亡国の草笛

うらたきよひこ

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第七章 盛夏の逃げ水

第百五十四話 盛夏の逃げ水(19)

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 ちょっと思っていたのと違った。
 エリッツはテントの中で半裸で踊っている男をぼんやりと見ていた。
 黒髪だ。そして体格もいい。歳は三十代後半から四十くらいだろうか。ロイの人々は色白なイメージだったが、全身日焼けして野性的な雰囲気である。どうでもいいかもしれないが、顔はちょっと好みのタイプだ。
 ライラたちと大きなテントの中に入ると、その男は四人のメンバーでカードゲームをしていた。どういうわけか男性二人が半裸である。女性のうち一人は普通に服を着ていて、もう一人はほぼ下着のような薄布のみをまとっていた。あまりよくないタイミングで入ってしまったかもしれない。
「うおー、また負けた!」
 ブロンドの男性がカードを投げ捨てて大声で叫び、ズボンを脱いで下着だけになる。
「また全裸にしてやる」
 着衣の方の女性が酒のグラスを手してにやりと笑った。どうやら変な遊びをやっているようだ。
「総長、総長、戻りました。楽しく遊んでるとこすみません。ライラです」
 ライラが特に動揺も見せずに声をかけると黒髪の男が唐突に「おおっ」と、大声を上げて立ち上がり――踊り出した。小さな楽器を小脇に抱え、かき鳴らしている。なかなかの腕前だ。踊りも何だかぼんやりと見入ってしまう上手さがあった。しかし妙な光景であることには変わらない。一緒にカードゲームをやっていた男女は声をかけたり、手拍子などをしている。
「総長、お土産です」
 ダンともうひとり名前の知らない男が布の包みをさし出した。
「何? 何?」
 急に踊りをやめると包みの前に座りこんで子供のように布をはぎ取っている。
「おおっ! レジス産のブランデー。レアだ。やったー」
 ブランデーの瓶を抱えてまた踊り出す。酔っ払っているのかと思ったが、案外しっかりとした足取りだ。
「コップ持ってこーい」
 急に大声で叫ぶのでエリッツは驚いてまばたきをした。隣にいたアルヴィンもあきれたような様子で「なんなのあの人」と小さくつぶやく。
 なぜか周りは「やったー」と騒ぎながら拍手している。
「ブランデー、飲む人―?」
 下着姿になったブロンドの男性とライラ、ダン、その他の隊のメンバー数人が「はい!」と遠慮なく手を挙げた。男は「よし、よし、よし」とうなずきながらコップにブランデーを少しずつそそいでまわっている。こういうのは普通、身分の下の人がやることではないのだろうか。隊のみんなは「やっぱり元気そうだな」「喜んでもらえてよかった」と特に気にする様子はない。よくわからないが、ここの人たちの陽気さはこの人から全体に伝染しているようだ。おそるべき影響力と感心すべきなのか。
「他の人は何飲むの? ――いいや、勝手に好きなもん飲んでよ。今夜はお祝いなんだから」
 そう言うと待ちきれないとばかりに、杯を掲げて一気に飲み干した。
「はあー。やっぱりうまいね。ありがとね」
 ダンたちに声をかけると、機嫌よくテントの中を妙なステップで歩きはじめる。みんなで手拍子をしたり短い言葉をかけあったり、ハイタッチをしたりと、その男を中心に騒ぎがどんどん大きくなる。
「あ、新顔」
 その途中でエリッツとアルヴィンを指さす。まさか隊のメンバー全員を覚えているのだろうか。ライラたちの隊だけならともかく、この渓谷にはものすごい人数のメンバーがいる。
「でも何人か見当たらないね」
 それを裏付けるかのように男がライラに問う。声のトーンは少し下がっていた。
「一人、逃げました。あと二人は死にました」
 ライラは顔を伏せる。
「そうか、つらかったな。亡くなった人たちは全部終わったらみんなできちんと弔おう」
 ライラは「はい」と小さくうなずいた。
「――でも新しい隊員もいるじゃないか」
 そう言ってエリッツとアルヴィンを指差す。早く紹介してほしいとでもいうように「誰? どこの子たち?」と、しゃがみこんでライラに問いかける。
「あれは隊員ではなくて、マグニ村の商人から買ったんです。そのことでお話が――」
「え! 何それ。人買いってやつ?」
