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二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
二章 第十話「仕合」
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オルレーヌ指折りの貴族であり、武家でもあるブラッドフォード。代々、猛勇なる戦士が研鑽に励んだとされるその訓練室には、異様な雰囲気が立ち込めていた。
決闘のため一段高く切り出された土俵に上り、エルキュールは油断なくハルバードを構える。鋭い琥珀色が、対するヴォルフガングを射貫いた。
双方に動く様子は見られず、肌を刺すような静寂だけが一向に場を包んでいる。
過ぎ去った時は一瞬か、永遠か。
ふと、エルキュールは疑念に思った。自分がここに来た目的と、いま置かれているこの状況の不一致を。突然告げられた決闘の申し出に一体どのような意味があるかを。
それは張り詰めた緊張の糸が、一瞬、ほんの一瞬だけ緩んでしまったかのような些細な揺らぎであった。
凡庸な者であってはまず見通せない、僅かな心の移ろい。されど稀代の紅炎騎士ともなれば、その限りではなかったのだろう。
完全なる静から、予備動作を介さず動へ。
大地を蹴り破らんばかりの力強い踏み込みを以て、鷹揚なるヴォルフガングが牙を剥いた。
その手に構えるは、宝剣レーヴァテイン。赤き剣身は限りない闘志を、輝く金の装飾は冒しがたい威光を、それぞれ忘れがたく刻みつける。古代より受け継がれてきた、魔を滅し、人を助く刃であった。
音を置き去りにし、巨躯がエルキュールへ。その瞳が動揺に染まる。無理な体勢の防御は容易く破られ、ヴォルフガングの二段目に、ハルバードは甲高い金属音を散らして高空を舞った。
完全な無手の状態。無防備なエルキュールに、ヴォルフガングは斬り上げた姿勢から流れるまま斬り下ろしを放つ。
その技は間違いなく、人が到達し得る武の極みへと届きつつあるものであった。無上の領域に迫る一撃であった。
徒人であれば、まず躱すことのできない一振り。されど人ならざる魔人においては、やはりその限りではない。
ハルバードを弾き飛ばされ、片足が浮いた体勢のまま、エルキュールは後方へと身体を翻すと、片腕のみで倒立する。続けざまに腕で地を押して後ろに跳び、迫りくる剣尖を紙一重で避けた。超人的な身のこなしに、ヴォルフガングにも明らかな驚愕が宿る。
空を裂き、地に激突するレーヴァテイン、その剣脊にエルキュールは素早く足をかけた。攻撃の届く範囲を緻密に計算していたからこそ為せる芸当。そのまま剣脊を踏み抜き、宙へ。
空に回転するハルバードの柄を、跳躍したエルキュールはしかと握った。すぐ下の地上には、剣を踏み抜かれた衝撃に怯むヴォルフガング。
空中のエルキュールは、握ったばかりのハルバードの刃を下へと向けると、狙いをつけてから勢いよく投げ飛ばした。
着弾点は、隙を曝したヴォルフガングの脳天――から少し逸れた先の地面。ざくり、音が鳴って。放たれたハルバードは見事、地面へと突き刺さっていた。
「見事だった、エルキュール。よもやおれが一本取られるとは。ここ数年はなかったことだ」
「……運がよかっただけです。戦場であれば、俺が集中を切らした時点で終わっていました」
決闘を終え、客室に通されたエルキュールは、向かいに座るヴォルフガングを見据える。
烈火の如き赤髪、ブラッドフォードを象徴する赤と黒の礼服。仕合を終えた直後だというのに、紅炎騎士の内からはすっかり昂ぶりが消えていた。
「悪いな。おまえが訪ねてきた訳は知っていたが、事が事だ、相手は見極めておく必要があった」
エルキュールは首を振る。
