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いつもの朝
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真夏の朝。
部屋のカーテンが開けられて久しい。
だけど、私は朝の光の中、一人ベッドで二度寝していた。
そうしていると、おそらくもう身支度を済ませているであろう美咲さんの呆れたような声が降ってくる。
「もう起きなさいよ」
「…わかってます」
そんな返事をしながらも私はシーツの中でもぞもぞと手足を動かすだけで、身体を起こす気にはなれずにいた。
美咲さんは大人だ。昨夜もあれだけ濃厚に交わったというのに、今はその余韻をみじんも感じさせない様子で仕事モードに入っている。
私はと言えば、まだ身体に残るその残滓を消し去りたくなくて、こうして少しでも余韻に浸ろうとしているのに。
「ほら、起きなさい」
たまりかねて美咲さんが私の身体を起こしにかかった。物理的に起き上がる動作をさせようと、私の背中の下に腕を差し込んでくる。
美咲さんによってカーテンはだいぶ前に開け放たれており、外から注ぐ強烈な日差しが部屋いっぱいに広がっていた。
これだけ明るいのに起きようとしない私も私なのだが。
ぼんやりと開いた目に入ってきたのは、既にあらかた身だしなみを整えた美咲さんの姿だった。私はと言えば昨夜裸になってそのまま眠っているので何も身につけてはいない。
多分、これはもうそういうフェティシズムなのだと思うけれど、秘書課へ異動し仕事モードの美咲さんを見かける事が多くなったとは言え、それでもやはりキャリア女性然とした美咲さんの装いには惹かれるものがある。
「然」ではなく美咲さんはリアルにキャリア女性なのだけれど。
「お姉さまぁ~」
背中に腕を回されたのをいいことに私は美咲さんにしがみついてその胸元に顔を埋めた。
美咲さんは私の身体を起き上がらせる事には成功したものの、かえって私にしがみつかれて身動きが取れないでいる。
今日の美咲さんは、シャドーストライプ柄のグレーのスーツに淡い紫色のインナーを合わせている。いつも通りゆるく巻かれた髪には強い太陽光が当たっているせいで、かなり明るい茶色に見えた。
眼鏡のフレームとレンズに時折光が反射してまぶしい。
「キスしてくれたら起きます」
美咲さんにしがみついたままそんな我儘を言ってみる。
きっと私の長い黒髪は寝起きでだいぶ乱れているはずだ。頭を低くして美咲さんの胸元に顔を埋めているから、きっと美咲さんからは私のぐしゃぐしゃの頭しか見えないだろうしその事自体は恥ずかしく情けない。
「もう起きてるでしょーが」
「そうですけど」
それでも私は知っている。こうして頼めば美咲さんは断らないという事を。
「ほんとにもう、辞めてよね」
「すいません」
この「辞めて」というのは、誘うのを辞めろという意味だ。
誘惑されたりお願いされたら美咲さんは断れないから、自重しろという事である。
美咲さんは半ば時間が惜しい、という意図もあってちょっと強引に私の顔を上げさせてから、今度はものすごく優しく唇を重ねてきた。
…こんな風にされるとむしろ私の方が我慢できなくなる。
舌までは差し込むつもりがないらしい美咲さんの唇を私は食んだ。
「これ以上はダメ」
「……」
「ほら、起きなさい」
美咲さんもちょっと我慢している雰囲気を漂わせながら、口づけは中断されてしまう。
こちらとしても、美咲さんのメイクをあまり崩してしまいたくない気になりしぶしぶベッドから出て支度に取りかかる。
秘書課に異動してもうそろそろ半年が経つ。今は8月で外はものすごく暑い。
…そう言えば美咲さんと初めて会ったのがおよそ一年前ではなかったか。あの頃には一年後の自分がこんな朝を迎えるようになるなんて想像もしなかった。
美咲さんがこうして、日々私を甘やかしてくれるのには理由がある。秘書課へ異動して以来、受付の頃とは量も質も全く違う情報を扱うようになり、私は先輩からの指導を受け日々格闘しているのだ。
じきに慣れるとは言われているけど、それこそ経営陣のプライバシーや会社の方針に関わる重要事項にも直に触れるようになり、受付業務に携わっていた頃には想像もできなかったぐらいのプレッシャーを感じる。
だから、やっている仕事の割に精神的に疲れるのだ。
ぐずぐずと顔を洗い美咲さんが用意してくれた朝食に箸を付け、またぐずぐずと歯を磨き身支度をする。計算上は間に合うペースで進行しているはずだ。
「そんなで本当に大丈夫なの?仕事」
どこからか美咲さんの声がする。食器の当たる音がするから、キッチンで洗い物をしているのかもしれない。
「大丈夫です」
口をすすいでそう返事をするが、美咲さんは納得していないらしい。
