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三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
三章 第五話「純情乙女」
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ブロニクスの街は、中心から外側に向かって螺旋状に道が伸びていることが特徴的である。
まるで迷路のように入り組むその街並みを、風霊祭で人通りが増した中ぐるりと巡っていると、ジェナは余計に目が回りそうな心地だった。
ザート・セレの月、11日。
さっそくクロエ殿下の護衛を任されたジェナは、エルキュールを伴って朝から彼女の護衛を務めていた。
民たちに溌溂な笑顔を振り撒きながら、クロエは石畳の歩道の脇に並ぶ屋台を回っている。頭上に煌めく白銀の宝冠も、風に遊ぶ太陽のような御髪も、晴天に恵まれた水都の活気にはよく調和していた。
さながら絵画のような光景を横目で見据え、しかしジェナは少々鬱屈とした胸中を持て余していたのだった。
「さあさあ、エルさんっ! こちらの串焼きは今朝トゥール港で水揚げされたばかりの鮮魚を用いているらしいですわ! おひとつ召し上がってみてはいかがでしょう!」
「……殿下、距離が近いです。もう少しだけ離れていただけると助かるのですが」
「まあ、いけずですね。この天下のクロエ・ド・フォンターナがいじらしくも愛らしく迫っているといいますのに。エルさんたら、朴念仁っ」
苦慮の種は他でもない。この二人の関係性である。
一体ジェナの与り知らぬ間に何があったのか、この二人はやけに仲睦ましい間柄に見受けられる。
無論その親睦はジェナからすれば苦言を呈するまでもない些事なのだろうがこれだけ目の前で仲良しこよしに騒がれると普段は爛漫な性格の彼女も仄暗い感情を抑えることができない次第であった。
それは、一言だけで表すのなら――。
「いやいや、私ってば。確かにエル君とはソレイユ村の件を通じて少しは仲良くなったけどっ。まだ出会っても間もないのにこんな気持ちを抱えるなんて流石に虫が良すぎるというか時期尚早というか……」
閉塞的な社会で育てられてきたジェナの免疫力は皆無に等しい。己の人生でも最大の傷を癒してくれたこの魔人の存在は、ゆえに今となってこの少女の心を掴んで離さないでいた。
相手が何者であるかは関係ない。相手がエルキュールで、ジェナの傍に寄り添ってくれたから。
しかしその純情の先にいる人物と言えば。
「まあ、この貝殻の工芸品。彩りが美しく、巻貝の形が独創的で見ていて楽しいですわ。はあ、どこかの優しい殿方がプレゼントしてくれないものかしら~。ちらり。ちらり」
「あなたは王族なのですから、望めば誰からであっても贈答品を貰うことなど訳ないでしょう。応援しています」
「……本気で仰っておりますの、それは?」
本気か戯言か分からぬ会話を繰り広げる二人。
どのみちジェナは限界だった。甘そうで甘くないやり取りにやきもきしながらも、思いの丈をぶつけてみることに。
「あのっ! クロエ殿下はエル君とどういう関係なのですか!」
「まあ、ジェナさん。急に大声を出されると、わたくしたちの関係が赤裸々になってしまいますわ」
「わたくしたちの関係……って、まさか!?」
「ジェナ、少し落ち着いたほうがいい。クロエ殿下もあまり彼女で遊ばないでください」
「もう。敬語はやめてくださいと申してますのに……」
「だから、あれは二人でいる時限定で――」
「二人でいる時ぃ!?」
「……はあ。参ったな」
一体いつだ。クロエがエルキュールと親密になったのは。
ジェナでさえ彼と親しくなるのには相応の時間を経たというのにこの王女殿下とくれば易々と――。
それに、そもそもの話。このように遊んでいる状況はどうなのか。
クロエ殿下の目的は風霊祭を楽しむだけでない、あくまでも公務の一環でこの地を訪れているのだ。