 奇行がひどいがまともな判断力があるらしい。人を売買したことにひどく動揺した様子を見せる。やはり人の上に立つ者は表面上おかしくても、根本的にはまともでないとつとまらないのだろう。
「買ったってことは、じゃあ――なに? あの美少年にエッチなことしてもいいの?」
 いや、最低だった。
 一瞬テントの中が静まり返る。さすがのライラも真顔だ。
「それは本人の合意のうえで。でもその前に――」
「合意か。確かに買ったとはいえ無理強いはよくない」
 ライラの言葉が聞こえないのか無視しているのか、かなり大きなひとりごとを言っている。心の中でいうようなことが丸聞こえだ。周りは「相変わらずしょうもない人だな」「いつものことだ」「怪我人に何するつもりなんだ?」と、小さなささやき声で満ちているが、当の本人は気にしている様子がない。
「総長……」
「うーん、今夜あたりどうだろうか。せっかくのお祝いだし――」
 立ち上がったライラがダンッと足を踏み鳴らした。
「総長! 黙って聞いて」
 またしんとテント内が静まり返る。どうでもいいが、基本的に岩場なのでライラも痛かったのではないか。
「うん、ライラ、ごめん。聞くよ」
 目を丸くした男が、案外素直な様子でライラの前にちょこんと座り直した。なんだかんだいって憎めない人物だ。
「あの二人はレジスから来ました。それで同じくレジスからこの国に入ったロイの人を探しています。最近そういった話は聞いてませんか?」
 男は何か考え込むように腕を組んで目をつぶった。それからぱっとエリッツとアルヴィンの方を見る。
「もうちょっと詳しく聞かせて?」
 エリッツたちは顔を見合わせた。シェイルのことはあまり詳しくは話せない。
「探しているのは黒髪で見た感じ二十代後半くらいの男性です」
 アルヴィンが口を開く。確かに外見くらいしか言えない。情報をもらう側としてこれはかなり苦しい。
「それだけ? こういっちゃなんだか、この国の中でロイはめずらしくもなんともない。俺もロイだ」
「五、六日前にレジスからこの国に来てるんじゃないかと思うんだけど」
 アルヴィンが時期的な情報を足すがそれでもまだ男は首をかしげている。
「うんうん、後は?」
 困り果ててエリッツはアルヴィンを見た。アルヴィンは仕方ないというように「あつかましいのは承知の上なんだけど……」と切り出した。
 総長はじっとアルヴィンを見て「きみもロイだな」とつぶやいた。同族同士は分かるのだろうか。
「僕はレジスの保護区出身のロイだけど、それで、そう、探している人物はレジスの重要人物にあたる方であまり詳しくは話せない状況なんだ。もちろんこんなので情報が欲しいって頼むのはすごく悪いと思ってるよ」
 総長は腕組みをしたまま何かを考えている様子だ。
「ロイの少年、妙に素直だな。ロイの若いのは頑固で生意気だと相場が決まっている」
 総長の偏見にあふれた言葉にライラが横から口を出す。
「そんなことはない。うちの隊にはロイの子供たちがいるけど、みんな素直でいい子です」
「いや、俺はいい子に会ったことがないぞ」
 総長は子供のように言いかえす。そんなことを言ったら自分の子供の頃だってそうだったということになるじゃないか。いや、話がどんどん横にそれてゆく。
「あ、あの、それで何か思い当たることはないんでしょうか?」
 エリッツはおそるおそる口を開く。
「うん。ごめん。意地悪をしてるわけじゃないんだけど、ここにロイはたくさんいるし、素性を話さない者もいる。情報を選別する材料が少ないよ」
 それはもっともだ。まともなことも言うらしい。
「そうだな、その人は何をしにアルメシエに入ったんだ?」
 総長の質問にエリッツはまたアルヴィンを見たが、アルヴィンはお手上げとでもいうように小さく首をふった。
「これは話せないとかじゃなくて、おれも本当にわからなくて。ある日、急にいなくなってしまったんです。それでいろんな人に聞いてここまで来たものの、これ以上どこを探せばいいのかわからなくて。確信はないんですけど、アルメシエの内乱にかかわっているんじゃないかって――」
「ならここにいればいい」
 総長は軽い調子でそう言った。
「レジスから来て内乱にかかわっているなら必ず俺とぶつかる。ここにいれば絶対に会える」
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