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冴子は誰のものか

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「今すぐ都合のつけられる場所は限られますが」

晴香ちゃんは私の手を握ったまま、空いた片手でスマホを操作している。

「…一人暮らしなら、間違いなく部屋に連れて行く所なのに」

晴香ちゃんは舌打ち混じりにそんな事も呟く。確か友紀も晴香ちゃんも、世田谷の実家暮らしだ。
ああ、何か彼女が一つ別の顔を見せる決意をしたんだ、と私は思った。

私は、友紀の晴香ちゃんに対する態度がずっと気になっていたのだ。「わがままでほんと困った子なのよ」などとも言っていた。だが私は晴香ちゃんのそういう側面を全く知らない。
おそらく、晴香ちゃん自身がそれを隠していたのだろう。
でも今の悪態を聞いてその片鱗を見た気がした。儚げな見た目にはちょっと合わないような、意志の強さを感じる。

「冴子さん、見るだけで済まなくなっても許してくださいね」
「……」

何も切り返せない。異性を含め肉体的接触の経験がない子なのに、どういう意味を含んでいるのか判断できなかった。

-*-*-*-*-*-

連れて来られたのは、やはり私と晴香ちゃんが初めて会った場所のホテルだ。

「あいにく前と同じ部屋しか空いてませんでした」

晴香ちゃんはこれまた悔しそうに言いながら、なんの遠慮もなく元気にルームキーを受け取ってエレベーターへと向かう。私の手はずっと握られたままだった。

前にも来た事のある、ブティックホテル9階のコンセプトルーム。
今は内覧会の時とは違い扉のカメラで顔認証しているようで、晴香ちゃんがそこに立っただけで扉のロックが外れる。

「ルームキー意味ないですよね」

晴香ちゃんは聞くともなくそう言うのだが、まるで本当にどこかのおとぎ話の妖精が、人間には開く事のできない異界への秘密の扉を開けるようだな、などと私は考えていた。

「まあ、念の為って事じゃないのかな」

答えを求めていたわけではないだろうが、私はなんとなくそう答えながら晴香ちゃんに手を引かれて入室する。
…ルーフバルコニーにプールとジャグジーがあって、ベッドルームも2つある、この部屋が少し懐かしい。晴香ちゃんが慣れない手付きでお茶を淹れてくれたっけ。

入口の扉が閉まるとすぐに、晴香ちゃんは向き直りそっと私の両手を取った。

「冴子さん、見せて」
「……」

性急なお願いに、私は困惑してしまう。
晴香ちゃんとしては、今を逃したらもう二度とチャンスはない、とでも思っているようだった。その態度にどこか重なるイメージがある。

…それは私が初めて美咲さんと会った時。
あの日私はそんな事を思っていたような気がする。
もう二度と会わないかもしれない、というか会わないつもりで私はあの日必死で美咲さんに触れた。
あの時の私と、今の晴香ちゃんの心境は多分似ている。

…晴香ちゃんは勇気を出して自分を開放しているのだろう。だから私も応じる覚悟を決めた。
あんなにも私と美咲さんとの関係が悪くならないよう気にかける事のできる子なのだ。後でトラブルになるかもしれない、というのはおそらく考えすぎだ。

今までも、私は晴香ちゃんを驚かせたりがっかりさせたくなくて、本当の部分は押し殺してきた。でもそれはきっと晴香ちゃんを子供扱いしていただけかもしれないと思うと、ここで応えないのはあまりに可愛そうな気すらしてくる。

もう一つ、あるとすれば私が晴香ちゃんの魅力に当てられた場合、その先が怖い。こちらも自分を開放すれば、晴香ちゃんの喜ばないような事を強要してしまいそうな予感があった。

…それはそれで構わないという事なのだろう。晴香ちゃんは今より先を望んでいるのだから。
晴香ちゃんの視線は射貫くような強さを持っている。
彼女は好奇心や興味というものに躊躇なく身を投じると、こういう感じになるのか、と、私は半ば他人事のように受け止めていた。

「うん」

だいぶ遅れてから私はそれだけ返事をし、ベッドルームに歩みを進めた。歩きながら晴香ちゃんの持っている荷物を受け取る。

晴香ちゃんは私の一挙手一投足を見逃すまいという様子を隠さない。
とにかく強い力のこもった視線を注がれ私の中にもこみ上げてくるものがあった。
ふとベッドルームの壁を見ると、姿見サイズの鏡がはめ込まれている。
ここは前回使った天蓋付きのベッドではなく、普通のベッドが置かれたシンプルな造りのベッドルームだ。