「…ただでさえ新しい仕事で覚える事がいっぱいあって疲れてるのに、なんで夜は夜であんなに頑張るかなあ」
毎晩のように身体を重ねているその度合の事を言っているのだろうか。もっと淡白で良いとでも言うのか。
「そっちを減らすのは無理です」
返事はない。呆れられているのだろうか。
だが美咲さんだって途中で辞めようともせず私が満足するまで付き合ってくれているし、それで美咲さん自身もけっこう充実しているのではなかろうか。
私自身は、過去に付き合った相手から「セックスがしつこい」とか「底なし」と、半ば揶揄される事はしょっちゅうだったから慣れているけれど、美咲さんからは交わりの最中に、長すぎるとかしつこいとか、そういうサインを感じた事は一度もない。
…だからこそ、こうしてギリギリまで睡眠時間を稼いで回復を図っているつもりなのだが、美咲さんとしてはそれは合理的でないという判断なのかもしれない。
「先に行くからね」
「はい」
美咲さんが一瞬だけ洗面所にやって来て私の肩をぽんぽんと叩いてから、玄関へと向かって行った。
それは「見送りは不要」の合図である。
私は髪をブローしている最中だったので、玄関まで美咲さんを送る事はしなかった。
時計を確認すると、それでもだいぶ出勤時間より早い事がわかる。
美咲さんがすごく早いから私がぐずぐずしているように見えるけど、実際には私のペースでも出勤時間には十分間に合うぐらいなのだ。
さすがに異動して半年足らずの私が、部署の誰よりも遅くギリギリに出勤などできないし、秘書課員は受付同様に早めに出てボスのスケジュール確認や来客のチェックなど、担当役員たちの出勤前には済ませておかなければならない業務も多い。
だが課の雰囲気としては、そういう業務はなるべく手早く済ませ、やたらと早い時間に出勤する事は美意識に反するとやらで奨励されてはいない。
その手の仕事が時間をかけなければできないというぐらいなら、秘書としての適性なしの烙印を押されてしまうのだ。
…そういう、業務でかかるプレッシャーなのかストレスなのか、それらの反動で、この部屋に帰ってくるとどうにも美咲さんに甘えて、しつこく交わりたくなって仕方ないのだ。
…仕事に慣れればそれもおさまるのだろうか。
おさまってもおさまらなくても、私としては正直どちらでも良い。
「……」
身支度を終えると、美咲さんの気配が消えたこの部屋が妙にがらんとしているように感じられる。
美咲さんが先に出た時はいつもそうだ。いつもの事だけど、毎回同じようにそう思ってしまう。
部屋のカーテンが開けられて久しい。
だけど、私は朝の光の中、一人ベッドで二度寝していた。
そうしていると、おそらくもう身支度を済ませているであろう美咲さんの呆れたような声が降ってくる。
「もう起きなさいよ」
「…わかってます」
そんな返事をしながらも私はシーツの中でもぞもぞと手足を動かすだけで、身体を起こす気にはなれずにいた。
美咲さんは大人だ。昨夜もあれだけ濃厚に交わったというのに、今はその余韻をみじんも感じさせない様子で仕事モードに入っている。
私はと言えば、まだ身体に残るその残滓を消し去りたくなくて、こうして少しでも余韻に浸ろうとしているのに。
「ほら、起きなさい」
たまりかねて美咲さんが私の身体を起こしにかかった。物理的に起き上がる動作をさせようと、私の背中の下に腕を差し込んでくる。
美咲さんによってカーテンはだいぶ前に開け放たれており、外から注ぐ強烈な日差しが部屋いっぱいに広がっていた。
これだけ明るいのに起きようとしない私も私なのだが。
ぼんやりと開いた目に入ってきたのは、既にあらかた身だしなみを整えた美咲さんの姿だった。私はと言えば昨夜裸になってそのまま眠っているので何も身につけてはいない。
多分、これはもうそういうフェティシズムなのだと思うけれど、秘書課へ異動し仕事モードの美咲さんを見かける事が多くなったとは言え、それでもやはりキャリア女性然とした美咲さんの装いには惹かれるものがある。
「然」ではなく美咲さんはリアルにキャリア女性なのだけれど。
「お姉さまぁ~」
背中に腕を回されたのをいいことに私は美咲さんにしがみついてその胸元に顔を埋めた。
美咲さんは私の身体を起き上がらせる事には成功したものの、かえって私にしがみつかれて身動きが取れないでいる。
今日の美咲さんは、シャドーストライプ柄のグレーのスーツに淡い紫色のインナーを合わせている。いつも通りゆるく巻かれた髪には強い太陽光が当たっているせいで、かなり明るい茶色に見えた。
眼鏡のフレームとレンズに時折光が反射してまぶしい。
「キスしてくれたら起きます」
美咲さんにしがみついたままそんな我儘を言ってみる。
