背中で見る夢欠片(ゆめかけら)

ぽんたしろお

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2 さすらう心~佐々木京子の居場所~

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 帰宅した聡(さとし)は、弁当箱の入ったカバンを玄関で京子に渡してポツリと言った。
「転勤になった」
 今では珍しくなりつつある専業主婦の京子(きょうこ)は、黙ったまま聡からカバンを受け取った。
京子は何も言わず夕食の準備を再び始めた。
 住んでいるこの場所は会社が借り上げている賃貸アパートだ。夫が定年になれば出て行くことになるだろうとは思っていた。
 しかし、配置転換してたった三か月という時期に「転勤」によってこの場所を引き払うことになるとは思っていなかった、と京子はぼんやり考える。
 大きな事態ほど受け入れるのに時間がかかることを京子は自身の経験則で知っていた。「転勤」となれば、転勤先の住居探しが必要だ、引越し業者の見積もりもしなければならない。
 そもそも、夫は転勤を受ける気があるのだろうか?

 五年前、聡は技術開発部から転属を命じらた。転属先は工場の入出荷。実質的な退職勧告ともいうべき配置転換であった。
 退職か転属か? 二人は悩み続け、結局。会社にしがみつくことを選んだ。
 同時に聡は転職サイトに登録し、設計業務のできる転職先を漁り始めた。しかし、会社での配置転換が、聡のプライドをズタズタにした。転職先でやっていく自信を失った聡の転職活動は、まったく本腰の入らないものだった。

 ずるずると五年が経過する中で。
 夫の状況を目の前にして、京子もようやく危機感を持ち始めアルバイト先を探し始めた。しかし、子どものいない五十を超えた社会経験に乏しい専業主婦をアルバイトで採用しようと思う雇用先などあるわけがない。
 もっと前から社会と関わろうとしなかった京子を、社会が今更受け容れるわけがなかったのである。
 十数社のアルバイトを面接で断られた後、応募することも怖くなってきた京子はハローワークを訪れた。

 相談相手になった職員としばらく話した後、一旦離席した京子は、求人票を探し始めた。一枚の求人票が目に留まった。
「応募しないと始まらないんだから」
 自らに言い聞かせ、その求人票を先ほどの職員に差し出した。
「あ、これに応募しますか? あぁそうだ、これは他にも希望されている方いますね」
「そ、そうなんですか」
「応募されるなら、早い方がいいですね」
 職員はそこで一旦区切って京子を見た。
「もう一人の希望者は、小さなお子さんがいるお母さん、ですね」
 京子は穏やかに語り掛ける職員の目の奥が笑っていないように感じた。その視線の奥から無言のまま頭に語り掛けられてくる。
 (小さな子供を持つ母親が希望している仕事、あなたが奪うんですかね)
「あ、あの……」
「はい、どうされますか?」
 職員が優しく促す。京子はすでに心が折れていた。
「あ、あの、今回はやめます」
 職員がちょっと目を大きく見開いた。
「いいのですか? ではまた気になるのがあれば、いつでも声をかけてくださいね」
(二度と来るな、クソばばあ)
 京子は職員の心の罵倒を感じその場を逃げ出した。被害妄想も甚だしい、しかし、京子は二度とこの職員を関わりたくなかった。
 社会は京子を扉の中に入れる気はないのだ、と京子は感じてうなだれた。夫の聡に寄生し続けた報いなのかもしれない。
 社会の外側にいる、と京子は思う。夫の聡によってかろうじて社会と繋がっているだけなのだ。

 三か月前、聡が補助手という形ながら再び設計開発部に戻ることになった時、京子は聡の定年まで数年、再びアルバイトに挑戦しようと密かに誓った。
 応募して再び断られるを再び繰り返す。それでも、食らいついて報われた夫の背中を見ると、前向きになることができた。次の応募先を探していたその矢先――聡への転勤命令だった。
 聡は悩みながら退職を決断できずに転勤命令を受け入れる形になった。呆然と出社する聡を見送り、引越し作業をこなしたのは京子だ。
 
 「もう、ここに戻ることはないのだ」
 結婚して以来住み続けたアパートとこの場所に京子はどこか馴染めないままだった。いや、違うと京子は思う。生れて以来、故郷も、独り暮らしをしていた地でも。どこかフワフワと地に足がついていなかった。
 現実感のないフワフワとした夢の中をさすらうように引越し準備を京子はすすめた。


 転勤して一ヶ月。
 今日も聡は新しい職場で馴染めないまま怒鳴られているのだろう。京子は買い物の途中に空を見上げた。この場所をいつか、自分の居場所と感じる時はくるのだろうか? おそらく社会の中に居場所を見つけることはないのかもしれない。
 
 京子は、聡の口癖を思いだして口に出した。
「どうせいつか死ぬんだから、今は生きるんだ」
 京子はしばらく青い色の中を泳ぎ、再び買い物の足を進め始めた。

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