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第十三話 差し出される生贄
第十三話 差し出される生贄
王城の地下に設けられた控えの間は、冷え冷えとしていた。
壁も床も無機質で、置かれている調度も最低限しかない。華やかな謁見の間とは比べるべくもない空間だったが、ここで交わされる言葉の重みは、王城のどの広間にも劣らなかった。
国王ルイ十二世は、簡素な椅子に腰を下ろしたまま、じっと前を見据えていた。
待っているのは、誰かの到着ではない。
決断を口にせざるを得ない、その瞬間だった。
やがて扉が開き、二人の人物が入室する。
教会代表の司教と、王国最高法廷の長官である。
「陛下」
二人は深く頭を垂れた。
国王は短くうなずく。
「話は聞いている。王太子の件は、もはや時間の問題だ」
そこでわずかに声を落とし、続けた。
「問題は、それでエノー公爵家が納得するかどうかだ」
法廷長官が慎重な口調で応じた。
「廃嫡は、王家として示せる最大限の譲歩ではございます。しかし、それだけでは足りませぬ」
「足りぬ、か」
「はい。王太子の地位を奪うだけでは、失われた名誉は戻りません。辱めを受けた側が、これで終わりだと受け入れられるだけの、明確な責任の所在が必要です」
司教も静かに言葉を重ねた。
「誰が、何を誤り、その結果として何が起きたのか。それが誰の目にもわかる形で示されねば、公爵家は納得しないでしょう」
国王は視線を落とした。
「……つまり、誰かが罪を負わねばならぬということか」
重い沈黙が落ちた。
だが、その沈黙は答えを探しているものではなかった。誰の名が挙がるか、この場にいる全員がすでに理解している。
最初にその名を口にしたのは司教だった。
「マリア・アルノーについて、でございます」
国王の眉がわずかに動く。
司教は淡々と続けた。
「彼女は、王太子の判断を直接的に導いた存在です。故意であったか否かは、本質的な問題ではありません」
「……続けよ」
「結果として、虚偽の訴えが国家の契約を破壊した。その事実が問題なのです」
法廷長官も同意するようにうなずいた。
「法の観点から申し上げれば、王権の行使を誤らせた責任は極めて重いものとなります。王太子が独断で婚約破棄に踏み切ったとしても、その判断の端緒を作った者の責任まで消えるわけではございません」
国王は深く息を吐いた。
「彼女は……愚かだっただけだ」
その声には、かすかな疲労がにじんでいた。
「悪意があったとは思えぬ」
司教はそれを正面から否定しなかった。
「ええ。おそらく悪意はなかったのでしょう」
だが次の言葉には、いっさいの情けがなかった。
「しかし、愚かさは免罪符にはなりません」
国王は目を閉じた。
その一言で、すべてが決まったも同然だった。
ここでマリアを守れば、王家は責任を曖昧にしたと受け取られる。そうなれば、エノー公爵家との交渉は完全に崩れる。王太子の廃嫡すら、ただの保身にしか見えなくなるだろう。
もはや選べる道など残っていなかった。
「……処分は、どうなる」
低い声で問うと、法廷長官が即座に答えた。
「公開裁判は避けるべきかと存じます。表に出せば、民衆も貴族も感情で騒ぎ立てるでしょう」
「地下で審理を行い、その上で終身拘禁。あるいは修道院送りという形が妥当かと」
だが司教は、その案に静かに首を振った。
「それでは足りません」
「何だと」
「公爵家が求めているのは、単なる処分ではありません。誰が、どの立場で、どの罪を負ったのか。それが可視化されることです。密かに閉じ込めるだけでは、誠意を示したことにはなりませぬ」
国王はしばらく何も言わなかった。
王家を守るために、王太子を切る。
それでもなお足りず、さらにもう一人を差し出さねばならない。
その現実は、老王にとってあまりにも重かった。
しかし、ためらっている余地はない。
「……分かった」
短い一言だった。
その瞬間、一人の娘の運命が決まった。
同じ頃、王城の地下牢。
マリア・アルノーは、粗末な寝台の端に腰を下ろし、うつむいていた。冷たい石壁に囲まれた狭い牢の中で、彼女はずっと、自分が置かれている状況をうまく理解できずにいた。
