66 / 158
一章「王都動乱~紅蓮の正義~」
一章 第四十二話「決着・マクダウェル 前編」
しおりを挟む
平時は冷静を心掛けているロベールの、滅多にない激昂。
鋭く刺すその糾弾を、十数もの魔獣を従えた金髪の老父――ビル・マクダウェルは涼やかに受け流す。
その面に、狂気的な微笑みを貼り付けながら。
「魔獣を生み出す、か。なるほど……わしらが残してやった痕跡を丁寧に拾い上げてくれたようで光栄じゃな。紅炎騎士が来るか、月影が来るか……予想は様々だったが、よもや王国騎士団長殿が直々に訪ねてくるとは」
「質問に答えてくれと――」
「……逸るなよ、小僧。この魔獣の群れを見ないか。いくら其方であっても、足手まといを抱えていてはこの場を切り抜けることはできまいよ」
脅し文句とともにビルが一歩後ろのエリックに合図を送ると、エリックが徐に右腕を高く上げた。
それに呼応し、まちまちに鳴き始める魔獣に、ロベールは苦しげに威勢を収めるしかできなかった。
ビルのいう通り、こうしてルイスと共に囲まれてしまえば、ロベールとて迂闊に行動はできない。
彼が一人なら逃げおおせることもできようが、その場合この哀れな青年の命を、今度こそ失ってしまうだろう。
一度救った命をみすみす見放すなど、騎士団長としてあるまじき行為だ。
幸いにして、彼は魔獣を侍らせてはいるが何やら機を窺っている様子で仕掛けてくる素振りを未だ見せない。
ならばここで積極的な行動は控えるべきだろう。後ろで呆然とするルイスを目線で励ましつつ、今は耐えることを選択した。その果てに活路を見出せると信じて。
「話が早くて助かるな。流石はオルレーヌきっての武人じゃ」
「ええ、全く。私の記憶介入すらも受け付けてくれないようですよ」
嫌味にしか聞こえない賞賛に、徐に眼鏡を外したエリックが頷く。
細く切れ込んだ目尻は怜悧な印象を主張し、褐色の虹彩にはこちらの勝手を許さない力強さが備わっている。
「……っ」
未だ力の入り切っていない脚で後ろに立つルイスが、その露わになった目元を見て息を呑む。
彼の視線はもちろん、切れ長の目尻に褐色の光彩を光らせるエリックの右目には向いていなかった。
その眼差しは、件の右目とは対称の位置に埋め込まれた、薄く潰された円形の、禍々しい緑光を放つ異物に対して注がれている。
位置を考えるならば眼球に分類される器官なのだろうが。
本来ならば眼に備わっているはずの虹彩も、瞳孔も、何一つ見えずにただただ単色の光のみを発するその『左目』は、どう繕ってもヒトの、リーベが有する器官には見えなくて。
端的に言ってしまえば、イブリスの持つそれに酷似していたのだった。
「そうだ、あの眼だ……! 思い出したぞ、エリック……!」
「おや、その様子……どうやら夢から醒めてしまわれたようだ。何も知らずに私の支配下にいれば、私の声に耳を傾けていれば、辛い思いをされることもなかったでしょうに……ねえ、ルイス坊ちゃん?」
「その名でボクを呼ぶなぁっ! お前如きが――」
気勢を上げて前へ歩を進めるルイスを、ロベールが先んじて腕で制する。
あからさまの挑発に乗って陣形を崩してしまえば、いよいよ取り返しがつかなくなるだろう。その身を後ろへと隠し、ロベールは舌打ちする。
「しかし、その禍々しい光の眼……さては義眼型の魔動機械か? いやしかし、そこまで強力な魔法を放出できるものなど騎士団にも……そもそも記憶に干渉するほどの力を有したものなど、現代の魔動機械学の技術では有り得ないはずだが……?」
魔法の強大さからも、眼窩と一体となったその悍ましい様式から考えても、その魔動機械はロベールの持つ知識を遥かに超える代物であった。
口ぶりからして、術者の都合のいいように他者の認識を阻害し、恣意的に誘導させる能力。
現実から切り離された夢の中であるかのように、その意識は現実に対する効力を失う。
そうして体のいい傀儡は完成し、ここまで場を掻き乱すに至ったということなのだろう。
