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第五話『薄墨桜が染まるまで』
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桜の季節がやってきた。
桜なんて毎年見慣れているから特別なものとは思わない。自分の旦那様が桜の木として生きているのだから、そう思っても仕方ないだろう。でも、それでも目を魅かれてしまうしまうのは長年人間として生きているさがなのかもしれない。
あーちゃんから伝えられた言葉を、私はずっと考えていた。
あんなにも嬉しかった自分の誕生日は嬉しくなくなり、ドキドキした贈り物は大きな重荷へと変わってしまった。
出会った当初から決まっていたことだったのに。どうして今更こんなにも胸を痛めなければいけないのか。
夜に考えては一人で枕を濡らしていた。
目を閉じれば真っ暗な空間で一人取り残される夢を見た。勢いよく起きれば呼吸は乱れ、うっすらと目に涙がたまっていた。激しく繰り返される呼吸音に何度かウスズミ様を起こしてしまったことも。その度に『何でもないです』と答え、中に入ってくることを拒んだ。
残された時間はあと数週間。
早く殺さないと。
考えるだけで手が震える。
ウスズミ様がいない間に村の人が訪れるようになった。嫁いだあとから私のことを気にかけることなんてなかったのに、残り一ヶ月を切ってからは毎日のように来ている。そんなに気になるのなら自分たちで殺せばいいものを。心の中で何度も思ったが口にすることはなかった。
今日も、そいつらは来てしまった。
「おい」
「……はい。何でしょうか」
「お前、まだ殺していないのか」
「すみません」
「謝るな。早くしろと言っているんだ。村長が気を揉んでいる、残り二週間しかないんだぞ」
「すみません」
「失敗したら、お前の人権はなくなると思え」
「……」
「おい、わかったか」
「はい。わかりました」
ふんと鼻を鳴らしている人は、村長の使いでやってきたらしい。私が地べたにそのまま正座している姿を見下ろしている。私の顔なんて見たくないと言ったような振る舞いに心が搾り取られる。ダメだ、ここで泣いては。また何を言われるか分からない。
つい数時間まで優しく、温かい空間にいたから忘れていたこの空気と視線。人権がなくなると言われたけれど、もうこの瞬間も私に人として生きることが許されていない。
じろっとこちらを見てきた男はかかとと揺らしている。もう話は終わったから帰ると思っていたのだが、まだ何か用があるのだろうか。
「お前、失敗したら本当はどうなるのか知っているか」
「……? いえ、何も」
「人権がなくなるとか言っているが、そんなのは建前だ。お前はな、殺されるんだよ」
「……え」
「村長がな、言っていたんだ。お前には伝える必要はないって言っていたんだがな。お前が死んでも誰も何とも思わねえよ」
残念だったな、と侮蔑が含まれた言葉と片方の口角だけが上がった顔を見た。今まで顔を上げずに自分自身のつむじを見せていたのだが、見上げてしまったのだ。彼の視界に私は入っておらず、どこか違うところを見ているだけ。ちらりと見えた表情は、人が人を見下す時に向ける顔だった。
何度も見てきたその顔を最後に、その男は目の前から去って行った。
足音も笑っていた声も何も聞こえなくなった頃、どうにか立ち上がった。足に力を入れて、ウスズミ様が帰ってくる居間へと体を動かした。
今聞いた話が本当なのか。いや、嘘ではないはずだ。
大きな市と合併する話が持ち上がったから生贄を捧げていることを隠すために私を送り込んだのだ。村の中で一番必要とされていない私を生贄にすることによって少しでも村の環境を良くしようとしている。親がいない人間なんていない方がいいに決まっている。加えて神様も一緒にいなくなったら一石二鳥だ。こんな絶好の機会を逃すはずがない。
私は、生きる価値のない人間だったのだ。
「あれ、桃ちゃん?」
「っ! ウスズミ様、お早かったのですね」
「まあね。相手の用事が早まったとかで早く帰って来れたんだ。どこか具合でも悪いのかい?」
「え」
「顔色が良くない。最近は元気そうにしていたけど、春先だから油断しちゃったのかな。ちょっと失礼するよ」
突然の標的の声に心臓が止まるかと思った。自分のことを見透かされているのかと、警戒心が強くなる。しかし、ビクビクしている私のことなんてつゆ知らず、自身の手を私の額に当てた。まだ外は寒いのか、ひんやりとした体温。冷え切ってしまったのだろうか。寒さを感じることはなく、じんわりと頬が赤くなった。測り終わったからなのか、冷たさが離れていった。名残惜しく思いながら、ほうっと息を吐いた。