扉が開き、衛兵とともに一人の官吏が入ってくる。
「マリア・アルノー」
名を呼ばれただけで、彼女の肩がびくりと震えた。
「あなたは王国法に基づき、正式に起訴されます」
マリアは顔を上げた。怯えた目で官吏を見つめる。
「罪状は、虚偽の訴えによって王権の行使を誤らせ、国家契約を破壊したこと」
一語一語が、冷たい石のように彼女へ投げつけられる。
だが、マリアはすぐには意味を理解できなかった。
「……そんな……わたしは……ただ……」
何を言えばいいのか、自分でもわからない。助けてほしいのか、違うと言いたいのか、そのどちらですら曖昧だった。
官吏は表情を変えず、淡々と告げる。
「あなたが平等だと信じていたこと、それ自体が問題なのです」
マリアは息をのんだ。
「この国は、あなたの信じる正しさに合わせて作られてはいません。身分も契約も秩序も無視した訴えが、どれほどの結果を招いたか――あなたは理解しなければならない」
その言葉を聞いた瞬間、マリアの身体から力が抜けた。
膝が崩れ、彼女はその場に座り込む。
泣き叫ぶことすらできなかった。
ようやく理解してしまったからだ。
自分は守られる側ではない。
最初から、そんな立場にはいなかったのだと。
一方、エノー公爵領。
アリエノールは父から届いた報告書を静かに読み終え、ゆっくりと紙を机の上に置いた。
記されている内容は簡潔だった。
王家は、責任の所在を明示する準備に入った。
「……生贄が差し出されましたのね」
アリエノールの声は静かだったが、その響きは冷えていた。
向かいに立つエノー公爵は短く答える。
「それが、王家にできる唯一の誠意ということだ」
アリエノールは目を伏せたまま、しばし沈黙した。
「助かるとは、最初から思っておりませんでした」
そして小さく息をつく。
「けれど、これでようやく話し合いの席には着けますわ」
廃嫡。起訴。差し出される責任。
それらはすべて、戦を避けるための前段階にすぎない。
まだ何も終わってはいないのだ。
王家は今、誰を切り捨て、何を守るのかを、あまりにも露骨な形で示し始めていた。
その選択が、この先どれほどの代償を生むのか――本当の答えが出るのは、まだ先だった。
王城の地下に設けられた控えの間は、冷え冷えとしていた。
壁も床も無機質で、置かれている調度も最低限しかない。華やかな謁見の間とは比べるべくもない空間だったが、ここで交わされる言葉の重みは、王城のどの広間にも劣らなかった。
国王ルイ十二世は、簡素な椅子に腰を下ろしたまま、じっと前を見据えていた。
待っているのは、誰かの到着ではない。
決断を口にせざるを得ない、その瞬間だった。
やがて扉が開き、二人の人物が入室する。
教会代表の司教と、王国最高法廷の長官である。
「陛下」
二人は深く頭を垂れた。
国王は短くうなずく。
「話は聞いている。王太子の件は、もはや時間の問題だ」
そこでわずかに声を落とし、続けた。
「問題は、それでエノー公爵家が納得するかどうかだ」
法廷長官が慎重な口調で応じた。
「廃嫡は、王家として示せる最大限の譲歩ではございます。しかし、それだけでは足りませぬ」
「足りぬ、か」
「はい。王太子の地位を奪うだけでは、失われた名誉は戻りません。辱めを受けた側が、これで終わりだと受け入れられるだけの、明確な責任の所在が必要です」
司教も静かに言葉を重ねた。
「誰が、何を誤り、その結果として何が起きたのか。それが誰の目にもわかる形で示されねば、公爵家は納得しないでしょう」
国王は視線を落とした。
「……つまり、誰かが罪を負わねばならぬということか」
重い沈黙が落ちた。
だが、その沈黙は答えを探しているものではなかった。誰の名が挙がるか、この場にいる全員がすでに理解している。
最初にその名を口にしたのは司教だった。
「マリア・アルノーについて、でございます」
国王の眉がわずかに動く。
司教は淡々と続けた。
「彼女は、王太子の判断を直接的に導いた存在です。故意であったか否かは、本質的な問題ではありません」
「……続けよ」
「結果として、虚偽の訴えが国家の契約を破壊した。その事実が問題なのです」
法廷長官も同意するようにうなずいた。
