世界の現実は、理不尽で残酷だ――平等など存在しない

こもど

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第十八話 再婚という最強の選択肢

第十八話 再婚という最強の選択肢

 王都の社交界が静かに波立ち始めたのは、エノー公爵家から出された一通の通知が広まってからだった。

 文面そのものは簡潔だった。

 今後の外交的選択肢として、婚姻を含む同盟の再構築を検討する――ただ、それだけである。

 だが、その一文が持つ意味はあまりにも大きかった。

 名指しこそされていない。けれど、それを読んだ者は誰一人として誤解しなかった。

 アリエノール・ダキテーヌの再婚が、現実の選択肢として表に出たのだ。

 それは一人の令嬢の縁談ではない。

 王国の勢力図そのものが書き換えられるという知らせだった。

 王城の執務室で、国王ルイ十二世はその報告書に目を通し、静かにまぶたを閉じた。

「……ついに来たか」

 そのつぶやきに、宰相が低い声で言葉を添える。

「すでに三か国から、非公式の打診が届いております」

「隣国ブリテン王国、北方連合、そして帝国でございます」

 国王の指先が、机を軽く叩いた。

「どこも、彼女個人に関心があるのではないな」

 苦みを含んだ声だった。

「彼女が持つものを見ている」

 宰相は否定しない。

「エノー公爵領は王国領土の三分の一を占めております。軍事力、財政基盤、港湾、交易路――どれを取っても、単独で国家に匹敵する規模です」

「そしてアリエノール様は、それらを正当に動かせる名義を持つ、ほぼ唯一の存在にございます」

 国王は小さく笑った。だが、それは愉快さから漏れたものではない。

「つまり、王太子との婚約を失った時点で、王家はそれを丸ごと手放したということか」

「……その通りかと」

 それが現実だった。

 ルイスとの婚約を破綻させたことで、王家はただ一人の王太子を失っただけではない。未来の王家の中に取り込めるはずだった巨大な力まで、完全に手放してしまったのだ。

 同じ頃、エノー公爵邸では、アリエノールが父と向き合い、卓上に広げられた地図を見つめていた。

 地図の上には、赤と青の線が引かれている。交易路、軍事拠点、補給路、国境線。そこにあるのは縁談相手の家柄ではなく、国を動かすための条件だった。

 アリエノールが静かに口を開く。

「候補は、もう絞れておりますわね」

 エノー公爵がうなずく。

「筆頭は、ブリテン王国――アンジュー伯ヘンリー」

 その名が出た瞬間、室内の空気がわずかに変わった。

 軽い名ではない。

 若くして王位に就き、野心と現実感覚を兼ね備えた男。感情や見栄よりも、契約と利益を優先する王として知られている。

 アリエノールは地図から視線を上げずに言う。

「王国にとって、最も都合の悪い相手ですわね」

「だが、最も対等に契約できる相手でもある」

 公爵は黙って娘を見つめた。

 アリエノールは続ける。

「ブリテン王と手を結べば、この国は二度とエノー公爵家を軽んじられません」

 その言葉に迷いはなかった。

 感情で選んだ相手ではない。立場と力の均衡を見極めた上で出した結論だった。

 公爵は低く問う。

「それは、この国に刃を向ける選択でもある」

 アリエノールは、すぐには首を振らなかった。

 そして静かに答える。

「刃を向けるのではありませんわ」

 ひと呼吸置いて、言葉を続ける。

「背中に刃があると、思い出させるだけです」

 それが政治だった。

 実際に斬りかかることよりも、いつでも斬れる位置にいると知らせることの方が、ずっと大きな抑止力になる。

 数日後、エノー公爵家の使者が極秘裏に動いた。

 行き先は、ブリテン王国。

 携えているのは、公爵家の正式な書簡である。

 内容は驚くほど簡潔だった。

 婚姻を前提とした同盟の可能性について、協議を求める――それだけだった。

 余計な飾りはない。

 曖昧な婉曲表現もない。

 必要な条件だけを、必要な相手へ差し出した文だった。

 返書は早かった。

 八週間後、正式な場を設けよう――。

 それだけで十分だった。

 王都では、まだ誰もそのやり取りを知らない。

 だが、表面が静かな時ほど、水の底では大きな流れが動いているものだ。

 歴史の歯車は、すでに軋みを立てながら回り始めていた。

 夜。

 アリエノールは窓辺に立ち、静かな空を見上げていた。

 王都の灯も、領地のざわめきも、ここまでは届かない。あるのは冷えた夜気と、澄みきった闇だけだった。

「……恋など、自由で結構ですわ」

 誰に聞かせるでもなく、そう口にする。

「けれど、国を動かすのは、選択ですもの」

 その声音に未練はない。

 彼女は、もう誰かに選ばれる側ではなかった。

 自ら選び、その選択で世界を動かす側に立っている。

 この再婚話は、元王太子に振られた令嬢のやり直しではない。

 ましてや、傷ついた女が幸せを求める恋の続きでもない。

 王国の未来に対し、外側から確かな圧力をかけるための一手。

 それが、アリエノール・ダキテーヌの選んだ答えだった。

 最も現実的で、最も強く、そして最も残酷な選択肢だった。
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