初めてを失うまでの契約恋愛

佐倉響

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エピローグ

01

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「いいのか、あれ」

 達也はある一点を見て、千歳に話しかける。社員食堂では唯に話しかけている男性社員が二人。その様子を達也と千歳は、廊下から眺める。

「あれって……話しかけてるだけですよね」
「さっき近くを通ったら、食事に誘ってた」
「その後は?」
「断ってたみたいだけど、何か頑張ってるな」
「社長が近くを通っても熱心に誘うほど頑張っているんですね」

 千歳は目元を緩めると、嬉しそうに唯を見つめる。達也の思う反応としては真逆だった。どうしてそうなる。

「嫉妬とかしないのか」
「しませんよ、唯は断っているでしょう?」
「そうだけどさ、不快に思うとか」

 自分の恋人が他の男から言い寄られているのだ。嬉しそうにするより、苛ついて自分の恋人だと主張してもおかしくはない
 だが、千歳はのんびりと唯を見守っている。

「思いません」

 千歳と付き合うようになってから、唯の見た目は劇的に変わったわけではない。化粧も髪型も、言われたら分かる人には分かる程度の変化だ。それでも千歳は口紅を変えていれば「可愛い」と伝えるし、髪をセットした時に使ったヘアオイルが変われば、香りが好きだとか触りたくなるだとか話していた。すぐに気づいて可愛い可愛いと甘やかしてくる千歳のおかげで、唯は照れながらも自分磨きをちょっとずつ頑張っていった。

 話しかけられるようになったのは、表情のおかげだろう。以前は仕事ばかりで、会社ではほとんど表情が変わることがなかった。それが千歳と恋人になってからは驚かされることが多く、自然と表情が変わることが多い。鍛えられた表情筋により、雰囲気も柔らかくなっている。

「じゃあ、助けないのは? わざわざ恋人だって言わなくても、間に入る口実はいくらでもあるだろ」
「俺が何でも助けていたら、嫌かなって」
「恋人になら嬉しいんじゃないのか」
「唯は俺の後ろじゃなくて隣にいたいみたいで。だから、一人でできることは見守ります。さすがに無理強いするような人だったら、俺も間に入りますけど……あ」

 男性社員二人を見ていた唯が、ちらりと廊下を見る。たまたま顔がそちらを向いただけなのだが、千歳とばったり目が合った。
 千歳はとても嬉しそうに見つめるのとは対照的に、唯はやや真っ青になりながら会話が聞こえなくとも分かるほど全力で断っている。

「良かった。ちゃんと断れたみたいです。これからもっと可愛くなるだろうし、安全な場所で経験が積めるのはいいことですよね」

 そこには何ら毒はない。唯のためになったことを心底喜んでいる姿しかなかった。

「とられるとか、思わないんだな」
「男性一人が近づいただけで余裕がなくなるような落とし方はしてないので」

 束縛しなければ、愛し合えない関係なんていらない。
 欲しいのは、不安のない強固な関係だった。

「でも、見限られないように努力はしたいから、後で甘えようかな」

 達也は何か言おうとして口を閉じかけたが、いやもういいとばかりに脱力しながら呟いた。

「無害な男性社員を練習台にした挙げ句、いちゃいちゃする口実にしやがった……」
「そんな、いちゃいちゃだなんて」
「恋でもすれば、すこしは丸くなるんじゃないかって思ったんだが全然変わってないな」
「最初から尖ってませんって」

 清々しいほどに通常通り。自身を変える必要のない恋愛とは、と達也は疑問を浮かべるが、これはこれで間違いではないだろう。
 男性社員との会話を終わらせた唯は、何もなかったと視線で主張しながら足早に副社長室に向かう。そろそろ休み時間も終わる。その背を千歳が楽しそうに追いかけていった。
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