ちいさな物語屋

うらたきよひこ

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#273 風紋の骨笛

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旅の途中で、僕は言葉の通じない少女を拾った。

山の稜線が夕焼けに燃え、風が岩肌を舐める音だけが響いていた。

少女は草色の外套をまとい、瑠璃色の瞳でこちらを見上げた。

発せられる言葉は、乾いた木の葉が擦れるような節回しで、意味はひとつも掴めない。

しかし孤独は万国共通だ。僕は懐の干し肉を差し出し、彼女は警戒しながらも少しずつ、それをかじる。

翌朝、僕らは並んで山道を下った。少女は足取りこそ軽いが、山岳民族特有の刺繍入りサンダルが擦り切れている。

名を問いかけても、彼女は胸の前で小鳥が羽ばたくような仕草をするだけ。僕はそれを〈トリ〉と受け取り、彼女を「トリ」と呼ぶことにした。

谷を抜けると、砂丘がどこまでも続く。昼は陽炎、夜は水晶のような星明かり。焚き火のそばで、僕は交易都市までの地図を広げ、彼女には手のひらに砂を撒いて見せた。

東へ、星が昇る方角へ進むのだと示すと、彼女は指で砂を集め、小さな塔を築いた。その頂に乾いた草を差して旗にする。

そこが帰る場所か、あるいは願いの場所か。言葉は無いままに、僕らは旅程を共有した。

三日目の夜明け前、突風がテントを剥ぎ取った。砂の奥から黒煙のような影が湧き、烈しい叫び声が耳を貫く。砂精霊――迷い子と旅人を攫う災厄だ。

短刀を抜き応戦するも、刃は砂精霊を切り裂けない。トリは胸元から骨笛を取り出し、一息で鋭い音を吹き上げた。旋律は風紋を揺らし、黒煙はひととき立ち止まる。

僕はその隙に火薬袋を投げ、弾けた閃光が闇を散らした。静寂のあと、砂丘には僕らの足跡だけが残った。

火を起こし直すと、トリは笛を逆さに握って差し出した。異国の礼法だろう。僕は両手で受け取り、見よう見まねで吹いてみる。

掠れた音でも、彼女の瞳は月のように輝いた。僕らは言葉を発せず、音だけで夜を編んだ。

やがて交易都市セレリスの街灯が見える頃、旅装の群衆に混じって、トリと同じ刺繍柄の外套を纏う一団が現れた。鼓のような太鼓を打ちながら行進する少数民族バルダの祭隊だ。

トリは太鼓のリズムに合わせ、胸の前であの小鳥の仕草を繰り返す。隊列の中年の女が駆け寄り、彼女を抱きしめた。一斉に響く母語のざわめき。ようやく、帰る群れが見つかったのだ。

僕は腰の袋から骨笛を取り出し、そっと手渡した。「君の家へ戻ったら、また風を歌わせるといい」と僕は僕の言葉で告げる。

意味は通じなくとも想いは届く。トリは笛を胸に当て、深く一礼した。祭隊が砂の大通りを進むにつれ、煙草色の空に新しい風紋が描かれる。

翌日、商人ギルドの会合が終わると、路地裏でバルダの少年に呼び止められた。

彼は胸元で小鳥の仕草をし、風紋と小鳥を刺した布包みを差し出す。中には白砂糖をまぶした干し果実――トリからの贈り物らしい。

夜、市門近くの橋で一粒味わう。甘酸っぱい香りが旅の砂塵を洗い流すようだ。

僕は羊皮紙に線を引き、風の通り道の形――トリが砂で築いた塔と旗――それを新しい地名として書きとめた。

翌朝、馬車が城壁の蜃気楼に溶ける頃、背後から鼓と笛の合奏が追い風に乗って届いた。祭隊の練り歩きが始まったのだろう。

骨笛の高音が重なり、やがて見えない大合唱へ膨らむ。僕は胸の中で小鳥を跳ね上がらせた。

旅は続く。赤茶けた台地の先で稲妻が地平線を裂き、雨季の雲が湧く。僕は干し果実の甘味を反芻しながら思う。

言葉に置き換えられない風の声を逃さぬよう、これからも耳を澄ませよう。

やがて野営の焚き火を囲むと、護衛剣士が匂いに誘われて干し果実を欲しがった。

僕は笑って渡し、胸の前で小鳥を描く仕草を教えた。剣士はぎこちなく真似し、炎に照らされながら笑った。

その時、遠い稲妻が夜を裂き、光は骨笛の旋律のように消えた。

もし再び彼女と巡り合う日が来たなら、僕はきっと彼女の母語で挨拶を試みるだろう。

だが、それより大切なのは、胸の前で小鳥を飛ばすたった一秒の所作だ。言葉より先に飛び立つその仕草が、僕らが交わした旅の秘密の鍵となるのだから。

夜空の星々は翻訳者を要さず、ただ瞬く光で互いを理解している。

僕らもそうありたいと、炎に手をかざしながら願った。
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