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2020年05月
読み手と書き手の二つの自分
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ツイッターを本格的に使い始めたのは、書いた文を宣伝したいからだ。それが一番の目的。しかし、読んで欲しい相手は、「小説を書きたい人」ではない、「小説を読んでみたい人」なのだ。
だから、作品を読み合う物書きの人と必要以上に仲間意識になるのは避けているところがあった。
そもそも人付き合いが下手だしね。
自分も読むときは読者に徹して、損得や儀礼で読むことはしたくない。
と、理想論を掲げていたわけだけどさ、そういうところが「生ぬるい」とか「考え方が綺麗ごとすぎる」ということなのかなと、常に揺れてしまうわけよ。
そんでもって。自分の身勝手さにも辟易するんだよな。読んで面白い作品が多いからさ。自分の好みに恐ろしいほど親和性のある作家さんもいて。褒めちぎったさ。読む作品、読む作品面白いんだもの。
でもあるとき、作家さんの作品に関するツイート時しか反応してくれないことに、気が付いてさ。結局、ファンになったら褒めたたえよなのかなって。
それでいいはずだ。なのに、理性と感情は一致しないのだよな。
自分の感想は宣伝に利用される、それだけの存在だ。
「感想くれたら嬉しいです」というツイートが「ファンなら感想ぐらい書けよ」と頭が変換してしまう。好きな作家さんだった。でも新作を読みたいけど、無理になっちゃった。だからフォロー外した。
自分の性根が腐っていて、度量が狭くて。偏屈で。それを自覚するのが嫌なんだよな。だからもう読みに行けない。バカだな。
ツイッターで知ったプロの作家さんが相互フォローしてくれた。夢かなと思った。それぐらい、書籍化作家さんには憧れがあった。一冊購入して読んだ。
自分の都合なんだけど、読書への没入感がすごいから、逆に本はほとんど今買っていない状態だった。自分にとって小説本を購入するのは数年ぶりのイベントだった。
感想もめちゃ長いのをネットにあげた。喜んでくれた。その後、ひたすら、作家さんの感想とか作家さんのサイト紹介のリツイートした。でも、やっぱり芽生えてきたんだ、その感情。私のこと、宣伝の道具としか思っていないんだって。
何冊も本を買えるほどの読者でない。本を買った人間は「使用済み」なんだなって。あとは口コミ宣伝のコマとしか見ていないなのかなと思ったらさ、もうダメだと思った。
たくさんリツイートもしたし、そこまで熱狂的なファンになれなかった。ごめんね。私はフォローを外した。相手の作家さんがどうしたか知らない。ちなみに感想も消した。
ひどい読者だよな、自分。そのくせ、書き手に回った時、読んで欲しいと思うのも事実だし。
もう一つ言えば、小説は読んでくれたら、ありがとうって言いながら、文章書くのに時間はかかっているのに、n何の価値もないような気分で悲しくもなる。
結局、書きたいから書いている。それを公開する場もあって、多くはないけれど読んでくれている人がいて。そう考えると、やっぱありがたいんだよね。やっぱり「ありがとう」なんだよ。
なのに、書き手であり読み手の自分と言うポジション、読者と作者の自分がせめぎあって、ほんと身勝手な要素を持て余している感覚になることがあるわけよ。
ご都合主義で好き勝手。
そういえば、感想に気が付かなかった時もある。書き手として読んでくれた人を、自分だってないがしろしている部分があるのだ。
感想への返事を上手に書けないというのもある。文章かくのが好きなのに、お礼の文章がちゃんと書けないって最悪だよなと思う。
やはり、読み手としての自分と書き手としての自分が、まったく一つの人格の中で矛盾した状態で存在している。
ほんとに、そういうところが自分で嫌なんだよな。
自分を嫌いなところが多いから、自分の作品の宣伝も強くできないとこあるんかな。
そういうことなのかもしれない。なんとなく、書いていてわかった部分があるかもしれん。
だから、作品を読み合う物書きの人と必要以上に仲間意識になるのは避けているところがあった。
そもそも人付き合いが下手だしね。
自分も読むときは読者に徹して、損得や儀礼で読むことはしたくない。
と、理想論を掲げていたわけだけどさ、そういうところが「生ぬるい」とか「考え方が綺麗ごとすぎる」ということなのかなと、常に揺れてしまうわけよ。
そんでもって。自分の身勝手さにも辟易するんだよな。読んで面白い作品が多いからさ。自分の好みに恐ろしいほど親和性のある作家さんもいて。褒めちぎったさ。読む作品、読む作品面白いんだもの。
でもあるとき、作家さんの作品に関するツイート時しか反応してくれないことに、気が付いてさ。結局、ファンになったら褒めたたえよなのかなって。
それでいいはずだ。なのに、理性と感情は一致しないのだよな。
自分の感想は宣伝に利用される、それだけの存在だ。
「感想くれたら嬉しいです」というツイートが「ファンなら感想ぐらい書けよ」と頭が変換してしまう。好きな作家さんだった。でも新作を読みたいけど、無理になっちゃった。だからフォロー外した。
自分の性根が腐っていて、度量が狭くて。偏屈で。それを自覚するのが嫌なんだよな。だからもう読みに行けない。バカだな。
ツイッターで知ったプロの作家さんが相互フォローしてくれた。夢かなと思った。それぐらい、書籍化作家さんには憧れがあった。一冊購入して読んだ。
自分の都合なんだけど、読書への没入感がすごいから、逆に本はほとんど今買っていない状態だった。自分にとって小説本を購入するのは数年ぶりのイベントだった。
感想もめちゃ長いのをネットにあげた。喜んでくれた。その後、ひたすら、作家さんの感想とか作家さんのサイト紹介のリツイートした。でも、やっぱり芽生えてきたんだ、その感情。私のこと、宣伝の道具としか思っていないんだって。
何冊も本を買えるほどの読者でない。本を買った人間は「使用済み」なんだなって。あとは口コミ宣伝のコマとしか見ていないなのかなと思ったらさ、もうダメだと思った。
たくさんリツイートもしたし、そこまで熱狂的なファンになれなかった。ごめんね。私はフォローを外した。相手の作家さんがどうしたか知らない。ちなみに感想も消した。
ひどい読者だよな、自分。そのくせ、書き手に回った時、読んで欲しいと思うのも事実だし。
もう一つ言えば、小説は読んでくれたら、ありがとうって言いながら、文章書くのに時間はかかっているのに、n何の価値もないような気分で悲しくもなる。
結局、書きたいから書いている。それを公開する場もあって、多くはないけれど読んでくれている人がいて。そう考えると、やっぱありがたいんだよね。やっぱり「ありがとう」なんだよ。
なのに、書き手であり読み手の自分と言うポジション、読者と作者の自分がせめぎあって、ほんと身勝手な要素を持て余している感覚になることがあるわけよ。
ご都合主義で好き勝手。
そういえば、感想に気が付かなかった時もある。書き手として読んでくれた人を、自分だってないがしろしている部分があるのだ。
感想への返事を上手に書けないというのもある。文章かくのが好きなのに、お礼の文章がちゃんと書けないって最悪だよなと思う。
やはり、読み手としての自分と書き手としての自分が、まったく一つの人格の中で矛盾した状態で存在している。
ほんとに、そういうところが自分で嫌なんだよな。
自分を嫌いなところが多いから、自分の作品の宣伝も強くできないとこあるんかな。
そういうことなのかもしれない。なんとなく、書いていてわかった部分があるかもしれん。
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