私は一旦ベッドの上にショッピングバッグや自分の荷物を投げ出して、少しずつ服を脱いだ。晴香ちゃんの視線を意識して、脱いだものはわざとあちこちに投げ捨てる。
今日はそれほど色気のない服装だが、それもあってか躊躇なく脱ぐ事はできた。
ベージュのノーカラージャケット、黒のカットソー、ジャケットと同色のタイトスカート、靴、ストッキング、キャミソール、と脱いでは放り投げる。

晴香ちゃんはそれらの向こうに立っていたが、徐々にこちらに近づいてくる。視線を私に固定したままで、私が散らかした服を拾って抱えながら私のすぐそばまでやってくる。
抱えた服をそっとベッドの上に置いて、晴香ちゃんは私の後ろに回りブラジャーのホックを外してくれた。
先ほど「サイズが合っていない」と指摘された既製品のFカップに強引に納めていた、自分の胸がぷるっと飛び出してくる。

私がそれを軽く手で押さえていると、晴香ちゃんから「冴子さん」と声をかけられた。
それに呼応するように私は胸から手を離す。晴香ちゃんの視線は一旦私の胸に注がれ、それから全身を眺めて「やっぱりすごく綺麗ですね」と言った。

更に晴香ちゃんの指が私のショーツを引っかける。
「こっちも見せてください」と言う声は案外冷淡な響きをたたえていた。

「じゃあ…脱がせて?」

私がそう頼むと、「いいんですか」と言いながらもけっこう勢いよくショーツが下ろされた。
晴香ちゃんは一瞬「あ」という小さな声を上げたが、何に対する声だったのかはわからない。そのままショーツを足元まで下げてくれたので、私は両足を抜いて本当に全裸になった。

人前で着替えたり、裸を見られるのは婉曲に興奮はするけれど、今はなぜか恥ずかしさも嫌な気持ちもない。
目の前の晴香ちゃんが、私の身体を見て本当に喜んでくれているのがわかるからだ。

「…全部処理してるんですね」

急にアンダーヘアの事を言われて私は「うん」とだけ返事をする。

「…晴香ちゃん、がっかりしてない?」
「してません、言葉では説明しづらいですが、多分冴子さんが気付いていない良い所も私には見えた気がします」

確かに何を言いたいのかはよくわからない。
晴香ちゃんが、さっきお店でしたのと同じように、小さな包みを差し出してくる。
ラッピングは簡易なもので、箱はなく直接ブラウンの包装紙にゴールドのリボンが掛けられた、プレゼント用の包みだ。

「開けてください」

私はリボンを解いて包装紙を外す。すぐに中からさきほど晴香ちゃんが選んでくれた黒のシースルーベビードールが出てきた。タグは切ってある。
肩紐をつまんで広げると、ショップで見た時よりも身生地の透けがかなりのものに感じられる。
だが胸元のレース使いなどは上品だったし、あの時晴香ちゃんが言ったように普段使いもできないわけじゃない。そして何よりこれを「きっと似合う」と晴香ちゃんは言ってくれた。

少し肩紐の長さだけ調節して、私はそのベビードールを裸の身体に身につける。
ふと自分自身を見下ろすと、レース越しに自分の乳首が透けて見えるし、背面にはスリットが入っていて心もとない気分になった。
だが見た目から受ける印象よりも生地の感触も良く、お腹まわりのシースルー生地も柔らかく心地よい。

私は鏡に正対して立ってみる。すると背後から晴香ちゃんの声がした。

「あー…やっぱりすごく素敵です」

鏡越しに晴香ちゃんの表情が見えた。とてもリラックスしているような、うっとりしたような顔をしている。
ほぼ全裸の私に反して晴香ちゃんは外にいた時と同じ、白のシフォンブラウスに花柄のスカートを履いて、足を伸ばしてベッドに腰かけている。スカートから伸びる足が白くて真っすぐで綺麗だなと思っていたが、そんな晴香ちゃんに身体を褒められて舞い上がりそうだった。

晴香ちゃんは直接自分の視界に入る私の後ろ姿と、鏡に映る私の前半身を俊二に確認したようだ。
私は後ろのスリットからお尻が出ているような気がして、ベビードールの後ろ側の裾を手探りで整えるように触れた。このベビードール自体、お尻が半分くらいしか隠れない丈なので、少し裾が動いただけでお尻が出てしまうのだ。