「うーん、微熱かな。今日の夕飯はわたしが用意するよ」
「え! いや、ウスズミ様にそんなことはさせられません!」
「何言っているの。わたしたちの仲じゃないか。大丈夫、おかゆくらいは作れるからさ」
ほらほら、と私の背中を押す。確かにウスズミ様は今の時代珍しい料理をする方だ。本人は簡単なものしか作れないと思っているようだが、十分すぎる。村の男の人たちは絶対に台所に立つことはなかった。だからこそ、彼の行動には何度も驚かされた。
あの、その、と言葉に詰まっている間に私の部屋へと押し込んだ。揺れたのれんの間から見えたウスズミ様は満足そうに腕組みをしている。私がいつも頑なに休まないから、ここぞとばかりに動いているのだろう。ふふっと笑いが出てしまった。
「今から桃ちゃんは布団で横になること! おかゆができたら呼ぶからね。わかった?」
「ふふ。はい、わかりました」
「よし。じゃあ、一旦おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
私の返事を聞いて安心したのか、影になっていたのれんはいつも通りの色を取り戻していた。彼の行動はいつだって私のことを思いやっている。さっきまで話をしていた男とは大違いだ。はあ、とため息を吐くとブルっと背中が震えた。嫌なものが背中を通り抜けた感覚がする。これは本当に風邪をひいてしまったのかもしれない。
「今日だけ、今日だけだから」
頭がふわふわとしてきた。長時間あんな場所で座っていたからだろうか。ここに嫁いできてからあんな冷たいところで座ることはなかった。前までだったらあれくらい平気だったのに。回らない頭で過去を思い出していた。
ぼすん、と布団にそのまま飛び込む。ふわふわの布団、お日様の匂いがする布団。小枝のように細く醜かった自分の腕がいつの間にか健康的な色へと変わっていた。体も心も今の方が強くなっているというのに、どうしてこんなにも弱くなってしまったのだろうか。
「ああ、眠いなぁ」
ふわあ、と大きなあくびを一つ。連日訪れてきた村の人たちの相手がよほど辛かったらしい。巨大な疲労感と目に見えない罪悪感が一気に襲ってきたようだ。
ああ、でも。考えないと。
私が殺さないと。そうしないと、私も殺されてしまう。
「生きていて、欲しいのに」
ぽろっとこぼれた言葉。ギリギリで保っていた意識はそこで途切れてしまった。
桜なんて毎年見慣れているから特別なものとは思わない。自分の旦那様が桜の木として生きているのだから、そう思っても仕方ないだろう。でも、それでも目を魅かれてしまうしまうのは長年人間として生きているさがなのかもしれない。
あーちゃんから伝えられた言葉を、私はずっと考えていた。
あんなにも嬉しかった自分の誕生日は嬉しくなくなり、ドキドキした贈り物は大きな重荷へと変わってしまった。
出会った当初から決まっていたことだったのに。どうして今更こんなにも胸を痛めなければいけないのか。
夜に考えては一人で枕を濡らしていた。
目を閉じれば真っ暗な空間で一人取り残される夢を見た。勢いよく起きれば呼吸は乱れ、うっすらと目に涙がたまっていた。激しく繰り返される呼吸音に何度かウスズミ様を起こしてしまったことも。その度に『何でもないです』と答え、中に入ってくることを拒んだ。
残された時間はあと数週間。
早く殺さないと。
考えるだけで手が震える。
ウスズミ様がいない間に村の人が訪れるようになった。嫁いだあとから私のことを気にかけることなんてなかったのに、残り一ヶ月を切ってからは毎日のように来ている。そんなに気になるのなら自分たちで殺せばいいものを。心の中で何度も思ったが口にすることはなかった。
今日も、そいつらは来てしまった。
「おい」
「……はい。何でしょうか」
「お前、まだ殺していないのか」
「すみません」
「謝るな。早くしろと言っているんだ。村長が気を揉んでいる、残り二週間しかないんだぞ」
「すみません」
「失敗したら、お前の人権はなくなると思え」
「……」
「おい、わかったか」
「はい。わかりました」
ふんと鼻を鳴らしている人は、村長の使いでやってきたらしい。私が地べたにそのまま正座している姿を見下ろしている。私の顔なんて見たくないと言ったような振る舞いに心が搾り取られる。ダメだ、ここで泣いては。また何を言われるか分からない。
つい数時間まで優しく、温かい空間にいたから忘れていたこの空気と視線。人権がなくなると言われたけれど、もうこの瞬間も私に人として生きることが許されていない。
