249 / 526
#248 エレベーターのボタン全部押す係
しおりを挟む
夜のマンションには謎の「ボタン全部押す係」が現れるようだ。最上階から地下まで、全部の階を律儀に巡る彼(あるいは彼女)は、一体何者なのか? そして、住人たちはなぜか誰も驚かない――。
「また全部押されてる……」
エレベーターの扉が開くと、見慣れた数字が全て青白く光っていた。いつものことだ。私は軽く溜め息をつく。15階の自宅に帰り着くにはいつもどおり時間がかかりそうだ。今日もまた、全部の階に止まる羽目になるのだから。
「お疲れ様です」
8階で、カンガルーの着ぐるみを着たおじさんが乗ってきた。手には特大サイズのプリン。
「あの……それ、どこで売ってるんですか?」
見たことがないくらいの大きさだ。普通のコンビニにあるサイズじゃない。
「地下一階ですよ。でも17階に寄らないと買えません」
どういう理屈なのだろうか。
「17階は誰も住んでないはずですが」
「それが、プリンの精霊が住んでるんですよ。今晩はきなこ味が特売で……あっ、次は9階ですね」
いつもどおりわけがわからないが、これがいつもどおりなのだ。気にしていてはこのマンションに暮らすことはできない。
着ぐるみのおじさんは礼儀正しく9階で降りた。誰も乗ってこない。プリンの甘い香りだけが残る。
10階で止まると、今度はスーツ姿の小学生が現れた。名札には「部長」と書いてある。
「こんばんは。今日も会議ですか?」
「はい。僕、毎日役員会議があって忙しいんです。ところで、明日はエレベーター早押し大会がありますから、お忘れなく」
「そんなイベント、聞いたことないですが……」
「でもあるんです。去年はサボテンさんが優勝でした」
小学生部長は11階で降りた。やはり誰も乗ってこない。だが「サボテンさん」が頭にひっかかる。そんな住民、いただろうか。うん。またわけがわからない。
12階で止まると、いきなりエレベーターにカレーの香りが充満した。誰も乗ってこない。でも、床に「本日のカレー・辛口」と書かれた付箋が落ちている。さっきはなかった。12階で現れたのだろうか。
13階。天井からタコが一匹ぶら下がっている。触手でボタンを器用に押す。
「あ、いつも通り、ボタンは全部押してありますよ」
「こんばんは」
無視される。
「あ、はい。こんばんは……って、あなたは?」
「ボタン全部押す係のサポーターです」
「サポーター……。え? このボタン、毎回誰が全部押してるんですか?」
「ボタンを押すだけで世界が平和になるのです。あと、14階の犬に伝言をお願いします」
また無視された。
「伝言ですか。なんて?」
「“今日のクッキーはバター多めで”」
タコは14階に向かって伸びていき、次の瞬間消えた。
14階で扉が開くと、黒い蝶ネクタイをつけた柴犬がエレベーターに乗ってきた。後ろ足で立っている。首から「管理人代理」の札をぶら下げている。
もしかしてこの犬がボタンを全部押しているのか?
「13階のタコさんから伝言です。“今日のクッキーはバター多めで”」
「承知しました。バター多めですね。なお、明日のゴミ出しは“土星”ですのでよろしく」
「土星!?」
「はい、宇宙ゴミ回収日なので」
柴犬管理人代理は15階で降りていった。
ついに15階、自宅前だ。が、扉が開いても自分の部屋ではなく、見慣れぬ大広間に出た。真っ白なテーブルに、色とりどりのボタンが山盛り乗っている。
「やあ、お待ちしていました。私がボタン全部押す係です」
こ、こいつが!
ボタン全部押す係を名乗る男が、蝶ネクタイとサングラス姿で立っていた。手には巨大なリモコン。
「ええ、わたしが“ボタン全部押す係”です。でも、今夜は特別な夜。ボタンを全部押すだけでなく、“全部の押されたボタンを解除する係”も必要なのです」
「それは……」
「あなたです」
テーブルの脇に赤いスイッチが一つだけある。
「このボタンを押せば、全てのボタンがリセットされます。でも、押すと明日は“全階段強制登り”の日になるかもしれません」
「まさか、解除されたボタンは1日押せなくなるという意味ですか」
「そうです」
最悪だ。
「……それは困ります。たぶんみんな困ります」
「ですよね。でも、ボタンを押さなければ、毎日全部の階でエレベーターが止まります」
「うーん……」
「さあ、どちらを選びますか?」
私はしばらく悩み、さらに悩み、うんうんと唸った。そしてそこから記憶がなくなった。
瞬間、目の前がぐるぐる回転し、気がつくと元のエレベーターの中。扉が開き、自宅前だった。
「おかえりなさいませ」
目の前には、蝶ネクタイの柴犬管理人代理。プリン(カレー味)という容器を持っている。背後にはタコが、触手でクッキーを食べていた。
「今日は全部押されてないですよ」
「あれ? ほんとだ……」
15階より上の階のボタンはついていたはずなのだが、一つも光っていなかった。
「まさか、私、リセットボタンを押しましたか」
柴犬とタコはそっと顔を見合わせ、意味ありげにこちらを見る。
「さあねえ」
「どうでしたかねぇ」
私はそっと自宅のドアを開け、家に入った。
だが、次の日の朝、階段には「全階段強制登りデー!」という旗が飾られていた。
やはり押していたらしい。
ため息をつきながら私は、カンガルーの着ぐるみおじさんと一緒に階段を登ることにした。彼はまたプリンの精霊の話を嬉々として聞かせてくれる。
「また全部押されてる……」