きっと私の長い黒髪は寝起きでだいぶ乱れているはずだ。頭を低くして美咲さんの胸元に顔を埋めているから、きっと美咲さんからは私のぐしゃぐしゃの頭しか見えないだろうしその事自体は恥ずかしく情けない。
「もう起きてるでしょーが」
「そうですけど」
それでも私は知っている。こうして頼めば美咲さんは断らないという事を。
「ほんとにもう、辞めてよね」
「すいません」
この「辞めて」というのは、誘うのを辞めろという意味だ。
誘惑されたりお願いされたら美咲さんは断れないから、自重しろという事である。
美咲さんは半ば時間が惜しい、という意図もあってちょっと強引に私の顔を上げさせてから、今度はものすごく優しく唇を重ねてきた。
…こんな風にされるとむしろ私の方が我慢できなくなる。
舌までは差し込むつもりがないらしい美咲さんの唇を私は食んだ。
「これ以上はダメ」
「……」
「ほら、起きなさい」
美咲さんもちょっと我慢している雰囲気を漂わせながら、口づけは中断されてしまう。
こちらとしても、美咲さんのメイクをあまり崩してしまいたくない気になりしぶしぶベッドから出て支度に取りかかる。
秘書課に異動してもうそろそろ半年が経つ。今は8月で外はものすごく暑い。
…そう言えば美咲さんと初めて会ったのがおよそ一年前ではなかったか。あの頃には一年後の自分がこんな朝を迎えるようになるなんて想像もしなかった。
美咲さんがこうして、日々私を甘やかしてくれるのには理由がある。秘書課へ異動して以来、受付の頃とは量も質も全く違う情報を扱うようになり、私は先輩からの指導を受け日々格闘しているのだ。
じきに慣れるとは言われているけど、それこそ経営陣のプライバシーや会社の方針に関わる重要事項にも直に触れるようになり、受付業務に携わっていた頃には想像もできなかったぐらいのプレッシャーを感じる。
だから、やっている仕事の割に精神的に疲れるのだ。
ぐずぐずと顔を洗い美咲さんが用意してくれた朝食に箸を付け、またぐずぐずと歯を磨き身支度をする。計算上は間に合うペースで進行しているはずだ。
「そんなで本当に大丈夫なの?仕事」
どこからか美咲さんの声がする。食器の当たる音がするから、キッチンで洗い物をしているのかもしれない。
「大丈夫です」
口をすすいでそう返事をするが、美咲さんは納得していないらしい。
「…ただでさえ新しい仕事で覚える事がいっぱいあって疲れてるのに、なんで夜は夜であんなに頑張るかなあ」
毎晩のように身体を重ねているその度合の事を言っているのだろうか。もっと淡白で良いとでも言うのか。
「そっちを減らすのは無理です」
返事はない。呆れられているのだろうか。
だが美咲さんだって途中で辞めようともせず私が満足するまで付き合ってくれているし、それで美咲さん自身もけっこう充実しているのではなかろうか。
私自身は、過去に付き合った相手から「セックスがしつこい」とか「底なし」と、半ば揶揄される事はしょっちゅうだったから慣れているけれど、美咲さんからは交わりの最中に、長すぎるとかしつこいとか、そういうサインを感じた事は一度もない。
…だからこそ、こうしてギリギリまで睡眠時間を稼いで回復を図っているつもりなのだが、美咲さんとしてはそれは合理的でないという判断なのかもしれない。
「先に行くからね」
「はい」
美咲さんが一瞬だけ洗面所にやって来て私の肩をぽんぽんと叩いてから、玄関へと向かって行った。
それは「見送りは不要」の合図である。
私は髪をブローしている最中だったので、玄関まで美咲さんを送る事はしなかった。
時計を確認すると、それでもだいぶ出勤時間より早い事がわかる。
美咲さんがすごく早いから私がぐずぐずしているように見えるけど、実際には私のペースでも出勤時間には十分間に合うぐらいなのだ。
さすがに異動して半年足らずの私が、部署の誰よりも遅くギリギリに出勤などできないし、秘書課員は受付同様に早めに出てボスのスケジュール確認や来客のチェックなど、担当役員たちの出勤前には済ませておかなければならない業務も多い。
だが課の雰囲気としては、そういう業務はなるべく手早く済ませ、やたらと早い時間に出勤する事は美意識に反するとやらで奨励されてはいない。
その手の仕事が時間をかけなければできないというぐらいなら、秘書としての適性なしの烙印を押されてしまうのだ。
…そういう、業務でかかるプレッシャーなのかストレスなのか、それらの反動で、この部屋に帰ってくるとどうにも美咲さんに甘えて、しつこく交わりたくなって仕方ないのだ。
…仕事に慣れればそれもおさまるのだろうか。
おさまってもおさまらなくても、私としては正直どちらでも良い。
「……」
身支度を終えると、美咲さんの気配が消えたこの部屋が妙にがらんとしているように感じられる。
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