先の仕合がどういう意味を持っていたかは、既に伝えてもらっていた。
「本当ですよ、あなた。もう歳なのですから無茶は控えてください」
ヴォルフガングの隣に腰かける、このアンドレア・ブラッドフォードの口によって。
薄い桃の髪に、裾の広いドレスに身を包む彼女は、さながら野に咲く花のように可憐で若々しくあった。それでいて十年以上ヴォルフガングを支えた良妻であるというのだから、エルキュールの驚きは大きかった。
「おれは死に絶えるその時まで現役だ。あの馬鹿息子にも、おいそれと紅炎騎士の座は渡せん」
「まったく……仕方のない人」
ブラッドフォードを訪ねて初めて分かったことだが、エルキュールは夫婦という人間関係をこれほど近くで見た経験がなかった。
信頼を寄せあい、時には軽口を言いあい、支え合う。とても尊いものに見えた。
「……母さんは、そう言えば」
あの親子のことを思い出す。リゼット、アヤ。どちらも人間であるなら、彼女たちと共にあったもう一人は、どこへ。父であり夫であったはずの男が、名前も顔も知らぬヒトが、エルキュールは今この瞬間どうしようもなく気になってしまった。
「エルキュール?」
「あ……いえ、何でも。仲睦まじいものだと思っていました」
「まあ、冷静に言われますと少々恥ずかしいですね」
アンドレアは淑やかに、ヴォルフガングは満更でもないように、咳払いを一つ。
エルキュールは気を引き締めるように、椅子に座り直した。
「俺が今回こちらに伺わせていただいた理由ですが。デュランダルに魔物とアマルティアの調査を任ぜられたというのは先ほど話した通り。最初はそれについて簡単な聞き込みをできればいいと思っていましたが……あのような試験を課すということは、より深いお話を聞かせてくれるおつもりだということですか?」
エルキュールの言には、逃れ難い圧が籠っていた。いざ本題に入るとなると、先ほどの昂ぶりが抜けきらないようであった。
反対に、ヴォルフガングは余裕綽々に構えて豪快に笑っていた。
「その通り、良い洞察だ。ふん……次は魔法の使用も含めて手合わせするのも一興だな」
「あなた、話が進みませんから」
アンドレアが仲裁してくれなくては、また流されるところであった。グレンからもちらと話を聞いていたが、中々どうしてやりにくい相手だ。
「俺の言ったことに、間違いありませんか?」
「ああ、概ねはな。だが魔物の情報とはいえ、そこらに転がっているものではもはや役に立たんだろう。常識というのは、この一か月で散り屑と成ったのだ。よって必要なのは、新たな視座に立つこと……もしくは、埋もれた歴史を掘り返すこと、そう思わんか?」
試すようなヴォルフガングの口調。デュランダルの新入りがどこまで通用するかを確かめずにはいられない様子であった。
垣間見える子供じみた部分に、エルキュールは少しだけ親近感を覚えた。
「新たな視座、埋もれた歴史……そして魔物に関連するとなると、俺にも一つだけ心当たりがあります」
「……ほう?」
魔人ディアマントとの戦闘を経て、エルキュールはいの一番にある可能性に思い至っていた。
アマルティアの目的の一つとされる、魔王ベルムント。そして魔物が活性化し始めた時期に起こった、未曽有の災害のことだ。
「六大精霊のうち、闇を司るベルムントが封印されているという聖域、アートルムダール。十五年前その地で起こった戦役こそが、アマルティアと魔物の謎に通じる手がかりだと思っています」
沸々と感じていた疑問をそのままぶつける。人の世で秘められてきた歴史を躊躇なく曝け出す。
ヴォルフガングは一瞬だけ険しい顔をした後、笑った。豪快に笑い飛ばすでもなく、見定めるような色が混じっているわけでもない。ただ、寂しく。
「……オーウェンも、有能な部下を手に入れたようだ」
だが次の瞬間には、ヴォルフガングはいつもと変わらぬ力強さを取り戻していて。
「エルキュール、おまえの言う通りだ。今こそ語るべきなのだ、人々が口にすることさえ忌み嫌った、あの惨劇の歴史を」
そして、ヴォルフガングは滔々と話し始めた。
決闘のため一段高く切り出された土俵に上り、エルキュールは油断なくハルバードを構える。鋭い琥珀色が、対するヴォルフガングを射貫いた。
双方に動く様子は見られず、肌を刺すような静寂だけが一向に場を包んでいる。
過ぎ去った時は一瞬か、永遠か。
ふと、エルキュールは疑念に思った。自分がここに来た目的と、いま置かれているこの状況の不一致を。突然告げられた決闘の申し出に一体どのような意味があるかを。
それは張り詰めた緊張の糸が、一瞬、ほんの一瞬だけ緩んでしまったかのような些細な揺らぎであった。
凡庸な者であってはまず見通せない、僅かな心の移ろい。されど稀代の紅炎騎士ともなれば、その限りではなかったのだろう。
完全なる静から、予備動作を介さず動へ。
大地を蹴り破らんばかりの力強い踏み込みを以て、鷹揚なるヴォルフガングが牙を剥いた。
その手に構えるは、宝剣レーヴァテイン。赤き剣身は限りない闘志を、輝く金の装飾は冒しがたい威光を、それぞれ忘れがたく刻みつける。古代より受け継がれてきた、魔を滅し、人を助く刃であった。
音を置き去りにし、巨躯がエルキュールへ。その瞳が動揺に染まる。無理な体勢の防御は容易く破られ、ヴォルフガングの二段目に、ハルバードは甲高い金属音を散らして高空を舞った。
完全な無手の状態。無防備なエルキュールに、ヴォルフガングは斬り上げた姿勢から流れるまま斬り下ろしを放つ。
その技は間違いなく、人が到達し得る武の極みへと届きつつあるものであった。無上の領域に迫る一撃であった。
徒人であれば、まず躱すことのできない一振り。されど人ならざる魔人においては、やはりその限りではない。
ハルバードを弾き飛ばされ、片足が浮いた体勢のまま、エルキュールは後方へと身体を翻すと、片腕のみで倒立する。続けざまに腕で地を押して後ろに跳び、迫りくる剣尖を紙一重で避けた。超人的な身のこなしに、ヴォルフガングにも明らかな驚愕が宿る。
空を裂き、地に激突するレーヴァテイン、その剣脊にエルキュールは素早く足をかけた。攻撃の届く範囲を緻密に計算していたからこそ為せる芸当。そのまま剣脊を踏み抜き、宙へ。
空に回転するハルバードの柄を、跳躍したエルキュールはしかと握った。すぐ下の地上には、剣を踏み抜かれた衝撃に怯むヴォルフガング。
空中のエルキュールは、握ったばかりのハルバードの刃を下へと向けると、狙いをつけてから勢いよく投げ飛ばした。
着弾点は、隙を曝したヴォルフガングの脳天――から少し逸れた先の地面。ざくり、音が鳴って。放たれたハルバードは見事、地面へと突き刺さっていた。
「見事だった、エルキュール。よもやおれが一本取られるとは。ここ数年はなかったことだ」
「……運がよかっただけです。戦場であれば、俺が集中を切らした時点で終わっていました」
決闘を終え、客室に通されたエルキュールは、向かいに座るヴォルフガングを見据える。
烈火の如き赤髪、ブラッドフォードを象徴する赤と黒の礼服。仕合を終えた直後だというのに、紅炎騎士の内からはすっかり昂ぶりが消えていた。
「悪いな。おまえが訪ねてきた訳は知っていたが、事が事だ、相手は見極めておく必要があった」
エルキュールは首を振る。
先の仕合がどういう意味を持っていたかは、既に伝えてもらっていた。
「本当ですよ、あなた。もう歳なのですから無茶は控えてください」
ヴォルフガングの隣に腰かける、このアンドレア・ブラッドフォードの口によって。
薄い桃の髪に、裾の広いドレスに身を包む彼女は、さながら野に咲く花のように可憐で若々しくあった。それでいて十年以上ヴォルフガングを支えた良妻であるというのだから、エルキュールの驚きは大きかった。