「…教えてあげましょうか、冴子さんの身体で一番綺麗な所」

私は鏡越しではなく、振り返って直接晴香ちゃんの顔を見た。
鎖骨側にこぼれたさらさらの長い銀髪を軽く耳に掛けるような仕草をしながら、晴香ちゃんは優越感に浸るように言う。

「?……」
「多分、胸だと思ってますよね」

私は改めて鏡を見る。
確かに胸は大きいしよく羨ましいなどとは言われる。

「でも客観的には違います、本当は…」

言いながら、晴香ちゃんは私の背後に回りあえてベビードールをめくり上げた。
鏡の中から晴香ちゃんの姿が消える。

「この、お尻ですよ」
「え…」
「やっぱり、気付いてないですよね、冴子さん」

晴香ちゃんは真後ろから私を見てこんな事を言う。

「冴子さんは、後ろ姿がものすごく綺麗なんです。…どうしても、前から見ると胸や顔の造りに目がいきますけど、本当に素晴らしいのは、後ろから見た時のお尻の形だったり、そこと腰のくびれだったり、あと裸を見てやはりと思いましたが、背中もとても綺麗なんです。背中がしっかりした逆三角形になってるから、身体のメリハリというか、それが際立って、あと背骨とか肩甲骨まわりの陰影もしっかり出ていて、そこもいいんです」

「だから」と晴香ちゃんは続ける。

「冴子さんが一番綺麗に見えるのは、真後ろから見た時なんですよ」
「……」

意外だった。それを直接他者から言われた事は一度もない。

「もう一つ」と更に晴香ちゃんは言う。

「多分これも気付いてないと思いますけど、…ここ」

言いながら晴香ちゃんは私の左の脇腹のあたりを指で触れた。厳密には、脇腹よりやや後ろの位置である。

「さっき冴子さんのパンツ下ろす時に気付いたんですが、ここに…薄くだけどキスマークがありますよ」

自分では確認しにくい場所だけに、思わず「えっ」という声が出た。

「ほら」と晴香ちゃんの指さす場所を鏡に写すと、確かに薄いが赤い跡がある。

「そんなに驚くような事なんですか?」

晴香ちゃんは可笑しそうに言う。「恋人同士ならよくある事なのでは」と続けるが、私は一人で混乱した。
この跡を付けた人がいるとすればそれは美咲さん以外考えられない。
だが美咲さんと「独占欲」という言葉が全く繋がらないのだ。

私が思い悩んでいると、「つまり、冴子さんの知らない所でこれをされたという事ですか」と尋ねられる。まあそういう事になるのだろうな、と思いはするが何か違和感があった。

「あの人はそういうタイプではない、と」
「…まあ、うん…」

私が美咲さんに跡を付ける事はあるかもしれないが、逆はどうしても考えにくい。

「…冴子さんが思うより、その人は独占欲が強いって事なんでしょうね、あるいは途中から独占したくなったのか」
「…」
「更に言うと、この位置はキャミソールを着ていないと、ショーツで隠れる位置じゃないですよ…だから、冴子さんがお仕事前に着替えている時などにも、場合によっては目撃される事を意図してこの位置に付けてるのかもしれません」

晴香ちゃんは、この跡を見ただけで私よりもずっと美咲さんの思いを理解しているのかもしれない、と思った。
私は美咲さんにあるいは弄ばれているだけなのかもしれないとさえ思っているのに、晴香ちゃんの語る美咲さんは、それとは全く異なる像を結ぶ。

晴香ちゃんは、めくっていたベビードールを元に戻して言った。

「ここに、キスマークを付けたくなる気持ちは、私はすごくわかります…後ろから冴子さんを見るのがきっと楽しみで、しかも他人が同じ目線で冴子さんを見た時に一番よくわかる場所に、自分の印を刻むなんて」

「そして冴子さんにもしもの事があれば、これを見せつけて冴子さんは自分のものだと、わからせたいんでしょうね」

美咲さんが、晴香ちゃんのような存在を予期して牽制している…?
全くイメージできない。そんな事、美咲さんの態度からみじんも感じなかった。

「冴子さん、今私が考えている事、話してもいいですか?」
「え……何?」

座りたくなって晴香ちゃんの隣に腰を下ろそうとすると、晴香ちゃんがいきなり私をベッドの上に四つん這いにさせた。
また勝手にお尻が丸見えになる。そこに指を添えながら、晴香ちゃんは恐ろしい事を口にした。

「私が今日、ここにキスマークを付けて、あの人に挑戦状を叩きつけてやろうかと、そんな事を考えてしまいました」
「そんな、やだ…」
「冴子さんは絶対損しませんよ?むしろそれに反応して、ますます冴子さんを激しく愛してくれるようになるんじゃないかと、私は思います」
「何、言ってるの…」

思考のスピードについていけない。晴香ちゃんと、美咲さんにしかわからないやり取りについて語られても、私にはほとんど理解できなかった。
それにどうしてこうも次から次へとそんな事ばかり思いつくのだろう、晴香ちゃんは本当は何を望んでいるのだろう、と混乱した。

その時、私が一度だけ思い描いた妄想について記憶がよみがえる。
確かこの部屋の内覧会に来た日の夜、私は晴香ちゃんに貫かれる夢を見たのだ。
晴香ちゃんは、黒くて大きな「あれ」を装着し、狂ったようによがる私に容赦なくそれを打ち込んでくる。それも冷ややかに。

その時の私は、単純にイノセントな見た目を持つ晴香ちゃんが、組み敷かれ犯される姿よりも、穢れた雌犬に仕置きをするような姿が似合うのではないか、と思っていた。

仕置きではないが、今正にそれをされているのではないか。

晴香ちゃんは未経験だと言っていた。多分それは嘘ではない。ならば潜在的S気質という事なのだろうか。
思考で先回りして言葉で追い詰める、そういう事は極めて得意なんだろうし実際今それを簡単にやっている。本人はその特殊性を自覚していないだろうが。

そんな事をされたら美咲さんにどう思われてしまうのか、怖いはずなのに、晴香ちゃんのその言葉には抗いがたい誘惑の響きが感じられ、私の中ではもはやその期待の方が上回っていた。

「…じゃあ、付けてもいいよ」

気が付くと私はそんな言葉を吐いていた。
晴香ちゃんから余裕の色が消える気がした。

「冴子さん…どうしてそんな事言うんですか」
「だって、付けたいんでしょ…」
「……」

自力ではその場所にキスマークを付けられない。
そして、それを見た美咲さんは、素直に指摘するのだろうか、しないのだろうか。
美咲さんは私に内緒でキスマークを付けているのだ。

美咲さんに嫉妬されたい。
そんな跡を打ち消すぐらいに上書きされてみたい。
キスマークを、ただの遊びと解釈するのか、それとも深い交わりを連想するのか。
私と他の人が交わった事を想像して、美咲さんは興奮するのだろうか、それとも怒るのだろうか。
表面的には嫉妬を押し隠して、いつも以上にしつこく私を攻めるのか、それとも誰とどんな事をしたのかあらいざらい私に白状させてねちねちと追い詰めるのだろうか。

そのどちらでもいい。
美咲さんが本気で闘争心を露わにする所を、私は見てみたい。
そんな欲望が抑えられなかった。


「…怖くてできませんよ、そんな事」

晴香ちゃんは力なくそんな事を言った。
「どれだけ恨まれるか考えただけで死にそうです」などと冗談っぽく言う。

私が身体を起こして改めてベッドに座ると、晴香ちゃんは「調子に乗ってすみませんでした」と頭を下げてくる。

「謝る事ないのに」

私が晴香ちゃんの顔を覗き込むと、「頭でっかちなだけですから」などと言いながら晴香ちゃんは笑う。
それから「あんまり、近づかれると…」と口ごもった。

私が前かがみになって晴香ちゃんの顔を覗き込んでいたので、多分胸やその他が晴香ちゃんの視界に入ってしまうのだろう。

「なんか、迫られてるみたいで我慢できなくなっちゃいそうです」
「…晴香ちゃん、我慢してるんだ?」
「それは勿論です」

晴香ちゃん自身の中で、葛藤なのか倒錯なのか、「身体には触れていない」事を言い訳にしたいのか、罪悪感から逃れたいという意志を感じた。

「…キスマークさえ付けなければ、誰にもばれないよ」
「なんでそんな事言うんですか」

今度は私が晴香ちゃんを追い詰めて、くすくす笑ってしまう。
我慢している晴香ちゃんをからかうのが少し楽しかった。
それから、なんとなくだけれど晴香ちゃんが望むのであれば、彼女の身体に触れ私の知っている事は全て経験させてあげたいという事も思った。

私は、そうやって美咲さんに与えられて、それ自体を後悔はしていない。
晴香ちゃんだって、大好きな人に、そして安心して心を許せる人に、手ほどきを受けられたらそれはきっと嬉しいはずだから。
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