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№9 Bloody Hammer
(Illusion)Show my Teeth
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森はイングウェイの味方だった。悪鬼たちの宴の声はすぐに消え、いつもの夜があった。
暗闇を月明りが照らし、足音は風に揺れる枝が消した。
イングウェイは歩いた。まっすぐに、とにかく家から離れるように。
途中で何度か吐きそうになり、そのたびに空を仰ぎ、ゆっくりと息を吸い込む。
喉の奥から血の味がした。錆びた鉄の味だ。
途中で少し迷い、普段歩かない細い山道に入る。
鉈で枝を捌きつつ歩いた。蜘蛛の巣が腕にかかるのがわかった。普段ならうざったいだけの糸が、今は妙に嬉しかった。小さな虫けらを見ると、安心できそうな気がした。
酒を持ってこれなかったのがまずかった。頭痛がじくじくと増している。
イングウェイは適当な木にもたれると、そのまま崩れるように腰を落とす。
こんなことなら、と思って逡巡する。こんなことなら、どうすればよかった? どうすれば少しはマシなことになってたんだ?
答えは出ない。
見下ろす荒れた畑の先に、紫の靄が見えた。
風にそよぎ形を変えつつも、身を震わせるたび、淡く鋭く、白光を放った。散ることはない。それ自身が意志を持っているかのように。
イングウェイはデイヴとの会話を思い出した。
「靄だ、あれには近づくんじゃねえ。紫の靄は脳みそを食うんだ。わかるか? 指先から痺れていって、喉が焼けるんだ。息ができない、吐くとか吸うとかじゃねえ、固まるんだ」
「薬のやりすぎだ、デイヴ。人が真面目に聞いてりゃ腐った魚のクソみてえな話を聞かせやがって。雌のトロルと一発やった話のほうがまだ面白かったぜ」
「違う、お前のために言ってるんだ。頭痛が消えないとかいうお前のためにな。いいか、まだ間に合う。穴は塞げ、ダイヴを使うな」
「わかってるよ、そうしてこのクソみてえな田舎に閉じ込められろって言うんだろ? ガラス張りのサナトリウムの中で、プラスティックの雨に打たれて、芯から腐っていけって言ってんだ!」
「違う」
「違わねえよ」
「……とにかく、あれには近づくな。靄には意識がある。中からは蟲が這い出てくるんだ」
それが何なのか、ついに聞くことはなかった。そしてそれが今、目の前にある。
考えている暇はなかった。
靄が揺らめく。次の瞬間、醜悪な蜥蜴が一匹、中から這い出てくる。
チロチロと朱色の舌を何度か出し入れし、周囲を珍しそうに眺める。
首をもたげ、イングウェイの方向を向き、ゆっくりと頭を振る。
イングウェイは唾を飲み込むのも忘れ、その様子に見入った。
蜥蜴は2本の脚で立ち上がり、そのまま器用に歩き出した。
やってやるさ。
リヴォルヴァーを抜き、ガチャガチャと音がするのも構わずに、急いで動作を確認する。大型の野生動物相手では、筋肉で弾が止められると聞いたことがある。
ぐっと両手で鉈を握り、軽く素振りをする。
ここでは、不利だ。
山の急斜面を急いで降りると、畑のそばに立つ。
蜥蜴は前傾姿勢のままで、警戒しつつゆっくりと歩き始める。
暗闇を月明りが照らし、足音は風に揺れる枝が消した。
イングウェイは歩いた。まっすぐに、とにかく家から離れるように。
途中で何度か吐きそうになり、そのたびに空を仰ぎ、ゆっくりと息を吸い込む。
喉の奥から血の味がした。錆びた鉄の味だ。
途中で少し迷い、普段歩かない細い山道に入る。
鉈で枝を捌きつつ歩いた。蜘蛛の巣が腕にかかるのがわかった。普段ならうざったいだけの糸が、今は妙に嬉しかった。小さな虫けらを見ると、安心できそうな気がした。
酒を持ってこれなかったのがまずかった。頭痛がじくじくと増している。
イングウェイは適当な木にもたれると、そのまま崩れるように腰を落とす。
こんなことなら、と思って逡巡する。こんなことなら、どうすればよかった? どうすれば少しはマシなことになってたんだ?
答えは出ない。
見下ろす荒れた畑の先に、紫の靄が見えた。
風にそよぎ形を変えつつも、身を震わせるたび、淡く鋭く、白光を放った。散ることはない。それ自身が意志を持っているかのように。
イングウェイはデイヴとの会話を思い出した。
「靄だ、あれには近づくんじゃねえ。紫の靄は脳みそを食うんだ。わかるか? 指先から痺れていって、喉が焼けるんだ。息ができない、吐くとか吸うとかじゃねえ、固まるんだ」
「薬のやりすぎだ、デイヴ。人が真面目に聞いてりゃ腐った魚のクソみてえな話を聞かせやがって。雌のトロルと一発やった話のほうがまだ面白かったぜ」
「違う、お前のために言ってるんだ。頭痛が消えないとかいうお前のためにな。いいか、まだ間に合う。穴は塞げ、ダイヴを使うな」
「わかってるよ、そうしてこのクソみてえな田舎に閉じ込められろって言うんだろ? ガラス張りのサナトリウムの中で、プラスティックの雨に打たれて、芯から腐っていけって言ってんだ!」
「違う」
「違わねえよ」
「……とにかく、あれには近づくな。靄には意識がある。中からは蟲が這い出てくるんだ」
それが何なのか、ついに聞くことはなかった。そしてそれが今、目の前にある。
考えている暇はなかった。
靄が揺らめく。次の瞬間、醜悪な蜥蜴が一匹、中から這い出てくる。
チロチロと朱色の舌を何度か出し入れし、周囲を珍しそうに眺める。
首をもたげ、イングウェイの方向を向き、ゆっくりと頭を振る。
イングウェイは唾を飲み込むのも忘れ、その様子に見入った。
蜥蜴は2本の脚で立ち上がり、そのまま器用に歩き出した。
やってやるさ。
リヴォルヴァーを抜き、ガチャガチャと音がするのも構わずに、急いで動作を確認する。大型の野生動物相手では、筋肉で弾が止められると聞いたことがある。
ぐっと両手で鉈を握り、軽く素振りをする。
ここでは、不利だ。
山の急斜面を急いで降りると、畑のそばに立つ。
蜥蜴は前傾姿勢のままで、警戒しつつゆっくりと歩き始める。
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