「おれは死に絶えるその時まで現役だ。あの馬鹿息子にも、おいそれと紅炎騎士の座は渡せん」
「まったく……仕方のない人」
ブラッドフォードを訪ねて初めて分かったことだが、エルキュールは夫婦という人間関係をこれほど近くで見た経験がなかった。
信頼を寄せあい、時には軽口を言いあい、支え合う。とても尊いものに見えた。
「……母さんは、そう言えば」
あの親子のことを思い出す。リゼット、アヤ。どちらも人間であるなら、彼女たちと共にあったもう一人は、どこへ。父であり夫であったはずの男が、名前も顔も知らぬヒトが、エルキュールは今この瞬間どうしようもなく気になってしまった。
「エルキュール?」
「あ……いえ、何でも。仲睦まじいものだと思っていました」
「まあ、冷静に言われますと少々恥ずかしいですね」
アンドレアは淑やかに、ヴォルフガングは満更でもないように、咳払いを一つ。
エルキュールは気を引き締めるように、椅子に座り直した。
「俺が今回こちらに伺わせていただいた理由ですが。デュランダルに魔物とアマルティアの調査を任ぜられたというのは先ほど話した通り。最初はそれについて簡単な聞き込みをできればいいと思っていましたが……あのような試験を課すということは、より深いお話を聞かせてくれるおつもりだということですか?」
エルキュールの言には、逃れ難い圧が籠っていた。いざ本題に入るとなると、先ほどの昂ぶりが抜けきらないようであった。
反対に、ヴォルフガングは余裕綽々に構えて豪快に笑っていた。
「その通り、良い洞察だ。ふん……次は魔法の使用も含めて手合わせするのも一興だな」
「あなた、話が進みませんから」
アンドレアが仲裁してくれなくては、また流されるところであった。グレンからもちらと話を聞いていたが、中々どうしてやりにくい相手だ。
「俺の言ったことに、間違いありませんか?」
「ああ、概ねはな。だが魔物の情報とはいえ、そこらに転がっているものではもはや役に立たんだろう。常識というのは、この一か月で散り屑と成ったのだ。よって必要なのは、新たな視座に立つこと……もしくは、埋もれた歴史を掘り返すこと、そう思わんか?」
試すようなヴォルフガングの口調。デュランダルの新入りがどこまで通用するかを確かめずにはいられない様子であった。
垣間見える子供じみた部分に、エルキュールは少しだけ親近感を覚えた。
「新たな視座、埋もれた歴史……そして魔物に関連するとなると、俺にも一つだけ心当たりがあります」
「……ほう?」
魔人ディアマントとの戦闘を経て、エルキュールはいの一番にある可能性に思い至っていた。
アマルティアの目的の一つとされる、魔王ベルムント。そして魔物が活性化し始めた時期に起こった、未曽有の災害のことだ。
「六大精霊のうち、闇を司るベルムントが封印されているという聖域、アートルムダール。十五年前その地で起こった戦役こそが、アマルティアと魔物の謎に通じる手がかりだと思っています」
沸々と感じていた疑問をそのままぶつける。人の世で秘められてきた歴史を躊躇なく曝け出す。
ヴォルフガングは一瞬だけ険しい顔をした後、笑った。豪快に笑い飛ばすでもなく、見定めるような色が混じっているわけでもない。ただ、寂しく。
「……オーウェンも、有能な部下を手に入れたようだ」
だが次の瞬間には、ヴォルフガングはいつもと変わらぬ力強さを取り戻していて。
「エルキュール、おまえの言う通りだ。今こそ語るべきなのだ、人々が口にすることさえ忌み嫌った、あの惨劇の歴史を」
そして、ヴォルフガングは滔々と話し始めた。
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