間違いなくそれは脅威と言える。だが、今更になってその力の実体を明らかにする必要などどこにあるのだろうか。
エリックの様子を見る限り、ロベールらを洗脳するつもりもない。
まるで、情報を与えること自体に目的があるような――。
「ひひ……随分と頭を悩ませているようじゃな、オスマン騎士団長。そう急かずともよいではないか……」
下卑た笑みを浮かべるビルは、明らかにこの状況を愉しんでいる。
まさかこのままこちらを揶揄い続けるだけで何も行動に移さないというのか。それともロベールの力を恐れ、煙に巻いた態度をとることで彼をこの場に縛り付けようという算段か。
いずれにしろロベールにとっては不都合なことだが、やはり魔獣に囲まれたこの状況を打破する術は見つからない。
焦燥に耐えるロベールに、ビルは一転してその不快な笑みを消した。
「まあ、戯れはこの辺りにしておこうか。先日の騎士団編成に関する議会で、其方に散々横やりを入れられたことに対する意趣返しだとでも思ってくれ」
耳障りな高音から、肝を冷やすような低音。ビルの纏う空気が一段と暗くなったのを感じた。
「これで全ては帳消し。将来の同志に対しての不要な反感は、あらかじめ消しておかねば、なぁ?」
「将来の、同志だと……? 何を言っているのだ、マクダウェル!」
気味悪く、馴れ馴れしいその態度に、ロベールは叩きつけるように叫ぶ。
向けられる感情も、言葉の意味も、到底受容できるものではなかった。
「ああ……済まない。頑固で保守的な其方には、多義的な物言いは良くなかったようじゃな」
憐み、嘲り、様々に表情を変えるビルは、やがて歯の根が浮き出るほどの凄絶な笑みを浮かべて告げる。
「これから其方には、ヒトとしての生を捨て去ってもらう。そうして其方はわしらと……彼らと共に、圧倒的な力で他を征服する道を行くのだ。新たに生まれ変わった魔人としてな……!」
再びもたらされた言葉は、ロベールの憤慨を一瞬吹き飛ばすほどに突飛で、それでいて恐ろしい事実を示唆していた。
ヒトの生を捨てる。魔人として生まれ変わる。
それだけを考えれば、この場にいる魔獣に襲わせて汚染してやるという単なる脅し文句にも受け取ることもできるかもしれない。
しかし『新たな同志』という言葉、この場に従わせている魔獣の存在、エリックの持つ魔動機械、そして「あの男が辿った末路」を考えれば、やはりそれは希望的観測にすぎなかった。
さらにロベールが先刻尋ねたあの質問。なぜビルが魔獣を生み出しているかという疑問も、これで半分は示されたようなものだった。
「まさか、本当の事だとは信じたくなかったが……、やはり貴方がアマルティアと……」
ロベールがその名を口にした瞬間、背後のルイスは息を呑み、対するビルとエリックは満ち足りたような表情を浮かべた。
「彼らの力は素晴らしい……おかげで魔獣を服従させ、人の行動を意のままに操り、この国の愚かなる権力者どもを出し抜くことができた。いとも容易く、いとも屈辱的に。ああ……何たる全能感、何たる至福か……!」
嬉々として語られる言葉はあらゆる侮辱に富んでいて。
ロベールは我を忘れて彼に掴みかかりそうになった。
だがその前に、危うく選択を誤る前に。
「ふざけるなっ! それが、それが貴様の望みだというのか!? そんなもののためにアイツを……レイモンドの命を弄んだっていうのか……!」
乱暴な言葉が耳をうち、視界の縁で金色がふわりと揺れた。
ロベールの横では一歩前へと踏み出したルイスが、この上ない憎悪と侮蔑を実の父へと向けていた。
「ほう?」
しかしそんな息子の真剣さも、狂気に堕ちたビルには届かないというのだろうか。
彼の激昂を気にも留めないその態度は、それまで彼の存在をまるで忘れていたのかとさえ勘ぐってしまうほどに冷たい。
「……ルイス。まさか未だ生きているとは……どうやら折角こしらえた墓も無駄だったようだな」
