お見合い相手がAIかと思ったら、慇懃部長でしたが、なぜか今、溺愛されています

加茂茶 芽衣

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16 社内の噂と海底二万マイル

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翌日は、オフィスは総毛立っていた。
私が、エントランスに入るや、会話がピタッと止まり、チラチラとこちらを伺う視線を複数感じた。

「おはよう……」

「ちょっと、ちょっと……」
「どうしたの……?」

私の腕を引っ張るのは、いつも親しくしている隣の席の美咲だった。

「どうもこうもないわよ……。二人ともどうなってるの?」
「な、何のこと?」
「この動画……、びっくりだわよ……」

連れていかれた先は、観葉植物が一つだけポツンとある人気のない会議室。私の背丈ほどにある緑の葉っぱが、光の陰に隠れ、萎れているように見えた。

彼女が、ポツリポツリと話し始めた内容に、思わず鬱陶しそうになった。

金曜日の夜に、佐々木部長の車に乗ったのを、見た人がいるらしかった。それは、動画として、またたく間に拡散されていた。

「沼田さん、いつの間に……佐々木部長とつきあってたの?沙耶さんとは?どんな関係なの?」
「まさか、二股?あの佐々木部長が?なんか最近2人の様子が変だと思ってたのよ。」
「それにしても、こんな動画を取って拡散するなんて、相当その人性格悪いよね。」

そんな噂で社内は持ちきりで、私は今、針のむしろだった。

──助けてくれ。

いつ、誰がどこから、動画を取っていたのか、私にはサッパリ分からないし、そんなことをする人の心当たりも、見当もつかなかった。

そんな中、肝心の佐々木部長は、今日から一週間、本社に出張中。
なぜか、渦中の沙耶まで仲良く休みだった。

私は、いらぬ想像までしてしまう。

『……もしかして、いや、そんなはずはない。』

私は、その中には入る勇気はなく、パーテーションの陰から、そっと聞き耳を立てていた。

「……でもさ、あの動画、誰が撮ったんだろうね?」
「うちのフロアの人じゃないって話だけど……」
「まさか、あの人じゃないよね?」

名前は出なかった。でも、誰かの視線が、私の背中を刺さっている気がした。
私は静かに席に戻り、パソコンを開いた。

──どういうことだろう。

画面の中の文字が、まるで別世界のもののように感じられ、指が震えて、キーボードを打つ音がやけに大きく響いた。

空席の存在感が大きく感じられ、目の端に捉える度に鬱陶しかった。

そのとき、スマホが震えた。

『大丈夫?』

佐々木部長からだった。本音は大丈夫じゃない。でも、たった一言。その一言が、今の私には救いだった。

『……大丈夫ですよ。でも、頑張ってます……』

そう返したけれど、指が止まらなかった。涙がこぼれそうになるのを、ぐっとこらえる。

「アキちゃん、大丈夫?」

声をかけてきたのは、隣の席の美咲だった。彼女は、噂話には加わらず、いつも静かに仕事をこなすタイプ。彼女の存在が、今の私には愛おしく感じられた。

「うん、大丈夫。ちょっと、疲れてるだけ。」

「……無理しないでね。私、アキちゃんのこと、信じてるから。」

その言葉に、私はようやく、少しだけ肩の力を抜くことができた。

日曜日、私はまたあの喫茶店へ向かった。昨日のことが、まるで遠い昔のように感じられる。

「いらっしゃい。」

マスターは、私の顔を見るなり、少しだけ眉をひそめた。

「……今日は、チーズケーキ、まだあるよ。」

「ありがとうございます。それと、ブレンドコーヒーと両方ください。」

手元の手提げバッグから本を取り出す。ほかに入っているのは、スマホに財布に手帳に簡単な化粧品。化粧品には詳しくないが、歯ブラシ、油取り紙と口紅、ファンデーションくらいで、歯を磨いたついでに、さっと口紅を直すくらいだ。念入りに化粧をしたことのない私には、化粧直しの仕方がよく分からない。

目前にあるのは、先週と同じ海底二万マイル。冒頭の3ページ目から手が止まり、先に進むことが出来なかった。


この理屈っぽい文章が、小学4年の佐々木部長を思い出させた。

ページをめくるたびに、やたらと饒舌な語りが続く。
科学的な説明、比喩、理屈、理屈、理屈。

「……この感じ、なんか……」

ページの途中で、笑みが漏れ、ふと手が止まってしまう。

「この“なぜ”には“なぜ”で返すべき……」なんて、真顔で言っていたっけ。

まさか、あの佐々木くんが、今の“慇懃部長”になるなんて――
いや、なるべくしてなったのかもしれない。

いつも教科書の余白にびっしりと文字を書いていた、あの頃の彼。

私のパラパラ漫画を興味深そうに見ていた彼。

「このパラパラ漫画は偉大だ。手を放すと、そこでこの漫画の世界が崩れるんだ」なんて、真剣な顔で言っていた。

思い出す度に、恥ずかしいあの未完成のパラパラ漫画は、結局完結することはなかった。

ただ「変な子だな」と思っていた。
けれど――
今なら、少しだけわかる気がする。

彼は、世界をちゃんと理解したかったんだ。
そして、誰かにそれを伝えたかったんだ。

それが、あの理屈っぽさの正体だったのかもしれない。

つづく


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