ちいさな物語屋

うらたきよひこ

文字の大きさ
250 / 526

#249 五月闇の雨宿り

しおりを挟む
梅雨入りしたばかりの夜は、やわらかいはずの町の灯りさえ、空に溶けていく。

空は厚い雲でふさがれ、月も星も気配すらない。空からは細く長い雨がしきりに降りそそぎ、町全体が水のヴェールで覆われているようだ。

この時期の夜を、「五月闇」と呼ぶらしい。ただの夜よりも、ずっと深い。ただの雨よりも、ずっと静か。世界が眠ってしまったような、しじまの時間。

中学一年生の美緒(みお)は、うまく眠れずにいた。小さなアパートの窓を少しだけ開けて、外の空気と雨音をこっそり部屋に招き入れる。母親はもう眠っている。テレビの明かりだけが、薄青く部屋を照らしている。

「雨の夜って、すごくさみしい感じがする」

ふと、そんなことを思った。

その夜、美緒はふらりと家を出た。母親にばれたら怒られるだろうが、ほんの少しだけのことだ。それにこの小さな町は周りは知り合いばかり。何かあったらどこへでも駆け込める。

ただ雨と闇の中を歩く。しとしと降る雨、アスファルトに跳ねる雨粒。小さな水たまりの上に、彼女の影が揺れている。

気がつけば、町はずれの古い祠の前に立っていた。いつからか誰も寄りつかなくなった、苔むした小さな社(やしろ)。石段も滑りやすく、鳥居の朱色もすっかり褪せている。

「こんな雨の夜に、誰もいないよね……」

そう思いながらも、美緒は祠の軒下で雨宿りをした。どこか、ここだけ時間の流れが違うような気がする。雨音は遠くなり、かわりに、祠の奥からかすかな気配がした。

「こんばんは」

声に、思わずびくりとする。振り向くと、そこには不思議な影が座っていた。人のような、そうでないような。薄暗がりの中で、白く細い指先だけが、ゆっくりと美緒を招いた。

「雨の夜は、さびしいだろう?」

影は、どこか懐かしい声で語りかけてくる。

「昔はよく、子どもたちが遊びに来たんだ。雨宿りしながら、怖い話をしたり、歌をうたったりね。でも最近は誰も来ない。君は、どうしてここに?」

美緒は自分でもわからないまま、ぽつぽつと話しはじめた。

「うまく眠れなくて……。夜になると、いろんなことを思い出しちゃうんです。友だちのこととか、学校のこととか。なんだか、全部がうまくいかなくて」

影は静かにうなずくと、祠の奥から小さな鈴を取り出した。

「これを鳴らしてごらん。五月闇の夜、雨音にまぎれて、きっと『だれか』が答えてくれる」

美緒は半信半疑で鈴を鳴らす。

――ちりん。

その音は、雨の音にまぎれ、やがて町じゅうを包みこんだ。すると、不思議なことに、遠くのどこかから返事のような鈴の音が聞こえた。

「同じ音……だれか、いるの?」

美緒が問うと、影は優しく微笑んだ。

「五月闇は、みんなの寂しさや、眠れぬ夜の思い出を集めるんだよ。そして、次の季節が来るまで、それを静かに預かるのさ」

「預かって、どうするの?」

「大切に保管しておく。いらないもののように思うかもしれないけれど、実はとても大切なものなんだよ。でも持っているとつらいだろう? だから、預かるのさ」

いつのまにか雨は小降りになり、空がほんの少しだけ明るくなっている。

「またいつでも、さびしい雨の夜にはここにおいで」

立ち上がると、美緒の身体はふっと軽くなっていた。ふと気がつけば、彼女は家の前にいる。ポケットには、小さな鈴がひとつ。

その晩は、久しぶりによく眠れた。

季節が進み、梅雨が明けても、美緒は時おり鈴を手にして思い出す。

――あの夜、深い五月闇に包まれて、だれかと語り合ったことを。

そしてまた暗い雨の夜が訪れる。

雨音にまぎれて、今年も町のどこかで、静かな奇跡が起きているのかもしれない。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

麗しき未亡人

石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。 そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。 他サイトにも掲載しております。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...