黒き魔人のサルバシオン

鈴谷凌

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二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」

二章 第二十三話「山腹の結界」

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 サノワを発ち、二つの夜が明けた。
 その日の暮れのこと。

「この洞窟からアルクロット山脈の中腹に行けるんだけど……」

 ようやく辿り着いた麓を前にして、先頭を代わって歩いていたジェナが言葉を切った。
 ソレイユ村まで半分ほど。目標は確実に近づいていたが、彼女の表情は険しいものである。
 エルキュールは周囲をぐるりと見渡すと、苛立ちを隠さずに鼻を鳴らした。

「異常な量の光の魔素。ここまで進むにつれ濃くなってきたということは、発生の原因はこの奥にあるということか」

「念のため聞くけれど、エルキュール。この環境でゲートは放出できるのかしら?」

「……不可能だな。光の属性があまりにも強く、外気に含まれる闇の魔素を認識できない」

 エルキュールの主張は、半分は正しく、そして半分は間違っていた。

 外部の環境異常によりゲートが使えないという点は正しい。いくら高名な魔術師であっても、曲がりなりにも上級魔法であるゲートを放出するだけの魔素をこの場で使役することは不可能だろう。
 可能性があるとすれば、全ての魔術師を超越すると言われる六霊教の教皇くらいか。

 だが、その常識も、やはり人間に限った場合の話で。
 体内に純粋な魔素を内包する魔人ならば、それを代替してゲートを扱うことはできよう。
 幸いにして、エルキュールは六属性の中なら闇の魔素と最も親和性があり、体内に闇の魔素を多く含む魔人。致命的な消耗には成りえないはずだった。

「……そうか。エルキュールが言うならダメそうだな」

 しかし、この瞬間に人ならざる領域に踏み込むことは。即ち家族が与えてくれた人としての立場を、仲間との協力関係を放棄することに等しく。

「……すまない」

 労わるグレンの言葉に、エルキュールは惨めな自分を悔いた。

「もう、謝る必要なんかないよ。エル君のおかげでここまでは楽に来れたんだから、今は先を急ごう?」

「それには賛成だけれど……ジェナ、大丈夫なのかしら? もうじき陽が落ちる。夜での戦闘が苦手な貴女は、また後ろに下がった方が良いんじゃないの?」

「ジェナが? ……ああ、なるほど」

 思ってもみなかったロレッタの指摘に、エルキュールは一瞬だけ眉を顰めたが。ジェナの適性は光魔法にあり、反対に闇魔法とはすこぶる相性が悪い。エルキュールとは真逆の性質を持つ魔術師なのだ。
 夜が近づくいているのは確かに彼女にとっては都合が合わないだろう。
 しかし――。

「大丈夫だよ、ロレッタちゃん。王都では迷惑をかけちゃったけど、今は魔素異常で光の魔素が溢れてる。それを上手く使えば問題ないよ」

 怪我の功名というのだろうか。
 否定するジェナからは、それまでの弱気な態度は見られない。それ以上は誰も異を唱えることはなかった。
 洞窟内をライトで照らし、ジェナが先を行く。それからロレッタ、グレン、殿にはエルキュールがついた。

「張り切ってるみてえだな、あいつ。サノワを発った頃は何かに怯えているようだったが、どこかの紳士クンの励ましの賜物かね?」

 振り返りながら、意味深長な視線を見せるグレン。
 最近はこういう展開が多いものだと、エルキュールは露骨に溜息をついた。

「……なんだ、また可笑しな渾名を考えてくれたものだな」

「気に入らねえか?」

「気に入る以前に、君が何を言いたいのか、分からずに困惑しているところだ」

「恥ずかしがるなって。この道中、つうか王都に来るまでも、お前が何かとジェナの身を案じていたのは分かってんだよ。魔法のこともそうだが、お前らには分かり合える部分が多くあるんだろうな」

「俺がか? まあ確かに、あれからジェナの機嫌は大分回復したが――」

 ライトによる光球で洞窟内を照らしながら、先頭を歩くジェナに目を向ける。ロレッタと共に前方を警戒している様子は、真剣味こそあったが決して思い詰めている様子はなかった。