じろっとこちらを見てきた男はかかとと揺らしている。もう話は終わったから帰ると思っていたのだが、まだ何か用があるのだろうか。
「お前、失敗したら本当はどうなるのか知っているか」
「……? いえ、何も」
「人権がなくなるとか言っているが、そんなのは建前だ。お前はな、殺されるんだよ」
「……え」
「村長がな、言っていたんだ。お前には伝える必要はないって言っていたんだがな。お前が死んでも誰も何とも思わねえよ」
残念だったな、と侮蔑が含まれた言葉と片方の口角だけが上がった顔を見た。今まで顔を上げずに自分自身のつむじを見せていたのだが、見上げてしまったのだ。彼の視界に私は入っておらず、どこか違うところを見ているだけ。ちらりと見えた表情は、人が人を見下す時に向ける顔だった。
何度も見てきたその顔を最後に、その男は目の前から去って行った。
足音も笑っていた声も何も聞こえなくなった頃、どうにか立ち上がった。足に力を入れて、ウスズミ様が帰ってくる居間へと体を動かした。
今聞いた話が本当なのか。いや、嘘ではないはずだ。
大きな市と合併する話が持ち上がったから生贄を捧げていることを隠すために私を送り込んだのだ。村の中で一番必要とされていない私を生贄にすることによって少しでも村の環境を良くしようとしている。親がいない人間なんていない方がいいに決まっている。加えて神様も一緒にいなくなったら一石二鳥だ。こんな絶好の機会を逃すはずがない。
私は、生きる価値のない人間だったのだ。
「あれ、桃ちゃん?」
「っ! ウスズミ様、お早かったのですね」
「まあね。相手の用事が早まったとかで早く帰って来れたんだ。どこか具合でも悪いのかい?」
「え」
「顔色が良くない。最近は元気そうにしていたけど、春先だから油断しちゃったのかな。ちょっと失礼するよ」
突然の標的の声に心臓が止まるかと思った。自分のことを見透かされているのかと、警戒心が強くなる。しかし、ビクビクしている私のことなんてつゆ知らず、自身の手を私の額に当てた。まだ外は寒いのか、ひんやりとした体温。冷え切ってしまったのだろうか。寒さを感じることはなく、じんわりと頬が赤くなった。測り終わったからなのか、冷たさが離れていった。名残惜しく思いながら、ほうっと息を吐いた。
「うーん、微熱かな。今日の夕飯はわたしが用意するよ」
「え! いや、ウスズミ様にそんなことはさせられません!」
「何言っているの。わたしたちの仲じゃないか。大丈夫、おかゆくらいは作れるからさ」
ほらほら、と私の背中を押す。確かにウスズミ様は今の時代珍しい料理をする方だ。本人は簡単なものしか作れないと思っているようだが、十分すぎる。村の男の人たちは絶対に台所に立つことはなかった。だからこそ、彼の行動には何度も驚かされた。
あの、その、と言葉に詰まっている間に私の部屋へと押し込んだ。揺れたのれんの間から見えたウスズミ様は満足そうに腕組みをしている。私がいつも頑なに休まないから、ここぞとばかりに動いているのだろう。ふふっと笑いが出てしまった。
「今から桃ちゃんは布団で横になること! おかゆができたら呼ぶからね。わかった?」
「ふふ。はい、わかりました」
「よし。じゃあ、一旦おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
私の返事を聞いて安心したのか、影になっていたのれんはいつも通りの色を取り戻していた。彼の行動はいつだって私のことを思いやっている。さっきまで話をしていた男とは大違いだ。はあ、とため息を吐くとブルっと背中が震えた。嫌なものが背中を通り抜けた感覚がする。これは本当に風邪をひいてしまったのかもしれない。
「今日だけ、今日だけだから」
頭がふわふわとしてきた。長時間あんな場所で座っていたからだろうか。ここに嫁いできてからあんな冷たいところで座ることはなかった。前までだったらあれくらい平気だったのに。回らない頭で過去を思い出していた。
ぼすん、と布団にそのまま飛び込む。ふわふわの布団、お日様の匂いがする布団。小枝のように細く醜かった自分の腕がいつの間にか健康的な色へと変わっていた。体も心も今の方が強くなっているというのに、どうしてこんなにも弱くなってしまったのだろうか。
「ああ、眠いなぁ」
ふわあ、と大きなあくびを一つ。連日訪れてきた村の人たちの相手がよほど辛かったらしい。巨大な疲労感と目に見えない罪悪感が一気に襲ってきたようだ。
ああ、でも。考えないと。
私が殺さないと。そうしないと、私も殺されてしまう。
「生きていて、欲しいのに」
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