マルクスとビターチョコレート

Yuki

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海と猫と泡沫

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 海辺の町に降り立った瞬間、潮の香りが鼻腔を満たした。波音が遠くから響き、風が髪を掠める。駅のホームに立つと、視界の端に古びた民宿が映った。そこに荷を置き、三日間の滞在を始めた。
 夕暮れが迫る頃、海岸を歩いていると、白と茶の毛並みが混じる猫が足元に寄り添った。優しく撫ででやると喉を鳴らすその仕草に、唇が自然と緩む。
 砂を踏む音がして顔を上げると、一人の女性が立っていた。「この子、うちの猫なんです。迷惑じゃなかったですか?」彼女は猫を抱き上げ、柔らかな声で告げた。玲子と名乗り、猫はミケだと教えてくれた。その声は寄せる波に溶け込むようだった。
「いや、むしろ癒されました」と返すと、彼女の顔に花のような笑みが咲いた。
「良かったら、家でコーラでもどうですか。可愛がってくれたお礼に」その誘いに頷き、彼女の海沿いの家へと向かった。
 縁側に腰を下ろし、冷えたコーラを手に持つ。夕陽が海を血のように染め、静寂が僕たちを包んだ。
「ここの海、綺麗でしょう」と玲子さんが呟き、僕はただ黙って頷いた。波音が沈黙に寄り添っていた。  
 それから、玲子さんと過ごす時が積み重なった。ミケも足元で喉を鳴らし、甘えるように擦り寄る。美人な女性と海で泳ぎ、砂浜で猫と戯れた。夏の日は穏やかに流れ、玲子さんの笑顔は太陽の欠片のように眩しく、心の奥に熱を刻んだ。  
 滞在二日目の夜、彼女が地元の祭りに誘ってきた。浴衣を纏った玲子さんは月光の下で幽玄な美しさを放つ。屋台の灯りが揺れ、花火が空を裂いた。その光が彼女の瞳に宿り、星の欠片が落ちたかのようだった。「お休みは、いつまで?」花火の残響の中、彼女の声に薄い寂しさが滲む。
「あと一日です。大学生の講義があるので。明日東京に帰ります」と返すと、
「そう……ですか」と彼女は小さく呟いた。  
 祭りの後、海辺を歩いた。月が水面に道を描き、波が寄せては返した。彼女の手を取ると、玲子さんは一瞬驚いた顔を見せたが、やがて柔らかく握り返してきた。立ち止まり、互いの息が触れる距離で唇を重ねた。彼女の唇は柔らかく、コーラの甘さが微かに残る。海風が髪を揺らし、ミケが足元で小さく鳴いた。  
 その夜、縁側でコーラを飲んでいると、玲子さんが微笑みながら手招きした。部屋に入り、寄り添って座る。肩に手を回すと、彼女は胸に頭を預けてきた。
「祭り、楽しかったですね」と囁くと、
「亮くんと一緒だと何倍も楽しいよ」と返ってくる。
 その言葉に心が温まり、頬にそっと唇を寄せた。玲子さんは目を閉じ、幸福が形を成したような笑みを浮かべた。ミケが間に割り込み、二人は顔を見合わせて笑い合った。  
 夜が更け、灯りが消えた。波音だけが響く静寂の中で、寄り添った。月光が彼女の浴衣を照らし、乱れた裾から覗く肌が白く輝く。肩に触れると、玲子は目を閉じて身を預けてきた。「亮くん……」と囁く声に導かれ、互いの想いを確かめ合う。彼女の手が背中に回り、吐息が耳元に温かく触れた。その夜は愛という波に抱かれたような時間だった。体温で結ばれた絆が、深く根を張った。  
 翌朝、目を覚ますと玲子さんはまだ眠っている。ミケが足元で丸まり、静かに寝息を立てていた。冷蔵庫から勝手にコーラを取り出して戻ると、彼女が目を覚まし、
「亮くん、おはよう」と微笑んだ。ベッドの上でコーラをシェアし、昨夜の余韻に浸りながら抱き合った。髪を撫でると、「こんな幸せ、初めて」と玲子が呟き、僕の胸に顔を埋めた。  
 その瞬間、決心が固まった。今日帰る予定だったが、玲子さんとミケと過ごす日々をもう少し延ばしたい、いや延ばさねばならないと思った。
「玲子さん、僕はもう少しここに残るよ」
 彼女は驚いた顔で僕を見た。「えっ、でも大学が……」
「大丈夫。何とかなるさ。玲子さんと一緒にいたいんだ」彼女の目が潤み、笑顔が広がった。
「私も、亮くんと一緒にいたい」  
 夏の終わり、海と猫と彼女の肌に触れる日々が続いた。波音が未来を祝福する調べのように響き、玲子さんとミケと共に歩む道は穏やかで愛に満ちていた。  
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