「俺には彼女が何を抱えているのか分からない。いや……見当はついていても、そこに踏み込む勇気が持てない。あくまで自分の主張を述べただけに過ぎないんだ」

「へえ……」

「むしろ、困りごとを解決するのは君の得意とすることじゃないか? 何せ君は、自分の正義のために苦しい道を歩き続けた男だ」

「……あまり買い被ってくれるなよ。オレだってまだ、返せてない借りがあるんだ」

 言って遠くを見るグレン。
 借りという言葉は、エルキュールらやグレンの家族に対してだけでなく、別の何かを指しているようにも思える深遠さを醸していた。

「とにかく、状況が状況だ。六霊守護の土地に入って色々動くには、ジェナの助けが必要不可欠だろ? つうことで、これからもお前が見ててやってくれよ」

「……ふむ。分かった、善処しよう」

 グレンの口ぶりに気にかかる点はあったが、その意見には概ね同意だった。
 実益の観点からも、故郷が危機に晒されているジェナの精神衛生上からも、彼女を気にかけることは吝かではない。
 仄暗く照らされた洞穴を進みながら、エルキュールは再び気を引き締めた。



 洞窟を抜けた先の野外で一泊し、再び薄暗い山道を歩いていたときだった。

「みんな、ちょっとこっちを見て!」

 魔獣の脅威を排除しながら進んでいた一行は、闇を切り裂くようなジェナの声にその足を止めた。
 元からここに生息していた魔獣と、代わり映えのしない岩壁だけが続く洞窟だったが、彼女の指すほうはこれまでと違った景色を見せている。
 辺りに立ち込める光の魔素とも異なる強烈な輝きがそこにはあった。

「出口か……?」

 外からの光が漏れているのだろうか。
 後ろから窺っていたエルキュールの考えは、その場所をはっきりと認めた途端、容易く裏切られた。

「魔法で組まれた紋章……壁画のようにも見えるけど。いくら六霊教にゆかりのある土地でも、わざわざこんな道の真ん中を飾る理由はないわね」

 複雑な曲線が織りなすそれは、輝きを放つ半透明の性質を持ち、その奥には山脈の上に通じる道が透けて見えていた。

「この先は通れませんってか? 明らかに人の仕業みてえだが、どうなんだよ?」

 有無を言わさない断定。グレンはその光る壁を顎で示すと、厳しい顔をしていたジェナに問うた。

「……結界」

「ん? なんだって?」

「これは、六霊守護の一族にのみ伝わる特殊な結界。本当なら、聖域アルギュロスに通じる道を封鎖するために使うはずなんだけど……」

 それが今、何の変哲もない山道を塞ぐのに用いられている。一見して妙に思うが、状況に鑑みればその役割も自ずと明らかであった。

「聖域を封じるためでなく、ここから侵入する者を阻むための障壁だろう。ただ単に、迷い込んだ一般人がソレイユ村に入ってしまわないための方策か……だが、それにしても」

 結界を観察していたエルキュールの眼差しは鋭い。
 光の魔素で輝くそれは、自分の存在を徹底して否定しているように思われ、酷く不快感を誘うものであった。
 まるで――。

「私には、魔物を追い払うためのものに思えるわ。それが内側からのものか、外側からのものかは分からないけれど」

「……っ」

 ロレッタの推測はエルキュールの体験と全く合致していた。魔物である彼からするとすぐには出てこない発想ではあったが。魔物の侵入経路に結界を貼ることなど、しばしば見かける光景である。
 久しく感じていなかった明確な拒絶の意思に、エルキュールは酷く戸惑っていた。

「まあ、この壁が作られた目的はどうあれ、だ。ジェナ、破ることはできねえのか?」

「……これがおばあ様たちが敷いた結界なら、私には無理だね。技術も魔力も、まだ遠く及ばないから……」

 遠くなるエルキュールの思考の外で、ジェナとグレンは冷静に会話を繰り広げる。

「でも、結界をすり抜けるための穴を一瞬作るくらいなら、私にも出来ると思う。すぐ閉じちゃうだろうから、みんなにもそこだけ注意してもらう必要があるけどね」

「すり抜ける?」

 誰にも聞こえないよう辛うじて、エルキュールは呟く。
 ジェナは何と言ったのか。この結界を破らずにすり抜けると。
 エルキュールにとっては、針の筵にも等しいこの結界を。ジェナは裏技とでもいうべき強引な方法で突破しようと試みている。

