インディア~親蜜の香り~その一章

サーガ

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インディア~親蜜の香り~その一章 11

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「そんなことは、関係ない!」
 またカーストとやらだ。そう思わなくもなかった、だが彼はその苛立ちをアーシャに爆発させる気にはなれない。彼女を自由に振る舞わせないのは、悪いのは、カースト制であろう。この女は自分の立場を弁え、清貧の徒なのだ。
 それに、祖が戦った勝ち得た騎士の位と爵位を、誇りになどしていなかったかといえば、嘘になろう。当たり前のことだが、それは社会的に優遇されているからでは決してない。ただ彼の話し方から、前近代的な世界に住むアーシャが彼はクシャトリナであり、寛容だが血統に縛られ、自慢げに掲げていると思っても不思議はない。
 リンゼイはそこで違和感に気づいた――彼女は一度もそのことで彼を責めなかった。
 クシャトリナで、自分の血筋を吹聴していると思っていただろうに。
 こんな時なのに、リンゼイは彼女が自分を律して個人攻撃しなかったことに打たれ、欲求不満のぶつけ所を失う。
「君が奴隷だろうと、僕の祖母の家のメイドで五十台だろうと、結婚したかったらする。例え親が勧める相手が貴族の姫でも、君じゃなかったら結婚なんてしない。君は綺麗で、賢くて、勇敢で、気高い。尊敬してる」
 そこで彼は今夜、寝た後に見せるはずだったものを思い出し、無言で身を翻す。ドアの付近に、ホテル側に運んで置いてもらったスーツケースに駆け寄った。暗証番号を入れて開け、蓋の内部ポケットから航空封筒を取り出す。彼は早足で戻って来て、手に持ったそれをアーシャに押し付ける。
「これを君に、今夜……君と寝たら渡そうと思っていたんだ」
 彼女が訝りながら薄い折り目を開いて、中のものを取り出した。英国への往復チケット、その下には空白の小切手が切ってあった。はっとして、アーシャがリンゼイを振り仰ぐ。彼は何かいわれる前に、指を突き出して早口でいった。
「日付を見て」
 小切手の日付は五ヶ月前になっている。アーシャは何度もリンゼイとその券と小切手を見比べた。果たしてこの白人の男、ずっとインド人を搾取し我が物顔で振る舞い、しかし不可触民に対しては一定の保護を英断した英国の男のいうことが、真実なのかどうか、見定めようとするかのように。
 リンゼイは黙っていることができず、小さく叫んだ。
「金の力でどうにかしようなんて思ってない、変な意味に取られたらと怖くて、ずっと出せなかったんだ!」
 彼はアーシャを無視して背を向け、独りベッドに向かった。乱暴に腰掛け、顔に落ち掛かった長い前髪を指で梳いて、オールバックにした。鬱陶しくて適わない。
「航空券は今朝買ったんだ。小切手を渡すことができたら、君が何ヶ月ぶりかの休暇を取ることができる、そうしたら僕のフライトで一緒にイングランドへ行って、僕の家で暫らく過ごせばいいと思った」
 頭を抱えて此方を見ない男を見つめ、アーシャの、舞台化粧のように大袈裟なほど縁取られた大きな眸が、合否を出したらしい。寄って来てリンゼイの隣に座った。
 そのことに勇気付けられ、いう。
「……一人で浮かれて、恥ずかしいよ」
 こんなに悲惨な思いをしたのは、小学生の頃歯列矯正器をしたまま女の子にキスして少女の唇を傷つけ、ふられた時以来のことだ――あの時は、一週間部屋に引き籠もった。しかし、大人に成った今は逃げ出すわけには行かない。大人に成るということは辛いものだ。
 しかし幸い、アーシャは項垂れた男の哀れさに母性愛のようなものを感じて気を許したらしい。リンゼイには未だに解明できないが、女はこういう反応をすることがある。彼女は、指先でリンゼイの腕に触れてきた。少女が初めて大きな犬に触る時の手付きで。
「ごめんなさい、サー」
「僕のカードはこれですべてだ、君のカードは?」
「私のカードなんて、ありません」
「あるさ」
 リンゼイの眼差しが熱を帯び、アーシャを見定めてその碧眼が煌めく。彼女はもうその意味に惑わず、無心に見つめ帰して来た。
「でもそれは、貴方と違って最初で最後のカードです」
「君のカードは、僕が欲しい」
 彼は珈琲色の手を握り、一心に黒い瞳に訴える。処女の冷たさ、それも処女でなくなれば人権を無視される可能性がある、そんなしきたりを強制された乙女の閉じられた感情に、一際哀れっぽく、同情を引くように頼み込む。
「君と電話で話して……次に会ったら今までと違うような気がしていた」
「私もです」
 リンゼイは女が嫌だったら逃げられるよう、そっと身を乗り出し、女の唇に自分のそれを重ねた。
「ずっと大事にするから」
 もう一度、今度は柔らかい唇全体を覆い、舌で抉じ開けて咥内に差し入れる。アーシャの唇は軽く閉じられていただけで、無防備にリンゼイの舌を受け入れざるを得ず、歯で噛んで追い出すこともできずにいる。
 彼はキスをいったん止め、アーシャの顎に零れた唾液を犬のように舐め取った。
「舌を吸って、君に合わせるから僕の舌を舐めて……歯を当てないでキスをしてくれ」
 彼女の口紅がリンゼイの口許に移って、滲んでいる。白い肌の薄い唇に赤い色が移って、まるで人を喰った痕に見える。
 これは女にとっては予兆かも知れない。
 比喩的に、彼女はこれからこの男に体中を喰われ、結果として血を流す。
「ア……」
 アーシャは顔を伏せ、指の項で拭う。彼はその二の腕に手を掛け、片手で頬を撫でて上向かせる。
「大丈夫、優しくする」
「はい」
 彼女が瞳を閉じたのを見て、リンゼイは今度はそっとキスを落とす。しかし、それだけで済ませる気はない。一方の手を背中に、もう一方の手をベッドに腰掛ける両足の膝を抱え、素早く抱き上げる。クイーンサイズの寝台の奥へ、その身を大きく移動させたのだ。乱暴に、しかし大きなクッションと枕にふんわり受け止められ、彼女は笑い声を立てる。
 体重を掛けないまでも、上に乗ってきた男を見返し、アーシャは真顔になった。彼の手が首飾りを取り、巻き付けた布をゆっくりと解きほどき始める。サリーは六メートルの一枚の布であり、後はシャツに似た半袖のブラウスを脱がせれば下着姿になる。脇の毛が生えているかと気になっていたが、そこはスチュワーデス、綺麗に取り除かれており、リンゼイは少し残念に思う。
 それはさて置いて最後のスリップを滑り落とすと、選ばれた男にだけ許される禁断の優美な稜線を露わになる。愕くべきことに下着姿は英国の女性と同じではないか。黒い総レースのハーフトップはともかく、その下の同じ色の小さなショーツは、タンガといってもおかしくないほど小さい。丁度茂みが現れる密やかな部分は蝶の透かしレースで彩られていた。
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