だと分かるほどだ。

 太刀――亜人の国スパニオに伝わる鍛造技術で造られた刃物である。

 この国ではほぼ扱うものがいないそれを携えた男は、往来のど真ん中まで歩きそこで足を止めた。
 そして周りで動きを止めていた魔物どもを見回すと、空いている左手を挑発するように動かす。

「グウォォッ!」

 それに乗せられてだろうか。もしくは一刻でも早くこの男を排除しなくてはならないと本能に駆り立てられたのだろうか。
 魔物は――エルキュールを包囲していたものも含めて――一斉に男の方へと飛びかかった。

 その数は十を優に超えていた。並の使い手ならば一瞬にして汚染されるほかないだろうに、押し寄せる魔物の身体の隙間からエルキュールの双眸は捉えていた。

 薄く不敵な笑みを浮かべる男の姿を。

「――壱の型、月輪げつりん

 上段に構えた太刀を上体を捻って振り払う。円を描く軌跡は、飛びかかってきていた魔物の一切を切り裂き、斬撃による風圧でエルキュールの身体すら飛ばす勢いであった。

「アァ……!」

 か細い悲鳴が聞こえる。

 腹を裂かれたもの、首を落とされたもの、コアを砕かれたもの。切られた箇所はまちまちで、身体を両断されてなおも蠢くものもいたが、容赦のないこの男は殺し損じたそれらのコアを一つ一つ冷静に貫いていった。

 魔獣も魔人も、男に向かっていたその瞬間に切り伏せられ、場には一瞬の静寂が訪れた。

「貴殿は――」

 その声でエルキュールはようやく我に返った。鋭さが抜けた、身を案じるかのような男の視線。

「俺は……」
「いや、名乗らなくともよい。貴殿の名は既に存じている」

 取り敢えず助けられた礼を果たそうとしたエルキュールだったが、思わぬ言葉でこれを止められてしまった。

 目を丸くするエルキュールに男は続ける。

「元ヌール住民、エルキュール・ラングレーよ。拙者は対イブリス専門機関・デュランダルが作戦執行部長、オーウェン・クラウザー。貴殿と同じく、この危機に抗わんとする者である」

 オーウェンと名乗った男はそう言い放ち、先ほどの鬼気と打って変わった穏やかな笑みで、エルキュールに手を差し伸べたのだった。
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