それを訪ねてみれば。「開催の演説はきちんと執り行いましたよ?」と軽くあしらわれる始末。
確かに住民が集う開催宣言の際には、魔物が蔓延る昨今の世情を慰める言葉や人々を祝福する精霊への祝詞を立派に読み上げていた。
だがそれでも、今のこの雰囲気はとりわけ軟派すぎる。
ジェナは鼻息荒く続けた。
「私たちはもう少し落ち着くべきです。祭りとはいえ、アマルティアの警戒を怠るべきではありません」
「その仕事はいま郊外で見張っている騎士たちの仕事ですわ。わたくしたちの使命は、率先してお祭りの時間を享受し、民たちに安心感を与えることです」
「……ぐぬぬ」
「ふふふ。そんなことを仰って。ジェナさんが知りたいのはわたくしとエルさんの関係でございましょう? であれば――」
クロエは徐に指さした。赤い布が垂れ下がっている屋台。銃を模した玩具と、多様な的を備えた射的場を。
「コルク銃で撃った弾を命中させた景品を手に入れられる遊戯でしたわね。先に当てた方が勝ち、というのはいかが?」
「……乗りますっ!」
「乗るのか……」
軟派な状況はなおも続く。王女と六霊守護の高貴なる者の戦いが静かに幕を開けた瞬間であった。
◆
射的屋台の机に腕をかけ、ジェナは一世一代、乾坤一擲の集中を披露していた。
手元には木造のコルク銃、見据える先には手縫いの熊のぬいぐるみ。景品の的である。
ジェナとクロエ、交代であれを狙い先に弾を命中させた方がこの勝負に勝ち、求める対価を得ることができる。ジェナが勝った場合は情報を。クロエが勝った場合は彼女のお願いを聞くというものだ。
ジェナとしては何としても勝利したかった。そしてクロエとエルキュールとの関係とやらを是が非でも聞き出す。そうした算段である。
手前の机に重心を預け、銃口の位置を固定する。長い銃身の延長線上に対象を置き、射線を計算して命中する未来を思い描く。グリップを片手で固く握り、もう片方は銃体を持って支える。
予習は完璧。後は実際に放つだけ。
聞いた話では、クロエには狩猟の経験があるらしい。模造品とは勝手は違えど、恐らくこの先の手番を以て一撃で勝負を決しにかかるだろう。
ゆえに最初が肝心である。
ジェナは魔法を放出する時のように魔素感覚を凝らし始めた。周囲の風の魔素を読み取り、大気の流れを把握するためだ。持てる全てを尽くす。何故ならば――。
「エル君のために……!」
引き金に指をかけて思い切り引く。
少女の思いを乗せたコルク弾は、熊のぬいぐるみの耳元を掠って奥の方に射出された。茶色い繊維が微かに辺りにまった、ような気がジェナにはしていた。
判定は、実に際どい。
「当たった……? 当たったよねっ! お願いだから当たったってことにして!?」
緊張が解けたジェナは、傍で観戦していたエルキュールらに涙目で懇願した。
これが実を結ばないとなるととても困ったことになる。勝負に勝ちたい一心でジェナは声を上げた。
「どこからどう見ても当たったよね? ねっ、エル君!」
「そこまで断言できるほどではないが……まあ、当たったと言えなくもない、のか?」
「わたくしは構いませんわ。ジェナさんは銃の扱いに慣れていないようでしたので、これくらいのハンデは差し上げませんと」
「ありがとうございます、クロエ殿下っ!」
敬礼を返すジェナに、クロエは微笑んで手番に移った。
それから華麗に長銃を構えると、瞬く間にぬいぐるみの腹に銃弾を命中させた。
まさに一瞬の神業。ジェナは開いた口が塞がらなかった。
「……これでは引き分け、ですわね。いかがでしょうジェナさん、勝負がつくまで延長するというのは――」
「……ううう」
彼我の実力差は明らかである。このまま続けたとしてもジェナが勝つ確率は万に一つも見込めないだろう。
「参りました、殿下」
肩を落として項垂れるジェナ。口許に手を当て悪戯っぽく笑うクロエの姿がやけに恐ろしく映った。いくら見た目が可憐とはいえ、彼女は民草の上に立つ王族なのだと改めて思う。
「勝負は殿下の勝ちか……。正直言って二人がなぜ争っていたのか分からないが、無事に決着したのなら何よりだ」