「ええ。用が済んだ駒を一気に片付ける、素晴らしい策だと思ったのですが。彼に対してもそう。一方的に立場を借りることになった分、代わりの役割を与えてやったというのに……使えない。やはり魔人としての資質は、オリジナルの人物の能力に大きく左右されるらしい」
「ぐっ……なぜ、そんな……」
一切の淀みなく流れる下衆な発言の数々。
人情は捨て去り、闇に堕ちたその姿は、もはやロベールに僅かな怒りすらもたらさなかった。
放心の中、思考だけがひとりでに巡る。
ビルが変わってしまったのは、一体いつからなのだろうか。
昔から欲深い一面がありはしたが、大胆な立ち回りをする胆力もない小心者であった。
決して良い性格だと褒められる男ではなかったが、良くも悪くも平和を重んじるその考えだけは、ロベールも信頼を置いていたというのに。
その彼がどうしてここまで。見知らぬ魔動機械を有し、家族を切り捨て、民を死に追いやる外道へと成り下がってしまったのか。
振り返ってみれば、先月末の王都での魔人騒動、それに対する議会での彼は、平時よりも傲慢な物言いが目立っていたような印象がある。
先刻ロベールが彼の書斎で発見した書類から見ても、その辺りから今日のこの事件を予期、乃至そうなるように裏から操っていたのだろう。
やはり問題はどのように彼奴らと接触したかだが、もはや悠長に場を見定めている時間は残されていないようだった。
「エリック」
「は――」
一変して厳かな態度で頷き合う二人に、ロベールは身に纏わりつく緊張を思い出す。
エリックは懐から取り出したものを、恭しくビルへと差しだした。
目を見張りその正体を探ろうとするも、生憎と小さすぎて正確な判断はできない。
苛立たしげに呻くロベールに、ビルは大きく笑って一歩前に足を踏み出した。
件のものがよく見えるように、手を前方に掲げて。
「さて、話に付き合うのはここまでじゃ。遅くなったが、これでようやく其方に『洗礼』を与えられる」
ビルの右手で透明に光るのは、細長い容器だった。
片手で構えるその先端にはさらに細く、長い針が生えており、その反対の指が宛がわれた部分には、押下するための突起が備えつけられている。
長い針が少しだけ攻撃的に映る以外は、何の変哲もない注射器だ。
しかし、それはあくまでも注射器に関しての話に限る。
魔獣で囲み、ロベールらが下手に行動できないのをいいことに、ビルが注射器を片手に近づいてくる。
そして透き通る容器の中にあるものも、次第に肉眼で見て取れるようになる。
「……それ、は」
それは黒く、淡い光を放つ粒子だった。
粒子は透明な水か何かと入れられているようで、歩くビルの動きに揺られて液体と共にうねるような動きを見せていた。
「ふむ、この距離でも見えるか。流石の魔素感覚じゃな、騎士団長。そこまで類まれな力を見せつけられると、期待で胸が裂けそうじゃよ」
「魔素感覚……? ボクの目には何も見えないが……」
賞賛するビル、困惑するルイス。二つの反応は異なる視点から一つの事実を浮かびあがらせる。
怪しく輝く粒子の正体が魔素であること。
そしてその事実は、さらなる狂気的な意味を持っている。そんなロベール予感と共に――。
「さあ、ロベール・オスマン。選択の時だ。この魔素を取り込み魔人へとなるか、それとも虚しい抗いの果てにその生を無残に散らすか……せいぜい悔いのない方を選ぶんじゃな」
ロベールとの距離をあと数歩の距離までに縮めてビルが突きつけたのは、リーベにとって、理性あるヒトにとって、限りなく屈辱的で、冒涜的な二者択一であった。
鋭く刺すその糾弾を、十数もの魔獣を従えた金髪の老父――ビル・マクダウェルは涼やかに受け流す。
その面に、狂気的な微笑みを貼り付けながら。
「魔獣を生み出す、か。なるほど……わしらが残してやった痕跡を丁寧に拾い上げてくれたようで光栄じゃな。紅炎騎士が来るか、月影が来るか……予想は様々だったが、よもや王国騎士団長殿が直々に訪ねてくるとは」
「質問に答えてくれと――」
「……逸るなよ、小僧。この魔獣の群れを見ないか。いくら其方であっても、足手まといを抱えていてはこの場を切り抜けることはできまいよ」