「法の観点から申し上げれば、王権の行使を誤らせた責任は極めて重いものとなります。王太子が独断で婚約破棄に踏み切ったとしても、その判断の端緒を作った者の責任まで消えるわけではございません」
国王は深く息を吐いた。
「彼女は……愚かだっただけだ」
その声には、かすかな疲労がにじんでいた。
「悪意があったとは思えぬ」
司教はそれを正面から否定しなかった。
「ええ。おそらく悪意はなかったのでしょう」
だが次の言葉には、いっさいの情けがなかった。
「しかし、愚かさは免罪符にはなりません」
国王は目を閉じた。
その一言で、すべてが決まったも同然だった。
ここでマリアを守れば、王家は責任を曖昧にしたと受け取られる。そうなれば、エノー公爵家との交渉は完全に崩れる。王太子の廃嫡すら、ただの保身にしか見えなくなるだろう。
もはや選べる道など残っていなかった。
「……処分は、どうなる」
低い声で問うと、法廷長官が即座に答えた。
「公開裁判は避けるべきかと存じます。表に出せば、民衆も貴族も感情で騒ぎ立てるでしょう」
「地下で審理を行い、その上で終身拘禁。あるいは修道院送りという形が妥当かと」
だが司教は、その案に静かに首を振った。
「それでは足りません」
「何だと」
「公爵家が求めているのは、単なる処分ではありません。誰が、どの立場で、どの罪を負ったのか。それが可視化されることです。密かに閉じ込めるだけでは、誠意を示したことにはなりませぬ」
国王はしばらく何も言わなかった。
王家を守るために、王太子を切る。
それでもなお足りず、さらにもう一人を差し出さねばならない。
その現実は、老王にとってあまりにも重かった。
しかし、ためらっている余地はない。
「……分かった」
短い一言だった。
その瞬間、一人の娘の運命が決まった。
同じ頃、王城の地下牢。
マリア・アルノーは、粗末な寝台の端に腰を下ろし、うつむいていた。冷たい石壁に囲まれた狭い牢の中で、彼女はずっと、自分が置かれている状況をうまく理解できずにいた。
扉が開き、衛兵とともに一人の官吏が入ってくる。
「マリア・アルノー」
名を呼ばれただけで、彼女の肩がびくりと震えた。
「あなたは王国法に基づき、正式に起訴されます」
マリアは顔を上げた。怯えた目で官吏を見つめる。
「罪状は、虚偽の訴えによって王権の行使を誤らせ、国家契約を破壊したこと」
一語一語が、冷たい石のように彼女へ投げつけられる。
だが、マリアはすぐには意味を理解できなかった。
「……そんな……わたしは……ただ……」
何を言えばいいのか、自分でもわからない。助けてほしいのか、違うと言いたいのか、そのどちらですら曖昧だった。
官吏は表情を変えず、淡々と告げる。
「あなたが平等だと信じていたこと、それ自体が問題なのです」
マリアは息をのんだ。
「この国は、あなたの信じる正しさに合わせて作られてはいません。身分も契約も秩序も無視した訴えが、どれほどの結果を招いたか――あなたは理解しなければならない」
その言葉を聞いた瞬間、マリアの身体から力が抜けた。
膝が崩れ、彼女はその場に座り込む。
泣き叫ぶことすらできなかった。
ようやく理解してしまったからだ。
自分は守られる側ではない。
最初から、そんな立場にはいなかったのだと。
一方、エノー公爵領。
アリエノールは父から届いた報告書を静かに読み終え、ゆっくりと紙を机の上に置いた。
記されている内容は簡潔だった。
王家は、責任の所在を明示する準備に入った。
「……生贄が差し出されましたのね」
アリエノールの声は静かだったが、その響きは冷えていた。
向かいに立つエノー公爵は短く答える。
「それが、王家にできる唯一の誠意ということだ」
アリエノールは目を伏せたまま、しばし沈黙した。
「助かるとは、最初から思っておりませんでした」
そして小さく息をつく。
「けれど、これでようやく話し合いの席には着けますわ」
廃嫡。起訴。差し出される責任。
それらはすべて、戦を避けるための前段階にすぎない。
まだ何も終わってはいないのだ。
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