エレベーターの扉が開くと、見慣れた数字が全て青白く光っていた。いつものことだ。私は軽く溜め息をつく。15階の自宅に帰り着くにはいつもどおり時間がかかりそうだ。今日もまた、全部の階に止まる羽目になるのだから。
「お疲れ様です」
8階で、カンガルーの着ぐるみを着たおじさんが乗ってきた。手には特大サイズのプリン。
「あの……それ、どこで売ってるんですか?」
見たことがないくらいの大きさだ。普通のコンビニにあるサイズじゃない。
「地下一階ですよ。でも17階に寄らないと買えません」
どういう理屈なのだろうか。
「17階は誰も住んでないはずですが」
「それが、プリンの精霊が住んでるんですよ。今晩はきなこ味が特売で……あっ、次は9階ですね」
いつもどおりわけがわからないが、これがいつもどおりなのだ。気にしていてはこのマンションに暮らすことはできない。
着ぐるみのおじさんは礼儀正しく9階で降りた。誰も乗ってこない。プリンの甘い香りだけが残る。
10階で止まると、今度はスーツ姿の小学生が現れた。名札には「部長」と書いてある。
「こんばんは。今日も会議ですか?」
「はい。僕、毎日役員会議があって忙しいんです。ところで、明日はエレベーター早押し大会がありますから、お忘れなく」
「そんなイベント、聞いたことないですが……」
「でもあるんです。去年はサボテンさんが優勝でした」
小学生部長は11階で降りた。やはり誰も乗ってこない。だが「サボテンさん」が頭にひっかかる。そんな住民、いただろうか。うん。またわけがわからない。
12階で止まると、いきなりエレベーターにカレーの香りが充満した。誰も乗ってこない。でも、床に「本日のカレー・辛口」と書かれた付箋が落ちている。さっきはなかった。12階で現れたのだろうか。
13階。天井からタコが一匹ぶら下がっている。触手でボタンを器用に押す。
「あ、いつも通り、ボタンは全部押してありますよ」
「こんばんは」
無視される。
「あ、はい。こんばんは……って、あなたは?」
「ボタン全部押す係のサポーターです」
「サポーター……。え? このボタン、毎回誰が全部押してるんですか?」
「ボタンを押すだけで世界が平和になるのです。あと、14階の犬に伝言をお願いします」
また無視された。
「伝言ですか。なんて?」
「“今日のクッキーはバター多めで”」
タコは14階に向かって伸びていき、次の瞬間消えた。
14階で扉が開くと、黒い蝶ネクタイをつけた柴犬がエレベーターに乗ってきた。後ろ足で立っている。首から「管理人代理」の札をぶら下げている。
もしかしてこの犬がボタンを全部押しているのか?
「13階のタコさんから伝言です。“今日のクッキーはバター多めで”」
「承知しました。バター多めですね。なお、明日のゴミ出しは“土星”ですのでよろしく」
「土星!?」
「はい、宇宙ゴミ回収日なので」
柴犬管理人代理は15階で降りていった。
ついに15階、自宅前だ。が、扉が開いても自分の部屋ではなく、見慣れぬ大広間に出た。真っ白なテーブルに、色とりどりのボタンが山盛り乗っている。
「やあ、お待ちしていました。私がボタン全部押す係です」
こ、こいつが!
ボタン全部押す係を名乗る男が、蝶ネクタイとサングラス姿で立っていた。手には巨大なリモコン。
「ええ、わたしが“ボタン全部押す係”です。でも、今夜は特別な夜。ボタンを全部押すだけでなく、“全部の押されたボタンを解除する係”も必要なのです」
「それは……」
「あなたです」
テーブルの脇に赤いスイッチが一つだけある。
「このボタンを押せば、全てのボタンがリセットされます。でも、押すと明日は“全階段強制登り”の日になるかもしれません」
「まさか、解除されたボタンは1日押せなくなるという意味ですか」
「そうです」
最悪だ。
「……それは困ります。たぶんみんな困ります」
「ですよね。でも、ボタンを押さなければ、毎日全部の階でエレベーターが止まります」
「うーん……」
「さあ、どちらを選びますか?」
私はしばらく悩み、さらに悩み、うんうんと唸った。そしてそこから記憶がなくなった。
瞬間、目の前がぐるぐる回転し、気がつくと元のエレベーターの中。扉が開き、自宅前だった。
「おかえりなさいませ」
目の前には、蝶ネクタイの柴犬管理人代理。プリン(カレー味)という容器を持っている。背後にはタコが、触手でクッキーを食べていた。
「今日は全部押されてないですよ」
「あれ? ほんとだ……」
15階より上の階のボタンはついていたはずなのだが、一つも光っていなかった。
「まさか、私、リセットボタンを押しましたか」
柴犬とタコはそっと顔を見合わせ、意味ありげにこちらを見る。
「さあねえ」
「どうでしたかねぇ」
私はそっと自宅のドアを開け、家に入った。
だが、次の日の朝、階段には「全階段強制登りデー!」という旗が飾られていた。
やはり押していたらしい。
ため息をつきながら私は、カンガルーの着ぐるみおじさんと一緒に階段を登ることにした。彼はまたプリンの精霊の話を嬉々として聞かせてくれる。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
麗しき未亡人
石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。
そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。
他サイトにも掲載しております。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる