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視線の先に
しおりを挟む一日の終わりは実験から抜け出せる時間。夕方のこともあれば、夜中のこともある。ひどければ、帰宅できずに研究室に泊まり込めば終わりはない。
とはいうものの。僕は、生活の拠点が研究室で、寝袋を持ち込み生活をしている。一日の始まりも終わりも区別がない。借りている部屋はシェアハウス。帰宅することはほとんどない。就職用の住所のために金を払っている。研究室で生活しているといっていい状態だ。食事は学食か、真夜中ならカップラーメン。
研究室に根をはわせている。三日がかりでようやく一つ取ったデータを見て、予想通りの結果にやっぱりなと思いながらも、顔を歪める。この実験結果は、教授のこのテーマの仮説を否定する。教授にとって「一つの仮定が外れたことが証明された」ことになるわけだ。当然、教授の意識は、別の仮定の証明に移っていく。
しかし、僕にとっては、この仮説の否定を「論文」にしなければいけないわけで、「仮定は否定された」という結論をいかに体裁よく記述するかが課題に追加されたことになる。
「今日は?」
学食で隣に座った真由がぼそりと言う。僕は具がほとんどないラーメンをすすりながら、黙ってうなづいた。
真由とは同じ学部の同期だが、三年間まったく交流はなかった。同じ研究室に入ったことがきっかけで付き合い始めた。当然、二人だけの秘密だ。互いが内定した企業は、付き合いを自然消滅するに十分な遠距離だ。
面倒くさい遠距離恋愛を続ける気持ちは僕にはなかった。真由とは研究室にいる一年弱の付き合いだと割り切っている。真由も卒業後のことに触れない。暗黙の了解なのだ。
真由は僕と違って、一応研究室に通う体裁を保っている。賃貸アパートで「生活」している。従って二人が会うのは必然的に、真由の部屋ということになる。
付き合うきっかけは、真由だった。同じ研究室になってすぐの頃だ。すでに内定は二人とも出ていた。
「うちに来ない?」
僕は真由にナンパされたのだ。学食に行こうとする僕を引き止め、声をかけてきた。正直、驚いた。真由に付き合いを申し込んで何人もフラれていた噂はきいていたからだ。
なぜ?とは尋ねなかった。フラれた奴らに対する優越感が強かった。
真由の誘われ、部屋に行き、真由の作った食事をふるまわれ。食後、せめてお礼に食器を洗って片付けをした。その間に真由はシャワーを浴びに行った。真由の浴びるシャワーの音をききながら、僕は混乱した。今日? いきなり? 慣れない食器洗いは手間取り、真由がさっさとシャワーを終えて出てきた。
パンティと大きめのTシャツ一枚の恰好は、その先を物語るに十分だ。
「煽っているようにしか見えない」
僕は、若干尖った声をだした。
「そのつもり。シャワー浴びてきてよ」
淡々と真由は言う。仕上げが終わっていないキッチンの片付けを、真由は僕から取り上げた。
「シャワーって言っても、下着も何も持ってきていな……え?」
バスルームの前の洗面所兼更衣室。そこにタオルと新品のトランクスが置いてあった。いつから準備していたのだろうか? それとも候補が何人かいて、たまたま僕が引っかかったのか?
僕は駆け巡る可能性を考えながら、二日ぶりのシャワーを浴びた。薄くへばりついた汚れの皮がはがれ落ちる感覚だ。さっぱりとしてシャワーを出た時には、頭を巡る考えも綺麗さっぱり流れ落ちていた。
新しいトランクスだけ付けて、部屋に戻る。
狭い部屋のベッドに腰掛けていた真由に同意をとる必要は感じなかった。ベッドに真由を押し倒すと、真由の唇をふさいだ。長い口づけを終えると、ベッドに押し付けた真由を馬なりの状態で見た。
「なぜ、僕なんだ?」
今更、彼女が逃げることが出来ない状態で問う。
「ずっと好きだった」
告白されたのか? 真由の淡々とした口調は説得力に欠けている。それでも、真由のからだが僕を誘っているのは明らだった。
「これだけは、お願い」
真由がコンドームを差し出した。全部、用意していたというわけか。僕は黙ったまま頷き、真由の肌に唇を這わせ始めた。
それから、一週間に一回のペースでセックスを続けている。
その日、真由の部屋でいつも通り食事をしてシャワーを浴びて、ベッドで待っている真由にのしかかろうとしたのを真由が止めた。
「待って。話がある」
僕は薄々感じていたその話だろうと思った。
「今日で最後にしよう」
卒論の仕上げの時期だ。三週間後には、卒論の発表が控えている。その後、僕たちは違う道を歩き出す。
「うん、今日で最後だ」
合意して、僕は真由と最後のセックスを始めた。
真由にとって僕はどんな存在だったのか? 好きだから誘ったと真由は言った。僕は? 好きと言われて嫌な気持ちはしなかった。愛していたかと改めて問いただされると、ただ言えるのは――若かったから――。
会社で特許関係を調べている時、真由の名前を見つけた。転職していた。特許を見ると、ステップアップしていることを感じる。
出願公開だから、一年半前。一年半前の真由の書いた特許を僕は見ている。一年半前の真由だ。今、元気にやっているのだろうか。
会社で特許関係を調べていた。その名前を画面に見つけ、そっと手を触れた。バカだったな。背伸びして告白した。好きすぎて、おかしくなりそうだった。だからこそ。感情を表に出さず淡々とからだを委ねていた。ずっといっしょにいたいと縋れるほど、素直になれなかった。肌が密着すればするほど、気持ちは心の奥底に隠した。
「野田真由」
「伊藤翔太」
静かな喫茶店に名前がはもる。
自分の名前が聞こえて、僕は立ち上がる。視線の先に二つほど向こうの席で立ち上がった人物がいた。真由だった。
「お久しぶり……」
驚きながらもはにかんで笑う彼女は、学生時代の彼女と比べて、とても柔らかな印象だった。
卒業して五年。
「ドラマみたいだな」
僕は言う。五年間、何があったのか。僕たちは話をできるだろうか? 真由の反応が気になりながら僕は勇気をだしてたずねた。
「これから、時間ある?」
真由がこくりとうなづいた。
(終わり)
イラスト:Iris(@rain_bow8800)様
この作品は、Iris(@rain_bow8800)様主催の 「#共通キャラクター小説」に参加させていただきました。
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