脅し文句とともにビルが一歩後ろのエリックに合図を送ると、エリックが徐に右腕を高く上げた。
それに呼応し、まちまちに鳴き始める魔獣に、ロベールは苦しげに威勢を収めるしかできなかった。
ビルのいう通り、こうしてルイスと共に囲まれてしまえば、ロベールとて迂闊に行動はできない。
彼が一人なら逃げおおせることもできようが、その場合この哀れな青年の命を、今度こそ失ってしまうだろう。
一度救った命をみすみす見放すなど、騎士団長としてあるまじき行為だ。
幸いにして、彼は魔獣を侍らせてはいるが何やら機を窺っている様子で仕掛けてくる素振りを未だ見せない。
ならばここで積極的な行動は控えるべきだろう。後ろで呆然とするルイスを目線で励ましつつ、今は耐えることを選択した。その果てに活路を見出せると信じて。
「話が早くて助かるな。流石はオルレーヌきっての武人じゃ」
「ええ、全く。私の記憶介入すらも受け付けてくれないようですよ」
嫌味にしか聞こえない賞賛に、徐に眼鏡を外したエリックが頷く。
細く切れ込んだ目尻は怜悧な印象を主張し、褐色の虹彩にはこちらの勝手を許さない力強さが備わっている。
「……っ」
未だ力の入り切っていない脚で後ろに立つルイスが、その露わになった目元を見て息を呑む。
彼の視線はもちろん、切れ長の目尻に褐色の光彩を光らせるエリックの右目には向いていなかった。
その眼差しは、件の右目とは対称の位置に埋め込まれた、薄く潰された円形の、禍々しい緑光を放つ異物に対して注がれている。
位置を考えるならば眼球に分類される器官なのだろうが。
本来ならば眼に備わっているはずの虹彩も、瞳孔も、何一つ見えずにただただ単色の光のみを発するその『左目』は、どう繕ってもヒトの、リーベが有する器官には見えなくて。
端的に言ってしまえば、イブリスの持つそれに酷似していたのだった。
「そうだ、あの眼だ……! 思い出したぞ、エリック……!」
「おや、その様子……どうやら夢から醒めてしまわれたようだ。何も知らずに私の支配下にいれば、私の声に耳を傾けていれば、辛い思いをされることもなかったでしょうに……ねえ、ルイス坊ちゃん?」
「その名でボクを呼ぶなぁっ! お前如きが――」
気勢を上げて前へ歩を進めるルイスを、ロベールが先んじて腕で制する。
あからさまの挑発に乗って陣形を崩してしまえば、いよいよ取り返しがつかなくなるだろう。その身を後ろへと隠し、ロベールは舌打ちする。
「しかし、その禍々しい光の眼……さては義眼型の魔動機械か? いやしかし、そこまで強力な魔法を放出できるものなど騎士団にも……そもそも記憶に干渉するほどの力を有したものなど、現代の魔動機械学の技術では有り得ないはずだが……?」
魔法の強大さからも、眼窩と一体となったその悍ましい様式から考えても、その魔動機械はロベールの持つ知識を遥かに超える代物であった。
口ぶりからして、術者の都合のいいように他者の認識を阻害し、恣意的に誘導させる能力。
現実から切り離された夢の中であるかのように、その意識は現実に対する効力を失う。
そうして体のいい傀儡は完成し、ここまで場を掻き乱すに至ったということなのだろう。
間違いなくそれは脅威と言える。だが、今更になってその力の実体を明らかにする必要などどこにあるのだろうか。
エリックの様子を見る限り、ロベールらを洗脳するつもりもない。
まるで、情報を与えること自体に目的があるような――。
「ひひ……随分と頭を悩ませているようじゃな、オスマン騎士団長。そう急かずともよいではないか……」
下卑た笑みを浮かべるビルは、明らかにこの状況を愉しんでいる。
まさかこのままこちらを揶揄い続けるだけで何も行動に移さないというのか。それともロベールの力を恐れ、煙に巻いた態度をとることで彼をこの場に縛り付けようという算段か。
いずれにしろロベールにとっては不都合なことだが、やはり魔獣に囲まれたこの状況を打破する術は見つからない。