「ええ。可愛らしいジェナさん、さてさてどんなお願いをしようかしら……?」
いっそ一思いに介錯してくれ。
陽射しが照りつけるブロニクスの中心街で、傷心のジェナはひとり天を仰いだ。
まるで迷路のように入り組むその街並みを、風霊祭で人通りが増した中ぐるりと巡っていると、ジェナは余計に目が回りそうな心地だった。
ザート・セレの月、11日。
さっそくクロエ殿下の護衛を任されたジェナは、エルキュールを伴って朝から彼女の護衛を務めていた。
民たちに溌溂な笑顔を振り撒きながら、クロエは石畳の歩道の脇に並ぶ屋台を回っている。頭上に煌めく白銀の宝冠も、風に遊ぶ太陽のような御髪も、晴天に恵まれた水都の活気にはよく調和していた。
さながら絵画のような光景を横目で見据え、しかしジェナは少々鬱屈とした胸中を持て余していたのだった。
「さあさあ、エルさんっ! こちらの串焼きは今朝トゥール港で水揚げされたばかりの鮮魚を用いているらしいですわ! おひとつ召し上がってみてはいかがでしょう!」
「……殿下、距離が近いです。もう少しだけ離れていただけると助かるのですが」
「まあ、いけずですね。この天下のクロエ・ド・フォンターナがいじらしくも愛らしく迫っているといいますのに。エルさんたら、朴念仁っ」
苦慮の種は他でもない。この二人の関係性である。
一体ジェナの与り知らぬ間に何があったのか、この二人はやけに仲睦ましい間柄に見受けられる。
無論その親睦はジェナからすれば苦言を呈するまでもない些事なのだろうがこれだけ目の前で仲良しこよしに騒がれると普段は爛漫な性格の彼女も仄暗い感情を抑えることができない次第であった。
それは、一言だけで表すのなら――。
「いやいや、私ってば。確かにエル君とはソレイユ村の件を通じて少しは仲良くなったけどっ。まだ出会っても間もないのにこんな気持ちを抱えるなんて流石に虫が良すぎるというか時期尚早というか……」
閉塞的な社会で育てられてきたジェナの免疫力は皆無に等しい。己の人生でも最大の傷を癒してくれたこの魔人の存在は、ゆえに今となってこの少女の心を掴んで離さないでいた。
相手が何者であるかは関係ない。相手がエルキュールで、ジェナの傍に寄り添ってくれたから。
しかしその純情の先にいる人物と言えば。
「まあ、この貝殻の工芸品。彩りが美しく、巻貝の形が独創的で見ていて楽しいですわ。はあ、どこかの優しい殿方がプレゼントしてくれないものかしら~。ちらり。ちらり」
「あなたは王族なのですから、望めば誰からであっても贈答品を貰うことなど訳ないでしょう。応援しています」
「……本気で仰っておりますの、それは?」
本気か戯言か分からぬ会話を繰り広げる二人。
どのみちジェナは限界だった。甘そうで甘くないやり取りにやきもきしながらも、思いの丈をぶつけてみることに。
「あのっ! クロエ殿下はエル君とどういう関係なのですか!」
「まあ、ジェナさん。急に大声を出されると、わたくしたちの関係が赤裸々になってしまいますわ」
「わたくしたちの関係……って、まさか!?」
「ジェナ、少し落ち着いたほうがいい。クロエ殿下もあまり彼女で遊ばないでください」
「もう。敬語はやめてくださいと申してますのに……」
「だから、あれは二人でいる時限定で――」
「二人でいる時ぃ!?」
「……はあ。参ったな」
一体いつだ。クロエがエルキュールと親密になったのは。
ジェナでさえ彼と親しくなるのには相応の時間を経たというのにこの王女殿下とくれば易々と――。
それに、そもそもの話。このように遊んでいる状況はどうなのか。
クロエ殿下の目的は風霊祭を楽しむだけでない、あくまでも公務の一環でこの地を訪れているのだ。
それを訪ねてみれば。「開催の演説はきちんと執り行いましたよ?」と軽くあしらわれる始末。
確かに住民が集う開催宣言の際には、魔物が蔓延る昨今の世情を慰める言葉や人々を祝福する精霊への祝詞を立派に読み上げていた。