「それは可能なのか?」

「え? うん、それはもちろん。あの王都で出会ったディアマントも似たようなことをしていたんだけど……こうした結界の類は、反対属性の魔素をぶつけてあげれば傷をつけることができるんだ」

 その方法には、結界を張った側と破る側の力量も関わるそうだが。この結界は専ら魔を払うためのものであり、人間に対しては効果が薄い。故に強力な六霊守護が自ら貼ったものだとしても、突破は十分に可能だというのがジェナの主張だった。

「ああ、そうなのか」

 エルキュールは無表情に頷いた。
 魔人である彼が結界を通るとき、その身にどれほどの圧力がかかるか、むしろ通ること自体できるのか、それは定かではない。
 しかしこうなってしまえば選択肢は一つしかなかった。

「エル君も結界に穴を開けるのを手伝ってくれる? 光の結界を破るには、十分な闇の魔素が必要不可欠だからね。頼りにしてるよ、先生?」

「先生はやめてくれ」

 闇魔法が苦手なジェナを教えたのは確かにエルキュールだったが。本来魔法の扱いは彼女の方に分があること。先生と呼ばれるのは面映ゆい。

 そしてもし、エルキュールがこの結界を無事に抜けられないとなった時には。そのように人の真似事を演じることも二度となくなるかもしれないのだ。
 破綻しつつある自らの立場を嫌悪しながら、エルキュールはジェナの隣に並び立ち手を翳した。

「おお……!」

 後ろから、グレンの感嘆の声。
 結界は、嫌味なほど簡単に揺らいだ。人が通れるほどの大きさの穴が、確かにそこに開けられている。

「グレン君、ロレッタちゃん! 今のうちに!」

 二人が闇の魔素を操っている間、まずはグレンらが結界を抜ける。彼らが無事に抜けたのを確認すると、ジェナは穴の制御をエルキュールに託して先に結界を渡った。

「エル君! 今度は私が維持するから早く!」

「……ああ」

 ジェナが闇の魔素を上手く使役し、エルキュールの代わりに制御を努めた。
 克服したとはいえ、ジェナの闇属性に対する適性はあまり高くない。
 エルキュールは半ば自棄になりながら、意を決して結界の穴を潜り抜けた。

「ぐぁ……っ!」

 やはり、光の結界は魔物であるエルキュールを拒むらしい。境界を渡る瞬間、エルキュールの身体を構成する魔素が疼いた。
 人間と違って安定した物質で形作られた肉体を持たない故の、異なる魔素同士による反発と拒否反応。
 エルキュールは苦悶を掻き消すように地面を強く踏みしめ、身体が引き千切られる感覚を懸命に耐え忍んだ。

「エル君!?」

「おい、エルキュール! 大丈夫か!?」

 哀れよろめく魔人に、ジェナが悲鳴を上げ、グレンはすかさず駆け寄った。ロレッタも意外そうに目を丸めて事態を見守る。

「っ……ああ、問題はない。少し躓いただけだ」

 駆け寄る仲間を手で制し、慣れぬ微笑みを浮かべる。
 咄嗟に機転を利かせ、肉体の外側――人間でいうところの肌と骨格――の保持を司る魔素だけでも繋ぎ止めたのが功を奏した。
 血と筋肉の代わりとなる魔素が分離したため一瞬だけ体位を崩してしまったが、周りからはたたらを踏んだようにしか見えなかっただろう。

 いくら形が崩れても魔素が消えない限りは生存できる、魔物特有の身体だからこそ可能な離れ業。
 エルキュールの身体は、彼自身の想定を遥かに超えて頑丈で、柔軟であったようだ。
 安堵したようなその笑みを見て、グレンもジェナもようやく胸を撫で下ろした。

「……ごめん、私の制御が甘かったみたい。せっかくエル君からも教わったのに、情けないよね……」

 これは自分の過失だと項垂れるジェナ。
 偏にエルキュールの体質が招いた結果ではあるのだが、ここでそれを告げることもできず。

「……大丈夫だ。本当に問題はないのだから、ジェナが気にする必要はない」

 彼は白々しい慰めの言葉を吐くことしか出来なかった。

「――――」

 そして、ロレッタの氷雪のような瞳がその様子を確と捉えていたのを。エルキュールは終ぞ知らなかったのだった。



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