焦燥に耐えるロベールに、ビルは一転してその不快な笑みを消した。
「まあ、戯れはこの辺りにしておこうか。先日の騎士団編成に関する議会で、其方に散々横やりを入れられたことに対する意趣返しだとでも思ってくれ」
耳障りな高音から、肝を冷やすような低音。ビルの纏う空気が一段と暗くなったのを感じた。
「これで全ては帳消し。将来の同志に対しての不要な反感は、あらかじめ消しておかねば、なぁ?」
「将来の、同志だと……? 何を言っているのだ、マクダウェル!」
気味悪く、馴れ馴れしいその態度に、ロベールは叩きつけるように叫ぶ。
向けられる感情も、言葉の意味も、到底受容できるものではなかった。
「ああ……済まない。頑固で保守的な其方には、多義的な物言いは良くなかったようじゃな」
憐み、嘲り、様々に表情を変えるビルは、やがて歯の根が浮き出るほどの凄絶な笑みを浮かべて告げる。
「これから其方には、ヒトとしての生を捨て去ってもらう。そうして其方はわしらと……彼らと共に、圧倒的な力で他を征服する道を行くのだ。新たに生まれ変わった魔人としてな……!」
再びもたらされた言葉は、ロベールの憤慨を一瞬吹き飛ばすほどに突飛で、それでいて恐ろしい事実を示唆していた。
ヒトの生を捨てる。魔人として生まれ変わる。
それだけを考えれば、この場にいる魔獣に襲わせて汚染してやるという単なる脅し文句にも受け取ることもできるかもしれない。
しかし『新たな同志』という言葉、この場に従わせている魔獣の存在、エリックの持つ魔動機械、そして「あの男が辿った末路」を考えれば、やはりそれは希望的観測にすぎなかった。
さらにロベールが先刻尋ねたあの質問。なぜビルが魔獣を生み出しているかという疑問も、これで半分は示されたようなものだった。
「まさか、本当の事だとは信じたくなかったが……、やはり貴方がアマルティアと……」
ロベールがその名を口にした瞬間、背後のルイスは息を呑み、対するビルとエリックは満ち足りたような表情を浮かべた。
「彼らの力は素晴らしい……おかげで魔獣を服従させ、人の行動を意のままに操り、この国の愚かなる権力者どもを出し抜くことができた。いとも容易く、いとも屈辱的に。ああ……何たる全能感、何たる至福か……!」
嬉々として語られる言葉はあらゆる侮辱に富んでいて。
ロベールは我を忘れて彼に掴みかかりそうになった。
だがその前に、危うく選択を誤る前に。
「ふざけるなっ! それが、それが貴様の望みだというのか!? そんなもののためにアイツを……レイモンドの命を弄んだっていうのか……!」
乱暴な言葉が耳をうち、視界の縁で金色がふわりと揺れた。
ロベールの横では一歩前へと踏み出したルイスが、この上ない憎悪と侮蔑を実の父へと向けていた。
「ほう?」
しかしそんな息子の真剣さも、狂気に堕ちたビルには届かないというのだろうか。
彼の激昂を気にも留めないその態度は、それまで彼の存在をまるで忘れていたのかとさえ勘ぐってしまうほどに冷たい。
「……ルイス。まさか未だ生きているとは……どうやら折角こしらえた墓も無駄だったようだな」
「ええ。用が済んだ駒を一気に片付ける、素晴らしい策だと思ったのですが。彼に対してもそう。一方的に立場を借りることになった分、代わりの役割を与えてやったというのに……使えない。やはり魔人としての資質は、オリジナルの人物の能力に大きく左右されるらしい」
「ぐっ……なぜ、そんな……」
一切の淀みなく流れる下衆な発言の数々。
人情は捨て去り、闇に堕ちたその姿は、もはやロベールに僅かな怒りすらもたらさなかった。
放心の中、思考だけがひとりでに巡る。
ビルが変わってしまったのは、一体いつからなのだろうか。
昔から欲深い一面がありはしたが、大胆な立ち回りをする胆力もない小心者であった。
決して良い性格だと褒められる男ではなかったが、良くも悪くも平和を重んじるその考えだけは、ロベールも信頼を置いていたというのに。
