碧よりも青く

ハセベマサカズ

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碧よりも青く ②

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「申し訳ない!」
本日の授業終了とともにヘイタが駆けつけ深々と頭を下げる。
やめてくれ。まだ他の生徒も残ってる。目立つのは嫌いなんだ。平穏に人生を送らせてくれ。
だいたい今の私の脳の活動は27%がほんのり続く足の痛みに意識が行ってる。
お前に優しい言葉をかけるような配慮の余裕はないぞ。
「大丈夫、気にしないで」
だから早く退散してくれ。心で願いつつ返事はしたが、痛みで表情がひきつり笑顔が出ない。
昼の飲んだ鎮痛剤は、医者の話だと4時間は持つそうで。時計を見るとまだ有効時間範囲内なのだが。
しまったな。これではやたら冷たい女と受け止められないだろうか。
と、ヘイタの方に視線を向けると未だに延々と謝罪の言葉を続けていた。
大丈夫であったか。彼は彼で手一杯な状況なんだろう。

しばらく待つとヘイタの話のトーンも落ち着いてきた。そろそろ解放されても良いだろう。
席を立って両腕に松葉杖を挟んだ時に、私はある大きな問題に気が付いた。
鞄が持てない。
困った。
どこぞの三刀流のように口にくわえるか。いや、家まで持たない。
股に挟むか。いや、それでは歩けない。
背中に背負うにもくくる紐なんぞ都合の良いものはここには用意されてないぞ。
考えろ。何か策はあるはずだ。
過去の知識と経験を活かして猛烈に脳を回転させるが、足りない。私の脳の73%では答えが出ない。
「俺が持って行く」
呆然としている私に気付いたのかヘイタが助け舟を出した。気遣いの男だ。
私のその細やかさがあったら器量の良い女性だ、ぜひうちの嫁にと評判になっていただろう。
まあ、対人面で難があり過ぎの私には土台無理な話である。
昨日だって私は電車内の「あがり、どもり、赤面症」なんて書かれた広告に釘付けだったのだから。
ヘイタはいつも先生たちに頼りにされてるようだが、それも分かる気がする。誠実な奴だ。

「はい、お願いします」
と、言いかけた刹那。折れた左足に激痛が走った。「はい」が「はいいいい!」になった。
こんな所で言葉が途切れては例も言えない高慢ちきな女に思われる出ないか。
いっそのこと、このまま性格悪い女を続けていれば、面倒くさいと離れて行ってくれるだろうか。
そんな心配にも気にも留めない様子で鞄を持ち私に促す。
その後も私を後押しするように歩き、校舎の階段でも一歩遅れて私についてくる。
社会人マナーの授業でやったなあ。こういう時は女性より下の段を歩かない、とか。
まだ私と同じ高校の生徒なのに紳士な奴だ。
精一杯な私を見兼ねてか、ヘイタは帰り道を何も言わずついてきてくれた。
家の近くまで来ると鞄を受け取った私はヘイタに頭を下げた。
同じ時間の人生しか生きてないのに、あんなやつもいるのだな。
ヘイタは何を見て、どんな事を経験して来たんだろう。
皆に好かれ人の輪の中にいればあんな風になれるんだろうか。
世の中は不公平だ。私は行列すら並べない。
この先も生きていれば、きっとこの格差みたいなものは広がっていくんだ。それは幸せになれる権利なのかも知れない。
私はそれを持っていない。そう思うと途端にさみしさが襲い鳥肌が立った。
まだまだ途方のない時間がこの先に続いているけど平坦で退屈な消化試合だ。
この怪我でさえ振り返れば数少ない思い出の中のランキング上位に出てくるかも知れない。
単調なリズム。でも心地良さはない。眠気を誘うだけ。毎日終わりを期待する。
私が死んだら少子化が進むかな。どんな理由でもすがってないと自分が保てないような気がしてた。
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