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インディア~親蜜の香り~その一章 5
しおりを挟む彼が操縦する名ばかり立派なビクリトリアン機が着陸したとき、もう倉庫へと移動していた小型機のことを聞き、リンゼイは途端急ぎ足になった。空港の待合席は、これから英国に行くはずの出稼ぎ希望者で待合い席は埋まっていた。彼らはホテルに泊まる金さえない。
機内から出て、添え付けられた階段を下りると、凄まじい湿気と熱気、そして生ゴミの臭いが鼻を刺した。
空調と空気清浄機が効いた機内から出ると、リンゼイの青い目も喉も痛み出す。いつものことだ、すぐに慣れる。暑さにどっと汗が噴出すと分かっていたので、彼は空港の救護室でシャワーを浴びるつもりだった。しかし、時間が限られているので諦めるしかない。
彼は白い制服を着替えもせず、タクシーを拾うために空港を出る。数歩も行かずに、子供たちに囲まれてしまった。夜なのに熱心なことだ。リンゼイは罪悪感を覚えながらも小銭だけ渡し、タクシーに乗り込む。行き先を告げても、ターバンを巻いた黒い肌の男は走り出さず、「もう少し待つ」と呟いた。
「何いってるんだ、さっさと走らせてくれよ!」
しかし男は首を振って、
「ドル、ドル」
と繰り返した。
リンゼイが舌打ちし、ドアを力づくで抉じ開ける。
「ダメ、ダメ!」
男が叫び、運転席から手を伸ばして白人の鴨を掴み戻そうとする。構っている暇はない、英国の航空で金持ちの男が遅刻をして離陸が遅れ、その煽りを食って到着が一時間遅れてしまったのだ。人を待たせている。振り払って外へ出ると、違うタクシーを止め、乗り込んだ。男が追って来ていたが、リンゼイがそれを怖いと思う余裕すらない。
「誰か追ってきてますよ、サー」
「いいから遣ってくれ」
タクシーの運転席を後ろから叩いたお陰で、この運転手は従う気になったらしい。急発進した運転の乱暴さに、バックシートに押し付けられた異邦人は思わず笑い声を上げた。
「そうだ、急いでくれ」
人力車や牛を避けながら、観光名所に向かって大通りを流れて行く。
昼間はもっと騒然としている辺りである。埃が舞い上がる道は一応整備され道路となっているが、四車線が混在しトラックが行き来する大きな車道にも、自転車やバイクが走り、そこを平然と歩行者や白い牛が横切っている。
道や店にいるのはほとんどが男ばかりだったが、時には会社で働いているらしきシャツとズボン着用の女性、または鮮やかなサリーを纏う女性もいる。同じくして、近代的なビルとカラフルな屋台、牛、物売りの手押し車、馬車が車道を囲む。整えられた空港やビジネスホテル、土産店の向こうには、聳え立つヒンドゥーの寺院と遺跡、そして巨大な綿工場と森林がうっすらけぶって見えた。ここは特に、都会と古来の文化が共存する地域なのだ。
余りにも多いホームレスがいる数ブロック先の目的地に近付くと、整備された庭園を囲む白い塀に面した通りに出た。門を潜り、ホテルというには大き過ぎ、宮殿というにはアジア特有の華美が足りない、白い宮の前で降ろしてもらう。チップを払い、見上げる。
この地に置ける唯一の三つ星レストランを有するホテルは昔、マハラジャの離宮だったという。流石に周囲に貧しい出で立ちの人間はいない。
もちろん、パイロットだからといってこんな高級ホテルに泊まれるわけではない。普段なら美術館以上のこの造形美を眺めてゆっくり中に入るところだが、リンゼイは早足でホテルの扉に向かう。制服姿に注目を浴びながら、ドアマンに案内されフロントに声を掛ける。
「フォックスだが」
「はい、お連れ様がお待ちです」
中はシャンデリアが輝き、中世を模した豪華な絨毯と絵画が飾られている。シルクの絨毯の上に同じく刺繍布張りのソファがあって、そこに黒髪の女がゆったりと腰を掛けていた。白いサマードレスが豊満な肉体に張り付いて、強調している。整った彫の深い顔立ちのその女は、リンゼイをじっと見つめてくる。肌は白く、そのセクシーな格好に気後れもないのでインド人ではなくイタリア系だろう。
もっと行くと白塗りの壁の向こうに、庭の見えるテーブル席が用意されていて、席は殆ど埋まっていた。数世紀逆行した、英国人がこの国を支配していた頃にタイムスリップしたような豪華さである。一面の窓から眺める庭には、熱帯の花々が植えられ、ポーチ側の庭園にはプールが光り輝き、椰子の木下に藤で編んだベンチが置かれている。彼は四方八方から、白いパイロット服に視線を感じた。目立つのだ、だが、すぐに周囲のことなど忘れ去る。
窓の近く、端の方のテーブルに座った女性が、向かってくるリンゼイを見て立ち上がったせいだ。周囲を囲む白い壁、白いテーブルクロスにコーヒー色の肌と極彩色の衣装を着たその女は、はっとするほど引き立って見える。
「リンゼイ」
インド人女性が、嬉しそうに立ち上がる。彼女は手を合わせて、彼に向かって頭を垂れた。
「アーシャ!」
彼はその女を見る度に感じる、不思議な思いに心が満たされながら近付いた。一九二〇年のハリウッド映画に出てくる東洋そのもの。
今日のサリーは赤である。彼は、もう彼女の好きなインド更紗が赤が基調だと知っている。しかもそのサリーの細長い布には、青や緑の反発色で刺繍や模様が描かれているものばかり。イタリアのモデルが見たら、嘲笑いそうな色使いである。しかし、確かにそれらは色濃い彼女の肌の為に長年を掛けて誂えられ、調和していた。
「会いたかったよ」
彼は美しい褐色の女に腕を回し、頬にキスしようとする。が、彼女は周囲を気にして大きく身を引いた。
「いけません、捕まってしまう」
「すまない」
リンゼイは項垂れて離れ、彼女を熱い眼差しで見つめるだけに留める。
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