その彼がどうしてここまで。見知らぬ魔動機械を有し、家族を切り捨て、民を死に追いやる外道へと成り下がってしまったのか。
振り返ってみれば、先月末の王都での魔人騒動、それに対する議会での彼は、平時よりも傲慢な物言いが目立っていたような印象がある。
先刻ロベールが彼の書斎で発見した書類から見ても、その辺りから今日のこの事件を予期、乃至そうなるように裏から操っていたのだろう。
やはり問題はどのように彼奴らと接触したかだが、もはや悠長に場を見定めている時間は残されていないようだった。
「エリック」
「は――」
一変して厳かな態度で頷き合う二人に、ロベールは身に纏わりつく緊張を思い出す。
エリックは懐から取り出したものを、恭しくビルへと差しだした。
目を見張りその正体を探ろうとするも、生憎と小さすぎて正確な判断はできない。
苛立たしげに呻くロベールに、ビルは大きく笑って一歩前に足を踏み出した。
件のものがよく見えるように、手を前方に掲げて。
「さて、話に付き合うのはここまでじゃ。遅くなったが、これでようやく其方に『洗礼』を与えられる」
ビルの右手で透明に光るのは、細長い容器だった。
片手で構えるその先端にはさらに細く、長い針が生えており、その反対の指が宛がわれた部分には、押下するための突起が備えつけられている。
長い針が少しだけ攻撃的に映る以外は、何の変哲もない注射器だ。
しかし、それはあくまでも注射器に関しての話に限る。
魔獣で囲み、ロベールらが下手に行動できないのをいいことに、ビルが注射器を片手に近づいてくる。
そして透き通る容器の中にあるものも、次第に肉眼で見て取れるようになる。
「……それ、は」
それは黒く、淡い光を放つ粒子だった。
粒子は透明な水か何かと入れられているようで、歩くビルの動きに揺られて液体と共にうねるような動きを見せていた。
「ふむ、この距離でも見えるか。流石の魔素感覚じゃな、騎士団長。そこまで類まれな力を見せつけられると、期待で胸が裂けそうじゃよ」
「魔素感覚……? ボクの目には何も見えないが……」
賞賛するビル、困惑するルイス。二つの反応は異なる視点から一つの事実を浮かびあがらせる。
怪しく輝く粒子の正体が魔素であること。
そしてその事実は、さらなる狂気的な意味を持っている。そんなロベール予感と共に――。
「さあ、ロベール・オスマン。選択の時だ。この魔素を取り込み魔人へとなるか、それとも虚しい抗いの果てにその生を無残に散らすか……せいぜい悔いのない方を選ぶんじゃな」
ロベールとの距離をあと数歩の距離までに縮めてビルが突きつけたのは、リーベにとって、理性あるヒトにとって、限りなく屈辱的で、冒涜的な二者択一であった。
0
あなたにおすすめの小説
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
チート魔力のせいで世界の管理者に目を付けられましたが、巻き込まれたくないので金稼ぎします
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――
そう信じている守銭奴、鏡谷知里(28)。
交通事故で死んだはずの彼が目を覚ますと、そこは剣と魔法の異世界。
しかもなぜか、規格外のチート魔力を手に入れていた。
だがその力は、本来存在してはいけないものだった。
知里の魔力は、封印されていた伝説の冒険者の魔力と重なったことで生まれた世界のバランスを崩す力。
その異常な魔力に目を付けたのは、この世界を裏から支配する存在――
「世界を束ねる管理者」
神にも等しい力を持つ彼らは、知里を危険視し始める。
巻き込まれたくない。
戦いたくもない。
知里が望むのはただ一つ。
金を稼いで楽して生きること。
しかし純粋すぎる仲間に振り回され、事件に巻き込まれ、気付けば世界の管理者と敵対する羽目に――。
守銭奴のチート魔力持ち冒険者 VS 世界を支配する管理者。