だがそれでも、今のこの雰囲気はとりわけ軟派すぎる。
ジェナは鼻息荒く続けた。
「私たちはもう少し落ち着くべきです。祭りとはいえ、アマルティアの警戒を怠るべきではありません」
「その仕事はいま郊外で見張っている騎士たちの仕事ですわ。わたくしたちの使命は、率先してお祭りの時間を享受し、民たちに安心感を与えることです」
「……ぐぬぬ」
「ふふふ。そんなことを仰って。ジェナさんが知りたいのはわたくしとエルさんの関係でございましょう? であれば――」
クロエは徐に指さした。赤い布が垂れ下がっている屋台。銃を模した玩具と、多様な的を備えた射的場を。
「コルク銃で撃った弾を命中させた景品を手に入れられる遊戯でしたわね。先に当てた方が勝ち、というのはいかが?」
「……乗りますっ!」
「乗るのか……」
軟派な状況はなおも続く。王女と六霊守護の高貴なる者の戦いが静かに幕を開けた瞬間であった。
◆
射的屋台の机に腕をかけ、ジェナは一世一代、乾坤一擲の集中を披露していた。
手元には木造のコルク銃、見据える先には手縫いの熊のぬいぐるみ。景品の的である。
ジェナとクロエ、交代であれを狙い先に弾を命中させた方がこの勝負に勝ち、求める対価を得ることができる。ジェナが勝った場合は情報を。クロエが勝った場合は彼女のお願いを聞くというものだ。
ジェナとしては何としても勝利したかった。そしてクロエとエルキュールとの関係とやらを是が非でも聞き出す。そうした算段である。
手前の机に重心を預け、銃口の位置を固定する。長い銃身の延長線上に対象を置き、射線を計算して命中する未来を思い描く。グリップを片手で固く握り、もう片方は銃体を持って支える。
予習は完璧。後は実際に放つだけ。
聞いた話では、クロエには狩猟の経験があるらしい。模造品とは勝手は違えど、恐らくこの先の手番を以て一撃で勝負を決しにかかるだろう。
ゆえに最初が肝心である。
ジェナは魔法を放出する時のように魔素感覚を凝らし始めた。周囲の風の魔素を読み取り、大気の流れを把握するためだ。持てる全てを尽くす。何故ならば――。
「エル君のために……!」
引き金に指をかけて思い切り引く。
少女の思いを乗せたコルク弾は、熊のぬいぐるみの耳元を掠って奥の方に射出された。茶色い繊維が微かに辺りにまった、ような気がジェナにはしていた。
判定は、実に際どい。
「当たった……? 当たったよねっ! お願いだから当たったってことにして!?」
緊張が解けたジェナは、傍で観戦していたエルキュールらに涙目で懇願した。
これが実を結ばないとなるととても困ったことになる。勝負に勝ちたい一心でジェナは声を上げた。
「どこからどう見ても当たったよね? ねっ、エル君!」
「そこまで断言できるほどではないが……まあ、当たったと言えなくもない、のか?」
「わたくしは構いませんわ。ジェナさんは銃の扱いに慣れていないようでしたので、これくらいのハンデは差し上げませんと」
「ありがとうございます、クロエ殿下っ!」
敬礼を返すジェナに、クロエは微笑んで手番に移った。
それから華麗に長銃を構えると、瞬く間にぬいぐるみの腹に銃弾を命中させた。
まさに一瞬の神業。ジェナは開いた口が塞がらなかった。
「……これでは引き分け、ですわね。いかがでしょうジェナさん、勝負がつくまで延長するというのは――」
「……ううう」
彼我の実力差は明らかである。このまま続けたとしてもジェナが勝つ確率は万に一つも見込めないだろう。
「参りました、殿下」
肩を落として項垂れるジェナ。口許に手を当て悪戯っぽく笑うクロエの姿がやけに恐ろしく映った。いくら見た目が可憐とはいえ、彼女は民草の上に立つ王族なのだと改めて思う。
「勝負は殿下の勝ちか……。正直言って二人がなぜ争っていたのか分からないが、無事に決着したのなら何よりだ」
「ええ。可愛らしいジェナさん、さてさてどんなお願いをしようかしら……?」
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