金のために生きる男が、望まぬまま世界の頂点と戦うことになる
巻き込まれ系異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
借金5億で異世界転移、よりによって金本位制の世界だった
夜明け一葉
ファンタジー
32歳の個人トレーダー・佐藤慧は、5年間の雪辱を賭けたトレードで5億円の借金を抱え、意識を失った。目覚めると、そこは剣と魔法が存在する見知らぬ世界だった。常識が通じない異世界で、金貨を見るだけで嘔吐する「金アレルギー」を抱えながら、若き冒険者リナと出会い、生き延びる術を探し始める。諦めることだけができなかった男が、新たな世界で再び立ち上がる異世界サバイバル譚。
巻き込まれ異世界召喚、なぜか俺だけ竜皇女の推しになった
ノラクラ
ファンタジー
俺、霧島悠斗は筋金入りの陰キャ高校生。
学校が終わったら即帰宅して、ゲームライフを満喫するのが至福の時間――のはずだった。
だがある日の帰り道、玄関前で学園トップスターたちの修羅場に遭遇してしまう。
暴君・赤城獅童、王子様系イケメン・天条院義孝、清楚系美少女・柊奏、その親友・羽里友莉。
よりによって学園の顔ぶれが勢ぞろいして大口論!?
……陰キャ代表の俺に混ざる理由なんて一ミリもない。見なかったことにしてゲームしに帰りたい!
そう願った矢先――空気が変わり、街に巨大な魔法陣が出現。
赤城たちは光に呑まれ、異世界へと召喚されてしまった。
「お~、異世界召喚ね。ラノベあるあるだな」
そう、他人事のように見送った俺だったが……。
直後、俺の足元にも魔法陣が浮かび上がる。
「ちょ、待て待て待て! 俺は陰キャだぞ!? 勇者じゃないんだぞ!?」
――かくして、ゲームライフを愛する陰キャ高校生の異世界行きが始まる。
レベルアップは異世界がおすすめ!
まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
ソロ冒険者のぶらり旅~悠々自適とは無縁な日々~
.
ファンタジー
今年から冒険者生活を開始した主人公で【ソロ】と言う適正のノア(15才)。
その適正の為、戦闘・日々の行動を基本的に1人で行わなければなりません。
そこで元上級冒険者の両親と猛特訓を行い、チート級の戦闘力と数々のスキルを持つ事になります。
『悠々自適にぶらり旅』
を目指す″つもり″の彼でしたが、開始早々から波乱に満ちた冒険者生活が待っていました。
勇者パーティーを追放されたので、張り切ってスローライフをしたら魔王に世界が滅ぼされてました
まりあんぬさま
ファンタジー
かつて、世界を救う希望と称えられた“勇者パーティー”。
その中で地味に、黙々と補助・回復・結界を張り続けていたおっさん――バニッシュ=クラウゼン(38歳)は、ある日、突然追放を言い渡された。
理由は「お荷物」「地味すぎる」「若返くないから」。
……笑えない。
人付き合いに疲れ果てたバニッシュは、「もう人とは関わらん」と北西の“魔の森”に引きこもり、誰も入って来られない結界を張って一人スローライフを開始……したはずだった。
だがその結界、なぜか“迷える者”だけは入れてしまう仕様だった!?
気づけば――
記憶喪失の魔王の娘
迫害された獣人一家
古代魔法を使うエルフの美少女
天然ドジな女神
理想を追いすぎて仲間を失った情熱ドワーフ
などなど、“迷える者たち”がどんどん集まってくる異種族スローライフ村が爆誕!
ところが世界では、バニッシュの支援を失った勇者たちがボロボロに……
魔王軍の侵攻は止まらず、世界滅亡のカウントダウンが始まっていた。
「もう面倒ごとはごめんだ。でも、目の前の誰かを見捨てるのも――もっとごめんだ」
これは、追放された“地味なおっさん”が、
異種族たちとスローライフしながら、
世界を救ってしまう(予定)のお話である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる